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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
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WPspinoff16 影つ面


 

朝、ふと目が覚める。

ちらりと横目で時計を見れば、いつも通りの時間だった。

自慢できる特技というわけではないが、昔から早起きは得意なのだ。寝起きも良い方で、すぐに微睡んだ意識が覚醒する。

起きたい時間の少し前に自然と目が覚めてしまうので目覚まし時計をセットする必要はないけれど、

友人の祖母から貴重な『妹系目覚まし時計・プレミアムVer』を高校の入学祝いに貰ったので、毎晩律儀にアラームを設定していた。

あざと可愛い妹風ボイスで「おねえちゃん、朝だよ♪」とか「もう、はやく起きてよぅ! …ねえってばぁ」なんて

素晴らしい台詞で起こしてくれるはずなのだが、身についてしまった習慣を変えることは難しく、どうしても時計が鳴る前に起きてしまう。

寝坊する心配はしなくていいけれど、プレミアムな妹の声に起こしてもらえないのは非常に残念なことである。


「おはよう、コムギ」


布団から抜け出して制服に着替えていると、つい先日取り付けたばかりの猫用ドアから子猫のコムギが部屋に入ってきた。

尻尾をフリフリと揺らして機嫌が良さそうなので、ご飯を貰った後なのだろう。

この可愛い猫ちゃんは私が起きる時間になると部屋にやってきて足にすり寄ってくるのだ。


「呼びに来てくれたんだ」

「にゃー」


ふふふ、こいつめ。飼い主に似て賢い猫である。

抱きかかえて耳やら喉やらモフモフしてみると、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らし始めた。

