人間と人形
サラと暮らして一週間が経った。
今日から“集団生活テスト”が始まる。
私は研究所の人間以外の人と交流がなかったので、期待と不安で胸がいっぱいだった。
買い物などはすべてサラがしてくれていたので、私は外にすらあまり出ていなかった。
見た目はほとんど人間であっても、初めて他人と接するという事もあり、自分の顔や姿が気になり鏡の前で髪を整えたり、意味無く笑顔の練習などしてしまう。
自分でも緊張しているのがわかる。
「……サラ、緊張しない? 私、人間と接するの初めてだから、すごく緊張してる……」
私は普段と変わらないサラを見て不思議な気持ちでいっぱいだった。
「レイさん、緊張しなくても大丈夫ですよ?」
サラは笑顔で私の肩に手を置く。
「……ほら、こんなに固くなって、肩の力を抜いて下さい。疲れますよ?」
そう言ってサラは私の肩を揉んだ。言われてみると、確かに肩に力が入っていた。
このままでは福祉施設に行っても、きちんとした対応ができない。
私は頭の中を切り替える事にした。
相手は心を閉ざした人間だ。誠心誠意接しないと心を開いてはくれない。
これから向かう福祉施設は、このアパートから徒歩で行けるところにある。
サラの話だとこの福祉施設はクローニング・ヒューマニティの訓練施設も兼ねており、関係者以外の介護士はいないという。
さらに入所者も介護する者がクローニング・ヒューマニティである事も知っているという。
「レイさん、もしまだ緊張が解けないなら、手のひらに“人”という文字を三回書いて飲むといいらしいですよ?」
そう言ってサラは、自分の手のひらに文字を書いて飲む仕草をした。
「……これ、人間達がする“おまじない”ですって」
(……えっ? おまじない?)
私は、サラの口からとてもクローニング・ヒューマニティとは思えない言葉が出てきた事に驚いた。
まさか“おまじない”という非科学的な事象を信じているとでもいうのか?
ハートシステムというプログラムの効果なのか?
「……サラ、ありがとう。もう大丈夫よ」
まるで人間の女の子同士の会話だ。誰かが見たら、きっとそう思うだろう。
サラのおかげで気持ちの準備も整った。そして、私達は福祉施設へ向かう事にした……。
福祉施設は歩いて十五分程のところにあった。
見た目は、特にこれといった特徴もない普通の造りをしている。
入り口には『特別医療施設ヒューマン・ハートウォーム』と書かれたプレートがあまり目立たない様に壁の柱に張り付けられていた。
施設の中は少し肌寒く感じる。
人の姿が見えない。
ここの施設には入所者がいるはずなのに、中に入っても誰一人見かけないなんて不思議だった。
しばらく歩くと、廊下の突き当たりの部屋の前まで来た。
「……レイさん、これから更衣室で白衣に着替えて事務室へ行きます。そこで介護士から簡単な業務内容を聞いてから仕事に入ります」
サラはそう言って更衣室のドアを開いた。
部屋の中はロッカーがいくつも並んでいて、真ん中に小さなテーブルとイスが三つ置かれているだけのものだった。
私とサラは白衣に着替えて事務室へ向かった。途中、誰ともすれ違わないまま事務室の中へ。
事務室には男性が一人だけしかいなかった。
この施設は、外観から見ればかなり広い造りになっているのに、想像したよりも人がいない様だ。
男は集中しているのか、私達に気付かず黙々とパソコンの画面とにらめっこしていた。
「……失礼します。本日より、こちらの施設でお世話になるサラとレイです。主任の福室様でいらっしゃいますか?」
サラは丁寧な口調で挨拶する。
男はサラの言葉で気付いた様で、パソコンの画面から目を離しこっちの方を見る。
「……あ、そうです。僕が福室です……」
そう言って席を立つと、眼鏡のズレを直し私達の前に来た。
見た目はなんか頼りなさげな感じのする人だ。
「……話は矢神さんから聞いてます。この施設には、患者以外の人間は僕と三人の介護士しかいません。後はクローニング・ヒューマニティですから安心して下さい」
(……この人、眼鏡のサイズ合ってない……)
福室は眼鏡のズレを直しながら説明する。
この施設はクローニング・ヒューマニティの教育施設も兼ねている様で、従業員のほとんどがクローニング・ヒューマニティだそうだ。
医者は皆人間だが、他の病院から定期的に診察や治療にあたるため、私達の正体は知らないらしい。
しかも矢神や山崎も先生として診察に来るという。
「……仕事内容はいたってシンプルです。患者と話をして、彼等の閉ざされた心を少しでも開いてもらい、彼等の心を治療します」
(……話をするだけ? 本当に他にする事がないんだ……)
あらかじめ仕事内容は聞いていたが、まさか本当にそれだけだとは思っていなかった。
