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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
WPスピンオフ
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WPspinoff15 のこされたもの

 

モニターに映し出されたのは、布団の上に座っている幼い女の子だった。

寝起きなのか髪はぼさぼさで口は半開き。まだ眠たいようで、目を閉じたままユラユラと揺れている。

先生の部屋で見つけた写真の子供にそっくりなので、この子は小さい頃の先生なのだろう。大変可愛らしい。


『おはよう、お姫様』


突如聞こえたのは、大人の女性の優しい声。

その声に小さな体がぴくりと反応して、ゆっくりと少女の目が開いていく。

しばらくまんまるの目をぱちぱちさせて、周囲を見渡していた。


『おかあさん』


探していたものを見つけたのか、幼い先生はあどけない笑顔を浮かべた。あらまあ、とても可愛らしい。

どうやら撮影しているのは先生の母親のようだ。名前は確か、植田麻衣だったか。

カメラを持って撮影しているので、彼女自身の姿はまだ映っていない。


『それ、なあに?』


先生は目を丸くしてレンズを覗き込んでくる。うわぁ、近い近い、顔が近い。

いくら可愛くても、どアップの顔が画面いっぱいに映るのは得体の知れない物体みたいで驚いてしまう。


『これはねぇ、ビデオカメラだよ。お店の人に聞いて色々と便利な機能がついてる凄いやつを買ったの』

『すごいの?』

『そう、凄いの! ええと、機能とかよくわかんないけど高かったし、きっと凄く綺麗に映るはずなのよ。

 ふふ、可愛い可愛い紫乃ちゃんを撮るんだからつい奮発しちゃった。でも、どんなカメラでも私の娘の可愛さは変わらないと思うけどね。

 ……あっ、ちょ、ちょっと紫乃ちゃん、叩いちゃ駄目っ、カメラは叩いちゃ駄目ぇぇぇこれ凄い高かったのぉぉぉ』


どうやら先生は「凄い=強い」と解釈したようで、無垢な笑顔を浮かべながらカメラをベシベシと遠慮なく叩いていた。

軽い打撃音と同時に画面が揺れ、『おやめになってぇぇ』と母親の心底情けない声が聞こえる。

お、おう、なんだこの映像。見なかったことにしようかと、停止ボタンを思わずクリックしそうになってしまった。

何か手掛かりになりそうな資料映像かと思って期待していたけれど、残念ながらただの植田家ホームビデオのようである。

このまま見続けるべきかしばらく考えた末、見始めたばかりで諦めるも早計かと思い、視聴を続行することを決めた。

記憶はないが植田麻衣はかつての部下であり、特に接点の多い人物だったようなので、何か情報が得られるかもしれない。

それに小さい頃の先生と昔の私も関係があったようなので、その辺りも知ることができたらと思う。


モニターの向こう側ではしばらく母娘の攻防が繰り広げられていたが、突然画面が真っ黒になり、無音になる。

さっそく壊れてしまったのだろうかと苦笑しかけたが、どうやらただの場面転換だったようだ。編集が雑いなぁ。

さっきまで映っていた場所は6畳ほどの小さな部屋だったけれど、今度はどこかの遊園地のメリーゴーランドが映っている。

派手な装飾を付けた作り物の白馬に振り落とされないよう、必死にしがみついている娘の様子を撮っているようだ。


『紫乃ちゃーん、こっちむいてー! はいスマイル! とびっきりのスマイルひとつ!』

『ふええええ』


な、泣いてる。メリーゴーランドって泣くほど恐怖を感じる遊具だっただろうか。

生まれ変わってから乗ったことがあるけど、のんびりとした速度で恐怖というより眠気を誘うような乗り物だったような。