学校へ行く準備はすでに整っているので、コムギを抱いたまま鞄を掴み、両親の待つリビングへ向かう。


「おはよ~」

「あら起きたのね、おはよう光希。ちょうど朝ごはん出来たところよ」


父はソファに座って新聞を広げており、母はできたての朝食を並べている途中だった。

抱いていたコムギを床に降ろして、定位置の椅子に座る。

今日の朝食は母の得意なフレンチトーストだ。甘い匂いと程よい焼き色が、すっごくおいしそう。ていうか実際美味しいんだよね、お世辞抜きで。


「光希、あんた今日帰りは遅くなるの?」

「そだね、ちょっと用事あるから遅くなるかも。……ところで話は変わるけど、どうして私には甲斐甲斐しく起こしてくれる可愛い妹が

 いないんだろう。お母さん、私、妹欲しいです」

「いきなり真顔で何寝ぼけたこと言ってるの。たとえ妹がいたとしても、あんた起きるの早いから起こされるなんて無理じゃないの?」

「いやほら、そこは狸寝入りするんですよ。必死に姉を起こそうと頑張ってる必死な妹の姿を見るのって最高だと思うんですよ」

「あんた頭大丈夫?」

「ひどい」


お母さんは理解できないのか顔を引き攣らせていたけれど、お父さんは神妙な顔でうんうんと頷いていた。


「そうだな、気持ちはわかるぞ光希。一人っ子だった父さんも昔、妹のいる生活に憧れた時期があったからな。

 優しく起こしてくれる可愛い妹や毎朝迎えに来てくれるツンデレ幼馴染とか欲しかったっけなぁ」

「さすが私のお父様。話がわかる」

「ふぅんそうなの。そんなに起こされたいのなら妹じゃなくて私がや・さ・し・く起こしてあげるけど? ん?」


笑顔で拳をボキボキと鳴らしながら優しくすると言われても説得力はないですよお母様。怖いです。めっちゃ怖いです。

でも……荒々しく起こされるのも、それはそれで楽しく起きれそうなのでアリかもしれないな。一歩踏み違うと、新しい扉を開いてしまいそうだけど。

なんて楽観的に考えていたら、いつの間にかお母様の機嫌が急降下してお説教が始まりそうな空気になっていた。

早急にこの場から退却したほうが良さそうなので、慌ててフレンチトーストを胃の腑に収めてから席を立つ。


「もぐもぐごっくん。美味しかったよごちそうさま。さてと、今日も元気に学校へ行こうかな! お勉強頑張っちゃうぞー!」

「えっと、うん、た、たまには早めに出社しようかな! さて、パパもお仕事はりきって頑張るぞー!」

「あっこら! あんたたち!」


「いってきまーす!」


般若の面を付け始めた母と逃げ遅れて慌てふためく父に背を向けてから、私は軽快に家を飛び出した。

こんな光景、椎葉家では珍しくもない。むしろ、ありふれた日常のひとつだ。

そんな日常に最近新しく加わった愛猫が、いつの間に外に出たのか塀の上で欠伸をしている。

元々野良猫だったので、家の中だけでは窮屈だったのかもしれない。

外を満喫すればきちんと家に戻ってくれるので、うちを自分の住処だと認識してくれてはいるみたいだけど。


「あんまり遠くに行っちゃ駄目だよコムギ」

「にゃん!」

「あ」


言った途端、コムギは塀から飛び降りて走り去っていった。

まだまだやんちゃ盛りの子猫だから、好奇心旺盛で何にでも興味を示し飛びついてしまう。

やはり家の中に連れ戻した方が良かったかもしれない。車の通りが少ない地域ではあるけれど、ゼロではないのだ。

学校が始まる時間までまだ余裕はあるので、ギリギリまで探してみようか。


「とはいえ、小さい猫を見つけるのは至難の業だなぁ。闇雲に探して見つかるのやら……ん?」


のんびり思案していると、不意に袖を引かれる。


「おはよう光希お姉ちゃん」

「はい、おはよう。光希お姉ちゃんです」


あれ、私のことをお姉ちゃんと呼んでくれる妹なんて現実にいたっけ。うん、いないよね。ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか。

