WPspinoff01 問題児と先生
夢の中を彷徨っていた私は、カーテンから差し込む光の眩しさで目を覚ました。
額に掻いた汗を手で拭ってから、ゆっくりと体を起こす。
「朝……」
目覚まし時計が鳴るよりも早く起きた私は、躊躇うことなく布団から抜け出す。
寝巻きを脱ぎ捨て、制服に着替え、慣れた手つきで最後にネクタイを締める。
ボサボサの髪を櫛で整えてからふたつに結び、最後に鏡に映った自分を確認して準備万端。
さて、これから学校だ。
今日も元気にはりきって行くとしよう。
学生鞄を握り締め、勢い良く部屋の扉を開けてから、軽快に階段を降りていく。
「おっはよー! お母さんっ」
「あらおはよう……ってこら光希!! アンタ昨日先生の呼び出しを無視して帰ったんだって!?」
台所に立っていた母親に朝の挨拶をすると、いきなり鬼のように険しい顔で睨まれてしまった。
朝っぱらから長ーいお説教が始まりそうな予感がしたので、父親が居るであろうリビングに急いで逃げ込む。
後ろから怒鳴り声が聞こえてきたけど、耳をふさいで聞こえないフリ。
リビングに行くと、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる父親の姿があった。
「おはよー! お父さん!」
「おう光希。おはよう、今日も朝から元気だな」
読んでいた新聞から顔を上げたお父さんは、私を見ると何ともいえない苦笑いを浮かべた。
むむ、そんな顔をするってことはお父さんもお母さんから昨日の事を聞かされてるんだろう。
私は気にせずいつものように自分の席について、テーブルに置いてあったトーストをかじる。
「おまえ昨日またやらかしたんだって? 母さん怒ってたぞ」
「んー、それには深ーいわけがあるんだよ」
「あら。それじゃあその深ーい言い訳とやらを聞かせて貰おうかしら」
声のした方に顔を向けると、私専用のコーヒーカップを持ったお母さんがいた。
何か言いたそうに私にカップを渡すと、ギロリと鋭い視線を向けてくる。たいそうご立腹のようだ。
ずっと睨まれているのも居心地が悪いので、母の要望どおりわけを話したほうがいいだろう。
でも、その前に。
ひとまず熱いコーヒーを一口飲んでから、静かにホッとな息を吐いた。
「あのね、昨日は友達の初ライブがある日だったの。生徒指導なんて行ってたら間に合わないし?」
「だからって何も言わずにすっぽかして帰るのは駄目でしょう! わざわざ先生から連絡あったのよ!?」
「それはとーっても反省してるってば。今日ちゃんと先生に謝っておくからさ」
「もぉ…まったくこの子は。毎度毎度、先生に申し訳ないわ」
お母さんは心底呆れたようにため息を吐き、お父さんはそんなお母さんを見て困ったように笑っている。
自由奔放で規則に囚われず、ひたすらマイペースに生きている私は、学校でいわゆる問題児のような扱いであり、
何かと生徒指導で呼び出しを食らうことが多い。
そのおかげで両親にも迷惑をかけてしまっているのだが、2人はどんなに私が馬鹿なことをしても、最終的には渋々だが許してくれる。
もちろん悪いことをすれば本気で怒ってくれるし、他人が認めてくれないことでも筋が通っていることをすれば何だかんだ言って認めてくれる。
それは、私という子供を心から愛してくれていて、信じてくれているということ。
私にとってこの両親は一番の理解者であり、味方なのだ。
――だから私はそんな優しい両親に、甘えてしまっているのだろう。
「それにしてもお前、どうして先生に呼び出されたんだ?」
げ、お父さんったら余計なことを。
「あ、先生に聞き忘れてたわ。光希、今度はいったい何をして――」
「おおっといけない、もうこんな時間だ! んでは娘は学校にいってきまーす!」
「お~、気をつけていけよー」
「こ、こ、こらぁっ待ちなさい、みつきいいいぃっ!!!」
食べかけのパンを慌てて口の中に押し込んで、足元に置いていた鞄を拾いリビングから逃げ出した。
