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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
WPスピンオフ
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WPspinoff10 知らぬが花

「突撃!隣のクラスの委員長のお昼ごはん!」

「毎度のことだけどさ、もうちょっと静かに入ろうよ……あ、おじゃましまーす」


お弁当の包みを手にしてやってきたのは、自分たちの隣のクラス。

ウッキーと友達になってからは彼女のいる教室に移動し、私とあゆと彼女の三人でお昼を一緒に食べるようになっていた。

まだまだ心を開いてくれないウッキーは私たちが来るとやっぱり嫌そうな顔をするけれど、逃げたり追い返したりはしないので、本気で嫌がっているわけではない……と、思いたい。そんなわけで、私は彼女の寛大な心に甘えて、性懲りも無く彼女のクラスへ足を踏み入れているのである。

初めの頃は驚いていたこのクラスの住人たちも、毎日やってくる私たちに慣れてしまったのか、数日も経てば誰も気にしなくなっていた。

今では気軽に挨拶してくれるし、快く席も譲ってくれるので有り難い。今日もウッキーの前の席を借りて、向かい合うようにして座る。

あゆは彼女の隣の席を拝借して、自分の席を確保した。

自分の席で読書をしていたウッキーこと石井浮恵さんは、お昼の準備を整える私たちを見て大袈裟なため息を吐く。

それから観念したように持っていた本を閉じて、カバンの中から小さなパンを取り出した。

一緒に食べることを約束しているわけではなく毎度毎度私たちが無理やり押しかけているだけなのに、先に食べずに私たちが来るのを待っていてくれる彼女は、やはり気遣いのできる不器用で優しい子なのでした。


「あ、ウッキー! 今日もパンひとつだけなの? もっと食べないと駄目じゃん。私の牛乳あげよっか?」

「いらないわ。大体、牛乳なら私より貴女が飲んだ方がいいでしょうに。私よりも自分の身長のことを心配したらどう?」

「なんだとぅ! 牛乳飲んで身長がにょきにょき伸びるなら浴びるように飲んだるわい!」

「もーまた始まった。ほらほら、いいから早くお昼食べようよ。あ、ウキちゃん。今日のエビフライ自信作だから良かったら食べてみてくれる?」

「ええ、せっかくだから頂くわ。ありがとう、あゆ」

「なにこの差」


しかし、いつの間にやらあゆとウッキーの仲が深まっているではありませんか。私が知らぬところで一体どんなイベントが行われていたのか気になるけれど、詳しく追求するのは野暮というものだろう。