私は幻の妹を作り上げてしまうほど、妹を渇望していたのだろうか。大変だ、早く妹を作って貰わないと妹欠乏症になってしまう。

……いやいや、ちょっと待て落ち着こう。妹ではないけどいたじゃないか。光希お姉ちゃんと呼んでくれるフェアリーが、現実に。


振り返ってみれば、やはり思った通りの子がコムギを抱えて立っていた。


「沙夜たん! わざわざ私に会いに来てくれたの?」

「ううん。コムギに会いにきた」


素直なことは良い事だよね。子供は正直なくらいがちょうどいいんだい。悲しくなんてないやい。


「でも私の所に来れたってことは、お母さんのこと説得できたんだ」

「まだ途中。お母さん頭が固いから、時間がかかりそう。でもアルお姉さんのおかげで、光希お姉ちゃんのところに行けるようにはなったよ。渋々だけど」

「そっかぁ。一歩前進だね」

「うん。諦めないで頑張る」


子供の我儘とは違う。大人が持つ意地とも違う。信念とも呼べる、強い意志を彼女は持っている。

それでも、自分の主張を親にぶつけ続けるなんて、簡単なことではないだろう。

私も沙夜のように諦めなければ、少しは違う人生を歩めていたのだろうか。

……いや、私と沙夜を比べても意味はない。今更、仮定を立てても何も変わらない。きっと根本から、何もかもが違うのだろうから。


「しかし、沙夜は凄いね」

「そう? よくわかんない」

「そうだよ。椎葉光希賞をあげたいくらい」

「なにそれ絶対いらない」


頑張る子は応援したくなるし、甘やかしたくもなる。

よーし、お姉ちゃんが健闘を称えて優しく抱きしめてあげようではないか。ふふふご褒美ですよ、ご褒美。

おもいっきり両腕を広げていざ抱きしめようと近づいたら、嫌そうな顔をして素早く避けられてしまった。光希お姉ちゃんはとても悲しい。

沙夜は少しの間コムギの頭を優しく撫でて、名残惜しそうにしながらも私の方に差し出した。


「そろそろ学校に行かなきゃ」

「うん。今度は休みの日にゆっくり来たらいいよ」


こくんと頷いて、私の腕の中にいるコムギを撫でる。

出来ることならもっと一緒にいさせてあげたいのだが、無情にも時間は刻々と過ぎていく。

せっかく会いに来れるようになったのに、遅刻なんかしたらまたあの母親が何を言い出すかわからない。

心苦しいけれど、コムギを家の中に入れて玄関の戸を閉めた。会いに来れるのは今日だけじゃない。また、何度だって来れる。

そう言うと沙夜は納得して、またひとつ頷いた。


「途中まで一緒に行こうか」

「ん」

「やったね、沙夜と二人で登校だ。あ、危ないから手とか繋いじゃおっか……ふへへ」

「光希お姉ちゃんが一番危ない気がする」


冗談冗談。ほんと、軽い冗談のつもりだったので、そんなに離れて歩かないでくれませんか。光希お姉ちゃんはとても寂しい。

ちらりと手元を盗み見れば、いつでも押せるように防犯ブザーを握りしめているのは流石、篠山家の後継といったところか。しっかりしていらっしゃる。

がっくりと肩を落としつつ歩いていると、沙夜は急に神妙な顔になって私の方を見た。


「……あの時。公園でお母さんを怒ってくれた、光希お姉ちゃんのお友達」

「もしかしてあゆのこと?」

「ん。あの人、大丈夫かなって。お母さん、いっぱい酷いこと言ったから。……とっても悲しくなったと思うから。

 会って、ごめんなさいって言いたい。それと、お母さんのこと、怒ってくれて嬉しかったから、ありがとうって言いたい」

「そっかぁ」


ああ、この子はとても優しい子なのだ。

自分のことだけで手一杯のはずなのに、あの時初めて会ったあゆのことまでこうして心配してくれる。

傷つけた原因は母親なのに、自分のせいだと言って謝ろうとする。

嬉しいと思ったら、感謝の言葉を素直に伝えようとする。

真っ直ぐで、眩しくて、とてもとても―――


「…綺麗だなぁ」

「光希お姉ちゃん?」


怪訝な顔を向けられたので笑って誤魔化す。

沙夜はこれからきっと、もっと沢山の問題に直面して、嫌というほど悩むことになるけれど。

でもそれはまだ先でいい。この子はこのままでいいのだ。難しいことは考えなくていい。今は、そんなことより大事なことが山ほどあるんだから。


「ほらほら沙夜。見てごらん、そこに綺麗な花が咲いてるでしょ? あれは…えっと、なんて言ったっけ。

 マニキュアみたいな名前だったような。プリky……じゃなくて、なんかそれっぽい名前だったと思うけど」

「それ、ペチュニアだよ。みっちゃんって物知りのくせに、花の名前は苦手だよね」

「そうそうペチュニア。色々使えそうな花とか花言葉なら結構覚えてるんだけどなーって、どうしてあゆがここにいるの!?」


まるでタイミングを見計らっていたかのように現れてビックリした。

こっそり話を盗み聞きするような友人ではないので、もちろん偶然なのだろうけど。

