WPspinoff03 お得意様
いつものように生徒指導室に呼び出され、お説教を食らい、反省文を書かされているのはこの私、椎葉光希17歳。
もちろん、今回の罪状もサボりです。前回はスカート覗きという極めて特殊なケースだったけど。
生徒指導室で植田先生に叱られるのもこれで何度目になるだろうか。
もう数えるのも億劫になるほどここに通ってるので、もはや超常連……お得意様と言ってもいい。
褒められることではないのは確かだけどね。
(…ん?)
今日はどういう風に書こうか悩んでいると、ふと、目の前に座っている植田先生の様子がおかしいことに気がついた。
私の方を向いているのにここではないどこかを見ているような気がする。どうやら何かを真剣に考えているようだ。
ふむ、なんか悩み事でもあるのかな。そんな顔をしている。
「先生、なんか元気ないね」
「…え?そ、そんなことないよ?何処から見てもいつも通りだと思うけど」
「悩みがあるなら特別サービスで聞いちゃうよ?」
「だから、そんなことないってば」
「だって顔に書いてあるし」
「……書いてないよ」
やっぱり、いつもと違って元気がないように見えた。
笑い方がぎこちなく、無理して繕った表情だと一目でわかる。特に植田先生って嘘とか隠すの苦手そうだもんなぁ。
「……椎葉さんがまた授業をサボったからガッカリして元気がなくなったの」
「それはいつものことじゃん」
「た、確かにそうだけど」
「あはは」
「もう、笑い事じゃないでしょ!」
「で? なんで悩んでるの?」
「だから、悩んでません」
意地でも認めないらしい。
教師という存在は生徒を導き育てる“模範”であり、彼女はその姿勢を簡単に崩すような人じゃない。
だから生徒に弱みを見せようとはしないだろう。どんなに問い詰めようとも、彼女は決して私の前で弱音を漏らすことはない。
…たとえ教師じゃなくても大抵の大人というものは、子供の前で立派であろうとする。強がってしまう。そういうものだ。
私はスカートのポケットを探って、小さな包みを取り出し先生に差し出した。
「じゃあ元気がない先生に飴あげる!」
「あのね、椎葉さん…お菓子の持ち込みは校則違反だって知ってる?」
「ふっふーん、これのど飴だもん。のど飴は確か持ってきていいはずだったよね」
「それは喉を痛めてる人だけです」
「まあまあ、そんなにケチケチすると皺が増えるよ? 老化加速しちゃうよ?」
「……いい加減にしないと、反省文の枚数を増やしちゃうからね」
「きゃー、それは勘弁してっ」
反省文をたかだか数枚増やされても、書くのは苦ではないから構わないんだけど。
……昔から堅苦しい文章を創り出すのは得意だったからどうってことはない。いや、書き慣れていると言えばいいのか。
こうして何回も反省文を書かされて慣れたというのもあるけど。
(あの時は、反省文なんてものじゃなくて、面白味のない書類ばかりだったけれど)
まだ自分がどうしようもない馬鹿で、つまらない人間だった時。
昔の私が今の私を見たら、どう思うだろうか。ああ、いや、考えるまでもないや。
きっと軽蔑の目を向けて、吐き捨てるように「無駄で無価値な人間だ」と吐き捨てるように、自分を否定するだろう。
“自分のこと”だから嫌でも解かる。
「椎葉さん?」
顔を上げると、目の前には先生の顔があった。
昔のことを考えていてぼーっとしていた私を心配そうに見つめている。
いけない、もう過去のことなんて忘れたつもりだったのに、余計なことを思い出してしまった。
私はもう『椎葉光希』なんだから、忘れないといけない。私はもう昔の私なんかじゃないんだから。
過去を引きずっても、いいことなんてひとつもない。
「あはは、反省文を書きすぎて似通った文章になっちゃうから、考えるの大変だわ」
「笑いごとじゃないでしょ」
ペシッ、と優しく頭を叩かれる。
(――元気がない先生に心配させてどうするよ、私)
何か先生が元気になってくれるような明るい話題はないだろうか。
そう考えて、友達が言っていた先生のあの噂を思い出した。
これならいけるかもしれない。
「友達から聞いたんだけど、先生って結婚するんだよね? 水臭いな~私と先生の仲なんだから教えてくれてもいいのに~」
「…え」
うん?
先生の表情は明るくなるどころかどんどん青くなって、顔色が悪くなっている。
あれ、おかしいな。私が予想してたのは照れて恥ずかしそうにする先生の姿だったのに、これじゃまるっきり逆だ。
もしかして触れてはいけない話題だったのだろうか。そうだったら、まずいな。
口に出してしまったものは取り消すことが出来ないから、どうしようか……。
手持ちの話題で上手く会話の流れを繋げるようなものはなく、結婚に関しての会話を続けるのも駄目だろう。
私が冷静に悩んでいると、先生は内心を悟られないように努めて普通に話しかけてきた。
「そっか、知ってたんだ……私が結婚すること」
「うん。噂だから、本当かどうか解からなかったけど」
「バレないように気をつけてたんだけど、どこから漏れたんだろう。女の子の情報網って、すごいね」
「この年頃の女の子は恋の話に敏感だもん。思春期女子の乙女パワーを侮っちゃーいけないよ奥さん」
「奥さん、か。私、いい奥さんになれるかな」
「…………」
なんで、そんな悲しそうな顔をするんだろう。
好きな人と結婚するのは、嬉しいことのはずなのに。そういうもんじゃないの? 結婚って。
結婚なんてしたことないし、自分の経験なんて一般的なものとかけ離れているから参考にならないけど。
もしかして雑誌で読んだことある例のマリッジブルーってやつかな?
