尽きない疑問
『データファイル0074:ハート・システムによるクローニング・ヒューマニティの思考パターンおよび心理・生理的な変化についての考察』
パソコン画面にズラリと並んだやたら難解な論文を一字一句、脳裏に焼き付ける様に凝視する。
それには“感情”という不安定要素を持ったクローニング・ヒューマニティの思考パターンや行動パターンについての研究成果や報告、著者の見解などが述べられている。
そして、著者―矢神隼人―が何故危険を承知で“ハート・システム”をクローニング・ヒューマニティに組み込んだのか、などという言い訳もしくは弁明の様なものまで書かれていた……。
今、私は毎日の日課となっているデータファイルの閲覧をしている。
これらの情報を見る事で『自己』を知る手掛かりを得ようとしているのだ。
落雷によりプロテクト機能を喪失した事でクローニング・ヒューマニティの基本的知識すら欠如した私にとっては、この日課は欠かせないものとなっている。
これまでに得た情報を整理すると、クローニング・ヒューマニティはクローン人間よりも人間に近い生命体である事がわかった。
それは製造過程において遺伝子操作を施すため、その個体にオリジナルとは違った特徴“個性”が発生するためだという。
それは性格だけではなく、外見的特徴がオリジナルとはかなりかけ離れた、似ても似つかないものになってしまうからだ。
というのも、クローン人間との区別はもとより、外見上まったく同じ人間がオリジナルよりも優れていたら、それだけで混乱や事件が発生する恐れがあるからだろう。
ちなみにクローン人間は本体―細胞提供者―と外見上はまったくの同一である。
これはクローン生成における複製体製造条件に『クローン人間は、不慮の事故で亡くなった者および、国家もしくは関係機関における重要かつ特殊な許可を得た人物の“再生”のみに適応される』とあるからで、クローン人間とはオリジナルのコピーを指すのだ。
これについては倫理上の観点から宗教関係者や人権保護団体から相当な非難を受けている。それでもその必要性が高いのか、クローン人間の数は年々増えていたりする。
(……クローンは失われた本体の身代わり、ってわけね……倫理上の問題はあっても存在意義はちゃんとあるし、必要としてくれる人がいる。では、私達クローニング・ヒューマニティは誰かに望まれて生まれてきているのだろうか?)
便宜上は『人間をサポートするため』に生を受けている。
だが、実際に公的な施設で人間のサポートをしているクローニング・ヒューマニティは一人もいないのだ。
それは何のため?
何かしらの意味はあるのだろうか?
しかし、現実の人間社会で活動するクローニング・ヒューマニティはほぼ皆無に等しい……つまり、私達の存在理由というのがまったくもって謎だらけなのだ。
生まれてきた意味がさっぱりわからない。
「……レイさん、夕食の時間です。冷めないうちに食べに来て下さいね」
ノックとともに、ドア越しにサラの声が聞こえた。
「はーい」
私は返事をするとファイルを閉じてパソコンの画面を切り替える。
まず無いがサラに見られるのは避けたかったから。
私はお腹が空いていたので、すぐに部屋を出ると食欲をそそる匂いに導かれる様にリビングへ向かった……。
サラは家事全般の達人だった。
まぁ、それは学習能力の高いクローニング・ヒューマニティだから当たり前といえば当たり前なのだが。
それでもはじめから何でも出来るわけではない。
クローニング・ヒューマニティといえども生まれた時から万能ではないのだ。
料理ひとつとってもサラ自身のたゆまぬ努力があるからで、そのプロ級と絶賛できる料理の腕もサラが努力して身につけたものである。
いくら学習能力が高くとも活用せねば宝の持ち腐れ、というやつなのだ。
「う~ん、サラって料理の天才だわ!」
今晩の献立はカレイの煮付けに豚の角煮、野菜サラダにスープ……ごく一般的かつシンプルなものだ。しかし、何故か絶品。味はもとより、見た目も綺麗で栄養バランスもしっかり計算されている。
「……サラは良いお嫁さんになれるわね」
そう言って箸でカレイの身を骨から綺麗にはがし取る私。
この煮付けも程良く味がしみてるうえに独特の臭みもない。
しかも特筆すべきはまったく身崩れしてないところだ。
普通なら、皿に盛りつける時や中まで火が通る様に切り込みを入れる飾り包丁の部分から身崩れするのにそれがまったくなかったのだ。
なんでも魚屋さんに行って魚の捌き方を教わって家で練習したという。なんて家庭的なんだろう。
「レイさん、そんなに大袈裟に褒めないで下さい。恥ずかしいじゃないですか……」
サラは私の褒め言葉に照れた表情を浮かべる。
(……サラは、男の理想の女性像の体現ね……)