でも、あゆは登校する時にこの道を通らないはずだから、今ここにいるのは違和感がある。

あゆの家の方が学校に近いので、私の家に寄れば余計に時間がかかってしまうのだ。


「たまにはみっちゃんと登校しようと思って、わざわざ遠回りしてきたの」

「あ、そういうこと。でもあゆが朝からこっちに来るなんて珍しい」


今日はあゆが回復して初めて登校する日だ。そんな日にいつもと違う行動をする、というのは気になってしまう。

もう大丈夫と言っていたけれど、まだPTSDの症状を引きずっている可能性もある為、気付かれないように様子を伺うことにした。


「迷惑だった?」

「全然そんなことないよ。……ああでもそうか、妹じゃなくて幼馴染が起こしに来てくれるパターンも王道でありだよね」

「何言ってるのかわからないけど、わざわざみっちゃん起こすためにこっちに来ないからね。めんどくさい」

「あらやだ辛辣。悲しくて光希、泣いちゃう」

「はいはい」


気のせいでしょうか。少しだけ、あゆさん、私に対して厳しくなったような。いや、遠慮が無くなったというべきなのか。

これも成長の表れなんだろう。嫌な感じではないし、思ったことを口にしてくれるのは好ましい。

単にウッキーの厳しい態度に影響されてのことだったとしたら怖くて震えちゃうんですけど。


「それより、沙夜ちゃんと話したいことがあったんだ」

「うん。その、私もあゆお姉ちゃんに言わなきゃいけないことがあって」


沙夜は緊張した面持ちであゆの傍に寄り、自分のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。

あゆは微笑んで、小さな彼女の視線に合わせるためにその場にしゃがむ。


「あの時、お母さんが酷い事をたくさん言ってごめんなさい。それと、怒ってくれてありがとう」


俯きながらもはっきりと言いたいことを言えた沙夜の手を、あゆは握る。


「沙夜ちゃんは何も悪くないんだから、そんな顔しないで。沙夜ちゃんのお母さんだって全てが悪いわけじゃないよ。

 やり方はちょっとどうかなって思うけれど、きっと沙夜ちゃんのことを考えてのことだと思うの」

「……うん」

「私も沙夜ちゃんのお母さんに酷いこと言っちゃったから、ごめんなさい。今はまだ直接会って伝えることが出来ないけれど、必ず、謝りに行くから。

 それと、沙夜ちゃんがお母さんと向き合って頑張ってるって聞いて、凄く勇気を貰ったの。だから、ありがとう」

「う、うん」

「あと……私とも、お友達になってくれる?」

「うん!」


沙夜の満面の笑みを受けて、あゆも嬉しそうに笑っている。ああ、なんと微笑ましい光景だろうか。青春ですなぁ。

私だけ蚊帳の外だったので割り込もうかと思ったけれど、二人が作り出した和やかな雰囲気に水を差すのは無粋だろう。

こういう時は存在感を消しつつ保護者の目をして見守るに限る……と、黙って傍観していたらあゆがチラリと私を見て微笑んだ。

なんとなくむず痒くなって、頬を掻く。


そっか。

本当に、もう大丈夫なんだ。


「さすが私の天使。今日もかわいいわ」

「え!? アル、いたの?」

「いたわよ、今までずっと後ろの方に。心配だったからこっそり見守っていたんだけど……大丈夫そうね」


いつの間に。彼女はあゆがいるところに高確率で湧くからそこまで驚きはしないけど。

アルはせっかくの綺麗な顔をだらしなく緩めて、あゆと沙夜をじっとりと舐め回すように眺めている。

思うんだけど、いまこそ防犯ブザーを押す時ではないでしょうか。おまわりさん、この人シスコンでロリコンでストーカーです。早く捕まえてください。


「あれ、アルお姉ちゃん? どうしているの?」

「言ってなかったかしら。今日は大学に行く前にこっちに用事があったのよ。ふふふ、それにしても凄い偶然ね。

 こんなところであゆと会うなんて、やはり運命の糸で私たちは繋がっているのかしら」


おやまあ随分と作為的な運命ですこと。きょとんとしているあゆの頭を撫でてご満悦中のアルの傍に、沙夜も駆けていく。


「アルお姉さん。おはよう」

「おはよう沙夜。この間はいきなり家に押しかけて悪かったわね」

「家に押しかけた!? こ、この、ロリコン!」

「人聞き悪いわね。あたしと沙夜は友達なんだから家に遊びに行くのは普通のことでしょ? ああ、もちろん母親の同意も得てるわよ」


ぐぬぬ羨ましい。悔しがっている私を見て、アルは得意げな顔をしている。

これが権力を持つ人間の力だというのか。彼女だったらあの母親も喜んで出迎えただろう。

庶民な私はこつこつと信頼を勝ち得ていくしかないのだが、まあ焦ることでもないし、のんびりいこう。


「あ! そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ」

