心の交流
私は隣で読書に没頭しているこの少年がなんとなく気になった。
少し話をしてみたい。
そう思った時、私は少年に声を掛けていた。
「……ねぇ、名前教えて? お話しようよ?」
少年は私の言葉に反応しない。聞こえてない?
いや、そんな事はない。私を無視している。
何故?
すべての関わりを拒絶するかの様なその態度に、私は疑問ばかりが募ってくる。
「ねぇ、きーこーえーるー?」
耳元で囁く。これで聞こえるはずだ。
「……」
少年は心底嫌そうな表情で私を見た。
「……何?」
ぼそり、と呟く。
「話そうよ? 私、ここに来たの初めてなの。だから、最初に出会ったあなたと仲良くなりたいの」
笑顔で返す私。
自慢じゃないが私は人間達の美的感覚から言えばかなりの美人だ。
まぁ、そう造られたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
少年は私の微笑みにも反応がなかった。
(……普通の人間なら、喜ぶんだけどなぁ……)
男は美人の笑顔に弱い。たしか研究所で見たデータファイルにそう書かれていた。
初対面の人相手にはまず微笑むべし。
クローニング・ヒューマニティの基本行動通りにしたのに、少年はさほど興味を持ってくれなかった。
(……ちょっとショックね……)
少年は興味無さげに私を見る。
「……慎」
ぼそっ、と一言。
「……シン? ……しん? 新? 真? 信? ……漢字でどう書くの?」
頭の中で瞬間的に『しん』という漢字が浮かんできた。
いっぱいあり過ぎて検索不能。さっぱりわからない。
「……え? 慎は慎ましい、の慎だよ……」
私の反応がおかしかったのか、少しだけ少年の表情が変わった。
「……慎ましい……控えめ、しとやか、遠慮深い……だったかしら? 慎だけなら……誠意を持って事に当たる、だったっけ?」
私は浮かんでくるイメージから必要そうなデータを引き出した。
「……そうだね」
「やったー、正解ね。じゃあ、慎君、お話しましょ?」
私は慎君の方に少しだけ近付いた。
たしか50センチまでは警戒範囲外のはず。
近すぎず離れすぎす、警戒心を与えず、なおかつ間に入って来れない距離。
なんか、意味が違う様な気がする。
だが、慎君はいくらか私に興味を持った様だ。
「……いいよ」
「わーい」
「……子供?」
「そうだね。私、生まれて間もないから」
私はこの子とうまく話せそうな気がして嬉しくなった。なんてったって、人間では初めての友達。
私はこの子を通して人間を学ぶのだ。
そう思うと嬉しかった。
「……慎君、さっきから何を読んでるの?」
慎君が夢中になって読んでいる本が気になり質問してみた。
(……私、好奇心の固まり?)
人間の『おばさん』みたいな詮索ぶりに少し反省。
しつこい者は嫌われる。気をつけなきゃ。
「……え? これは『冬の奇跡』という実話を元にした本だよ」
「……ふ~ん」
(……『冬の奇跡』ねぇ? データにあったかしら……)
せっかくだから、この話で盛り上がろう。
私は必死に『冬の奇跡』に関するデータをかき集めた。
『冬の奇跡』……難病を患い心を閉ざした少女が、周りの献身的な介護により生きる事の素晴らしさを見つける物語。
(……あれ? 心を閉ざしたって……)
慎君も、心を閉ざしてるんじゃないの?
だったら私と話なんかしないか?
おかしいなぁ?
(……なんか、矛盾を感じるわねぇ? 慎君は心を閉ざしてないんじゃない?)
わざわざ自分と同じ境遇の子の話に興味なんて持つのかなぁ?
でも、人間は多くの矛盾を抱えて生きる生き物だって言うし、私の考え過ぎかな?
あまり無駄な事は考えない方がいいわね。
私は慎君との会話に戻る事にした。
「……実話ね? 難病に苦しむ少女の心の成長を描いた物語でしょ?」
「そうだよ! よくわかったね? やっぱり、クローニング・ヒューマニティだから?」
共通の話題を持った事で心の距離が近付いたみたいね。
「そうよ。すっごいでしょ?」
私はわざと胸を張って威張った。こうした方が話も盛り上がるでしょ?
「威張れる事じゃないと思うよ?」
気のせいか慎君の表情が緩んでいる様な気がする。
「そうかなぁ?」
「そうだよ。クローニング・ヒューマニティなんだから、知ってて当たり前でしょ? お姉ちゃん、面白いね? ホント、クローニング・ヒューマニティなの?」
どうやら人間っぽいところが慎君の心を開いてくれたらしい。いや、まだ完全には開いてないか?
(……でも、最初に比べればだいぶ進展したんじゃないかなぁ?)