ふたりならきっと仲良くなれるだろうと思っていたけれど、こんなにも早く馴染んでくれるとは嬉しい誤算だった。

この調子で私とも親密になって欲しいなあと思っちゃったりするんだけど、やはり一筋縄ではいかないだろう。

長期戦を覚悟しなければいけないどころか、いつ嫌われてもおかしくないのだ。

もうすでに嫌われているけれど、見向きもされなくなってしまわないように気をつけよう。出来るだけ。


「あゆさんや。私にも何かおかずを恵んではくれませんかね」

「えーみっちゃんは自分のお弁当があるじゃん。それに私の分が無くなっちゃうよ」

「だってあゆの作るお弁当美味しいんだもん。あ、そのほうれん草の白和えとか美味しそうなんだけど、駄目?」

「……んもう、しかたないなぁ」

「やった」


渋々ながらも私が欲しがったおかずを分けてくれたので、お返しに自分の弁当の中から卵焼きをプレゼントした。

さっそく貰ったおかずを口の中に入れると予想通り美味しくて、もっと食べたいと賎しい本能が囁いてくる。

欲求に抗えなくて思わずあゆの弁当に箸を伸ばしてしまったが、目にも留まらぬ速さでウッキーに阻止されてしまった。


「意地汚いわよ」

「あゆの弁当が美味しいのが悪い!」

「え、私のせいなの!?」

「はぁ。物乞いした挙句恵んでくれた相手のせいにするなんて最低ね。早くそこの窓から職員室に行って退学届出してきなさい」

「窓から飛び降りた時点で退学どころか人生から退場しちゃうんですけど」


自然な流れで私を排除しようとする彼女が恐ろしい。

お昼休みの時間は限られているので、ふざけるのも程々にして早くお弁当を食べてしまおう。

あゆのお弁当は美味しいけれど、うちのお母さんが作ってくれた自分の弁当だって美味しい。

いつも手の込んだお弁当を作ってくれる母に感謝しながら、次々と中身を口に入れていく。

味わいながらむしゃむしゃと口を動かしているうちに、いつの間にかウッキーはお昼を食べ終えていた。

さっきまで読んでいた本を取り出し、読書を再開している。


「ウッキーはいつもパンだよね。お母さんにお弁当作って貰えないの?」

「母は仕事で朝が早いから作ってもらうのは無理ね。パンで満足しているから自分で作る気もないわ」

「そんなこと言って、実は料理ができないのでは」

「勝手に決めつけないでくれる? 家庭科の成績は5だし一般的な調理は一通りできるわよ。そういう貴女はどうなの? 人にケチつけるのだから、さぞお得意なんでしょうね」

「ふふん、もちろん出来るよ!」


自信満々に言うと、彼女はスッと目を細めて疑惑の眼差しを向けてきた。

わあ、言葉にしなくても言いたいことが伝わってくるよ。


「凄く嘘くさいわ。あゆ、この人が言ってることは本当なの?」

「うん。みっちゃんは普通に作れるよ。あーでも、 美味しくないわけじゃないんだけど、基本的に味が薄い感じ」

「味音痴なのね 」

「ちがうよ! 身体のことを考えて作るからそうなるんだよ!」


昔は食事を楽しむなんて考えがなく、栄養を摂取できればそれでいいと思っていたからその名残りだろう。

今は美味しいものを食べたいと思うようになったけれど、自分で作るとなるとどうしても栄養を重視してしまう。

品目も野菜に偏ってしまうし、味付けだって気がつけば薄めに仕上がっている。母曰く、『病院食っぽい』そうだ。

レシピを渡されればその通りに作れるが、それはもはや私の料理とは呼べない気がする。


「私にとやかくいうのなら、まずは貴女が自分で弁当を作ってきなさいよ。料理できるんでしょう?」

「しかたないなぁ。ウッキーの為に愛情いっぱい込めたお弁当作ってくるね♪」

「誰が私の分を作ってこいって言ったのよ。あゆを見習って自分で自分の弁当を作ってこいと言ったのよ」

「んー、私はあゆと違って料理が好きなわけじゃないしなぁ」


自分で作ったものよりお母さんが作ってくれた料理の方が好きだから、という理由もあった。

母の腕がプロ並みというわけではないけれど、お金では決して得られない、貴重な料理なのだ。

おふくろの味とは言わば究極であり、偉大なのである。


「私も、昔は料理が好きだったわけじゃないよ。ただ、教えてもらえることが、嬉しかっただけで」


今は料理大好きだけどね、とあゆは苦笑いをして、自分で作った渾身のエビフライにかぶりついた。

あゆは昔から料理上手だったわけじゃない。料理を始めた頃は、それはもう思い出したくない位とても酷いものが出来上がっていた。

なかなか上達しなかったけれど、それでも彼女は挫けず今の腕前になるまで涙ぐましい努力をしてきたのだ。

味見を手伝っていた私や彼女の家族は強烈な料理を試食して吐いたり失神しそうになったことが何度もあるけど、頑張るあゆを応援してきた。

当時は胃を痛めたりして大変なことも多かったが、今となってはいい思い出だ。


「私も手取り足取り教えてもらおうかなぁ。うへへ、料理が好きになるかも」

「……みっちゃん、絶対真面目にやらないでしょ」

「バレた?」


お見通しだったか。さすがあゆ、私のことをよく解っている。

料理上手な彼女の保護者に教えてもらうのは楽しそうだけど、真面目に教わるのなら、その時は自分の母親に頼むかな。


「…………」

「どしたのウッキー、そんな真剣な眼差しで私を見つめるなんて珍しい。あ、もしかして私のお弁当食べたいの?