「あらやだほんと、もうこんな時間ね。途中までだけど、みんなで一緒に行きましょうか」

「おー」


いつも一人で歩いている道を四人で通るのは新鮮だ。人数が違うだけで、通いなれた通学路の景色がどこか変わったように見えてしまう。

あゆと沙夜は楽しそうに話しながら前を歩いていて、私とアルは後ろからそんな二人を温かく見守りつつ歩いていた。

前の二人が話に夢中になっていることを確認してから、アルの傍に寄って小声で話しかける。


「ところで、アルのパパはお元気かい?」

「相変わらずよ。……なに、もしかして真面目な話?」


察しが良くて助かる。表情の変化をすぐに見抜いて、意図を理解して貰えたようだ。

あゆ絡みだとどうしようもない変態ちっくなお姉さんだが、こういう時は非常に頼りになる。


「アルのパパと少し話がしたいんだけど」

「光希が目的を濁すってことはプライベートの話じゃないわね。悪いけど、ビジネス絡みの話ならあたしじゃ役に立てないわ。

 身内ではあるけど、パパの会社のことには基本的にノータッチだもの」

「やっぱり難しいか」


『知人』として会うのならそう難しいことじゃない。けど、私が話をしたいのは『社長』だ。

ただの女子高生である自分が、簡単に会えるような人物ではないのは解っている。

でも、目的を最短で果たすために、どうしても彼と話をしておきたかった。


「諦めなさいと言いたいところだけど、光希には借りがいくつかあったわね。うん、それとなく、パパには一応言ってみるわ。

 ……でもそういうことは、あたしよりお姉様に頼む方がいいかもね」

「そっか。ありがとう、アル」


確かに頼むなら彼女の方が確実かもしれない。

彼女の愛しのお姉様はなんといってもアルのパパの会社の日本支部を手伝っている。


「お姉様は優しいけど、仕事に関しては厳しいからね。説得できるかどうかはあんた次第」

「だよねー。自信ないなぁ」

「光希が“うち”の力を借りたいなんて、よっぽど大事なんでしょ? そんな弱気でどうすんの、らしくもない」


今までアルの実家の力を借りたことなんてなかった。絶対に、利用なんてしないって、決めていた。

だって友人だから。友人として、対等に付き合いたかったから。


「ごめん」


――――でも結局、利用する。決めたことを簡単に覆す。


そんな自分が心底情けなくて、でも、やり遂げるためには止まれない。それだけは譲れない。二度と、自分を裏切ることができない。

やり遂げようと決めたことを覆すことがあれば、その時はきっともう『自分』ではいられなくなるから。


「なにすんのか知らないけど、どうしようもない時はちゃんと言いなさいよ? あんたって昔から何でもできるから、何でも一人で抱えんのよね」

「メルシー、アルレット。……アルが友人で誇らしいよ」

「ふふん。あたしの友人であることを光栄に思いなさい」

「そうだね。光栄で、幸運だと思ってる」


尊大な彼女に強く背中を押され、前のめりになりながらもまた一歩、足を踏み出した。

おや? 気のせいかな。さっきよりも、自分の足が軽く感じる。

アルのおかげで余計な力が抜けたのだろうか。どうやら気付かないうちに、妙な力が入り過ぎていたらしい。

やれやれ参ったな。アルには今度、お礼にあゆの秘蔵写真をプレゼントしよう。



しばらく歩いていると、分かれ道が見えてきた。

沙夜は小学校へ、アルは大学へとそれぞれ向かい、私とあゆは高校へ向かう。

その途中で、見覚えのある後姿を発見。背が高く姿勢の良いあの立ち姿は――


「あ、ウキちゃんだ!」

「ほんとだ、ウッキーだ!」


朝早く登校するはずの彼女が、遅刻ギリギリの時間にいるということは……間違いなく、待ってたんだろうな。

私たちに気付いたウッキーはこちらを見て深い息を吐く。あれは溜息じゃなくて、安堵の息だろう。

あゆがちゃんと登校してくるかどうか不安だったのかもしれない。

姿を見て安心したのか一瞬だけ顔が緩んでいたけれど、私の顔を見てすぐにいつものキリッとした表情に戻ってしまった。

初めて会った時に比べると、随分と表情が豊かになったものだ。


ウッキーと合流し、3人で校門をくぐって校舎に入ろうとしたところで、携帯が震えていることに気付いた。

画面を見ると丸戸からの着信だったので、今は電話には出ず後からかけなおすことにする。


「悪いけど2人とも先に行っててくれない? お花を摘みに行きたくなっちゃった」

「? いいけど花壇の花は摘んじゃだめだよ。あと沢山取ったら駄目だからね!」


あゆには隠語が通じず、突然お花を摘みに行きたくなったメルヘンな女の子と思われてしまった。

ウッキーは知っていたみたいで、呆れた顔で溜息を吐かれる。


「トイレならトイレって普通に言いなさいよ。めんどくさい」

「わたくし、恥じらいのある乙女ですので」

「あゆ、こんな奴置いてさっさと行くわよ」

