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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
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WPspinoff17 キミは誰かのひだまり



教師の声をかき消すように鐘の音が鳴る。

授業の終わりと、昼休みの始まりを告げる音だ。


これからやるべきことを考えていたら、あっという間に午前の授業が終わってしまった。

受けた授業の内容は全く覚えていないけれど、自分の机に置かれたプリントの解答欄は全部埋まっているので

無意識に勉強はしていたのだろう。答えが間違っていないことを確認してから提出すると、教師は満足そうな顔で受け取った。私が大人しく真面目に授業を受けていたので、大変ご満悦のようである。

実際は教師の言葉など一言も聞いてはいなかったのだが、良い方向に勘違いしてくれたようなので黙っておこう。

号令を終え、教科書などを机の中に仕舞ってから席を立つ。

小さく深呼吸をして、気を引き締めてから彼女の元へ向かった。


「それじゃ、行こっか」

「うん」


あくびをしながら両腕を上に伸ばしていたひなたんは、目を擦りながら立ち上がる。

あゆ達には先にひなたんとお昼を一緒に食べることを伝えてあるので、準備は万端だ。


「どこで話す? あまり聞かれたい話ではないし、空き教室か校舎裏あたりがいいと思うけど」

「そうだね。私も絶対に人がいないところで話したいから……よし、光希には秘密の場所を教えちゃおう」

「え、なにそれ楽しみ」


秘密の場所とかドキドキしちゃうんですけど。

これから真面目な話をするというのにワクワクしちゃうんですけど!


ひなたんについて歩きながら、小さい頃、あゆと一緒に秘密基地を作ったことを思い出す。

段ボールで基地を組み立てて、侵入者を防ぐ為に様々な罠を仕掛けたりして、苦労したけど楽しかったな。

デザインを考慮せず耐久性を重視した設計図を書いて作ったので、わりと本格的な秘密基地に仕上がった。

私のロマンを詰め込んだ最高傑作だったけれど、そのままにしておくと色々な事情を抱えた大人の方々に悪用されてしまいそうな危険があった為、結局自分たちの手で早々に壊したんだっけ。

勿体無かったが、誰かに見つかってしまえば怒られていたはずなので、あの判断は間違っていなかったのだろう。

子供が遊びで作ったものにしては、少々出来過ぎた建造物だったのだから。


「あれ、こっちって第二棟だよね」

「うん」


ひなたんが向かっているのはこの学校の第二棟らしい。

第二棟は老朽化して今はほとんど倉庫になっている校舎だ。教師の許可がない生徒は入ってはいけない事になっているが、滅多に人が来ない場所故、素行に問題のある生徒が時々出入りしている。

もちろん私もその一人であり、時々侵入して授業をおサボりしたりお昼寝したりと常連だったのだが、

あの喫煙疑惑事件があってからは第二棟に近づかないようにしていた。


「確かに人は来ない場所だけど、私がそっちに行くのはちょっとまずいかも」


問題のない生徒が第二棟に入っても、軽い注意だけで済む。しかし、私の場合はそうもいかない。

何もしていないとはいえ疑われた実績があり、普段から素行に問題ありの自分がまた第二棟をうろうろしていたら、今度こそ難癖を付けられて処分を言い渡されてしまう。


「そうだね。でも、絶対に見つからない場所があるから大丈夫だよ」

「ほほう」


第二棟を含め、学校を隈なく探索した私が知らない場所とはいったいどこなのだろうか。

ひなたんはニヤリと意味深な笑みを浮かべ、第二棟の正面入口ではなく、裏口のほうへと歩いていく。

正面は本校舎から丸見えなので、誰かに目撃される可能性が高い。逆に裏口へ向かう道は死角になっている為、通るならこちらだろう。しかし教師たちがこの事を知らないはずもなく、しっかりと対策はされているのだ。

残念ながら第二棟に入る為の扉はしっかりと施錠され、開けることが出来なくなっている。


「確かに裏口は入ったことがないなあ。ここの鍵、複雑な構造をしてるのかピッキングしてみても、開かなかったんだよね」

「ぴ、ピッキングって……光希って普段何やってるの?」

「大丈夫! 捕まるようなことはしてないよ」


生まれ変わる前の私だったら口を閉ざすところだけど、椎葉光希の手は未だ汚れておりませんので安心ですよ。誤魔化すように胸を張れば、ひなたんは困ったように笑ってくれた。