よく考えると、普通の子供ではない私の感想じゃ参考にはならないか。怖がりの子供には、きっと恐ろしい乗り物に感じるのだろう。


『怖いようっ、ううっ』

『ああああ紫乃ちゃんが怖がって泣いてるッ…! 待ってて、すぐお母さんが助けに行くからね!!』

『ちょ、ちょっとそこのお母さん何やってるんですか! 危ないのでフェンスを飛び越えようとしないでください!』

『駄目だって解ってる! けどね、母親にはやらなきゃいけない時ってのがあるのよッ!』

『いやいやいやちょっと待って!? 落ち着いてください!』

『うおおおぉぉッ!!』


母親の叫び声と共に再び暗転する。残念、気になるところで途切れてしまった。

この騒ぎの続きを見たかったような、いやでもやっぱり見たくないような、なんとも言い難い複雑な気分だ。


私の胸中など関係なく動画は次の場面へと切り替わる。

場所はさっきと同じ遊園地で、日付も一緒なので同じ日に撮った映像のようだ。

先生も母親も映っておらず、少しずつ変わっていく園内の景色が記録されている。移動中なのだろう。


『コーヒーカップは乗ったし、ジェットコースターは紫乃ちゃんが乗れないし……次はどのアトラクションにしようか?』

『んーどうしよう。まだ行ってないところ、たくさんあるね』

『ふふふ。そろそろお化け屋敷に挑戦してみる?……あっ、紫乃ちゃん! 向こうに可愛いウサギさんがいるよ!』


カメラがウサギのきぐるみを着たスタッフを捉える。この遊園地のマスコットキャラクターだろうか。


『ほんとだ! お母さん、ウサギさんと握手してきてもいい?』

『いいわよー』


先生は駆け足で、風船を配っているウサギの方へ向かっていった。

しかし勢いをつけすぎたのか躓いて転びそうになったけれど、ウサギさんが駆け寄って抱きとめてくれた。おお、スタッフ有能。

先生を助ける為に両手を使ったので、放たれた風船たちがふわふわと時間をかけて空へ昇っていく。


『すみません、うちの子を支えて下さってありがとうございました』

『……風船、ごめんなさい』


ウサギはふるふると首を横に振って、顔を伏せていた先生の頭を優しく撫でた。

きっと喋ってはいけない誓約があるのだろう。けれどウサギは『大丈夫、気にしないで』と、身振り手振りで一生懸命に伝えようとしていた。

あまりにも必死で変な動きだった為、先生は堪え切れずケタケタと笑いだす。

笑顔になった少女を見てウサギは一度だけ頷き、サムズアップをしてから背を向けて別の場所へ向かっていった。

今度は別の子供を、笑顔にするのだろう。


『優しいウサギさんだったね』

『うん!』

『癒されたことだし、じゃあ次はお化け屋敷に行こっか』

『やだー!』


きゃっきゃと笑い合う母娘の楽しそうな声と共に、映像は途切れる。また、次の場面に切り替わるのだ。


暫く待つと、次に映し出されたのは広場……公園だろうか。滑り台やブランコで遊ぶ子供たちと、それを見守る母親たちが映っている。

しかし不思議なことに今回は先生が映っていない。公園で遊んでいるのは確かだろうが、カメラは我が子を追っていないのだ。

今までずっと親馬鹿丸出しの映像だっただけに、変だなぁと思っているとついに視点が動き出した。

と、思ったらじわりじわりとズームインしていく。その先は子供ではなく、子供を見守る母親がいる。知り合い、だろうか。


『ふへへ、うちのアパートのお向かいに住んでる奥さん、いいおっぱいをしてますなぁ』


限界までズームインして画面いっぱいに映し出されたおっぱい。わーお、確かに大きくて形の良さそうなおっぱいですこと。ふへへ。

って違う! この人、何撮ってんだ! おーい盗撮ですよこれー! 子供撮るフリして人妻の胸を撮ってるよ誰かさんの母親ー!