「そ、そうだね……あ、ちょっと待って」


あゆは慌てて私の片手を握って、瞳の中を覗き込むように視線を合わせた。

人見知りで目を合わせることが苦手な彼女だけれど、大事なことを伝えるときは臆することなくこの行動をとる。

昔はよく、あゆとその保護者にこうやって色々なことを教えて貰ったっけ。これをやるのも、随分と久しぶりで懐かしい。


「みっちゃん、さっきアルお姉ちゃんと何か話してたよね。よく聞こえなかったけど、真剣な顔してたから多分、大事な話」

「いやそんな大した話じゃないよ。……あ、やっぱり大した話かな? 妹と幼女の素晴らしさについて真面目にアルと考察してたんだけど」

「ふうん、そっか。それならいいよ」


え、いいんだ!? 納得してくれたのは良いけど、なんだか拍子抜けだ。

いつもならここで冷静な突っ込みが入る所なのに。


「ね、みっちゃん。みっちゃんが辛い思いをすると、同じように辛い思いをする人がいるってこと、ちゃんと知ってるよね」

「……知ってるよ。昔、散々パパさんに言い聞かせられたことだから忘れようにも忘れられないって」


自分は平気かもしれないけど、そうじゃない人が周りに居るのだと――――あの人は厳しくも優しい瞳で、捻くれた自分に教えてくれた。

ことあるごとに諭してくれたあゆのパパさんは、私の心の師匠と言っても過言ではあるまい。


「忘れてないなら、大丈夫かな。なんていったって、みっちゃんだし」

「おう。あゆが知ってる通りの、素敵で無敵なみっちゃんだよ」


彼女はぱっと手を放して、にっこりと笑いそのまま踵を返す。

……私が何かしようとしていることに、あゆも気付いているのかもしれない。だから心配して、私が一人ではないことを念押ししてくれたのかな。

ウッキーと一緒に教室へ向かうあゆの背中を見届けてから、私は人のいない場所を探して校内をまわる。

校舎の中は生徒で溢れているので、外がいいだろう。辿り着いた校舎裏に誰もいないことを確認して、丸戸に電話をかける。


「おはよう丸戸」

『おはようございます社長。こんな朝早くから申し訳ありません。今、お時間大丈夫ですか?』

「あまり時間はないけど大丈夫だよ。で、頼んでた件の進捗状況はどんな感じかな」

『……結果から申しますと、倉坂康介の所在は掴めました』

「ん、随分と早いね。もっと時間がかかると思っていたけど。……ああそうか、“所在は”ってことは、何か理由があるんだ」

『お察しの通りです。少々出費はかさみますが、私の知り合いに頼めば倉坂康介と簡単に会うことができます。

 ですが彼と会って話をしても、社長が求めている情報は得られないと思われます』


倉坂の元当主を探し出して実際に会ったとしても、そう簡単に口を割ってくれないだろうと覚悟はしていた。

けれど丸戸の言い方から推測するに、それ以前の問題があるらしい。


『倉坂康介は現在、とある地方の介護施設でのんびり暮らしているそうです。

 身体の問題はなく元気に生活されているようですが、どうやら心の方を病まれてしまったようで、まともに会話することも難しいと聞きました』

「情報の信憑性は?」

『ほぼ間違いありません。信頼できる二人の関係者に頼みましたが、結果はどちらも同じものでした』

「そっか、なるほどね。簡単に見つかる場所にいながら倉坂の人間が放置しているのは、そういう理由があったわけだ。なら、会いに行っても期待はできないか」


倉坂の元当主とは昔仕事で数回会ったことがあるが、心の弱い人間とは思えなかった。

一族を率いるに足る傑物だと会った時は感じて、厄介な相手だと舌打ちしたことをはっきりと覚えている。

そんな男の精神を破壊してしまうような出来事が、何かあったのかもしれない。思い当たることといえば、失踪するタイミングで起こった事件だ。

前世の私が死んで数か月後のことなので当時のことは知らないが、倉坂本家の屋敷で死者が出た事件があった。

金銭目当ての強盗が屋敷に侵入し、たまたまそこに居合わせた倉坂の一人娘の友人である少女を、口封じの為に刺して殺し、そのまま逃走したらしい。

だが屋敷の使用人の証言により強盗の女はすぐに逮捕され、事件はあっという間に解決したそうだ。

当時の新聞にもそう載っているし、親や友人たちにそれとなく聞いてみても、みんな同じことを話してくれた。

事件がきっかけで当主は失踪。妻は体を悪くして療養の為に遠方へ移るも悪化して病死。娘は被害者の親に引き取られ、その後、若くして子を出産する。

調べてわかった事件の全貌、その顛末。こういう事件がこの町であったことは小耳にはさんではいたが、興味がなく今まで気にしていなかった。

というより、関わりたくなかったので避けていた。だが、詳細を知った今。裏の社会に触れた人間ならば必ず感じるだろう。


「丸戸。18年前に起きた倉坂の事件、あれ、工作してるでしょ。倉坂の人間と……それから鹿島」