んもう、それならそうと言ってくれればいいのに。はい、あーん」

「いらないわよ。それより、あなたの顔を見てると不思議と腹が立ってくるのだけど」

「私の顔って人の神経を逆撫でするくらい不愉快な感じなの?」

「気にしないで。3割くらいは冗談よ」


なんだ冗談か良かった。ん、あれ、でも7割は本気ってことだよね。それって結構本気ってことだよね。


「ただ、貴女ってガサツそうなイメージだったけれど、意外と食事の仕方は上品なのね」

「上品?」

「あ、わかる。みっちゃん物を食べる時は綺麗に食べるよね」


そうかな? 最低限のマナーは守りつつ作法は気にしないで自由に食べているつもりだけど。

改まった席ならまだしも、学校の昼食でいちいち上品に食べてたら自分も周りも息苦しいだけだろう。


「うーむ、ウッキーが私にどんなイメージを抱いてるのか詳しく聞いてみたい」

「そうね。底抜けの馬鹿に見えて実は腹の中にとんでもないものを飼っていそうなイメージだわ。簡単にまとめると、掴みどころのない変人ってところかしら」


なるほど、私みたいに前世の記憶を宿している変人なんて、この世界にそうは居ないだろう。

今の自分の中に昔の自分がいるようなものだから、腹の中に何かを飼っていると形容した彼女のイメージは的確かもしれない。

とりあえずゴミとか虫とか言われずに済んだのでホッとした。


「いやしかし。これってもしかしてウッキーなりに褒められてるのでは」

「もしかしなくても褒めてないわよ。あゆも、どうしてこんな奴と一緒に行動しているのか疑問だわ。一刻も早く突き放した方が良いわよ。

この人と一緒にいると、そのうち気苦労で倒れるかもしれないから」


のほほんとお弁当を食べていたあゆは、ウッキーの助言を聞いて苦笑する。肯定も否定もしていない。

そりゃあ出会った時から今に至るまで色々なことに巻き込んで迷惑をかけてきたのだから、いつブチ切れてもおかしくはない。

これまで文句は散々言われてきたけど、それでもあゆはいつも私と一緒にいてくれている。

けれど私は、大切な彼女を、大切にできているだろうか。嫌われるのは構わないけれど、傷つけるのは御免だ。


「確かに、一緒にいると大変だけどね。でも、やっぱり私は誰よりもみっちゃんの味方でいたいんだ」


私の暴走にいつも付き合ってくれる友人は、はにかみながらも真っすぐな目をして、堂々と言う。

これ以外の言葉なんてないと言わんばかりに、自信を持って言ってくれたのだ。

嘘でも建前でもなく、飾られていない言葉で。何の打算もない、純粋な本心で。


こんなにも綺麗な心を持った人間を、大切に思わないわけがない。


「……そう言ってくれるって信じてた! あゆたん愛してるよぉーーってあいたっ!?」

「すぐ調子に乗るんだから」


嬉しさのあまり椅子から立ち上がって教室の中心で愛を叫んでみたら、顔を赤くしたあゆに太腿を抓られてしまった。

ふふふ、隣のクラスの皆さんに見られてるからってそんな照れなくてもいいのに。


「ほんっと、大変だけど」

「わざわざご苦労なことね」


ふたりは私を見て、同時にため息を吐いた。周りに面倒をかけているのは紛れもない事実なので何とも言えない。

居た堪れないので黙々とお弁当を食べて、中身を空にする。ごちそうさま、と手を合わせて呟いて、お弁当を片付けた。

お腹いっぱいになったのでしばらくはこの場所から動きたくない。昼休みはここでまったりしてようかな。

徐々に侵食してくる眠気を感じながらぼんやりしていると、ふと話の種を思い出した。


「そうそう。腹の中じゃないけどさ、うちで猫を飼い始めたよ。ちっこくて可愛いラブリー天使コムギたんっていうんだけど」

「ほんとっ!? いいなぁ、見たいなぁ。コムギちゃんかぁ。ね、今日の帰りにみっちゃんち寄っていい?」

「うん、もちろんいいよ。当然ウッキーも来るよね?」

「……………当然、行かないわよ」


違和感しかない妙な間があったのと、ほんの僅かな迷いを乗せた瞳を見逃したりはしない。

断られることは想定済みだったのだが、説得の隙があるのならば再度アタックしてみる価値はありそうだ。

彼女を家へ誘い込めるせっかくの機会なので、失敗は許されない。よし、いつも以上に頑張って口説いちゃうぞ。


「ね、ウキちゃんも行こう? 一緒に猫を撫でたり抱っこしようよ」


私が慎重に言葉を選んでいると、口説く前にあゆがウッキーに話しかけていた。

にこにこと人懐っこい笑顔を向けられてもやはり彼女はつられて笑ったりはせず、まるで興味がないといった顔をしている。

………つもりなのだろうが。ぴくりと眉が動いて、徐々に硬かった表情が緩んでいく。その変化をごまかすように一つ咳払いをして、素早く愛想のない顔を作っていた。


「あゆがそう言うのなら、仕方ないわね。行ってあげてもいいわ」

「なるほど。ウッキーは猫好き、と」


聞こえないように呟いたつもりだったけれど、耳に入ってしまったのかお馴染みの鋭い目つきで睨まれた。

残念だけど、反応したら肯定しているようなものだよウッキー。







放課後になったので私たちはウッキーと合流し、そのまま私の家に向かうことになった。

この三人で一緒に帰るのは初めてなので、歩き慣れた廊下を進むのも新鮮だ。


「あ、植田先生だ。おーい」


他愛のない話をしながら廊下を歩いていると、前方に植田先生がいることに気付いたので呼んでみる。

掲示板にプリントを貼り付る作業をしていた彼女は、きょろきょろと辺りを見渡して私を見つけると、作業を中断してわざわざこちらに近寄ってきた。ありゃ、お仕事の邪魔をしちゃったかな。