私にはサラの様に家事を完璧にこなす事はちょっと無理だ。
だから、彼女こそまさに文句のつけどころもない完璧なクローニング・ヒューマニティ、いや、女性と言っていいと思った。
実は、最初のうちは当番制で家事を分担していた。だが、今ではサラにすべてを任せっきりにしている。
もともと人の世話をするのが好きなのか、誰かに何かをしてもらうと落ち着かないという。
クローニング・ヒューマニティらしいと言えばそれまでだが、サラの世話好きはちょっとそれを越えたものがあった。だからといって、さすがに何もしないでいるわけにはいかない。
私は食事の後片付け手伝う。
隣で歌を口ずさみながら食器を洗うサラ。その姿は実に楽しそうに見えた。
(……完璧な主婦ね……)
こうして見ると、サラってなんだか人間っぽいかもしれない。
テキパキと後片付けを済ませ、お風呂の準備と明日の支度をする。
サラの行動はホント規則正しい。
間違いなく立派な主婦になれる……私はそんな事を思いつつ、お風呂に入ってサラにおやすみの挨拶をして部屋に戻った……。
パソコンの画面とにらめっこ。さすがに目が疲れる。だが、クローニング・ヒューマニティに関するデータは私達に渡されただけでもとてつもなく膨大な量だった。
それでも研究所に管理されているデータのごく一部、というのだから文句なんて言えたものじゃない。
なので私は黙々とパソコンをいじり、自分達のデータを集める……って、自分を調べるというのも変な話だ。
調べても調べても、疑問は一向に尽きる事がない。
毎日のにらめっこも、実はあまり役に立っていないのでは……そう思う今日この頃である。
……今日もまた、いつもの場所で慎君と会う。
もしかして、晴れの日はいつも中庭のベンチにいるのだろうか?
「慎君、おはよう」
私が声を掛けると、慎君の表情はスイッチが入った様に様変わりする。
「おはよう、レイさん」
隣に座る私の顔を見て笑顔に変わる。その笑みが他の人に向けられる事はない。
「慎君、今日は何を読んでるの?」
二人の会話は、慎君の読んでいる本の話題から入る。
いつもの何気ない会話。
こんな話でも少年の興味を引くのか、この当たり障りのないセリフから私達の一日は始まる。
「……あ、これは『ムーンライト・ベヴン』っていうマンガだよ。けっこー面白いんだ……」
慎君は読書が好きでジャンルを問わずなんでも読む。
慎君は施設の図書室から毎日一冊ずつ本を借りて読んでいる。ここの図書室は元々クローニング・ヒューマニティの学習のために様々なジャンルの本が数多く置かれており、一般向きの本もあるとはいえ常人で毎日借りに来る者は慎君しかいない。
昨日はなんとか、という人の詩集を読み、今日はマンガ。
この文学少年の幅広い知識には正直、驚きを隠せないものがある。
慎君は繊細な感受性の持ち主の様だ。
その豊か過ぎるとも言える感受性が、少年の繊細な心を傷つきやすいものにしているのかもしれない。
「レイさんは、何か趣味ってある?」
「……趣味?」
「うん。いつも僕の話ばかりだから、レイさんの話も聞きたいな……」
慎君はそう言って、熱のこもった眼差しを私に向ける。
人間不信の慎君が人に関心を抱くなんて、なんだか不思議な感じがする。
私はサラとの共同生活の話を面白おかしく話す事にした。
「……私の話、ねぇ……じゃあ、私の家での面白エピソードを話してあげる。私、サラっていう娘……あ、もちろんクローニング・ヒューマニティよ。その娘と暮らしてるんだけど……」
テキパキと家事全般をこなし良妻賢母ぶりを発揮するサラに対抗して、料理を作った私が調味料の分量を間違ってしまい、とてもじゃないが食べられない料理を作って泣く泣く二人で食べた事や、洗濯物を干す時に下着までベランダに干してしまい、しかも強風で飛ばされサラと必死になって取り込んだ話などの私のトホホなエピソードを話した。
「……という事があったのよ」
慎君は、私の間抜けっぷりを聞いて腹を抱えて笑う。
嬉しい反面、なんだか空しい。
それでもこの少年の笑顔が見られるなら、少しくらい笑われてもいいかな。
「……へぇ、そんな事もあるんだぁ」
ドジなクローニング・ヒューマニティというものが珍しいのか、慎君はいまだに思い出しては笑っている。
たしかに、高い学習能力と冷静な分析・判断力を併せ持つクローニング・ヒューマニティがケアレスミスをするなんて、通常はありえない事である。
それ故に慎君の反応は当たり前なのかもしれない。
「レイさんってホント、面白いねぇ」
屈託のないその笑顔は、本来の彼そのものなのだろう。
こうして見ると、慎君は無邪気な少年だと心底思う。
そんな彼には癒えない痛みがある。その笑顔を曇らせる痛みが……。