「いやそんな得意顔で言われてもね。すでに大丈夫じゃない気がするけど、今はまあ目を瞑ろう」


ひなたんは裏口の扉に寄り掛かって、ドアノブを握る。

それから体重を乗せて押しつつゆっくりとドアノブを捻って、勢いよく斜めに引っ張った。

するとガコンという鈍い音と共に、扉が簡単に開く。


「わ、すごい。鍵がないのに開いた」

「裏口の扉は昔からこんな調子なんだよね。鍵穴は実は壊れてて、工夫しないと開かないからそのまま放置されてるってわけ。だからここに入れるのは開け方を知ってる人だけなの」


なるほど。だからピッキングでも開かなかったのか。

それにしても、ひなたんはどうして開け方を知っていたのだろう。自分で発見したと言うには、少々開け方が複雑で難しい気がする。

気になったので聞いてみると、どうやら昔この学校に通っていた人から教えて貰ったそうだ。

そしてこれから向かうのは、その人がよく昼寝をしていたというとっておきの場所らしい。

ひなたんも、たまにその場所で寝ているとのこと。


「っと、久しぶりに来たから埃が溜まってる…うわー、クモの巣まで……」

「ここは……もしかして保険室だったところ?」


教室より狭くて、薄汚れたベットが2組。

教師用の机と、大き目の棚。

古いタイプの体重計に、今にも壁から剥がれ落ちそうなボロボロの視力検査表。


「正解。ベットもあるし扇風機も使えるから、最高のお昼寝場所なんだよね」


確かにここなら誰にも邪魔されず快適に過ごせるに違いない。

ぶーぶー、こんないい場所を今まで独占していたなんて狡いぞひなたん。


「天気も良くて絶好のお昼寝日和なんだけど、残念ながら今日はそうもいかないか」

「だね」


一緒に仲良くお昼寝する為にこの場所を教えて貰ったわけじゃない。お互いに大事な話をする為に、ここまで来たのだ。あ、でも今はともかく、せっかく素敵な場所を教えて貰ったのだから、今後は有効活用させてもらおうかな。私もここを利用していいか、あとで交渉してみよう。


「さて」


ひなたんはベットの埃を軽く払って腰かける。私も隣のベットに座り、向かい合う形になった。

自分たち以外に人の気配はなく、外から聞こえる雑音もない。

静寂で満たされた室内に鳴るのは、古びたベットの軋む音。

そして彼女の方から、小さく息を飲む音がした。


「それで、光希はどうして椿のことを……いや、鹿島雅之のことを知っているの?」


先程までの穏やかな雰囲気を一変させ、ひなたんこと早瀬日向は真剣な目をして本題を口にした。

落ち着いているようだが、表情からは僅かな緊張が読み取れる。

迂闊に情報を漏らさないように言葉を選んでいるようだし、やはりただのお人好しではないか。

とはいえ話術に特別長けているとも言い難く、これならウッキーのほうがまだ向いていると言える。

友人を疑いたくはないが、こちらも秘密を抱えている以上、慎重にならざるを得ない。

彼女が何者なのかはっきりするまで、こちらもある程度は言葉を選ぶ必要があるようだ。


「私の知り合いが鹿島の関係者でさ、つい最近知ったんだよ」

「それは、どこまで? もしかして事件の真実や、椿の秘密も知ってる?」

「そうだね。あの事件の真犯人も、倉坂椿さんの父親のことも知ってるよ」


彼女の顔がほんの少し悲しそうに歪み、それから険しくなる。

どうやらひなたんは偽られた事件の真相を知っていて、倉坂や鹿島の裏の事情にも詳しいようだ。

だから私も彼女も、警戒を強める。お互いが、お互いの秘密の近くにいることがわかったのだから。


「光希は、何が目的なの? そのことを椿に告げて、どうしたいの?」

「あ、別に倉坂椿さんをどうにかしたいわけじゃないから安心してね。朝のあれは、本人がどこまで知っているのか確認しておきたかったから、つい。軽はずみな行動だったと自覚してる。それは、ごめんなさい。あと、事件の真実を周りに言い触らすつもりも今のところないから」