「邪魔しちゃってごめんね先生。特に用事はなくて、ただ挨拶したかっただけなんだけど」

「ううん、ちょうど終わったとこだから。椎葉さんたちは今帰り?」

「はい。これから三人でみっちゃんの家に遊びに行くんです」

「そうなの。ふふ、仲良しだね」

「…………」


ああっ。ウッキーがさりげなく私たちから離れて距離をとってしまった。

照れているのか、それとも仲間と思われたくないのか、無表情を徹底してるせいでどっちなのか読み取れない。

さらに私は関係ありませんと言わんばかりに顔を背けて窓の外を眺めている。

植田先生は彼女の素っ気ない態度を照れているだけと判断したようで、私たちを温かい眼で包んでいた。

ウッキーは居心地悪そうにしていたもののやはり教師に噛み付くことは出来ないようで、気付かれないように溜息を吐いている。


「本当はまっすぐ帰りなさいって言いたいところだけど、石井さん達が一緒みたいだから安心かな。うん、今日は何も言いません」

「だってよ、あゆ」

「言われてるのはみっちゃんだよどう考えても」


あの喫煙事件から大人しくしているつもりだけど、今までやってきたことが大きいのか全く信用されてないみたいだ。

ずっとお守り役だったから、私の行動を心配することが癖みたいになってるのかもしれないけれど。


「でも、暗くならないうちに気をつけて帰ってね?」

「はーい。じゃあね先生」

「うん、また明日」


お互いに手を振ってから和やかに別れる。先生は仕事が残っているので職員室へ、私たちは校舎を出るために昇降口へ。

廊下をしばらく歩いていると、あゆがうーんと唸りながら曇った顔をしていた。

気分が悪くなったとかではなさそうだけれど、なにかを迷っている?いや違うか、腑に落ちない何かに気付いたのだ。

けれど確信が持てなくて、ひとりで悩んでいるんだろう。あゆは昔から考えていることがすぐ顔に出るから解りやすい。


「どうしたのあゆ、難しい顔して。トイレに行きたくなった?」

「ち、違うよ。あの、私の気のせいかもしれないんだけど。なんとなく、植田先生、元気ないなって思ったから」

「……………」

「そう? 私にはいつも通りに見えたけれど。普通に笑っていたじゃない」

「やっぱり私の気のせいかなぁ。でもここ最近、少し様子がおかしい気がしたんだよね……うーん」


誰かが気づき始めたってことは、徐々に彼女の心は限界に近づいているのかもしれない。

先生のあの笑顔は本物だけれど、内に隠している問題もきっと本物だ。

自分を苦しめる何かを誤魔化しながら明るく振舞うのは相当なストレスがかかる。例え、本人にそのつもりがなくても。


「あゆは優しいね。もしかしたらと思うんだけど、先生、マリッジブルーなんじゃない?」

「あ、そっか。なるほどね」


私の答えに納得したのか、曇っていた顔が晴れ晴れとしたものに変わる。

先生の問題に気づいたところで、私たちはきっと何もできない。なら、知らないままでいいのだ。

知らなければ相手を思って苦しむことも、無力な自分を味わうこともない。

先生だって、そんなこと望んでいないはずだ。それに元々、彼女は助けを求めていない。順調に幸せな道を歩んでいると、信じているのだから。


「いいからさっさと行くわよ」

「いやん、待ってよウッキー。置いてったらお仕置きしちゃうゾ………って、本気で置いてかないで二人とも!」


私を置いて早足で去って行く二人を慌てて追いかけた。なんとか追いついて横に並び、我が家を目指す。

学校から家までは遠くなく近くもないのだが、歩いて通える距離ではあるので通学は楽な方だろう。

ご近所ではないけど、あゆも私と同じ地区に住んでいるので帰り道は途中まで一緒だ。

この間ウッキーの住所をさりげなく聞いてみたけれど、全力で無視されたので彼女がどこに住んでいるのかは知らない。


「ねえねえ、みっちゃん。コムギちゃんって野良猫だったんでしょ? どこで拾ったの?」

「ん? ああ、丁度そこの公園で見つけたんだよ。可愛い子猫と可愛い小学生の女の子をね」

「…………」


あれれ、どんどん二人の視線が冷えていくよ。あるがままの事実を言っただけなのに何か誤解されてる気がする。


「昔はよくあゆと公園で遊んだよね。いつも暗くなるまで遊んで怒られてさ」

「怒られたのはいつもみっちゃんのせいだった気がするんだけど」

「まあ過ぎ去りし日のことは置いといて。懐かしいよね~」


足を止めて公園を見渡すと、小学生くらいの子供たちが無邪気に遊んでいる。

昔はあの子たちみたいに無意味に走り回って、単純な遊具で何時間も遊んだものだ。

前世ではこうした経験をしたことがなかったからか、いざ子供の遊びをやってみると思いの外楽しかった。

子供のように振る舞えなかった私が子供らしく遊ぶようになったのは、あゆとこの公園で出会ってからだったな。

公園で遊んで来いとお母さんに言われ、渋々やって来たこの場所で、ひとり暗い顔をしていた彼女と出会ったのだ。

今にも泣き出しそうにポツンと突っ立っていたあゆの手をなんとなく引っ張ったのが、私たちの始まりだった。


「ねえ、みっちゃん。あの子、もしかしてひとりなのかな」

「……ん?」


あゆが見つめる先には、まるであの日の彼女のように、ぽつんと寂しそうに立っている女の子がいた。

女の子は楽しそうに遊んでいる子たちを遠くからずっと眺めている。仲間に入りたいのか、眩しそうに目を細めて。

心配そうに見守っていたあゆが我慢できず駆け出そうとしたところを、ウッキーが制止する。


「余計なお節介はあの子の為にならないわよ」

「でもっ」

「あの子が一緒に遊びたいのは面識のない只の他人である私たちではなくて、彼女が見ている先にいる子たちよ。

 あの子が輪に入れるように私たちが切っ掛けを作ることはできるけど、何も知らない私たちが勝手にお節介を焼いて、

 逆に隔たりが強くなる可能性だってある。他人の交友関係に、不用意に干渉するのはお勧めしないわ」


冷静に諭され、あゆは反論できずに口を噤む。冷たいようだが、ウッキーなりにあの子のことを真剣に考えて言ったのだ。

あゆの場合は同世代の私が強引に手を取ったから、一緒に遊べる友人ができた。

そんな子が居てくれればいいのだが、夢中になって遊んでいる子供たちは追いかけっこに夢中で女の子に気付かない。

