考える人?
昼休み。
仕事を切り上げ何人かのクローニング・ヒューマニティが休憩室に入って来る。
皆、先にいた私を見ても何の反応も示さず各々のロッカーへ向かう。その中に談笑しながら入って来るクローニング・ヒューマニティがいた。
サラとベアトリーチェだ。
二人は廊下で会ったのだろう、それぞれの担当の話で意見を交わしている様に見えた。
その二人と視線が合う。いつもは少し遅めに来る私が先にいた事に二人は何かを察したようだ。
ちょっと気まずい空気を感じる。私は苦笑いをして二人が来るのを無言で待った。
テーブルを占拠したかたちのところには誰も来ないので、二人は空いている椅子に座ると素直に疑問をぶつけてきた。
「何か問題でもあったのですか?」
「慎さんの機嫌を損ねたの?」
二人とも同じような事を聞いてくる。しかも当たっているだけに返す言葉が出てこない。
私の雰囲気でなんとなく事情を察した二人は、互いに顔を合わせてその原因を聞いてきた。
「……慎さんと何があったの?」
さすがはクローニング・ヒューマニティ、私の状態から何があったのかをきっちりと予測する。
言葉に詰まる私を見て二人はさらに追求してきた。
「もしかして、タブーに触れてしまったとか?」
「質問に対する答え方が不適切だったとか?」
ここで二人の意見が分かれる。
サラは深入りし過ぎた事を予測し、ベアトリーチェは対処の仕方を誤った事を予測した。
(……判断材料が少ないのに、よくそこまで予測できたわね……)
二人の分析能力の高さに私は舌を巻いた。ひょっとしてクローニング・ヒューマニティって探偵向き?
ふとそんな事を思ってしまう。まぁ、私も同じ事ができるんだろうけど、知らない人ならその分析力を目の当たりにすればそう思うはず。
(……答えが違うのは、経験の差かしら?)
私は二人を見比べて率直に思った。この二人ならきちんとした解決策を授けてくれる、と。
「……実はね、慎君とひょんな事から恋のお話になって……」
私は会話の一字一句をありのままに、慎君の表情や変化などできる限りその時の詳しい状況を説明した。
二人は私の話を真剣に聞き、それぞれにその状況を分析する。分析結果が出るまで私はジッと二人の顔を見る。
(ドキドキするわ)
やっぱり、私の出した答えと同じかな?
そうだったなら、どう対処していけばいいのか二人に聞いてみよう。
無表情に分析する二人を静かに見守る。どんな答えになるのか、そればかりが私の頭の中でぐるぐると回っていた。
二人が分析結果を出すまで、時間にしてみると五分にも満たなかった。
しかし、たったそれだけの時間が長く感じられるほど、私の心はひどく落ち着きを失っていた。
焦っている。
いったい何に焦っているのかはよくわからなかったが、とにかく私の心はモヤモヤしたものでいっぱいだった。
二人の視線が何故か痛く感じて、まともに目を合わせているのが少し辛い。
この様な事象の対策マニュアルなんてないんだから、混乱しても仕方無いなどと内心言い訳したりして気分を無理矢理落ち着けようと試みる。
そんな無駄な試みをしていると知ってか知らずか、二人はさらっと同じ事を口にした。
「――八割くらいの確率で、それは恋だと思います」
「――ずばり、それは恋よ!」
やっぱり……。
私の出した答えと一致した。さらにベアトリーチェは言葉を続ける。
「……すごいじゃない。人間に恋されるクローニング・ヒューマニティなんて、そうそういないわよ……それも短期間で慎さんの心を奪っちゃうなんて、博士達が知ったら目の色変えるわね……」
意味深な発言。博士達の目の色が変わる?