私の言葉を聞いて、ひなたんは少しだけ警戒を解き、静かに息を吐き出す。


「椿は父親のことは知っていても、事件のことや倉坂と鹿島のことに関しては何も知らないよ。これから先も、教えるつもりはない。だから、できれば黙っていてほしい」


切羽詰まった声で、懇願されてしまった。

私は、大事な友人のこんな声を聞きたかったわけではない。そんな、必死の表情をさせたいわけでもなかった。

でも私は、私の進む道を選んだ。だから、例え大事な友人を苦しませる結果になったとしても、立ち止まることは出来ない。ただ目的のために、どんな障害をも跳ね除けて突き進む。


「それはひなたん次第だね。私が聞きたいことを、正直に話してくれたら本当のことは黙ってるよ」

「…………」


にっこりといつもの笑顔で、狡い取引を持ちかけた。

ひなたんは卑怯だと怒ることも、失望の目で私を見ることもない。ただ真剣な表情を崩さず、口を閉ざし黙っている。…参ったな。思っていたよりずっと冷静みたいだ。人は感情に振り回される生き物。昂れば昂るほど冷静な思考を失い、意思が弱まり、迷いやすくなる。私が昔、よく用いていた得意な手段だ。だからもう少し、感情が揺れ動いてくれれば良かったのだが。


「ひなたんってさ、倉坂の前当主、倉坂康介のことを探してるんだよね。それはどうして? なんのために?」


丸戸から教えて貰った情報によると、ひなたんはごく普通の家庭で育ち、鹿島や倉坂とは何の関わりもない。

あるとすれば、隣に住んでいるのが倉坂前当主の血を引く倉坂陽織とその子供で、ひなたんはその子供の倉坂椿ととても仲が良い、ということだけだ。


「……私って嘘が下手らしくてすぐ見抜かれるし、駆け引きとか苦手だし、そもそもあまり頭が良くないから」


成績上位のお方がなんてご謙遜を。そう思ったが、そういう意味ではないらしい。

ひなたんはふっと力を抜いて緩やかに笑い、頬をかく。


「倉坂康介さんを探してる理由。それはね、会わせたい人がいるから」

「え?」

「どうでもいいって、その人は言うけれど。できることなら、会わせたい。会ってほしい」


倉坂の前当主と会わせたい人物がいる。思いつくのは、彼女の友人である倉坂椿ぐらいだ。

つまり、祖父と孫を会せてあげたいってことなんだろうか。お節介な彼女なら、やりそうなことだけど。

けど、ひなたんは一年半前に引っ越してきたばかりだ。いくら仲が良い関係だとしても、そこまで踏み込むだろうか。彼女の行動は、お節介という言葉で括れるものだろうか。


「会わせることがその人の為になるのか解らない。もしかしたら、傷つけてしまうかもしれない。けど、会えるのなら、会って話をして欲しい。二度と会えなくなってからでは遅いから。……死んでしまえば、奇跡でも起きない限り、話すことが出来なくなるんだから」

「……どうして」


どうして他人の為に、そこまでやろうとするのだろう。


嘘をついているようには見えない。自分でも嘘は苦手だと言っていたし、私もそう思う。

高校に入学してからの付き合いではあるが、彼女は人の裏をかくような人間じゃないことを知っている。

人を傷つけたり、大事なものを奪ったり、悲しませるようなことはしない。むしろ逆のことを平然とやってしまう。


そう、逆なのだ。ひなたんは私と正反対の位置にいる。

彼女が日向なら、私は日陰と言っていい。


「どうしてって……ただのお節介、かな。今やれることがあるのなら、やりたいだけ。

 少しでも可能性があるのなら、それにかけたい」


彼女は視線を落とし、そっと自分の腹部を片手で押さえる。その部分が痛むのかと思ったが、どうやら違うようだ。その仕草にどんな意図があるのか解らないけれど、深い意味はなさそうなので気にしないでおく。


「お節介か。それは凄く、ひなたんらしいって思うよ。でも友人として忠告しておくけど、ひなたんは鹿島から警戒されてるよ。普通の高校生で深い繋がりはないから今のところ大丈夫だと思うけど、これ以上関わるのはやめたほうがいい。下手に刺激して向こうが邪魔だと判断したら消されちゃうからね。脅しではなく本気で」