なら、女の子が仲間に入れてと言えばいい。まあ、それが出来ていないのだから、あの子はひとりなわけだが。

ウッキーの言う通り、子供の世界に大人が干渉するのはどうかと思うけれどーー


「じゃあ私がちょっくらあの子に喝を入れてくるね」

「え、ちょっとみっちゃん!?」


あの女の子が、私の知り合いというのなら話は別なのだ。

引き止めようとしたあゆと溜息を吐いて呆れているウッキーを置いて、私は彼女の元へ向かった。


「さーよーたーん!」


両手を広げてすぐにでも抱きしめられるようにしていたけれど、沙夜は可哀想なものを見る目を向けて後ろへ下がってしまった。

いやいやそんな照れなくてもいいのに。逃げられると追いたくなる性分なので、ついついと迫るように追い詰めていくと、後ろからあゆ達に頭を叩かれて止められた。


「あはは、奇遇だね沙夜。ぼーっと立ったまま何してるの?」

「……………」


黙ったまま目を逸らして俯く。元々寡黙な子だけど、やはり今日はいつになく元気がない。


「みっちゃんの知ってる子だったの?」

「うん、最近仲良くなってね。うちに何度か遊びに来たこともあるよー」

「何故かしら。貴女とその子が一緒にいるところを見ると凄く犯罪臭がするのだけど」

「同意の上だよ!?」

「その言い方もなんだか危ない台詞に聞こえるなぁ」


また何か失礼な誤解をされているので、出会った経緯などを細かく二人に伝える。

一生懸命に説明していると、沙夜が不思議そうに私を見て、今度はあゆとウッキーを見た。


「光希お姉ちゃんって、お友達いたんだ」

「いるよ!? いっぱいいるよ!? ていうか友達いないと思われてたのか私!」


あとウッキーは嫌そうな顔をして私から距離を取らないでください。二度目は流石に切ないです。

あまりの仕打ちに悲しんでいると、あゆが真剣な顔をして一歩前に出た。


「沙夜ちゃん、だっけ。その、沙夜ちゃんはあの子たちと遊ばないの?」

「…うん」

「仲間に入れてもらえないの?」

「ううん。一緒に遊ぼうって、誘ってくれた」


あれ? じゃあなんで沙夜は羨ましそうにあの子たちを見ていたんだろう。

遊びたいから公園に来ているんだろうし、せっかく誘ってもらえたんなら断ることはないのに。

どうして断ったのか問うてみると、沙夜は小さな声で呟いた。


「あの子たちとは遊んじゃダメだって、お母さんが言ったから」

「そっか」


親の言うことには逆らえなくて、でも遊びたい気持ちを抑えられなくて、ずっとあの子たちを見ていたのか。


「……そっか」


泣きそうになっている沙夜の頭をくしゃくしゃに撫でる。

本当は一緒に遊びたいのに、遊べないと言わなければいけないなんて、辛かっただろう。

子供も大人も関係なく、自分の気持ちを殺すのは苦しいものだ。


「ねえ沙夜。今からコムギに会いに来ない?」

「いいの?」

「うん、沙夜ちゃんもおいでよ。今日はお姉ちゃんたちとコムギちゃんと遊ぼう? それなら、大丈夫だよね」


こくりと頷く。

子どもの問題かと思っていたが、親が絡んだ問題だったので、私たちはこれ以上沙夜の力にはなれなかった。

いくら知り合いでも、踏み込める部分は限られている。家庭の問題なんて、親しい間柄でも難しいのだ。

なんの解決にもなっていないけれど、このままこの子を残してはいけない。


「いいけど、ご両親に言ってからでないとまずいんじゃない?」

「そうだね。連絡先は教えてあるけど、一度沙夜の家に言って挨拶した方が良さそうーー」



「沙夜っ!!」



びくりと沙夜の身体が跳ねて、慌てて声が聞こえた方を向く。

彼女の名前を呼んだと思われる女性が走ってこちらにやってきて、沙夜を強引に自分の元へ引き寄せた。

女性は沙夜を庇うように抱きしめて、私たちを睨みつける。


「お母さん……」

「なんなのあなた達!? この子に何をしていたの!? 警察を呼ぶわよ!」

「わ、私たちは別に何も……」


まあ最近は物騒な世の中だから疑われるのも仕方ない。善意も悪意も目には見え難いので、判別は困難だ。

しかし警察を呼ばれるのは困るので、身の潔白を証明する必要がある。


「光希お姉ちゃんは、私の友達だから、悪い人じゃないよ」


おお、沙夜がフォローしてくれてる。さりげなく友達と思ってくれていたことにも感動してしまった。

しかしそれでも母親は警戒を解かず私たちに厳しい目を向けている。


「友達? 貴女たちがこの子の?」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は椎葉光希と言います。以前、誤解がないように連絡先をお渡ししてあると思うのですが」

「連絡先……椎葉…まさか沙夜、あなた!!」


母親の顔が醜く歪み、目がカッと見開かれた途端――――パンッと乾いた音が鳴る。

自分の子の頬を、母親が思いきり叩いた音だった。


「変な輩と関わり合うのはやめなさいと言ったでしょう!? なのに無視して一緒に遊んでいるなんて、どうして親の言うことが聞けないの!?」

「ごめっ……ごめんな、さい」

「それにこんなところで何をやっていたのよ!? 貴女は篠山家の子なんだから、こんな泥臭い場所に居てはいけないわ!

 あんな頭の悪そうな子たちと一緒にいるべきじゃないって言ったでしょ!」


無邪気に遊んでいる子供達を、まるで汚いものか何かを見てるような目つき見やる。

沙夜は母親の言いなりで何も言えず、泣きもせず、何の感情も含まれていない表情で俯いていた。

それは、子供がしていい表情ではない。


「とにかく、貴女たちはもう二度とこの子には関わらないで。ほら、行くわよ沙夜」


母親は有無を言わさぬ強い力で、物を引きずるように沙夜を連れ帰っていく。

私たちは何も言えず黙って親子を見送っていたが、隣にいたあゆの様子がおかしいことに、ようやく気付いた。

しかし、気づいたのが遅かった。


「親の言うことが聞けない? そんなの、子の言うことを聞かない親が言っていいセリフじゃないよっ!」

「あゆ!」


彼女らしからぬ荒げた声で、沙夜の母親に向けて叫んだ。

私の制止を振り払い、そのまま女性に掴みかかりそうなほど近づいて対峙する。


「親なのに、子供を傷つけないでよ! なんで、自分の身勝手を押し付けちゃうの!?

