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人間を知り己を知る

 

 

 ……慎君との交流により、少しずつ『人間』を学習する私。

 相変わらず中庭のベンチで読書をたしなむ慎君に声をかけると、私の方を向き明るい笑顔で挨拶してくれた。

 だが、私は声をかけるまで無表情だった少年の変化に少し戸惑った。

 人間の豹変ぶりは、クローニング・ヒューマニティには理解し難いものだったから。

 それでも慎君の笑顔を見れてホッとしたのも事実だった。

(……慎君は私を友達だと思っていてくれた……)

 主任の許可をもらい施設の入所者データを見せてもらった私は、慎君の入所理由を知り彼の人間不信が意外に根深い事を知った。

 この施設に入所しているからには、何かしらの心の傷を持っている事はわかっていた。

 その問題解決に彼の情報が必要だったので、私は施設の入所者データの慎君のデータファイルを開いたのだ。

 そこに記載された情報を見た私は『人間』の闇を垣間見た――。

 

 

 『入所者データ0024:小野寺慎おのでら・しん』:2018年12月29日生まれ。両親と三人家族の長男。2035年2月入所。2033年、両親が離婚し父親の元へ。同年、父親・小野寺政志おのでらまさしが再婚。その後妻・瑞希みずきとその娘・たまきとの四人暮らしが始まる。はじめは良好な家族関係だったが、父親が海外出張に出た頃から義姉・たまきによる性的な虐待を受け始める。さらにその関係を知った後妻・瑞希みずきもそれに加わり、彼への虐待はエスカレートしていった。その事態が発覚したのは彼の幼馴染みである秋野日向あきのひなたの通告によるもので、彼女が過去我々の施設の入所者だった経緯があったため、政府機関の助力を受け家族の承諾を得た事により彼の入所が決定した。

 

 

 ……家族による虐待。いくら血がつながらないとはいえ、母と姉から性的な虐待を受けた慎君の心の傷は、かなり深刻であると言えよう。

データファイルにも治療難易度が最高レベルの10と記載されている事でもその傷の深さは伺い知れた。

(……慎君は人間、しかも女性に対する不信感は相当強いはず……クローニング・ヒューマニティとはいえ、同じ女の私に彼の傷は癒せるのかな?)

 慎君の隣に座り、自分の存在がこの少年に与える影響について考える。

 本を閉じ、私の顔を見て無邪気に微笑む彼の姿に悲壮な雰囲気を感じてならない。

(……彼の笑顔は本物なのか?)

 そう思うと胸が痛んだ……。

 

 

 昼休み。

 この時間は、私達クローニング・ヒューマニティにとって唯一の休み時間である。

 主に入所者との触れ合いという仕事のメインなのだし『人間学習』がこの施設に通う使命なので、クローニング・ヒューマニティ達にとって休憩は不要なものである。

 しかし、専門のカウンセラーとの面談や外来の専門医(矢神や山崎などの研究者。彼等は精神・心理学の博士号を修得している)の診察などがあるため、入所者達は昼から2、3時間の間私達と会う事ができない。

 そのため、その空いた時間でクローニング・ヒューマニティ達は、自分の担当する患者の話をして意見を交換していた。

 その話し合いの場で新人である私とサラは、先輩にあたるクローニング・ヒューマニティでヨーロッパの研究施設から日本へやって来たベアトリーチェと話をする事になった。

 彼女の研究チームは所長が死去した際に解散、施設が閉鎖されたので日本で『人間学習』を行っている。

 意外かもしれないが、日本は世界で最もクローニング・ヒューマニティ学が進んでおり、アメリカに次いで施設の環境が充実していたし、アニメの影響でクローニング・ヒューマニティに対する偏見が比較的少なかった。

 それらの理由でベアトリーチェの引き取り先が日本になったのだ。

 彼女は日本に来て約二年。もともと遺伝子操作により人間より遙かに知性が高いクローニング・ヒューマニティにとって、言葉の弊害など一切ない。

 目覚める前の睡眠学習により、主な言語を覚えてしまうからだ。

 落雷事故により不完全な私だけはその限りではないが……。

 ベアトリーチェはクローニング・ヒューマニティの中では最も私に近い存在だった。

 他のクローニング・ヒューマニティよりも感情が強く、その表情からは生き生きとした輝きがあったのだ。

 そんな彼女はいまだに所属(就職)先が決まらないため施設にいるが、何人もの入所者を社会復帰させている非常に優秀なクローニング・ヒューマニティだった。

 私は慎君について彼女の意見を聞いてみた。

 なんでも慎君の入所のきっかけになった人物・秋野日向の担当が彼女だったからだ。

「……慎さんはひなたのお友達だったのね……それを知っていれば慎さんの力になれたのに……」

 彼女は慎君と日向が知り合いである事を知らなかった様で、私の話を聞いて驚きの表情を浮かべた。

「……ひなたも私に教えてくれればいいのに……」

 ベアトリーチェは頬を膨らませ、日向が彼の事を教えてくれなかった事に愚痴をこぼした。

「――えっ?」

 その反応を見て私とサラは驚きの声を上げた。

 通常、クローニング・ヒューマニティが人間に対して文句を言う事はない……はずである。

 クローニング・ヒューマニティは、人間に対して尊敬と慈しむを持って接する様に『プログラミング(暗示)』されているから、ベアトリーチェの反応は私達の想像を遙かに越えるものだったのだ。

 そんな私達に構わず彼女は話を続ける。

「……ひなたは私の親友なのに、施設から出たら関係は終わりなの? そんなの、悲しすぎるわよね……」

 ベアトリーチェは少しいじける仕草で溜め息をつく。

 人間とクローニング・ヒューマニティの友情の儚さについて考えているのだろうか?