『あー、揉んでみたいなぁ。柔らかそうだなぁ』


へ、変態だ……発言がもうおっさんだ……。私は、こんな変態を部下にしていたというのか。血迷ったのか、昔の私。

それより、この映像を見てしまった先生は一体どんな気持ちだったのだろうか。彼女の心中を察すると涙でそう。


『私もそれなりのもん持ってるけどねぇ。自分のもの揉んでも楽しくないからね。人のものだからこそ楽しいんだよね。

 同性だからといって気軽に触れることのできない、禁じられた双丘。だからこそ、許された時にその真価が発揮されるのだ』


今度は一人でくだらないことを真面目に語りだした。しかし、彼女の意見には賛同せざるを得ない。

同じ女性なら自分のものを好きに触ればいいと言われるが、自分のものを好きにするのは当然のことなので、何の面白みもない。

他人の柔肉に自分の指を食い込ませねっとりと攻め立てれば恥じらいに頬を染め控えめに喘ぐ姿、それこそが至高であり――――

おっとっと、これ以上はいけない。思考が変な方向に逸れてしまった。胸の話は胸にしまっておこう。胸だけに。


結局、ずっと胸のアップと変態の一人語りが続き、娘が映ることなくその場面は終了した。

バッテリーが切れて中断してしまったのだと信じたい。

さあ、次だ次。


「……………ナイスヒップ」


次に映ったのは、尻だった。

黒のチノパンに覆われた形のいいお尻のアップが映っている。

もうこれホームビデオの皮を被った猥褻動画だね。潔くこのDVD割ったほうがいいのかもね。


『んもう紫乃ちゃんったら。お母さんのお尻を撮るなんて将来有望なんだから』


撮影者がまさかの先生だった。血は争えないということなんですか。おそろしい。

まあ、先生の身長が母親のお尻ぐらいで、上手く撮影できていないだけだろう。カメラをしっかり持てないのか、画面が酷くブレている。

そういえば何気に母親が映るのは初めてだ。……尻しか映ってないけど。


『このビデオカメラは、まだ紫乃ちゃんには難しいかもね』

『ん。でもおかあさん、撮りたいの』

『あら嬉しい。じゃあこうしましょうか―――ね、お願い。社長』

『……なぜ私が』


ぞわりと鳥肌が立ち、鼓動が速まる。

さっきまでの愉快な気分は消え、緊張が生まれた。

母親でなく、娘でもない、社長と呼ばれたその声の主が、カメラに映る。

不機嫌な声も表情も隠そうとしない不愛想で目つきの悪い女は、間違いない。間違えるはずがない。


私だ。


椎葉光希として生まれる以前の、社長であった頃の私が、そこに映っている。

確かに私のはずなのに植田親子に関する記憶がないせいか、映っているのが自分によく似た別人ではないかと疑いたくなる。

ていうかどういう経緯があってそんなところにいるのか凄く疑問だ。


『美味しい晩御飯をご馳走した見返りってことでひとつ』

『ここまで無理矢理引っ張ってきた奴の台詞じゃないな。誰も飯を馳走しろとは言っていない』

『でも食べたでしょ。黙々と食べてたでしょ。カメラで私たちを撮るぐらいしてくれてもいいと思うんだけど』

『ふざけるな。どうして私がそんなくだらないことをしなければならない。私はもう帰る。これ以上付き合ってられるか』

『いいのかなぁ~、社長が取りたがってた例の案件、もう少しで取ってこれそうなんだけど、どうしよっかな~』

『……ちっ、抜け目のない奴。そのカメラを寄越せ』


私ならそう判断するだろうと思った。自分の利になるのなら、どんな些細なことでも躊躇わない。くだらないことでも何でもやる。

先生の母親が取れそうだという案件は、かなりの価値があるのだろう。なんせ私が折れたのだ。

これまでの映像を見てきてアホで親馬鹿で変態な女性だと思っていたが、“仕事ができる人間”という丸戸の言葉は真実だったらしい。


『わーい、社長だいすき』

『余計なことは口にするな。気分が悪い』


カメラを私に手渡したのか、画面が激しく揺れる。

そして映ったのは、ずっと撮影に徹していた女性。声のみで、ずっと姿を映さなかった先生の母親、植田麻衣がようやく映った。

彼女は快活な笑顔を浮かべて、愛娘をぎゅっと抱きしめながらカメラに向かってピースをしている。