 親のくせに、なんでわかんないの!? 沙夜ちゃん、あんなに寂しそうにしてたのに!!」

「ちょっとなによ、他人の貴女には関係ないでしょう!? うちの家庭の問題に軽々しく口出ししないでくれる!?

 この子は飄々と生きてる貴女たちと違って特別なものを背負っているのよ!!」


母親はあゆを睨んで、剥き出しの悪意を向ける。途端、あゆの身体が小さく跳ねて徐々に震え始めた。


「あ、……ああっ、あっ」

「まずい。ウッキー、あゆをその女から離して!」

「どうしたのあゆ、様子が……」

「とにかく、大丈夫って言って落ち着かせて。お願い」

「ええ」


私が言った通りに、ウッキーはあゆを引き寄せて後ろに下がってくれた。

あゆは身体を小刻みに震わせて、表情は恐怖で引き攣って、ぼろぼろと涙を零している。

ここ数年は平気だったから、油断していた。ごめんねあゆ、あとで何万回でも謝るから。


「………いきなりなんなの? 変な子ね」

「私を変人扱いするのは構わん。しかし、うちのあゆたんを変な子と呼ぶのは聞き捨てならんな」


あゆにこの人を見せないように真正面に立つ。

沙夜には申し訳ないけど、そこにいる醜い大人は、今の状態のあゆにとって害でしかない。


「行くわよ沙夜。この変な人たちと一緒にいても、悪影響だわ。もう近づいちゃ駄目よ、貴女は篠山の大事な後継なんだから」

「いやいや、子供を家の再興に使っちゃう親と一緒にいる方が悪影響だと思うんだけど」

「なんですって?」

「親の都合を押し付けて、子供の意見を無視して。ねえ、沙夜がどれだけ心を痛めてるか解ってるのかな?