お母さんのお説教を聞いてたら学校に遅刻しちゃうので、ここは早々に離脱すべきだろう。
追いつかれないように急いで靴を履いて、玄関のドアを勢い良く開けた。
その瞬間、開いたドアの隙間から朝日の光が視界を遮り、眩しくて思わず目をつぶってしまう。
ゆっくりと閉じた目を開けると、綺麗な青空が視界いっぱいに広がっていた。
「……ん、いい天気」
思わず笑みがこぼれる。
いつもと変わらない、ちょっとだけ慌しい、我が家の朝。
そんな普通の日常に例えようのない幸せを感じて、その気持ちを噛み締めながら私は学校に向けて歩き出した。
*
全ての授業を終えた放課後。
昨日呼び出しを無視して帰った私は、当然のように担任の先生である植田紫乃に呼び出された。
今日は無断で帰るわけにはいかないし、特に用事もないので素直に生徒指導室へと向かう。
馴染みの部屋の扉をノックしてから開けると、真面目な顔をした植田先生が綺麗な姿勢で椅子に座ったまま待ち構えていた。
「椎葉光希、ただいま到着しましたー」
「そこに座って」
「はーい」
言われた通りに正面の椅子をひいて座る。
先生はいつもの温和な笑みではなく、険しい表情をして私を見つめていた。
「…それで椎葉さん。どうして昨日は来なかったの?先生、ずっと待ってたのに」
「いや~、ごめんなさい。どうしても断れない用事があったんです。許してください」
両手をパンっと合わせて謝罪すると、先生は納得いかないのか顔を顰めて唸りをあげた。
怒った顔をしているつもりなのだろうが、年齢の割りに幼い顔つきのせいでちっとも恐くない。
この人、普段から教師としての威厳とか迫力とかを全く感じないのである。正直に告げたら泣かれそうなので、黙ってるんだけど。
「そ、それならちゃんと連絡してくれれば良かったでしょう?黙って帰るなんて…」
「だって大事な用事があるからって言っても先生信じてくれないじゃん」
「それは日頃の行いが悪いからでしょう。いつも適当な言い訳をして逃げ帰る貴女をどう信じればいいの?」
「てへっ♪」
「てへっじゃないでしょ!」
額に手を当てて呆れていた先生は、これ以上問い詰めても無駄だと思ったのか、手元に置いてあった数枚の原稿用紙を私に向けて無言で差し出した。
言われなくても意図は解かる。反省文を書いて提出しろってことだろう。
受け取って枚数を数えてみると、用紙は10枚ほどあった。
呼び出しを無視したせいかいつもより多めだけど、この程度なら30分もかからない。
「いつものことだから言われなくても解かるだろうけど、反省文を明日までに提出しなさい」
「おっけー。すぐ書くからちょっと待っててね」
「……すっかり反省文を書くのに慣れちゃって」
私は筆記用具を取り出してからすぐに反省文を書き始める。
先生はそんな私を黙って見つめていた。
「それで、どうして授業をサボったりしたの?」
「サボりたかったから」
「答えになってません」
今こうして私が反省文を書いているのは、この間午後の授業をサボったからだった。
たいして理由なんてない。ただ、なんとなく授業を受ける気分になれなくてサボっただけだ。
授業がつまらないわけでもなく、悩みがあるわけでもなく、学校に不満があるわけでもない。
ただ、自分の思うがままに生きる。
この世に椎葉光希という自分が生まれて、今まで貫き続けていることだった。
(んー、なんて書こうかな……深く反省しています、と。今後は真面目に勉学に励み――)
反省文には適当な理由を考えて心にもないことをスラスラと書き殴っていく。
正直に書いたらまた怒られそうだし、真面目に書かないと後で書き直しさせられて面倒だからなぁ。
「――はい、できた。これでどう?先生」
出来上がった反省文を手渡すと、彼女は神妙な顔をして原稿用紙に目を通していく。
最後の一枚までびっしり書いた反省文を読み終えた先生は、丁寧に揃えて机の上に置いた。
「…いつもどおり見事な反省文ね」
「えっへへ」
「急いで書いたわりに字は綺麗だし、文の構成も要点も上手く纏めてある……」