ただの高校生ではやれることに限界がある。どんなに背伸びをしても届かない場所がある。

だから申し訳ないが、危ない橋を渡らないようにきちんと釘を刺しておく。

彼女が知りたい情報を自分は持ってはいるが、教えるべきかどうか判断に迷っていた。

ひなたんの言っていることは全て本当のことだと思うが、その根拠はどこにもない。

ただ、私が彼女を信頼しているだけだ。曖昧な理由で安易に判断はできない。

それに、ひなたんには言葉にできない違和感が付きまとう。それが気になっているので、まだ警戒を解くわけにはいかなかった。


「……そっか。残念だけど、目立つことは控えたほうが良さそうだね。忠告してくれてありがとう光希」


どうやら私の助言を素直に受け取ってくれたようなので一安心。

いや、ちょっと待てよ。どうしてひなたんは倉坂と鹿島のごく一部の者しか知らない極秘の事実を知っていたんだろう。倉坂椿だって知らないのに、部外者の彼女が知っているのはどういうことだ。


「ねえ、ひなたんは事件の真実や倉坂椿さんの秘密を誰から聞いたの?」

「あ…やっぱりそれ聞かれちゃうのね。うーんどうしよう、なんて説明しよう」


困った顔で悩み始めるひなたん。言いたくないというより、言葉にすることが難しいようだ。

必死に頭を捻って唸り声をあげていたかと思えば、「よし!」という威勢のいい声と共にベットから立ち上がる。


「“誰から聞いた”と言う質問には、〝誰からも聞いていない”って答えるしかないみたい」

「んんん!? それは一体どういうこと?」

「あはは、嘘はついてないよ」


上手いこと言ったとばかりに満足げな顔をしているひなたんは無視して、彼女の言葉の意味を考える。

聞いていない?じゃあひなたんはどうやって真実を知ったんだろう。まてよ、『聞いていない』ってことは『見た』ってことかな。真実が書かれた書面あるいはメディアを見たのかもしれない。だとしたら一体どこで。倉坂家で偶然? いやまさか、そんな手軽に読めるわけがない。そもそも隠蔽した真実は普通、“形”に残さない。

何らかの理由で残したとしても、厳重に管理され手の届かない場所に置かれるはずだ。

聞いても見てもいないとしたら。他に、彼女が真実を知る方法は、なにがある?

まさか自分で真実に辿り着いたというのか? いやいや、そんなはずはない。部外者が、そう簡単に辿り着けるはずがない。“普通の高校生”に、そんなこと、鹿島の真実に、触れられるわけ、が。



普通?