「先生、嬉しくないの?」
「そんなことないよ」
「でもさ、なんか喜んでるように見えないから」
「そんな…こと……は」
先生の声は、段々と震えて小さくなっていく。
「先生?」
「…………っ」
辛そうに、顔を歪める。
(よくわかんないけど、さ)
本当に、よくわからないけど。
今にも泣き出しそうな彼女の顔を見ているのが、たまらなく嫌だったから何とかしようと考えて。
なんとなく手元にあった書きかけの反省文を勢いに任せて破り捨てた。
どうして破ってしまったのか、自分でも解からない。他人を納得させる理由なんてない。
ただ、違う表情をして欲しかった。
驚いてる顔でも、笑い顔でも、呆れ顔でも、怒ってる顔でも、何でもいい。
とにかく、泣いてる先生の顔なんて見たくなかったから。
その為なら、自分は何だってできるような気がした。
――ビリッ、と紙が悲鳴を上げる。
ほんと、今の自分は馬鹿みたい。
ああでも……なんか楽しくなってきた?
――ビリッ
「なっ……!?」
――ビリ、ビリ、ビリッ――
破って、破って、何度も何枚も破って、気持ちのいい音が部屋に響いた。
細かくなった原稿用紙を撒くと、紙吹雪のように宙に舞ってハラハラと落ちていく。
もう少しで完成するはずだった反省文は、修復不可能なほどに跡形もなく塵と化してしまった。
ああーなんかスッキリした。満足だわ。
「な、な、何やってるの!? せっかく書いたのに」
「いや、なんか……気に入らなかったんだよね。ありきたりっていうか、笑いが足りないっていうか」
「反省文に笑いは必要ありませんっ!」
破ったことは、後悔していない。
反省文なんて本気を出せば何度だって何枚だって賞を取れるような凄いやつだって書けるんだから。
そんなことより、先生の顔が面白いことになってる方が重要だ。
さっきまでの辛気臭い表情は何処へやら。信じられない!といった顔で目を大きく見開いている。
そりゃいきなり反省文を破って撒き散らせば誰でも驚くだろう。頭がおかしくなったかと思われたかもしれない。
それでも私の目的は達成できたのだから十分だ。
「どうしてこんなこと……」
彼女はしゃがんでから、散らばった原稿用紙の切れ端をかき集めている。
私も同じように屈んでから、掃除を手伝うことにした。ま、自業自得だ。
「また最初から書き直しかぁ……あ、もしかして反省文を破ったことも、反抗的な態度とったとかで反省文に書かなきゃいけなかったりする?」
「………椎葉さん」
「枚数追加でも大丈夫だよー? 私って実は天才だから。その気になればテストでオール満点だって出来るし」
「そ、それは無理でしょ!? 確かに椎葉さんは意外に勉強できる子だけど、流石に全ての教科で満点は…」
あ、意外って言った。
そりゃ普段はサボってばかりの問題児だけど、成績は常に上の下をキープしているのだ。
面倒を起こしても他の先生にうるさく咎められないのは、授業を受けなくても好成績を取れるからだったりする。
こうして担任の植田先生に叱られているのは単に体裁を保つため。流石に問題ばっかり起こしてると保護者呼び出しを食らうけど。
それに黙認されてるとはいえ、植田先生以外の先生方にはあまり良く思われていない。
まあ、そんなことはどうでもいいや。
「いやいや~本気だよ?なんなら賭けます? 今度の期末テストで」
「で、でも」
「私が負けたら先生の言うことを何でも聞くよ。たとえば絶対にサボるなって言えば、もう二度とサボらない。
でも私が勝ったら先生に何でも言うこと聞いて貰う…ってことで♪」
「な、何でも……」
「うひひ、それじゃあそう言うことでいいよね。あ~楽しみだなぁ、どんなお願いしようかな~」
「もう勝った気でいるのね……そんなに自信あるの?」
「それはもちろん」
「一体何処からそんな自信が沸いてくるのかしら」
先生は堪えきれなくなったのか、控えめな笑みを溢す。
ああ良かった。いつもの先生の笑顔だ。
「………」
「? どうかしたの、先生」
「う、ううん、何でもない。あ、私、新しい原稿用紙を職員室から取ってくるねっ」
彼女は急に取り乱して、慌てたように部屋から出て行った。
様子がおかしかったけど、元気になったみたいだから別にいいよね。
結局先生がどうして元気がなかったのか解からなかったけど、生徒の私じゃ出来ることに限界があるから。
彼女は大人だから自分で解決できるのかもしれないし、子供の私が出る幕じゃないのかもしれない。
それに、できれば他人の深い部分に踏み込むのは遠慮したかった。
(でもま、賭けには勝たせてもらうけど)
先生には悪いけれど、今回は久しぶりに本気を出してテストを受けるつもりだ。
何でも言うことを聞いて貰えるなんて魅力的な特典が手に入るんだから、頑張らないとね。
真面目な先生のことだから、約束は絶対に破らないだろう。
特にお願いしたいことなんてないんだけど、“もしもの切り札”はあっても困らない。
(…ちょっと卑怯な賭けだけど、負けたらどんな言うこと聞かされるかわかんないからなー)
自分で持ちかけた条件なのだけど。
本当に私って、汚い人間だ。
「持ってきたよ、新しい原稿」
「あらぁ、随分遅かったじゃない。植田せんせ」
「……どうして上から目線なの。元はと言えば椎葉さんが――」
「へいへいっと。早く終わらせて~さっさと帰る~♪」
「もうっ」
先生が見守るなか、私はいつものように心ではなく頭で考えた、ありきたりの文章を原稿に書き始めた。