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WP&HL短編集+スピンオフ  作者: ころ太
WP&HL短編集
10/45

HL番外編 これからの日々へ挨拶を 前編


 

慌ただしかった二学期が終わり、待ち焦がれていた冬休みになった。

『約二週間の休みを有意義に過ごしましょう』というお決まりの言葉と共に、山のような宿題を担任から渡されてしまったが、

厳しくも優しい友人たちの協力もあり、たったの二日で終わらせることが出来た。

後顧の憂いは絶たれたので、あとはのんびりと家で休暇を過ごすのみ。好きな時間に起きて、あったかい部屋で何もせずごろごろして、

好きな時間に寝る。これこそ、有意義な時間の使い方だろう。休日とは本来、休むためにあるものなのだから。


だがしかし。心から自由を満喫する為に、私にはもうひとつやるべきことがある。

今年の冬休みには、宿題よりもさらに厄介な問題を乗り越えなければいけなかった。

残念ながら、家でのんびりするのはそれを終えてからということになる。貴重な休みを費やすのは辛いが、こればかりは逃げ出すわけにもいかない。


「はあ」


寒空の下で、白い息を吐く。

溜息を吐くと幸せが逃げると言われるけれど、私の場合は身に溜まった不幸を吐き出しているので問題はない。

そう言うと屁理屈だなんだと周囲は呆れてしまうのだが、息を吐くとほんの少し気が軽くなるのは事実だと思っている。

なので吐き出した不幸が他人に移らないように、なるべく人前でしないように努力はしているつもりだ。

長年の癖みたいなもので、意識せず出てしまう時もあるけれど。


「……はあ」


ちなみにこれは溜息ではない。体内の空気の入れ替えだ。いつも吸っている空気と違うから、落ち着かないのだ。

自然豊かな地元の空気に慣れてしまっているせいか、どうも都会の空気に違和感を感じてしまう。

昔は都会寄りの街に住んでいたはずなのだが、すっかり田舎の環境に染まってしまったようだ。6年も経てば、当然のことなのかもしない。

今、自分がいる場所は住んでいる静かな田舎町ではなく、新幹線で数時間のところにある煌びやかな都会だ。

立ち並ぶ高層ビルや道路を埋め尽くすほどの人の波に圧倒され、半日に及ぶ旅の疲れもあって着いて早々ダウンしてしまった私は、

駅の近くにある比較的人の少ない場所のベンチに座り、体力を回復すべく休憩している最中だ。

休むなら外ではなく暖房の効いた喫茶店にでも入ればいいのだろうが、とにかく人混みだけは避けたかった。

人が多い場所は苦手だし、なにより体質のこともある。旅の恥は掻き捨てということわざもあるが、面倒な事になるのはまっぴらご免だ。

とにかく。暇で死にそうだけれど、待ち人が来るまでここでひたすら大人しくしていたい。


「あのぅ~、今、お暇ですかぁ~?」

「暇じゃないです」


大人しくしていても、厄介事はやってくる。

地元ではあまり見ない今どきのお洒落な格好をした女性が、甘ったるい猫なで声で話しかけてきた。

わざわざ人の波から外れて一人にしてくださいオーラを発していたつもりなのに、何の躊躇いもなく近寄ってくるとは思わなかった。

こっちくんなとは言えないから無言で威圧してみたけど、全く意に介さずニコニコしている。勘弁してください。


「実は暇なんですよね?」

「暇じゃないです」

「でもぉ、ぼんやりしてるじゃないですかぁ」

「ぼんやりするのに忙しいので、暇じゃないです」

「なにそれマジうける~」


あははそっか、マジうけちゃったか~。……なんでなの? なんでうけちゃうの?