慎君の言葉に活力を感じる。
先程までの抑揚のない声と比べてると、彼の言葉には感情の波があった。
「……あら? 慎君には私が人間に見えるの?」
「……い、いや、そ、そういうつもりで言ったわけじゃ……」
困惑した表情でモゴモゴと呟く。
「……ふふ、いいのよ? 褒め言葉と受け取っておくから」
「え? あ、どうも……」
慎君は少し照れた様で俯いてしまった。誤魔化す様に顔を背ける。
(……けっこー感情豊かね~? コロコロ表情変わって面白いわ……)
もちろん、クローニング・ヒューマニティに比べてだけど。
想像していたよりも心を閉ざしていなかったので、私は正直ちょっと拍子抜けした。
やっぱり人間は感情豊かね。私達とは比べものにならないわ。
「……さて、と。慎君、どうして外に出てるの? 施設の中の方が涼しくない?」
「一人が、好きなんだ……」
慎君は俯き加減に言った。
「……あまり人と関わりたくないんだ……」
寂しそうな目。過去に何かあったのかな?
私は慎君の気分が沈んでゆくのを感じた。
「人間不信?」
「……うん」
「そっか……ごめんね? じゃあ、私といるのも辛い?」
私は俯く慎君の横顔をじっと見た。
慎君は私の方を向くと首を振ってそれを否定した。
「……レイさんは面白いからいいよ……」
「……それって、ほめてるの?」
いたずらっぽく笑って慎君に微笑む。
目が合うと少し顔を赤らめて視線を逸らした。
照れてる?
もしかして好印象を与える事に成功したかな?
(人間不信、か……私は人間じゃないから、クローニング・ヒューマニティだから接しやすいのかな?)
いやいや、もっと前向きに考えよう。慎君は私に少しでも心を開いてくれたんだ。
いっぱい話せば、きっと仲良くなれる。
私の人間学習はまだ始まったばかりだし、焦って行動しても慎君の心を閉ざしてしまうだけだ。
ゆっくり、じっくり仲良くなっていこう。
「……じゃあ、その面白いお姉さんともっとお喋りしましょうか?」
「……う、うん」
慎君は読みかけの本を閉じて脇に置いた。そして、空を見上げると深呼吸する。
慎君の顔に不安と照れが交差していた。
何を話していいのか迷っている様にも見える。もしかして、緊張している?
(……何か、きっかけがないと駄目なのかな?)
こっちから話題を振った方が良さそうね。突っ込んだ話は避けよう。
「……慎君は、いつからこの施設に入っているの?」
ちょっと微妙な気もするけど他に話せる話題がない。
慎君は少し考えてから答えた。
「……半年前からいるよ」
「私が生まれる前からいるんだね? この施設は居心地いい? 私、まだ来たばかりだから全然わからないのよね?」
暗い雰囲気にならない様に明るく話した。
「……居心地はいいよ。あまり干渉して来ないから……」
(……ふーん、そりゃそうよね。クローニング・ヒューマニティは人間の嫌がる事はしないもんねぇ……では、私もあまり干渉しない方がいいかなぁ? でもそれじゃあ、人間学習はできないわね……)
人の心は難しい。私は改めて思った。
『人間は感情の動物だから、理屈などでは計る事はできない』
それが、私達クローニング・ヒューマニティの人間観。
なんでも機械的にデータ処理するクローニング・ヒューマニティには理解できないもの『感情』を持つ人間の心はやっぱり難しい。
慎君を見るとそれがよくわかる。
一方では干渉されるのを拒絶し、一方では他人との関わりを欲している。
ホント、人間って難しい。でも興味深い。
「……慎君、遊ぼうか?」
「え?」
「体を動かして遊ぼうよ?」
「……はぁ?」
慎君は拍子抜けした表情で私を見た。
「ほら! 若いんだから、いこ!」
私は慎君を立たせて中庭を走り出した。
慎君は私に手を繋がれているので、引っ張られる様に後を走った。
「考えるより行動よ!」
こうすれば悪い考えは浮かばない。
とにかく動く。私は後先考えずに中庭を走り続けた……。
他に何をしたわけでもなく走りまわった私達は、地べたに寝っ転がり沈む夕日を眺めていた。
「……う~ん、風が気持ちいいね?」
何も考えずに走った事で、慎君の表情が少し明るくなっていた。
(……少しは元気になったみたいね)
「そうね? 風が涼しくて気持ちいいわ~」
そう言って私は伸びをする。
「……レイさんってホント面白いね? 一緒にいて楽しいよ……」
慎君は少し照れた顔して口を開いた。
「……これからも、一緒に遊んでくれる? いい?」
「もちろん、いいわよ」
「ホント?」
「嘘はつかないわ。明日も慎君と一緒にいるわ」
「……ありがとう……」
そう言うと慎君は初めて私に笑顔を見せてくれた。
(……どうやら、気に入ってくれたみたいね? これって、友達っていうのかな?)
陽が沈み星が出て来た。そろそろ施設の中に戻らないといけない。
「じゃあ、明日も会おうね!」
私達は指切りをして約束を交わすと、施設の中に戻って行った。
――慎君はいい子だ。
そんな彼の心の傷ってなんだろう?
私に慎君の心を癒す事ができるだろうか?
帰り道、サラと歩きながら私は一人考え続けた。
人間学習とは別に『友達』として彼の心の傷を癒す。
私にできる事。
人ならぬ者にできる事を考えながら、明日は何をしようか考えを巡らせ帰途に着いた……。