『やはりお気づきでしたか』

「倉坂は強盗事件が起きて死者が出たからといって簡単に凋落するような一族じゃない。で、同時期に鹿島と関係を解消してるってことは、

 鹿島の誰かが何かやらかしたってことだ」


隠蔽は鹿島の得意分野だ。人脈と金を使い、都合の悪いことは国家権力を捻じ曲げてでも覆い隠す。


『はい。あの事件は強盗殺人ではありません。強盗の存在はフェイクで、実際に少女を刺したのは倉坂康介の妻、倉坂神楽です。

 倉坂神楽は鹿島の後継である鹿島雅之と不倫関係にあったようで、具体的な経緯は不明ですが、何らかの形で被害者の少女が巻き込まれたのかと』

「それで倉坂と鹿島はお互いの不祥事を隠す為に必死に火消しをしたわけか。協力関係を解消したのも、当主を裏切ったわけだからまあ納得できる」

『ええ。それにあの男の不義の行いはそれだけではありません。鹿島雅之は倉坂の一人娘、倉坂陽織にも手を出していました。

 事件が起こった後しばらくして生まれてきた子供は、間違いなく鹿島雅之の血を継いだ子だと報告されています。

 少し前、その子を利用して色々と企んでいたようですが失敗しているようですね』

「…………下衆が」


吐き気がする。鹿島の人間は腐った奴らだと身をもって知っていたはずなのに、改めて不快感を抱くことになるとは。

自分の妻と娘を同時に奪われてしまった倉坂の当主は、いったいどれほどの苦痛を感じたのだろうか。

どんなに強靭な心を持っていたとしても、流石に耐えきれなかったのだろう。

事件のこと、会社のこと、沢山のことが当主の背に一気に圧し掛かり、耐えられなくなった結果、現実から逃避することを選んだのだ。


「この事件の真実を公表しようとしてもまた揉み消されるだけだ。それに、鹿島を潰す為にはまだ情報が足りない」

『そうですね。それに、信じがたい話ですが倉坂と鹿島が再び協力関係になるという噂を耳にしました』

「ああ、そうだろうと思った」

『え!? 知っていたんですか!? というか、あんなことがあったのにまた協力関係になるんですか』

「結局は互いの利益が優先されるんだよ。それと鹿島には倉坂を従える為にあるものを手に入れようとしてる。だから、倉坂は同意せざるを得ない」

『あるもの、とは?』

「鹿島のやろうとしてること、やろうとしてたこと……それと歴史ある旧家の倉坂が重んじていた体制を考えればすぐにわかるでしょ」


そのあるものを渡さない為に始めたことだ。それを守ることが、結果的に鹿島を潰すことになる。

倉坂と鹿島が協力しなければ、弱りきった鹿島は勝手に自滅していくのだ。


『まさか、あの子は』

「……とにかく、今後のことはこっちでやるから。丸戸は今回情報を得るために動いたから、鹿島に張られてる可能性が高い」

『しかしっ!』

「悪いけど、大人しくしててくれた方がお互いの為になるんだよ。大丈夫、上手くいけばあっという間に片が付く。

 ……忙しいのに、協力してくれて助かったよ丸戸。ありがとう」

『社長…』


まだ何か言いたそうではあったが、渋々ながらこちらの考えを理解してくれたようで、弱弱しくも「わかりました」と言ってくれた。

けれど、くれぐれも無茶はしないでくださいとか何かあればすぐに言ってください何でもしますからとか滅茶苦茶心配されてしまった。

なんというか、私の周りには過保護な人が多い気がする。心強いし、何よりも嬉しい。そう思える自分に、苦笑する。所謂、照れ隠しだ。


『そうだ、社長。最後に一つだけ、お伝えしておきたいことが。倉坂の元当主を調べている時に気になったことがありまして』

「ん?」


丸戸から聞かされた最後の情報。あまり重要ではないその情報に含まれていた、意外な人物の名を聞いて驚いた。

詳しく聞きたかったが丸戸もその件に関してはよく解らないようで、時間もないしひとまず電話を切って教室に向かうことにした。


どうして彼女の名が。

いったいどんな関係が。


歩きながらずっとその事を考えていたせいで、前にいた人に気づくことが出来なかった。


「きゃっ」

「わっ」


そのままぶつかってしまったが、咄嗟に相手の裾をつかんで踏ん張ることが出来たので、幸いにも倒れずに済んだ。

ふう、やってて良かった筋トレ。ではなく、私の不注意で迷惑をかけてしまったので謝ろうと相手の顔を見る。

ああ……知った子だ。よく、友人と一緒にいるところを見かける。

それにしても、なんてタイミングだ。さっきまで、この子の苗字を何度も言っていたというのに。


「ぶつかってごめんね――――倉坂さん」

「い、いえ、私も少しぼうっとしてましたから、ごめんなさい」


彼女は、倉坂椿。

倉坂陽織の娘であり、鹿島の血を引く少女。

心配そうに私に怪我はないかと聞いてきて、平気だとわかると穏やかに笑って良かったですと綺麗な微笑みを向けてくれた。