「……たぶん疑問に感じたと思うので説明しますが、この棟は事務課とあなた方、クローニング・ヒューマニティ関連の部屋しかありません。患者達は隣の棟にいますから、そちらの方へ行って下さい。いろんな所に患者がいるので、積極的に声を掛けて下さいね?」
福室はそれだけを言うと席に戻った。
この施設の患者は重度の人間不信であり、私達がクローニング・ヒューマニティである事を知っている。
人間を嫌って心を閉ざした彼等にとって、人間でないクローニング・ヒューマニティの方が安心できるらしい。
私とサラはさっそく患者のいる棟へ移動した。
そこは先程いた棟とはまるで違っていた。
大きな吹き抜けのせいか、全体的に明るい雰囲気を醸し出している。
壁には絵画が掛けられているし、所々にカラフルなベンチが設置されていた。
そんな雰囲気の中、違った空気を漂わせている患者達。
その対照的な組み合わせが妙な違和感を感じさせる。そんな彼等の中に何人か白衣を着た者が混じっている。
その仕草からすると、おそらくクローニング・ヒューマニティだろう。
「……声を掛けて仲良くする……これって要するにナンパみたいなもの?」
たしか、見知らぬ異性に声を掛けて仲良くなるのをナンパと呼んでいたはず。
「レイさん、少し違うと思いますけど……」
サラは苦笑した。
「……私達は別に恋人を探してるわけではありませんし、それに人を信じられない彼等にそういった下心があるとも思えませんから、とてもナンパとは呼べないですよ……」
「はは、そうなんだ……私の勘違いだね?」
私はなんだか、おかしくなって笑ってしまった。
(……男女間の事は、すぐ恋愛とかの方向に考えちゃうわね……気をつけなきゃ)
これが人間的感情なのか?
感情を持った私は、恋をする人間の考え方に近いのかもしれない。
「……ですから、あまり深く考えなくていいと思います。それでは、二手に別れて行動しましょう……」
そう言うとサラは、ベンチに腰掛けて本を読んでる患者の方へ歩いて行った。
(……さて、私も行こうかな……)
さっと辺りを見渡し、一人でいる患者を探す。
……いない。
そもそも、この施設の入所者はそう多くない。
話相手がいないので、とりあえず辺りを歩きまわる。
この棟は本当に明るい雰囲気で、見てるだけで不思議と気分が明るくなる様な造りになっている。
所々に設置されている絵画やモニュメントなども、見ていて心和む様な気がする。
それらに、何かしらの心理的効果でも施しているのだろうか?
広いフロアを歩くと中庭に通じる出入り口が見えた。
(……外に出て見ようかな……)
今日は天気も良いし、中庭に出ている人がいるかもしれない。そう思った私は思いきって外に出てみる。
目の前には、一面に芝で覆われた緑の空間があった。
中もそうだったが、ここにも不思議な形のオブジェがいくつもある。
中庭のベンチで本を読んでいる少年の姿が見えた。
(……いたいた。やっぱり、天気が良い日は外に出てるよね)
私は少年の方へ近付いて声をかけてみる事にした。
「こんにちは」
少年は私の方を見てビクッと体を震わせた。そして、私の顔をまじまじと見つめる。
……目をそらしたら、まずいよね。
私はそう思い、少年の顔を見つめた。
できるだけ友好的な態度で接しよう。笑顔、笑顔。
「はじめまして、私はレイ。今日からここでお世話になるの。よろしくね」
初めて人間と接するので、まだ少し緊張している。でも、表情は固くなっていないはず。
「……隣に座ってもいい?」
少年は頷くと少し座ってる位置をずらし、私の座るスペースをつくった。
「……どうぞ」
少年はそう言うと本を読み始めた。
(……無視? 私の対応、まずかったかしら?)
そっけない少年の態度に疑問を抱きながら、私は隣に座り少年の方を見た。
見た目は十代半ばくらいの一般的な高校生といった感じの少年だ。ただ、その姿からは気力というものを感じない。
無表情というか、その表情に生命力をあまり感じなかった。
なんだか、何もしてない時のクローニング・ヒューマニティっぽい印象を受ける。
感情制御されているクローニング・ヒューマニティは、何もしてない時は『人形』みたいにその場に留まっているから。
(……人形、か。人間達から見れば、私達もこの少年の様に見えるのかもね……)
私は、サラから聞いた人間から見たクローニング・ヒューマニティのイメージを思い出した。
(……なるほど。少し近付きにくいイメージはあるわね)
少年は私の存在をはじめから無かったかの様に本を読んでいる。
彼もまた、心に深い傷を持っているのだろう。
人との関わりを避けようとするその態度に、私は人と接する事の難しさを知った。
彼等の心のケアをするためには、彼等と接する上で人間の様々な特性を学ばなければならない。
私はこの施設がクローニング・ヒューマニティの人間学習の施設も兼ねている理由がなんとなくわかった様な気がした。