写真で見た時も賑やかそうな女性だなと思ったけれど、映像で見ると一段とそう思う。

ほんの数時間の過去の映像だけしか見ていないが、明るくて人懐っこい性格のようで、たくさんの人に好かれそうな印象を受けた。


『どう? どう? 綺麗に映ってる? 可愛く映ってる?』

『このメーカーのハンディカメラは補正がいまいちだな。画素数が高いのは評価できるが使いどころが限定される微妙な機能が無駄だ』

『それ高かったのにー!!』

『どうせ店員の口車に乗せられて在庫を押し付けられたんだろう。我が社の社員のくせに見極められないとは嘆かわしい』

『いいもん。このカメラで十分綺麗に撮れるから満足してるもん』

『ふん、妥協は時に損失を生む。自分の主張を放棄した時点で負けを認めているようなものだ』

『はいはい。それより社長がカメラ持ってる姿ってすっごい違和感がある。なんか似合わなくて面白い』

『ああそうだな。同感だ。帰る』

『ちょ、ちょっと、待ってよ……お待ちになってぇええええ』


ここでついにブラックアウト。完全に昔の私と植田母は水と油で相容れないように見える。

だが、仕事以外で人との関わりを拒絶していたはずの私が、部下の家で晩御飯をご馳走になっていた。そんな自分の行動に、驚いてしまう。

強引に連れ込まれていたみたいだったけれど、抵抗しようと思えば出来たはずなのだ。意味のないことに、私は従わない。

考えられるとすれば、植田麻衣という人物はそれほどまでに会社に利益をもたらす存在であり、

面倒なことに目を瞑ってでも手放せない優秀な人材だということ。……とてもそうは見えないけれど。


動揺を抑えきれないまま、次の場面が始まる。


『えー、うちの可愛い紫乃ちゃんと、聡明だけど可愛げのない社長がうちのアパートの一室でふたりっきりです。

 さてこれから一体どうなってしまうのでしょうか。こちらに気付いていないようなので、暫く隠れて様子を見ようと思います』


何が始まったかと思えば、まーた盗撮してますよこの人。二人のいる部屋を覗きつつ、小声で実況しようとしている。

撮られていることを知らずに先生はテーブルの上で勉強をしていて、私は離れた位置でモバイルパソコンを使い仕事をしているようだ。


『…………』


重い。空気がひたすらに重い。お互い一言も喋らず、鉛筆が紙を走る音とキーをタイプする音が部屋に響くのみ。

私は気にせず仕事をしているが、先生は重苦しい空気に耐えられないのか顔を顰めている。

どうしてこんな状況になってしまったんだろうか。かわいそうに。

母親は覗いてないで助けてあげればいいのに。


『あ、あの』

『…………』


お、先生が頑張って声を掛けた。けれど、私は微動だにせず無視をする。か細い声だったけれど絶対聞こえてるはずだ。

一生懸命、勇気を振り絞って声を掛けたのだろう。なのにあの態度っておい。ええい、あの頃の自分を今の自分の力で思いきりぶん殴ってやりたい。


『宿題、わからないところあって……』

『…………』

『あ、あの、おばさんっ……』

『…………』


おばさんと呼ばれたことが気に食わなかったんだろう。敵に向けるような鋭い視線で小さな子を射ぬく、大人げないおばさんだった頃の私。

肩を震わせ縮こまっていた先生は、じわじわと目に涙を浮かべてついに泣いてしまった。何もしてない子供を泣かすとは最低だな私。

あんな殺意の籠った視線を向けられればどんな豪胆な子供でも大声で泣き出す。大人だって顔を引き攣らせ、恐怖で逃げ出すのに。


『なーかせたーなーかせたっ。可愛い紫乃ちゃんを泣かせるなんていっけないんだー』

『おかあさあああん』

『おーよしよし。大丈夫よ、このおばさんちょっと怖いけど、悪い人じゃないから』

『帰る』

『はいこれ。来月の企画立案書。それとおまけに低迷してる企画のデータ解析とその対策をまとめたやつ』


画面の向こうにいる私は渡された書類を睨みつけある程度読むと、苦虫を噛み潰したかのような顔で深い溜息を吐き、頭を抱えた。


『今度は何が望みだ』

『しばらくうちの娘に勉強を教えてくれない? 私が教えてあげたいのは山々なんだけど、色々と忙しくてね』