彼女は本当に鹿島の血をひいているのかと疑いたくなるほど、純粋で心優しい子なのだ。友人がいつも自慢するように言っているし、私もそう思っている。

この子が鹿島雅之の子供だなんてあるわけないと、何かの間違いではないかと、思いたくなる。

けれど彼女が鹿島と倉坂の血を引く少女なのは事実だ。


「ごめん。本当に、ごめん」

「あ、あの、だからその、そんなに謝らないでください、お互い無事だったわけですしっ」


あわあわと困った顔をして慌てている姿が、申し訳ないけれど可愛らしいなと思ってしまった。

こうして見ると、似ているなぁ。きっと彼女は倉坂の血が濃いのだろう。

小さい頃の倉坂陽織を見たことがあるけれど、その時の彼女に瓜二つだ。


「ねえ。倉坂さんに、聞きたいことがあるんだけど」


穏やかな微笑みを浮かべているこの子の顔を曇らせたくはないけれど、彼女は“倉坂”の人間だ。

どこまで知っているのか、色々と確かめておきたい。


「鹿島雅之って、知ってる?」

「…………」


出した名に反応して、彼女の体は小さく揺れた。どうやら自分の父親のことは聞かされているらしい。

けれど穏やかな微笑みは消え、不安そうにこちらをじっと見つめてくる。

なけなしの良心がズキリと痛むけれど、少しでも情報は得ておきたいのだ。


「じゃあ、18年くらい前に―――」



「光希」



次の質問を言おうとして、誰かの声に遮られる。

知ってる声だ。いつも聞いてるから、すぐにわかった。クラスメイトで、仲のいい友人の声だ。


けれど、その声色は、初めて聞いた。

少し低くて、有無を言わせない、力強い声。


「ひなたん」


振り返って見た彼女の表情は、いつもの、のほほんとしたものではなく、非常に険しいものだった。またそれも、初めて見るものだ。

とんでもないお人好しで、人を憎んだり疑ったりすることが苦手そうな彼女なのに、こんな表情もできたのかと驚いてしまう。

確か昔はよく、こういう顔をした相手を見た気がする。そう、大事なものを守るために、必死に噛みついてきた人間が、こんな顔をしていた。


「日向さん?」


倉坂さんの声で彼女はいつも通りの顔に戻り、苦笑した。


「ふたりとも、はやく教室いかないとホームルーム始まるよ」

「は、はい」

「ほーい」


慌てて教室に向かう倉坂さんを笑顔で見送って、ひなたんはゆっくりと私の方を向く。

その表情はもう普段通りだったが、完全に警戒は解いていないようだ。

緊張を悟られないようにしてるみたいだけど、根が素直なのか隠しきれていない。ひなたん、嘘つくの苦手そうだもんね。


「光希。あとで話したいことがあるんだけど、いい?」

「もちろん。私も、ひなたんに聞きたいことがあったんだ」


昼休みに二人きりで会う約束をして、私たちは同じ教室へ向かって歩き出した。

隣を歩く彼女の横顔は年相応のものだったが、どうしてだろう、どこか成熟した雰囲気を感じてしまう。

ひなたんは言動が子供っぽくて、お菓子が大好きで、よく寝ているけれど他の同級生となんら変わらない、普通の女の子だ。


―――普通の女の子……そのはずだ。


なのに拭えない違和感はなんなのだろう。

どこか普通ではないような気がして、でもそれが何なのかわからない。


頭の中で情報を整理しながら、先ほど丸戸が教えてくれた最後の情報を思い出す。


『実は倉坂康介の行方を追っているときに、同じように彼を探している高校生の少女がいると聞いたんです。

 名前は確か、早瀬日向。一般家庭で育ったごく普通の少女のようですが……お心当たりはございませんか?』


どうしてこの友人までも関わってしまうのか。

巻き込む人間は最小限に留めておきたいのに、最善を尽くそうと足掻けば足掻くほど、親しい人を引き込んでしまっている。

友人を利用して。友人を疑って。やっていることは、昔とそう変わっていない。

自分は何をやっているのかと、全てが馬鹿らしくなってくる。



「おはよう早瀬さん……それと、し、椎葉さん。ホームルーム、そろそろ始めるから……」



それでも。


それでも。


どれだけ、間違っていたとしても。



ぎこちなく笑っているこの人が、これ以上ないってくらい、幸せそうに笑ってくれる日を、この目で見届けるまでは。



「先生おはよう! 今日は何色かなー! ひゃっほーい!」

「えっ、ちょ、ええええええええっ!?」

「あ、また純白だ。悪いとは言わないけど、せめてもう少しバリエーションをね……」

「しっ椎葉さんー!?」


長めのスカートを抑えながら瞳に涙を浮かべ、耳まで真っ赤になってしまった先生から逃げるように教室に入る。

後から入ってきたひなたんは微妙な表情で「見えちゃった」と呟き、私の頭を小突いた。


 

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