 たかが篠山家の為に、どうしてこんな小さな子供を犠牲にしちゃうかなぁ。そんなに家が大事なの? 子供よりも?」

「た、たかが? 一般人の貴女には解らないでしょうけど、うちは由緒ある家柄でーー」

「知っているよ篠山家。たしか建設事業を主力に飲食の方にも手を出していたんだったか」

「なっ!?」

「くだらない。家の為、この子の為と謳いながら、結局は自尊心を守る為のものだろうが」


彼女の言う通り、篠山家はそこそこいい家柄だと思う。

だがそれは昔の話で、今は事業に失敗して本家からは切り捨てられている一族だったはずだ。

過去の栄光に縋り、いつか返り咲こうと足掻いている惨めな小金持ちでしかない。

沙夜の名字と子供らしからぬ表情をするところを見てまさかとは思っていたけれど。嫌な予感は当たるな、やっぱり。


「違うわっ! 私はこの子を立派な後継にする為にわざと厳しくしているのよ!」

「ふざけるな。貴女の身勝手な理想を押し付けられて、どれだけこの子が傷ついているか知ってるのか。

 貴女にとって大事なことではなく、沙夜にとって何が一番大事なのか、もう一度よく考えてからものを言え」


沙夜だって解っているんだよ。立派になろうと思っているんだよ。

自分の境遇を受け入れているから、母親の言いつけを守ってずっと堪えていたんだ。

自分のためではなく、家のためでもなくーーー親のために、頑張っているのに。


「……沙夜。家と親は選べないけど、自分の進む道は選べるんだよ」

「光希お姉ちゃんっ」

「私は負けちゃったけどさ。沙夜は、自分のために頑張ってほしいな」


私と違って優しさを持つこの子なら、背負ってるものを投げ飛ばすことも、大事に抱えることもできるかもしれない。

敷かれたレールを捻じ曲げるのは過酷で大変だろうけど、それは名家に生まれた者の宿命だ。


「黙ってたら、誰も解らない。だから、解ってほしいのなら自分でしっかり伝えなきゃ」


自分のやりたいことを貫くのなら、諦めて戦うしかないのだ。


「うん」


小さな名家の後継さんは大きく頷き、はっきりと答えた。

まだ小学生の彼女が背負うには重すぎるけれど、それでも受け入れたのだ。これから背負うものと、戦う覚悟を。


「余計なことを言わないで! その子はーー」

「お母さん。私、光希お姉ちゃんの友達やめないよ。学校のみんなとも遊ぶ」

「沙夜!」

「家のことも、勉強もちゃんとやるから。だから、お願い。お母さん」

「駄目よ!そんなの絶対許さないんだから!!」


公園で盛大な親子喧嘩が始まる。

これは沙夜の戦いだから、私は黙って見守っていようと決めていた。

だがしかし。空気を読めない奴が、無遠慮に横槍をぶん投げてしまった。




「ちょっとおばさん。よくもあたしの可愛い天使を泣かせてくれたわね」




よりにもよって、どうしてこんな場面であらわれるんだろう。タイミングがいいと言うか、悪いと言うべきか。

でも上手くいけば、この場を迅速に収束することができる。この人は、それだけの発言力を持った人間だ。

色々と不安定な人なので一歩間違えば逆に手がつけられなくなりそうだけど、最悪の場合は助っ人を呼ぶしかない。


「な、何よ貴女、いきなり出てきて失礼な!」


いきなり割り込んできた少女にも、沙夜の母親は敵意を向ける。

だがそんな視線もなんのその、彼女は綺麗なブロンドの髪を風になびかせて涼しい顔をしていた。


「うるさいわねおばさん。篠山だかなんだか知らないけど、どうせうちの会社に比べたらちっさい家なんでしょ。どうなの光希?」

「あーうん。そりゃアルのパパの会社と比べたら篠山家は最下層かもしれないけど」

「ふん。その程度で偉そうにするなんて、たかが知れるわね。子供を使うってところも下衆で野蛮だわ。

 なによりあたしのあゆを泣かせたのがいっちばん罪深い。ギルティ」

「なによさっきから好き勝手言って、どうせ貴女の家の会社は三流の企業なんでしょっ」


私がボソッと彼女の父親が経営している会社を呟くと、沙夜の母親は一瞬で顔色を変える。

篠山家など足下にも及ばない、誰もが知っている大企業のひとつなのだ。驚くのも無理はない。


「家のことなんてどうでもいいわ。子供を玩具にする親?でいいのかしら。そいつの近くにいるのも不快で虫唾が走る」


迫力のある眼光を向けられ、沙夜の母親は怯んで口をパクパクとさせていた。

何か弁解しようと思っているのかもしれないが、彼女の気迫に負けて言葉を出せないでいる。


「さっさと消えてよね。ああ、そうだ。あたし、その子の友人になる予定だから。……よろしくね、おばさん」


おそろしい。彼女は遠回しに『その子を束縛すればどういうことになるか解っているよね?』と脅しているのだ。

にっこりと笑っているけれど、有無を言わせぬ圧力は隠しきれていない。

親が人格者のおかげで比較的自由に生きてきた彼女だが、一応大企業を経営している親の娘なので駆け引きの術は心得ている。

相手が悪いと理解したのか、母親はさっきまでの威勢を潜めて押し黙った。

それからぎこちなく一礼をして、沙夜の手を引き、逃げるようにこの場から去っていく。


「……頑張れ、沙夜」


アルの助力のおかげで、沙夜の選択肢は格段に増えたように思う。あとは彼女の頑張り次第だ。

いつかまた一緒に遊べる日を信じて、私は親子を見送った。


「帰ってきて早々不愉快な気分になるなんて、ちょー最悪。久しぶりにあゆに会えると思って楽しみにしていたのに」

「今日戻ってくるなんて聞いてなかったよ、アル」


つまらなさそうに親子を見ていたアルは、苛立ちを隠そうともせず短い息を吐いた。


「驚かせようと思ったのよ。で、戻ってきたら公園であたしのあゆが泣いて震えてるじゃない。こっちがビックリだわ」


泣き疲れたのか恐怖で耐えられなかったのか、あゆはウッキーの腕の中で眠っていた。

アルはあゆの目元に溜まっていた涙を指で拭ってあげて、起こさないように髪を優しく撫でている。


「ごめん。私が気をつけていなきゃいけなかったのに」

「油断するなんて光希らしくないじゃない。まあ起こってしまったことは仕方ないけど、それよりこのデカい女は誰? あたしのあゆにベッタベッタ触らないでよ」

「…………」


なにこれやばい、いきなり一発触発の雰囲気が漂っている。

気の強いアルとウッキーはお互いに我が道を行くタイプだから相性が悪そうだ。

どちらも鋭い目で睨み合い、逸らそうとしない。間に入ったら殺されそうな空気だが、今はあゆが心配だ。


「あゆはあたしが背負って帰るわ。どうせ帰る家は同じだし、ちっこい光希じゃ無理だし、そこのデカい女に任せたくないしぃ」