ていうか誰だろうこの人。初対面なんですけど。用がないなら可及的速やかに離れてほしいんですけど。


「うちさ~バイト行く気なくてバックレたからさ~今すっごく暇なんだよねぇ」

「はあ、そうですか。暇ならバイト行けばいいんじゃないですかねぇ」

「きゃはは、キミ面白いねー!そんなこと言わずに遊ぼうよぉ。あ、外は寒いからさぁ、ホテルで暖かくなることしよっか」


え、怖い。都会の女の子、超怖い。自然な流れで隣に座ってくるし、腕を掴んで擦り寄ってくるし、上目使いでねっとりと見つめてくる。

おまけに胸元が開いた服を来ているから角度的に膨らみが少し見えているのですが。まあ、わざとなんだろうけど。

とどめと言わんばかりに彼女は私の耳元に口を寄せ「キミ、うちのタイプなんだよね。一目惚れしちゃったかも」と甘い声で囁いた。

ここまでされたら、大抵の男は誘いに乗ってしまうだろう。彼女の容姿や行動は、それほどの魅力に溢れている思う。

だが生憎と、自分には関係のないことだ。


「せっかく誘ってくれたのに悪いんですけど、私は女ですよ」

「え……えっ?」


少しだけ髪は伸びたけれどまだまだ短いし、中性的な顔つきだとよく言われるうえに今日はモッズコートにパンツスタイルというボーイッシュな装いだ。

そんな身なりをしているのだから、間違われるのも無理はない。


「うっそ! マジで!? こんなカッコいい顔してるのに!?」

「本当に女ですよ、これでも一応。だから暇を潰すなら友達でも誘うかバイトにでも行ってください。

 あと余計なお世話かもしれないけど、適当に知らない男を誘うのはやめといたほうがいいですよ。危ないから」


何をどう楽しむかは人それぞれで、初対面の私が口出しすることではないけれど、自分の身体はもう少し大切にして欲しいと思う。


「それと、寒いならこれあげます」


ポケットに入れていた使い捨ての懐炉を取り出して、彼女に渡してあげる。さっき開けたばかりだから、もうしばらくはもつだろう。

勝手に勘違いしたのは向こうだが、誤解されるような自分も悪い気がしたので、懐炉はせめてもの償いだ。

誤解が解けた以上、私に構っても無駄なだけだから適当にどこかに行ってくれるだろう。面倒事が起こる前に解決して良かった。


「……感動した。うち、キミの優しさに感動した!!」

「は? え、はぁ?」

「もうこの際、女でもいいよ! 優しいし顔もタイプだしさ! それに女同士っていうのも興味あるかも。うん、そうと決まればホテルへGO☆」

「いやいやいやいや」


やめてやめて、腕引っ張らないで。うわ、可愛い見た目に反して意外と力あるなこの人。

自分が非力なせいもあるけど、無理矢理ベンチから立たされてずるずると引きずられていく。

このままだと間違いなく連れ込まれて食べられてしまう。この羊の皮を被った狼さんに。……最初から欲望丸出しだったけど。


「ちょっと、待って下さいって! 大体、私は同意していませんし、それに、こっ、ここ恋人もいるわけでっ」


恋人という単語に慣れなくて、自分で言った言葉なのに照れてしまう。やはり慣れない言葉は言うもんじゃないな。恥ずかしいわ。


「大丈夫ダイジョーブ! 見つからなければ問題ないYO☆」

「人の話ちゃんと聞いてます!?」


だめだ、この人に何を言っても無駄だ。だからといって大人しく食べられるわけにもいかないので、必死に抵抗して彼女の腕を振り払う。

上手い具合に緩急をつけて力を入れたことが功を奏したのか、絡みついていた腕がするりと外れた。


「あっ!!」

「よしこのまま逃……げっ」


勢いがありすぎたせいで女性がバランスを崩し、後ろに倒れそうになったので、反射的に腕を伸ばして服を掴んだ。

そのまま自分の方に引っ張り、もう片方の腕で支えようとして。――――ほら、案の定、やらかした。

肩を掴んで支えようとした手は、あたかも狙ったかのように女性の立派な胸を捉えている。見事に、鷲掴んでいる。

こうなることぐらい、彼女が倒れそうになった時点でわかっていた。何度も何度も繰り返したことなのだ。

でも仕方がないじゃないか。頭で解っていても、体が勝手に動いてしまうんだから。そういう馬鹿げた“体質”なんだから。

しかし今回はこれでいいのかもしれない。これで彼女も自分を変態だと認識して離れていってくれるだろう。

そう思えばビンタや拳の一発ぐらい貰っても我慢できる。殴られても痛くはないが、気持ちの問題なのだ。


「やん、口では嫌がっても体は正直なんだからー! でもぉ外じゃ恥ずかしいから早くホテルに行こうよぉ」

「なんで!?」


まさかの逆効果に開いた口が塞がらない。

驚きのあまり呆然としていたところに再び彼女の腕が絡んできた。この人、タコかイカの親戚かな?