私だって普通の高校生だ。

何の力もない、口が達者なだけの子供だ。


ただ、前世の記憶を持っているから。

だから真実を知る手段を持ち得ていた。



「――ひなたんは」


馬鹿げた話だ。

夢のような、現実ではありえないことだ。


でも、そんなの、自分自身が一番よく知っている。


それは――――ありえるのだと。



「誰、なの?」



声が掠れる。そんなわけがないと頭の中で否定が鳴り響く中、もしかしたらと身体の底から肯定が叫んでいる。

様々な感情が起こす小さな震えをぎゅっと握りしめて、ほんの僅かな可能性を拾い上げた。

私の勘違いならそれでいい。ただ、彼女から変な目で見られるだけだ。


「…………」


視線の先にいる少女は驚くこともなく、口を閉ざしたまま薄く微笑んでいる。

しかしその表情は私の問いの意味を正しく理解しているのだと、雄弁に語っていた。

ずっと感じていた違和感の正体に気付いて、やがてはっきりと形を成す。

それは、自分と同じものだった。

今まで感じていたものは違和感ではなく、これは『既視感』だ。


早瀬日向という少女は、自分と同じなのだ。

自分とよく似た『視点』を持っている、普通だけど普通ではない、高校生なのだ。


「私は、私でしかないよ。だから誰?って聞かれたら、正直に早瀬日向って答える」

「そうだよね、それが“普通”だよね。でもひなたんって――――“普通”だけじゃないよね」

「えっ」


ひなたんは目を瞬かせ、覗き込むようにこちらを見つめる。

真っ直ぐな視線が痛いほどに純粋なので、性根の歪みまくった私には少々眩しい。


「もしかして、気付かれてる? でも“普通”気付くわけ……あっ」


どうやらひなたんも私のことに気付いたようだ。

普通じゃないことに気付くのは、同じく普通じゃない人間だからかな。

もしかしたら彼女も私と同じように既視感を覚えていたのかもしれない。


「……鈍感ってよく言われるんだけど、流石に気づいちゃったかも」

「ほう、私の魅力に? 私ってば罪な女だよね。魅力溢れる女に生まれてごめんね!」

「やっぱり鈍感だからわかんないや。光希の魅力に気付けなくてごめんね」

「泣くよ!?」

「って、話が逸れた。真面目な話をしていたはずなのに、もう」

「ごめんねー、ついつい」


てへへと明るく笑って誤魔化した。都合の悪いことを軽口で流そうとするのは、今の私が今生で得た悪い癖だ。

昔の自分を知られてしまうのは酷く怖い。それが、気が置けない友人なら、なおさら。

ひなたんの視線から逃げ出したくなる気持ちを押さえ込み、浮きつつあった足に力を入れて踏ん張った。

とことん弱くなったなぁと心の中で自嘲する。昔だったら、他人の評価など気にせず、人と向き合っていられたのに。

自分は、なんなんだろう。どうしたいんだろう。過去の自分を否定したいのに、都合のいい部分は肯定しようとする。私は椎葉光希だ。でも、もう一人の自分が嫌でも内側に居座っている。どっちつかずで、ちぐはぐで、不安定な存在だ。


私は。



私は、一体…………誰なんだろうなぁ。



今の自分と、もう一人の過去の自分。

私が本当にあるべき姿は、どちらなのだろう。


ずっと抱えてきた、無意識に隠してきた悩みに耐えきれなくなって、ついに俯く。

ひなたんは開きかけた口を一度閉じて、吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。

それから微かに笑う声。


「まあでも光希らしいよね」

「…………」


顔を上げる。目の前にいるのは、少しだけ微笑んでいる少女がひとり。


「私は、私が見てきた光希だけしか知らないけどさ。ここにいるのは、私の友達の、椎葉光希だよ」


心を読まれたのかと思った。考えていることを悟られるような、そんな顔はしていなかったはずだ。

言葉にだってしていなかったのに、問いかけるつもりだってなかったのに、彼女は、答えをくれた。


「もし、光希が“光希じゃない人生”を経験していたとしても、それは変わらない。

 だって、全部を含めて、今の光希なんだから。今も昔も、生きてきたのは、誰でもない自分でしょ?」

「……そうだね」


ひなたんのこと鈍感って言った人。どなたか存じませんが、直ちにその認識を改めてください。

この人、心の弱い部分に優しく踏み込んできます。きっと無自覚なんだろうけど。


「だから胸を張っていいよ。自分が誰だったとしても、思う通り、好き勝手生きていればいいんだよ。だって、これまでも、これから先も、紛れもない自分の人生なんだから」


その言葉ひとつで、自分の存在を許されたような気がした。

彼女の言葉だからこそ、こうも胸に響いてしまうのだろうか。

理解してくれる両親や昔と変わらず慕ってくれる部下はいるけれど。

『特別』を共有することが出来るのは、きっと同じ境遇であろう、ひなたんだけかもしれない。


「多分、光希が知りたいことと無関係じゃないかもしれないから、改めて自己紹介するね。

 ―――ー私は、『赤口 椿』の人生を生きた『早瀬 日向』。どうぞよろしく」


「赤口、椿?」


聞き覚えのある名前だった。いや、その名を、つい最近見たはずだ。

えっと、たしか……倉坂の本家で起きた事件の被害者がその名だったと思う。

倉坂の事件については丸戸から詳細な資料を貰って全て目を通している。赤口椿は倉坂陽織の友人で、事件に巻き込まれてしまった不運な被害者だ。一般家庭に生まれ、特に目立つところもないごく普通の女子高生だったらしい。ただ、とても慕われていたようで、彼女の死を悼む人々が非常に多かったという。