 彼女からはそんな空気を感じた。

「……あ、あの……ベアトリーチェさん? そんなに落ち込まないで下さい……ひなたさんにも事情があったはずですよ……」

 サラは戸惑いながらもベアトリーチェに慰めの言葉をかける。だが、その口調には明らかに困惑の色がみえた。

「……事情があっても、なんでも話してくれるのが『親友』じゃない? いくら言いにくい事でも、私を信じて言ってほしかったわ……ああ、ごめんなさい。愚痴をこぼしてる場合じゃないわね? 今は慎さんの事を話してたのよね……」

 ベアトリーチェは話が脱線した事に気づき、気持ちを切り替えて真面目な表情に戻った。

「……それでレイさんは、彼の事実を知ってどうしたいと思ってるの?」

「えっ?」

「レイさんの気持ちよ……たんなる同情や使命、任務でしかないなら、たとえ何をしても効果はないわ。彼に対する慈しむ心が強くなければ、心のケアは望めない。人間の心はとても敏感よ。心からの慈しみ、愛情を注ぐ心はある?」

 ベアトリーチェの口調は優しかったが、その言葉の裏に隠された意味を知り私は答えに詰まった。

(……私の気持ち……)

 そこまで深く考えていただろうか?

 信じた者に裏切られ、傷つき、苦しんでいるから、それを救いたいというのは……ただ慎君の立場を言い表しているだけで、私の気持ちが見えていない。

 ベアトリーチェの言葉はそれを認識させてくれた。

(……私の気持ち……)

 私は慎君に対して、どう思ってる?

同情か、使命か、任務か、私の心に慎君に対する慈しむ心はあったのか?

 考えれば考えるほどわからなくなる。

 クローニング・ヒューマニティが悩むなんて……私は慎君に対しての気持ち、どの様に接していけばいいかを考えると、はっきりとした答えを導く事ができずに苦悩した。

「……レイさん、今の気分はどう? 答えが出なくて困ってるでしょ?」

 ベアトリーチェには心が見えているのか?

 私の気持ちを見透かしている様だった。

「……あなたの気持ちは正しいわ。人間の心は、私達の様に物事を冷静な判断で、簡単に割り切る事なんて出来ないの……人間は理性よりも感情で生きているから、相反するたくさんの心を、矛盾を抱えている。だから、理屈ではわかっていても、割り切る事が出来ず、悩み、苦しみ、そして傷つくのよ……」

 その言葉に私は『重み』を感じた。

 経験した者にしか出せない重み……ベアトリーチェの言葉には、何人もの人間の心を救った者の深く、そして限りなく慈しむ心があった。

 心に刻もう。

 私とサラはその言葉を厳粛に受け止める。

 なんとなくだが『人間学習』の本当の意味を知った気がした。

「……難しい話はこの辺にしましょう。あまり悩まないで、ゆっくりと『人間』を理解していけばいいわ……人間の心は、私達からしてみれば理解し難い、矛盾した感情の固まりだから、少しずつ学習するしか理解する方法がないもの……」

 そう言ってベアトリーチェは微笑んでみせる。

 その笑顔には先程の真剣さの欠片も、重厚な雰囲気もまったく感じさせなかった……というよりも脳天気に見える。

 真面目なのか、不真面目なのか。彼女の本質がわからず私達は昼休み中、終始ベアトリーチェのペースに振り回される事になった……。

 

 

 午後から慎君に対する接し方が少し変わった。

 目に見えた対応ではなく、慎君に対する気持ちをより深く考える様に努めたのだ。

 それだけでも慎君の気持ちが前よりも見えた気がする。

 慎君の言葉や仕草をより観察する事によって、慎君の伝えたい事が少しずつ理解できる様になった。

 ……相手の立場になって考える。たぶん、この状態で接したからなのだろう。

 私は、慎君といろんな話をしていくうちにある事に気付いた。

 人間を知る事により、自分の事もより理解できる様になる、と。

 私に彼の心が救えるのだろうか?

 それにはまず、彼の心の痛みを知らなければならないだろう。

 しかし、彼の傷に触れてもいいのか?

 まだまだ深い話ができる仲ではない。

 そう思うとなかなか突っ込んだ話が出来ず、私の心はやり切れない気持ちでいっぱいになった。

 

 

 




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