『家庭教師を雇えばいいだろう。金なら特別手当としてこちらが出す』

『ダメダメ。そこらの家庭教師なんて信用できないもん。紫乃ちゃん、知らない大人の人怖がるし』

『その子供、私のことを怖がって泣いてるが?』

『優しくしないからでしょー。ほらほら、言われた仕事はちゃんとやるからお願いね』

『ちっ』

『まーた舌打ちして! 紫乃ちゃん怖がるでしょ』

『黙れ。あと無断で私を撮るな。気分が悪い』


カメラの方に手が伸びてきて、すぐに画面が暗転する。私に録画を切られたようだ。

……なんだろう。あの私が上手い具合に手玉に取られている。植田麻衣は能力だけでなく人を絡繰ることにも長けているのか。


『違う。そこはかけ算ではなく割り算だ』

『あっ、うん』


次の映像も植田家のアパートの一室で、私と先生がテーブルを挟んで向き合っている。

さっき頼まれたように勉強を教えているようだった。私は不機嫌な表情を隠さず、黙々と勉強を教えることに徹している。

先生は教わったことを理解しようと必死だ。


『だから違う。そこはxだ』

『???』

『ちょっと小学校低学年の子に方程式を教えようとしないでくれる? まだ早いでしょそれ』

『教えるのは早い方がいい。理解できなくても解かせることに意味がある。今は出来なくても今後の肥やしになる』

『普通に教えてくれればそれでいいんだけど。女の子はね、ちょっと馬鹿なくらいが可愛いんだから』

『はっ、そんなものは逃げ口上だ。知識と教養は生きる上で必要な要素だろう。一人で生きるとしても、多数で生きるとしてもな』

『社長あれでしょ。紫乃ちゃんを頭のいい自分好みの女に育てようとしてるでしょ。このロリコン』

『解雇するぞ平社員。減らず口を叩くな、いい加減立場を弁えろ』

『きゃー怖い。紫乃ちゃん、お母さんのいないところで怖いおばさんに何かされてない? 大丈夫?』

『だいじょうぶ、だよ……こ、怖いけど、先生の言うこと解りやすいよ』

『調教も完璧だと……』

『減俸するぞ穢れた母親め』


暗転。


次もまた、植田母と娘、そして私の3人が映る。さっきみたいな、他愛無い日常の場面だ。

そんな様子が映った場面が、それから数時間ほど続いた。前回と同じように勉強している場面だったり、食事中の場面だったり、様々な日常が記録されていた。

ほとんど決まった3人が映っていたが、たまに丸戸も映ることがあった。毎回、植田母に遊ばれて涙目になっていたけれど。

協調性なんか皆無で無駄なことを嫌う私は変わらず辛辣な態度をとり続けていたが、動画が進むにつれ言葉数が増えてきているようだ。

仲のいい母娘に自分が混ざっていることにずっと違和感が拭えなかったが、このホームビデオに映っている自分は最早、私の知っている私ではないのかもしれない。


この動画も、そろそろ終盤だろうか。

最後まで特に使えそうな情報はなかったが、視聴し続けて良かったと思う。

失くしてしまった記憶の部分を垣間見ることが出来たのだ。私が、こんな穏やかな時間を過ごしていたなんて、信じられないが。

昔の自分にとっては必要ない無駄な時間にしか思えないのだろうけど。


『おかあさんっ! せんせいっ! こっちこっち』

『そんなに慌てて走ったらこけるわよ~』

『暑い…眩しい…帰る』

『もー、ダメダメ。いつも暗い部屋で仕事ばっかりしてるからよ』

『ジムで適度に鍛えているから問題ない。それより、どうして河川敷にわざわざ連れてきた』

『たまにはのんびり日光浴も悪くないでしょ』

『目的がないなら帰る。時間の無駄だ』

『ちゃんと目的ならあるもん。ほらほら、可愛い紫乃ちゃんを追って綺麗に撮ってよね』

『……ちっ』


撮影者は私のようだ。河川敷にある花畑できゃっきゃと戯れている植田母と娘を遠くからズームで映している。

もっと近くにいって普通に撮ればいいのに私って奴は。そういや仕事以外で陽が昇ってるうちに外に出ることは少なかったなぁ。


『はい、先生にあげる。これ、頑張ってみつけたの!』

『……』


いきなり駆け寄ってきた先生が、嬉しそうに葉っぱを差し出してきた。

それは、どこにでも生えている普通の葉っぱだ。