ちなみに死因は、ナイフに似た生け花用のハサミで腹部を刺された事による出血死だそうだ。


「あ、やっぱり知ってる? 私は見てないけど、当時の新聞に小さく名前が載ったらしいよ。恥ずかしい」


赤口椿だった少女は困ったように笑って、長い溜息を吐いた。

死んだ後の自分の扱いを知って恥ずかしいの一言っていうのが、ほんとひなたんらしい。

そういや私は事故で死んだことになってるから、一応新聞に載ってるとは思うけど。

……うん、恥ずかしいな。絶対読みたくない。


「なるほどね。事件の当事者だから、ひなたんは真実を知っていたんだ」

「うん。嘘は吐いてないけど、光希はこんな突拍子もないこと本気で信じるの?」

「もちろん。ひなたんのことを否定するなら、私のことも否定しないといけなくなるし」

「あはは、そっか」


それにひなたんは無意味な嘘をつかない。

私の友人である彼女は、どんな人生を歩んでいようと、そういう人だから。信じるに値する人だから。


「で、他に光希の知りたいことってある? 答えられる範囲で答えるけど」

「ん…いや、十分だよ。自分のやるべきことは、見つかったから」


倉坂の事件のことを当事者の口から詳しく聞きたい気持ちはあったけれど、それはいい。大事なことじゃない。

ここで、本当に大事なことをひとつ、見つけた。そして、今、すぐにでもやらなければいけないことができた。


「光希?」


私はベットから立ち上がり、少し位置をずらしてその場に膝をつく。

両の手を床に置き、額を地に擦りつけるようにして平伏する。


「はあっ!? ちょっと、なんでいきなり土下座してるの!?」

「……責任があるから」

「意味わかんないですけど!? や、いいから、頭あげて! 立って! ぷりーずすたんどあっぷ!」


驚いて混乱しているひなたんには悪いけれど、私にはこんな方法しか思いつかない。

それに、こんなことで許されるとも思っていない。でも、今は、これしかないのだ。

こんなことしか出来ない自分が歯痒いけれど、何もせずにはいられない。


「赤口椿さんは鹿島雅之と倉坂神楽の諍いに巻き込まれて亡くなったんだよね」

「う、うん。あ、でも、陽織のお母さんは悪くなくて、死んじゃったのは、自分が慌てて飛び出しちゃったのが悪くて、自業自得っていうかなんというか!」

「ほんっと、ひなたんはお人好しだなぁ…………じゃあさ、鹿島雅之のことはどう思ってる?」

「…………」


少し顔を上げると、早瀬日向の表情が凍っていた。うん、多分、その反応でいいんだ。

どんなに人が良くったって、大事なものを傷つけられたら怒るもんだ。

だから、ひなたんの眉間に皺が寄って、ちょっとホッとしてる。


「自分の幼馴染を傷物にされたんだから、そりゃ憎いよね。しかも幼馴染の母親までも手にかけた、どうしようもない屑だ。憎んで当然なんだよ、ひなたん」


鹿島雅之が倉坂神楽に、倉坂陽織に手を出さなければあの事件は怒らなかった。

様々な要因はあれど、引き金の一部を引いたのは間違いなくあの男だ。


「憎く、ないわけがない。大切な人を傷つけられて、恨まないわけがない。本気で、人をこんなに憎んだのは初めてだったよ。生まれ変わった今でも、この感情は消えてない。きっと、一生消えないかもしれない」


隠しようのない、強い憎しみが込められた低い声。

いつもの優しいひなたんからは想像できないほど、負の感情を露わにしている。


「……復讐しようとは、思わなかった?」

「正直に言うと、思ったよ。あの男の人生を滅茶苦茶にしてやりたいって思った。多分、やろうとしたら、どうにか復讐できたかもしれない。私はなんの力もないけれど、方法はきっと、いくらでもあった。でも、結局やらなかった。今からでも遅くないって、思うけど。きっと、一生、私にはできない」

「どうして」


今でも憎んでいるのに、それでも彼女はこれから先も鹿島雅之に復讐するつもりはないと言う。

お人好しにも程があると言いたいところだが、多分、彼女はそんな理由で復讐を拒んでいるわけじゃない。

お節介で。

他人の為に、行動する彼女は。




「椿がいたから」




ああ、やっぱり。


ひなたんは、いや、赤口椿は、大切なものをずっと守り続けているのだ。

きっと己が死んだあの事件の日も、そして今この時も。



「椿がこの世に生まれてきてくれたから。私は、鹿島雅之を最後の最後まで、憎むことができない」



ひなたんは息を吐いて、強張った表情を緩めた。

彼女の言う椿とは、赤口椿ではなく倉坂椿のことだろう。


「あの男が陽織にしたことは絶対に許せない。一生、許さないよ。けど、あの男に復讐すれば、それは椿の存在を傷つけることになる。椿は、望まれてできた命じゃないけれど。それでも、復讐とかどうでもよくなるくらい、あの子に生きて欲しいと思ったんだ」