「キミ……あ、そうだ。まだ名前聞いてなかったね。なんていうの?」


もうやだおうち帰りたい。まだ何も成していないのに、心が折れ始めていた。いや、流石にまだ帰らないけど。

どうして自分はこうも上手く対処できないんだろうかと、いい加減疲れてきて溜息を吐こうとした時、空いていた手がそっと握られる。

ほのかに暖かくて柔らかい感触と優しい力加減で、誰の手かすぐにわかった。


「お待たせしました」


ようやく待ち人が来てくれた。助かったと思うのと同時に、奇妙な罪悪感が湧いてきて少々気まずい。

いやでも私は何もしていな……くもないけど全然そんなつもりはなくてだからこれは違うんですごめんなさい。

様々な言い訳が頭の中で湧いてくるけど、私が何かを言う前に彼女――柚葉は、いつものように微笑んだ。

あ、わかってますよって顔してる。なんか申し訳ない。


「わあー金髪だ! 目が青い! もしかしてガイコクのひと!? どうしよ、うち英語苦手なんだけど!」


今さっき完璧な日本語で喋っていたし、話すなら英語じゃなくてフランス語だ。

女性は彼女のことを日本語の喋れない外国人と勘違いして動揺していたので、柚葉が私を軽く引っ張ると簡単に腕が離れた。


「ごめんなさい。これから大事な用事がありますので、失礼しますね」

「あ、ちょっと!」

「じゃ、そういうことですから。あと、バイトは行った方がいいですよ」


女性の静止を振り切って私たちはこの場を離れる。後ろから「にーほーんーごーだー!」と叫び声が聞こえたけれど無視だ無視。

ああ、でもようやく解放された。追いかけてくる気配はないので、諦めてくれたんだろう。

思い返せばホテル云々は冗談で、私をからかって暇を潰していたのかもしれない。


「千晴さん」


あの騒がしい人が完全に見えなくなってから名前を呼ばれた。

繋いだままの手に、ほんの少し力が加わる。


「用事が終わったら、一緒に服を見に行きましょうね。千晴さんは可愛い服も似合うんですから」

「あ、はい」


いや絶対似合わないって。そう言っても聞かないだろうから、今は余計なことは言わずに黙って頷いておく。

せめて目立たない地味な服を選んでくれることを祈っておこう。フリフリしてフワフワした服をおすすめされたら泣いて土下座する覚悟だ。


「それより普通の私服でここまで来たけど、良かったのかな。やっぱり正装の方が好印象だと思うけど」

「大丈夫ですよ。父も母も堅苦しいのは苦手なので、普段着で問題ありません」


うーん、アレでしょ。『私服でお越しください』って求人票に書いてあったのに、いざ私服で面接に行ったらどうしてスーツを着て来なかった

んですかって怒られるアレと同じなんでしょ。

柚葉も普段通りの恰好だけど、彼女は私と違い、自分の実家に帰省するわけだから服装を気にする必要はないのだ。


「そんなに気負わないでください。ただ、私の親に会うだけなんですから、いつも通りでいいんですよ」

「いや、ただ会うだけじゃないから緊張するっての。……まあ、その、認めてもらわないと、いけないんだし」


人の多い場所が苦手な私がわざわざ都会までやって来たのは、柚葉に想いを告げたあの日、約束したことを果たすためだった。

あの日の約束とは、婚約者として柚葉の両親に挨拶をすること。つまり、お嬢さんを私に下さいという例のアレをやらなければいけない。

だから緊張するなと言われても無理だ。会う前から緊張しすぎて胃が気持ち悪いし、吐きそう。


「あ……はい。そう、ですね」