『なんの変哲もない雑草を渡すとはいい度胸だ』

『む、違うよ。それね、持ってると幸せになれるんだって、お母さんが言ってたから』

『ちっ、ただの迷信だ。それに幸せになれると言われているのはこれじゃなくて四つ葉だ。三つ葉なんて、その辺に無駄に生えてる』


先生が持ってきてくれたのは、三つ葉のクローバーだった。

なかなか見つからない四つ葉のクローバーに比べて見つけやすい白詰草の葉っぱ。


『でも、私はこっちの方が好きだから。それにね、三つ葉のクローバーの花言葉は「幸福」なんだって。だから、あげる』

『……』


照れ笑いを浮かべて、先生はまた花畑の方に駆けていった。

そして入れ替わるように、今度は母親が傍にやってくる。ニヤニヤと含み笑いを浮かべて。


『良かったわねぇ。可愛い子から幸せのお裾分けしてもらって』

『そんなものは必要ない。幸福など、自分の手で好きに摘み取るさ』


幸せとは、自分で掴み取るものである。


だからこれまで全て自分で掴み取ってきたのだ。

時に他人の幸せを踏み潰し、強引に奪い取り、己の利益の為に行動してきた。


なんのために。

それはもちろん自分の為に。


『はい、みつば』

『……』

『私も貴女にあげる』


そう言って、彼女は手に持っていた三つ葉のクローバーを私の手の平に乗せる。

昔の私に雑草を渡しても何の意味もないのに、親子揃ってどういうつもりだろう。


『いらないと言っている』

『うん、解ってる。貴女は要らないだろうけど、私があげたいのよ』

『はあ?』


不機嫌な声色を隠すこともせず、植田母を睨み付けている。

でも彼女は線を逸らすことなく、ただただ優しく笑って、私を見ていた。




『ね、光葉』



――――こんなにも。


こんなにも、優しい声で。暖かい声で。


“私”の名前を呼んでくれた人なんて、いなかった。



「……覚えてない」


こんな記憶、私は知らない。

この映像に映っているのは本当に私なんだろうか。

偽りの記録を、見ているんじゃないだろうか。

だって、こんなの、信じられるわけがないから。



『要らなくても、覚えていてね。貴女だって、だれかに幸せを分けてあげられること』



覚えてないよ。

何一つ、貴女の言ったことは思い出せないよ。

少しも記憶に残っていないんだ。

だから、他人ごとにしか思えなくて。



『貴女に幸せを分けたいって思う人が、傍にいること』



「…………」


暗転した画面をただ茫然と見つめ続ける。

この映像はフィクションです、って一行が出るんじゃないかと、本気で思ったのだ。

脚本や構成とか、製作スタッフの名前が流れるんじゃないかって、思ったのに。

次の場面もまた同じ日常を映したものだった。


「植田麻衣」


彼女に関する全ての記憶が、今の私にはない。

今まで自分が踏みにじり、奪ってきた愚行に対する罰か。

生まれ変わり、人生をやり直す為の代償か。

それともただ、忘れたかっただけなのか。

真実はどれだか解らない。


でも、きっと。私にとって大切なもののはずだった。忘れてはいけないもののはずだった。

そのことに、昔の私は気付けたのだろうか。


「…………」


失った記憶を吸い取るように、動画を見続ける。

私は最後までこの映像を見なければならなかった。


不愛想で協調性のない私と

明るくお調子者の植田麻衣と

大人しくて、でも時々元気いっぱいの小さい先生と

生真面目で弄られることの多い丸戸と。


そんな人間たちが繰り広げる映像を、不思議な気分で眺めている。

自分が今どんな気持ちなのか、解らない。自分のことなのに、よく解らない。

悲しいのか、嬉しいのか、そんな単純な感情さえも把握できなかった。


私の気持ちなどおかまいなしに、場面は次々と切り替わる。


「……ん?」


今までと同じような日常の一コマかと思いきや、今度はなにか雰囲気が違う。

毎回明るい笑顔を浮かべていた植田麻衣が、真面目な表情をしているのだ。

ひとり椅子に座り、姿勢を正して正面を向いている。カメラはきっと固定しているのだろう。