お隣同士で仲良くなっただけの関係ではなく、早瀬日向にとって倉坂椿は大切な幼馴染の娘というわけだ。

ひなたんのあの溺愛っぷりは、そういうことだったのか。


「でも倉坂椿は半分鹿島の血をひいてる」

「関係ないよ。あの子は、あの子だから。よくあんな天使に育ったなって驚いたけど」

「それは同感」


鹿島の人間とは思えないほど純粋で真っ直ぐだし、倉坂陽織のように愛想がないわけではなく、むしろとても愛嬌があり、人当たりもいい。育った環境が良かったのか、もともとそういう奇跡的な性格を備えて生まれてきたのか。


「色々あったけどね。陽織も、椿も、今は幸せだって言ってくれるから、私はこれでいいんだと思ってる。復讐を考えるより、どうしたらもっと幸せになれるか考える方が、ずっと良いよ。もちろん、向こうがなにかしてくるようなら全力で抗うつもりだけどね」


「大丈夫。それは、私が絶対に食い止めるから。もう二度と、ひなたん達には手出しをさせない」

「えっ?」


私はもう一度、頭を下げて床に額をつける。


「また土下座!? 光希、私が知らない間に変なことやらかしたの!?」


意を決して、狼狽している彼女に私は告げようと口を開く。

軽蔑されようと、罵られようと、友達じゃなくなっても、どんなに怖くても、言わなくちゃいけない。



「私は直接何もしてないけど……でも、身内の不始末だから、私にも責任がある」



過去の自分を利用するのではなく、受け入れて生きていくのなら、避けては通れないこと。

これから先、胸を張って自分の名前を言う為に、越えなければいけない最初の壁だ。






「私のもうひとつの名前は、『鹿島光葉』。ひなたんが憎んでる鹿島雅之の、姉だ」






震えた声が漏れないように、歯を食いしばった。

昔の自分が犯してきた罪が脳内を巡り、自分の愚かさを再認識させられ、吐き気が込み上げてくる。

なんの因果だろう。まさか私と同じ前世の記憶を持つ人間が、ここまで身近な人間だとは思わなかった。


「鹿島雅之の、お姉さん?」

「そう。仲は良くなかったが、血の繋がった姉弟だった。だから愚弟に代わり、謝罪したい」


土下座なんて初めてだから、これが正しいやり方なのかは解らない。

けど、謝罪の気持ちを精一杯に伝えるためには、この方法しか思いつかなかった。


「謝って済む問題じゃないことは承知している。けど、謝らせてほしい。……本当に、申し訳ない」

「…………」


ひなたんは呆然と、私を見下ろしているようだ。これから彼女がどういう判断を下すかはわからないけれど、どんな判断を下しても、甘んじて受け入れる。できることなら、なんだってやる覚悟だ。


「光希は……光葉さんは、なにもしてないよ」

「何もしなかったのが罪なんだ。弟が間違いを犯した時、それを正すのは家族の役目だ。両親がやらないのなら、姉である私が諌めなければいけなかった」

「でも」

「いいんだよ。私は何もしなかった。昔の私は、それが間違いだと微塵も思わなかったと思う。ひなたん達は、私たち鹿島を恨んでいい。その資格は十分にある」

「………」


頭上で息を飲む音が聞こえた。そして、彼女の手が私の肩を掴む。


「立って」

「いや、まだ私は」

「いいから立ってよ、光希」

「……うん」


有無を言わさぬ強い言い方に圧倒され、渋々ながら立ち上がった。

彼女の表情は険しい。怒って、いるのだろう。当然だ。私は彼女が心底憎んでいる男の姉だったのだから。


「鹿島雅之のやったことは許せないけど、別にお姉さんまで恨むつもりはないよ。きっと陽織もそう言うと思う。だから今、こうして謝ってくれただけで、姉としての責務は終わり」

「そんな簡単に…っ」

「いいってば。それに光希は他に、やろうとしてることがあるんでしょ? だから倉坂や鹿島のことについて探ってたんだよね」

「……う、ん。鹿島雅之と植田先生の婚約を破棄させようと奔走してるところです」

「婚約?……あの男は性懲りもなく。色々と聞きたいし協力したいけど、私は聞かない方がいいんでしょ? 多分、足手まといにしかならないから」


同じ前世の記憶を持った人間とはいえ、普通の女子高生であるひなたんにできることは何もない。

むしろ巻き込んでしまう可能性があるので、酷い言い方になるが正直関わって欲しくない。

それに、これは私がやらなければいけないことだから。

ひなたんには、本当に大切なものだけ、守っていてほしい。


「ごめん。なんか、横取りしたみたいで」

「いいよ。復讐はしないって決めてたから。何もできないのは悔しいけど、何も考えず突っ走っても、邪魔にしかならないもんね。だから後は、光希に任せるよ。でも、もし手伝いが必要になったら、遠慮なく言って。友達だから、いつでも力になるよ」