柚葉も、両親とは仲違いをしているのだから少なからず緊張しているのかもしれない。

そんな彼女を支えたいと思ったから、覚悟を決めてここまで来たのだ。自分がしっかりしなくてどうする。


「なるようになる、と思っておこうか。上手くいかなくても、諦めなければいいだけなんだから」

「はい」


嬉しそうにはにかんで、身を寄せてくる。……寒いからね。風邪ひいたらいけないからね。仕方ないよね。うんうん。

などと心の中で言い訳をしつつ、くっついたままでいることにした。こうしてると暖かいけれど、顔が熱くなる。

相変わらず情けなくて臆病な自分だが、逃げなくなっただけ進歩しているのだろう。多分、だけど。ほんの少し、かもしれないけど。


「一緒に来て下さってありがとうございます、千晴さん」

「…………」


もしかしたら、思っていたよりもずっと欲深くなっているのかもしれない。

ずっと失うかもしれない可能性に怯えていたはずなのに、それよりも欲しいと思う気持ちが強くなっている気がするのだ。

これが、前向きって、ことなんだろうけど。自分が求めていることとか、これ以上のことを考えると限界が来て逃げ出す自信がある。

深く考えるのはまだやめておこう。未熟な私にはまだ早い。


「千晴さん?」

「なんでもない。ところで、柚葉の実家って駅からそんなにかからないって聞いていたけど……」

「はい。もう目の前です」

「は」


目の前にあるのは、高級感が漂うご立派な超高層マンションだけだ。え、もしかして、ここ? こ、ここなの? 本当に?

冗談ですよねと柚葉に確認してみたら、本当ですよと苦笑いが返ってきた。なるほど、ここが柚葉さんのご実家なんですね。

都心で、しかも駅から徒歩数分の好立地、こんなところに住めるのはお金持ちだけだろう。あ、そういや彼女の実家は裕福だって聞いてたっけ。

まさかここまでとは思っていなくて腰が引けた。いけない、ご両親に会う前からこんな調子じゃ先が思いやられる。


「このマンションの最上階に、私の家族が住んでいます」


やめて。追い打ちをかけないで。

そびえ立つマンションを見上げて途方に暮れる。

一体このマンション、何階建てなんだろう。数えるのも馬鹿らしいので、気にしないことにした。


「それじゃ、行こうか」


本番はこれからなのだ。入口の手前で立ち止まっている場合じゃない。気を引き締めて、マンションへ入る。

中に喫茶店やらマーケットがあることに驚きつつ、エレベーターに乗って最上階へ。

柚葉の話によると、他に専用の病院やジム、保育所や娯楽施設などもあるんだとか。もう何でもありだな。

エレベーターを降りると広い空間があり、観葉植物や高そうな置物が並べられていた。

そして豪華な装飾がついた頑丈そうな扉を開ければ、そこが柚葉の実家なのだろう。

うわああ、どうしよう、着いちゃった。緊張しすぎて心臓が痛い。物理的に痛くないけど、精神的に痛い。


柚葉がインターホンを押すと、間もなくしてドアが開いた。と同時に、誰かが飛び出してきて彼女に抱き着く。

金髪の髪をポニーテールにしたご婦人が、彼女をぎゅっと抱き締めて頬を寄せていた。


「おかえり! ようやく帰ってきてくれたわね、ユズハ! 待ってたのよ!」

「……ただいま帰りました、エディスお母さん」

「しばらく見ないうちにまた綺麗になったわね! あら、後ろにいるのはもしかしてチハル!? チハルでしょう!?」

「は、はい。初めまして、天吹千晴です」

「やっぱり! 貴女のことはユズハから聞いていたわ! ずっと会いたいと思っていたの!