それはもう20分かけて作った力作ですからね。
今回の出来は今までになく気合の入った反省文になったと思っている。
自分の仕事に満足して誇らしげに胸を張ると、なんだか疲れた顔をして溜息を吐かれた。
「ごめんね先生。いつも迷惑かけちゃって」
「そう思っているのなら、問題を起こさないでくれると嬉しいな」
「はーい善処します」
「もう…その顔は全く反省してないよね」
悪びれない私を見て、先生は諦めたように微笑む。
普通の先生なら怒鳴られているかもしれないことをしているのに、この人は煩く叱ったりしない。
私に非があるのだから先生がそれを咎めるのは当然のことだけど、絶対に頭ごなしに怒ったりはしないのだ。
彼女はどんな生徒のことでもちゃんと“解かろうとしてくれる”。頭の固い教師が多いこの学校では珍しいタイプの先生だった。
まだ若くて教員暦も浅いからかもしれないが、いつも全力で一生懸命に頑張っている姿は好感が持てる。
頑張りすぎて空回りすることも多く一部の生徒からは舐められてたりするけど、問題児である私に対しても真摯に接してくれるから嫌いじゃない。
改めて思えば1年生の時も、そして2年生である現在も彼女が担任だというのは幸運なことなのかもしれない。
この先生のおかげで、私はこうして自由気侭な学校生活を楽しめているんだから。
「反省文も書いてもらったし、一応注意はしたから今日の生徒指導はこれで終わり。それから今後は真面目に学校生活を過ごすこと。いい?」
「はーい!」
「いつも返事だけはいいんだから」
「おっ、まだ門限まで時間あるし駅前のクレープ屋に寄って帰ろうっと~♪」
「こ、こら!寄り道しないで真っ直ぐ帰りなさいっ」
「へいへーい。今日はおとなしく帰りますよー」
椅子から立ち上がり、鞄を掴んで先生に背を向ける。
ドアを開けてから振り返り、片手を振った。
「それじゃ先生、また明日ね!」
「うん。気をつけて帰るのよ」
生徒指導室を出てから、ドアを閉めた。
いつもなら遊んで帰るところだけど、さっきおとなしく帰るって先生に言っちゃったしな……今日は真っ直ぐ帰ろう。
下校時間を過ぎているせいか誰もいない静かな廊下を歩いていると、窓の外から運動部の元気な掛け声が聞こえてきた。
気になって覗いてみると、陸上部と思わしき部員たちがグラウンドを走っている。うーん、青春だね。若いっていいね。
部活には興味がないので私は帰宅部だが、楽しそうに活動している部員たちを見てると部活も悪くないかもって思えてくる。
まあ……それでも部活に入りたいとは思わない。私が入部しても、どうせすぐ飽きるしサボって迷惑をかけるだけだろう。
(それに、今のままで満足してるしね)
部活なんかしなくても、学校は楽しい。
休み時間に友達と馬鹿みたいな会話をして盛り上がり、眠くなるような授業を受けて、時々やんちゃして先生に怒られて。
どこにでもある、ごく普通の高校生活かもしれないけれど、そんな毎日が私はとても楽しい。
「あ、まだ帰ってなかったんだ?」
考え事をしながら外をずっと眺めていたら、さっき別れたばかりの植田先生が通りがかった。
私が何を見ているのか気になったのか、隣に並んで同じように窓の外に視線を向ける。
「陸上部ね……誰かを見ていたの?」
「ううん、ただなんとなく見てただけ」
「そうなんだ」
それっきり、しばらく言葉を交わさずに2人で外を眺めていた。
「日が暮れちゃうから、早く帰ったほうがいいよ」
「先生もこれから帰るんでしょ?……ついでに車で送ってくれたら嬉しいなぁ」
「うっ」
上目使いでお願いしてみると、先生は少したじろいでから困った表情をした。
植田先生は生徒に頼りにされるとなかなか断れないことを、私は知っているのだ。
「……み、みんなには内緒だからね?」
「やった!先生大好き!」
「調子いいんだから」
苦笑していたけど、満更でもなさそうな先生と一緒に昇降口へ歩いていく。
職員用の駐車場に止めてあった先生の車に乗りこんで、自宅へと送ってもらったのだった。