この中ではアルが一番適役だろうから黙って頷く。ウッキーは怖い顔をしていたけど、異論はないのか何も言わない。

あゆを軽々と背負ったアルは、あとはあたし達に任せといてと告げて帰っていった。

心配だったけれど、あゆにとって一番いい環境は家族のいる自宅なのだ。


「なに、あの派手で傲慢な人」

「アルレット・ルヴァティーユ。大学生で、あゆのお姉さん。ついでに、どシスコン」

「お姉さんって……全然似てないけれど」

「見ての通り血は繋がっていないよ。正確にはお姉さんみたいな人、かな。

 親戚どころか他人に近いんだけど、色々あって姉妹のように仲がいいんだ。今はあゆの家に居候してるんだけど一ヶ月くらい実家に戻ってたんだよね」


今日帰ってくるとは知らなかったけど。人騒がせな彼女だが、いいタイミングで帰って来てくれたので正直助かった。

権力に固執している人間を黙らせるには、大きな権力を持つ人間が効果的なのだ。

それにあゆはアルによく懐いているから、彼女がいてくれればより安心するだろう。


「ところで、あゆのことだけど。聞いてもいいのかしら」

「うん。あゆはウッキーに心を開いているし、それに大体の察しはついてるだろうから大丈夫だよ」

「あの症状……PTSDよね」


PTSD。心的外傷後ストレス障害。それが、あゆを苦しめている病気の名前だ。

過去に酷く苦痛を与えられた人が、その時負った心の傷を起因として様々なストレス障害を引き起こしてしまう病。

つまり、あゆも昔そういう経験をして心に傷を負っている、というわけだ。

沙夜の母親に強い敵意を向けられて、過去のことを思い出してしまったのだろう。本当に、迂闊だった。


「もう何年も発症してなかったから、克服したかなと思っていたけど。心の傷がそう簡単に癒えるわけないか」

「そうね。いつも明るくて元気だけれど、心の傷なんて目に見えないものね」


誰しも何かを抱えて生きている。色んなものを隠して、悩んで、傷ついて、それでも幸せな明日を願って生きている。

ヘラヘラと生きてる人も、実は必死なのかもしれない。

大丈夫と平気な顔をしてる人も、心の中では助けてと叫んでいるかもしれない。

知らないだけで、解らないだけで、悲しんでいる人間はこの世界にたくさんいるんだ。

でも、心が見えないからこそ、この世界は上手く回っているんだろう。心が丸見えな世界なんて、すぐに破綻する。


「彼女、明日学校に来れるといいわね」

「うん。そうだね」


明日はさすがに難しいかもしれない。

過去に発症していた時は、元の彼女に戻るまでかなりの時間がかかっていた。

早く戻ってきてくれると嬉しいけど、無理して欲しくはないので、ゆっくり休んでくれたらと思う。


「ウッキーはこれからどうする? 予定通りうちに来る?」

「やめておくわ。貴女と二人きりだなんて嫌だもの」

「あはは」


そう言うだろうと思っていた。あゆが元気になってから、また改めて誘おう。

ウッキーとはこの場で別れて、私は自分の家に向かって歩みを進める。


(篠山か……確か、鹿島グループの傘下にいた事業主だったな)


生まれ変わる前のことには関わりたくないのに、無視していても忍び寄ってくる。

まるで目を逸らすなと言わんばかりに、過去のカケラがひとつひとつ私を貫いていくのだ。

前世に未練はない。後悔もない。だから、昔のことなんて気にせず放っておけばいい。

そう自分に言い聞かせているはずなのに、最近はよく過去のことを思い出している。

……原因は、一応解ってはいるのだ。


「なーに真面目な顔をしてるのよ、珍しい。今日はこれから雨でも降るのかしら」

「お母さん」


帰り道、買い物袋を下げたお母さんと遭遇してしまった。夕飯の買い物にでも行っていたのだろう。

これ幸いと重そうな荷物を私に押し付けてくるので、しぶしぶ受け取る。

ちらりと袋の中身を覗いてみると、トンカツ用の豚肉や卵、パン粉などが入っていたので、今日の夕飯はカツ丼を作るみたいだ。丼もの大好きだから嬉しいな。


「あんた、昔のこと考えてたでしょ」

「ううん夕飯のこと考えてた」

「今じゃなくてさっきよ。それに最近、ふとした瞬間に真面目な顔してることが多いわよ。お父さんも心配してた」


ここ最近、気が緩んでいるのだろうか。両親に気付かれるなんて、あってはいけないことなのに。


「ごめん……早く、忘れるから」

「違うでしょ光希。あの時言ったわよね? 忘れる必要なんかないって。前世の記憶を持っていたとしても、あんたは私たちの子供だって」

「いいんだよ別に。ろくな人生じゃなかったんだから忘れても」

「どんな人生だったとしても、あんたは数十年がんばって生きたんでしょうが。

 覚えているのなら、しっかり覚えていなさい。あんたは、前の人生も今の人生も、どっちも生きているんだから」

「私は……」


本当に、つまらない人生だった。自分のことだけしか考えてなくて、他人を陥れることを平気でやる最低の人間だった。

そんな人間のことを覚えていて、どうしろというんだ。私が犯した罪の数々を償えとでも言うのか。

記憶を消してしまえるのなら、今すぐにでも消してしまいたいのに。


「光希、自分を否定するのはやめなさい。あんたは賢いから、それ故に無駄なことまで考える悪い癖があるわ」

「そうかな」

「子供はもっと、単純に考えるものなのよ。やりたいことがあるのなら、とことんやれっていつも言ってるでしょ」

「やったらやったですぐ怒るくせに」

「そりゃあんたの母親ですからね。……ねえ光希。あんたが大事にしているものは、そう簡単に失くなったりしないわ。

 『今度は自由に楽しく生きたい』って言って、今まで散々好き勝手やってきたくせに、今さら躊躇ってどうすんの?」

「あはは、だよねー。……母さんや。私の背中を押したからには覚悟しといた方がいいかもよ」

「はいはい。あんたの破天荒っぷりにはもう慣れてるわよ」


みんな、戦ってるんだ。あゆも、沙夜も、きっとウッキーも、みんな自分の中で、何かと向き合っている。

わたしもきっと戦わなければいけない。いつか、覚悟をしなければいけない。

前世の記憶を持っていても、気味悪がらず普通に愛してくれた両親の子として、恥ぬように。


「ところでお母さん。私、妹が欲しくなっちゃったんだけど」

「唐突に何を言い出してるのこの子は!?」



『私』は、今ここで生きているんだから。



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