ふと脳裏をよぎる彼女の死因。それは、自殺だった。なら、これはきっと。

娘へ宛てた、最期のビデオレターだ。


『紫乃ちゃんへ。なんていうか、もう、ごめんなさいしか言えないの。本当に、ごめん。ごめんね。

 これから貴女が歩んでいく未来を見れないのはとても残念だけど、それでもお母さん、耐えられないから』


よく見るとあんなに眩しかった彼女の瞳は、くすんでいる。無理して笑っている姿は見ていて痛々しい。

これまでのこと、そして自分が居なくなった後のことを、言葉にして連ねていく。


『こんなこと言う資格はないけど、どうかずっと元気で長生きしてね。絶対、幸せになってね。約束だよ』


息を吐いて、口を閉ざす。これで終わりかと思いきや、彼女はまた口を開いた。


『それと光葉。貴女とはお互いに利用し合ってた関係だったけど、一緒に過ごした時間は嘘偽りなく、幸せだったよ。

 私、自分で思ってたよりもずっと弱くて、結局何も選べなかった。こんな私を貴女はどう思うのかな。ふふ、きっと怒るよね。

 光葉のお世話は、丸ちゃんに任せるよ。きっと嫌がるだろうけど。

 あのね、私……おっと、やっぱりやめておこ…ふふ…』


俯いて、何か呟いたように見えたが、気のせいだろうか。


『貴女が良ければ、紫乃ちゃんのこと頼んでもいいかな。強制じゃなくてお願いだから、“どうするかは光葉の自由だよ”

 自分好みに育てるも良し。自分の為に、利用するのも良し。……本当にやったら祟るけどね。あはは、笑えないか。

 あの子のことを見届けてくれる覚悟があるのなら。幸せにしてくれる意志があるのなら、このDVDの隠しフォルダがあるから

 パスワードを入力してみてね。パスワードのヒントは、<貴女が使っていないパスワード>だよ』


DVDを読み込んですぐに動画が自動再生されたから、フォルダの中のデータに気付かなかった。

私しか知らないはずの例のパスワードを設定しているってことは、私以外に知られたくないものが入れてある可能性が高い。

だから先生も丸戸も、フォルダの中身は見ていないのだ。



『あの子と貴女と、ついでに丸ちゃんの幸せを願ってるよ。貴女たちはきっと、自分の道を選択できるって信じてる。……じゃあね』



最期の言葉を伝えて、あっさりと植田麻衣は姿を消した。その後、画面は真黒になり動画の再生は終わる。

終わってみれば、予想を裏切る中身だった。見たら処分するつもりだったけれど、このまま持っていても、許されるのだろうか。


ひとまずDVDにアクセスし、データの解析を試みる……と、あったあった。

「MY」と名を付けられたフォルダを発見し、クリックするとパスワードを入力する画面が表示される。

ヒントは<貴女が使っていないパスワード>だったな。ということは、あれか。社長時代、自分用に数個パスワードを作成して、使っていなかったものが一つある。たぶんそれで合ってるはずだ。

どうして植田麻衣が知っているのか不思議だったが、まあ、失った記憶の部分にその解があるのだろう。なら、考えても無駄だ。

26桁の数字とアルファベットを組み合わせたパスを入力して、OKボタンを押す。

するとフォルダが開き、その中に一つだけ、テキストファイルが入っていた。

迷わず開いてみると、そこに書かれていたのは、たったの一行。

けれど、それで十分だった。



「……そういうことか」



この一行のおかげで事の煩雑さを知ってしまったが、間違いなく目的に向かって前進したはずだ。

解らないことは他にも沢山あるが、動いていればそのうち知ることになる。

元々気持ちは固まっていたけれど、動画を見てさらに自分の意志は強くなったように思う。

全ては自分の為ではあったけど、ついでに託された願いを叶えてもいいのかもしれない。

誰かの為に足掻いてみるのも、いいかもしれない。

ここまできたら、最後まで見届けてやろうじゃないか。

私はもう、自分の進むべき道を選択しているのだ。



その先がどんな結末だったとしても。



私の歩みは、もう止まらない。


 

 

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