 私の名前はエディス・ルヴァティーユ。ユズハの母親よ」


蒼い瞳をキラキラさせて今度は私に抱き着いてきたと思ったら、遠慮なく頬に頬をくっつけてきたので吃驚して身体が跳ねた。

あ、ああ、これってもしかしてフランス式の挨拶なのかな。熱烈な歓迎に圧倒されて、もう頭の中が真っ白になっている。


「お母さん、千晴さんが困っていますから程々にして貰えると助かります」

「ああいけない! チハルは日本人だものね、驚いたわよね」


ようやく抱擁から解放されて、安堵する。随分と陽気でパワフルなお母さんだなぁ。

柚葉と折り合いが悪いと聞いていたので、もっと気難しい人だと勝手に想像していたのだが、凄く優しそうでいい人みたいだ。


「そうそう、あの人も貴女たちのことをずっと待っていたのよ! 早く会ってあげてちょうだいね。

 その前に、この子のことも紹介しないと……隠れていないでいらっしゃい、アル」


玄関の奥の角に、金色の髪と蒼い目をした、小学生くらいの小さな女の子がいた。

奇妙なものを見る目で、こっちを訝し気に見ている。

母親に呼ばれた少女は、とことこと小さな足取りでこっちに来てくれた。


「私の娘で、ユズハの妹のアルレットよ。仲良くしてあげてくれると嬉しいわ。まだ、上手に日本語を喋れないけれど」

「は、はい。えっと、初めまして、天吹千晴です。よろしく、アルレット」

「……Je deteste que vous etes」


いきなり抱きしめる挨拶は難易度が高いので手を差し出してみたものの、ぷいっと顔を背けて拒否されてしまった。

初対面で速攻嫌われてしまったみたいだけど、これ、大丈夫なんだろうか。私、何か嫌われるようなことしたっけ。

フランス語で何か言われたみたいだけど、あまりいい言葉ではなかったのだろう。柚葉の顔が険しいから、多分そうだと思う。


「アル」

「…………っ」


嗜めるような口調で名前を呼ばれたアルレットは、目に涙を浮かべてこの場から逃げ出した。

どうしよう。私、あの子と仲良くなれるんだろうか。


「ごめんねぇ。あの子、人見知りなのよ」

「いえ、いいんです。自分も、似たようなものなので。できれば、後でまた話してみたいと思います」


褒められる態度ではなかったけれど、特に気にしていない。むしろ何故か懐かしさを感じた。

お互い人見知りだから、あの子に親近感でも湧いたのだろうか。


「ありがとチハル。あんたは良い子だね!」

「うっ」


またハグされた。お国柄なのか、この人がスキンシップ過多なのか解らないが、心臓に悪いので勘弁して貰いたい。

美人でグラマーな上に、柚葉の家族だから触れられると余計に緊張してしまう。


「お父さんは部屋ですか?」

「リビングで待っているわ。私たちに大事な話があるんでしょう? さ、行きましょうか」


エディスさんに案内され、リビングに辿り着く。……ここ、リビング、だよね。なんか凄い広いけど。家具屋さんのフロアとかじゃないよね。

玄関も立派で広かったけれど、ここはさらに何倍も広い。驚くことに疲れたので、掃除は大変そうだなぁなどとどうでもいいことを考えていた。

置いてあるものはどれも高級品だろうから、壊さないように気を付けて歩く。わ、あの大きいテレビ何インチあるんだろう……と、そのすぐ傍にある

ソファに腰かけている人がいた。短い金髪に濃い蒼の瞳、線は細いが威厳のある風貌をしている。

彼は私たちに気付くと、ソファから腰を浮かせて静かに笑みを浮かべた。


「おかえり柚葉。久しぶりだな」

「……ただいま帰りました。お父さん」


柚葉は厳しい表情で、父との再会を果たす。

エディスさんの時はぎこちなさはあったけれど、それでもまだ親しみはあった。

けど、父親の時は違う。明らかな嫌悪を彼女は持っている。こういう負の感情を表に出す柚葉を見るのは、二度目だ。