「……筋金入りのお節介だよね」

「あはは、昔からよく言われてた」

「ひなたんは今も昔も、ひなたんだったんだねぇ」

「ん? まあ、成長できてないんだよ。今も馬鹿とか鈍感とか散々言われるから」


それは私もかな。性格は過去と反転してしまったが、母からは「あんた年を重ねるほど精神年齢が下がってる」って呆れながら言われたし。あっ、これって成長どころか逆に退化してるのでは?


「そうだ。償いにはならないかもしれないけど、倉坂康介の居場所を渡しておくね」


メモ帳を取り出し、住所と連絡先を書いてひなたんに手渡す。


「いいの?」

「うん。あ、でもしばらく会いに行くのは控えて欲しいかな。これからちょっと、ゴタゴタするかもしれないから。それと前もって言っておくけど、倉坂康介は心の病気を患ってるからまともに話ができないと思う」

「そっか……わかった。ありがとう」

「感謝は必要ないよ。他に私にできることがあったら、何でも言って。今は余裕がないけど必ず力になる。……友達だから」


彼女に向けて、手を差し出す。

そんな資格はないのかもしれないけど、取りこぼしたくない、諦めたくない、大切なものだから。

拒否されてもそれは仕方がない。それが多分、普通のことだと思う。

――――でも、彼女は普通の枠には収まらなかった。きっと、いろんな意味で。


「頑張れ、光希」


嬉しそうに笑って、私の手を取り、強く握ってくれたのは、私の友達。


すごいな。

ひなたんの手はあったかい。

彼女の気持ちも、とてもあたたかくて、ひだまりのようだ。


「やり残したこと、全部終わらせたら……倉坂陽織に会いに行ってもいいかな。やっぱり、どうしても謝りたい」

「うん。あ、陽織は優しいけど素直じゃないから、罵られる覚悟はしててね。彼女の罵倒は強烈だよ」

「ご褒美です」

「わかる」


お互いに口を歪めて頷き、笑いあう。

ああ、はやく、全部終わらせてしまおう。これから始まる新しい可能性を、早く見てみたい。

……あの人と一緒に。


困ったように笑う彼女の顔が思い浮かんだが、予鈴の音が鳴り響いてすぐに霧散してしまう。

教室から離れた場所にいるので、そろそろ戻らないと次の授業に間に合わない。

このままサボってしまいたかったが、みんなに心配をかけたくないので大人しく戻ろう。

話はほとんど終わっていたので、問題はないはずだ。予想外の収穫もあったが、当初の目的も無事に達成できている。あとは、放課後。鹿島に対抗するための準備の為、ある人の元へ向かわなければならない。

準備の準備の段階だが、気が重くてしんどいな。そろそろストレスでごっそり髪が抜けそう。


「そろそろ戻ろうか。ベットが誘惑してくるけど、授業はサボるわけにはいかないし」

「ひなたんはどうせ授業中に寝るじゃん」

「いっ、いつも寝てるわけじゃないよ。うん、午後は、結構寝てるけど」


授業中寝てても成績が良かったのは、私と同じで過去の記憶を持っていたから。

この秘密の場所を知っていたのも、扉の開け方を知っていたのも、彼女が昔この学校に通っていたからだろう。

子供らしく、けれど大人びてもいるのは、人生を繰り返しているから。


「光希」

「ん?」

「無理はしないでね」

「合点承知」


不安そうに瞳を揺らしている友人に、にっこりと笑ってみせる。

これ以上目を合わせていたらボロが出そうだったので、慌てて背を向けてから部屋の扉を開けた。

第二棟を抜けだして、本校舎の廊下を歩いていると、いきなりひなたんが足を止める。


「光希。だいじなことを、忘れてた」

「えっ!?」


まだ何か、重要な話があるのだろうかと身構えてしまう。

彼女はまたお腹を押さえて、苦渋に満ちた顔をしていた。

お腹って、確か赤口椿が刺された箇所だったはず……これは何か、きっと深い意味があるのでは……!



「お昼ごはん。食べてない」


「…………」


ぐぅ、と。


誰もいない、静かな廊下に、ふたり分のお腹の音が、響き渡った。




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