「……これは博士達には秘密にしておいた方がいいわね。下手をすれば研究の一環として疑似恋愛させられる恐れがあるから……」
そう言うベアトリーチェの表情は険しくなる。
「……博士達はクローニング・ヒューマニティ研究のためなら、患者一人の心など平気で踏みにじれるはず。もし疑似恋愛なんてしたら、慎さんの心はきっとボロボロになってしまう。だから、この事は出来る限り秘密にして、さらにレイさんにその気が無いなら早めに振ってあげるべきよ」
言っている事の意味はよくわからないが、他の人に知られると慎君を傷つけてしまう恐れがあるのね。
それに慎君に対して自分の気持ちをはっきりと伝えてあげる、というわけね。たしかに、うやむやなまま慎君の心に期待や不安を抱かせるは良くない。
(……人間って大変ね……)
人間はこんな経験を何度も繰り返し生きているんだ、と思うと改めて人間の凄さに感心した。
ただ生きるのでさえ大変なはずなのに、その上、人との関わりや交わりに思い悩ますなんて……これじゃあ、精神的なストレスは相当なものになるだろう。
それを鑑みると、この様な施設で私達クローニング・ヒューマニティが人間学習の一環で患者達の心のケアをする理由も頷けた。
「人間って難しい……」
私はこの間ベアトリーチェが話してくれた言葉の意味を痛感した。
私達が親身になって彼等の心をする事。これが如何に両者にとって重要なのか、その真意がわかった様な気がした……。
結局、あれから慎君は中庭に戻って来なかった。よって私は何もする事が無くなり、その日は午後を休憩室で時間を潰す事となった。サラと二人で施設を出る。外は夕焼け色に染まり、あちらこちらに街灯の明かりが灯りはじめる。
ここは市街地より若干離れたところにある地域なので、この辺にはまだ人の手が加えられていない箇所がいくつもある。
まぁ、平たく言えばちょっとした田舎と言えよう。
道行く人の数は少なく、少し栄えた商店街までもう少し歩かなければならない。
私達が住むアパートは商店街を挟んだ向かい側にあるので毎日買い物をして帰っている。
一気に買い込めばいいと思うのだが、サラいわく「新鮮な食材を調理した方が美味しいから」とその時々に必要なものしか買わない。
その言葉の裏に私はただ単に買い物が好きなだけなんじゃないかと思ったりするけど……サラの楽しみだし余計なツッコミは控えよう。
――商店街の人々は、多種多様な個性に満ち溢れている。客商売だからどこも首尾一貫した対応かと思えば、店によってその対応はまるっきり違った。
堅苦しい対応のところもあれば、気さくというよりも友達感覚で対応してくるところもあって、ただお店を見てまわるだけでも楽しかったりする。
もしかすると、サラはこの個性溢れる人間達の生き生きとした姿を見るのが好きで、毎日の様に商店街に立ち寄っているのかもしれない。
だったらすごい勉強熱心だ。ただ見てまわる私には、そこまで考えて行動なんて出来ない。
もしかして、この辺の“物事に対する視点”や“状況分析の観点”が不完全な私と完全なクローニング・ヒューマニティとの違いなのかな?
だから、表面的なものしか見ていない私は慎君の言葉の本質を理解できずに不用意に傷つけてしまったのかもしれない。
(……考え方とかが人間寄りなのかな?)
私は、他のクローニング・ヒューマニティにして見れば、少し思慮深さが足りないようだ。気をつけよう。
「――レイさん、何を考えてるんですか?」
不意にサラが声を掛けてくる。
声を掛けられて私は、八百屋の前で立ち止まっているサラに知らず知らず離れて行っている事に気付いた。
「……ごめん」
私は現実に戻りサラに駆け寄る。そして、少し心配そうな表情で見つめるサラに謝る。
「……ごめんね。ちょっと妄想してたわ」
笑いながら胸中の思いを誤魔化す。しかし、サラから見ればそれはバレバレだったみたいで、優しく微笑むと何も言わずに頷くだけで特に詮索してくる事はなかった。
恋、それは人を好きになる事。どのデータを見ても同じ様な意味しか出て来なかった。
夕食を食べた後、部屋に戻った私はベッドに倒れ込みボーっと天井を眺める。
(……クローニング・ヒューマニティのくせに私ってバカだなぁ……)
慎君の気持ちを配慮できなかったあの時の事を思い出して後悔の念で心が痛む。
せっかく心を開いてくれたのに、また閉ざしたらどうしよう。
もっと相手の立場に沿って物事に対峙していかなきゃダメね。自分の浅はかさが、短絡的な思考が恨めしく思えてなんだか情けなく感じる。
明日から気を引き締めていこう。もっと深く分析して、慎君の気持ちを理解していこう。
私は明日の対面に不安を抱きながらも、前向きに考える様にして今夜は少し早めに眠る事にした。