母親のエディスさんや妹のアルレットと打ち解けるのは時間が解決してくれそうだが、父親と仲直りすることは、簡単にはいかないのかもしれない。


「それで、キミがアマブキチハルかい?」

「はい。私が、天吹千晴です」

「ふむ。挨拶が遅くなって申し訳ない、私が柚葉の父のオーギュストだ。いつも娘が世話になっている」

「いえ、お世話になっているのは私の方で……柚葉…さんには助けてもらってばかりです」

「そうか。迷惑をかけていないのなら良かった。とにかく、よくここまで来てくれたね」


着席を促されたのでソファに座る。隣には柚葉、正面にはオーギュストさん、その隣にエディスさんが座っている。

アルレットは拗ねて部屋から出てこないらしいので、この4人で話し合うことになるようだ。

目の前のテーブルには飲み物が置かれているが、手を付けるのも躊躇してしまう。

緊張して喉が乾いているけれど、何をやらかしてしまうかわからないので迂闊に手を出すのが怖かった。


「柚葉、そちらの暮らしはどうだ? 学校は楽しくやれているか?」

「特に問題ありません。町の人たちも学校の皆も良い人ばかりです」


変わらず柚葉の返答はそっけない。オーギュストさんもエディスさんも慣れているのか、彼女の態度を気にしていないようだった。

柚葉とその両親を見ていて思ったことだが、どうやら不仲というわけでもないらしい。

会話聞いていても父親と母親は娘のことをちゃんと想っていることが伝わってくる。

ただ、柚葉が一方的に父親を拒んでいるのだ。その理由は聞いたことはないが、なんとなく察することができる。


「こっちで一緒に暮らす気はないか?」

「ありません」

「取り付く島もないな。まったく、一度決めたら譲らないところまであいつに似るとは」

「っ、貴方の口から母のことを聞きたくありません」


強い声で言ったその言葉が、推測を確信に変える。柚葉は自分を生んでくれた母親のことが大好きだった。

きっと、その母を捨てて今の母を選んだことが許せないのだろう。


「ねえ、チハル! 貴女の好きな食べ物はなにかしら」

「え? あ、エビフライが好きです」

「そう! なら、今夜はエビフライをたくさん作るから、いっぱい食べてね!」

「あ、ありがとうございます」


重い空気を振り払うように、エディスさんは笑顔で嬉しいことを言ってくれた。

いつの間にか晩御飯を頂くことになっているが、向こうがご馳走してくれるのなら遠慮するのも失礼かもしれない。

すると柚葉が、遠慮気味に手を上げる。


「あの、お母さん。私も手伝いますから、作るときは呼んでください」


エディスさんは目を丸くして柚葉の方を見ている。そしてすぐに目を輝かせ、嬉しそうに破顔した。


「ユズハがそんなことを言ってくれるなんて、とても嬉しいわ!」


離れていなければ歓喜のあまり熱烈なハグをしていたことだろう。それくらい彼女はとても喜んでいる。

柚葉も歩み寄ろうとしているのだ。今はまだぎこちなくても、母親との確執は意外となんとかなりそうだった。

あとは父親と妹のことだけど……まずは、筋を通しておかなければならない。

彼女の支えになる為には、同じ土俵に上がらなければ意味がないのだ。家族の問題に、他人の私が踏み込むわけにはいかない。

間違えてしまえば、柚葉の頑張りが全て台無しになってしまうかもしれないけれど、それでもこれから先、彼女と一緒にいる為には必要なことだ。

太腿の上に置いていた手の上に、そっと彼女の手が重ねられた。――うん、大丈夫。何があっても、この温もりは手放したりしない。もう、手放せないのだ。


意を決して、真っ直ぐ正面を見る。

彼は私の意気込みを感じたのか、佇まいを直して表情を引き締めた。



 

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