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尋問・後編

 

 

「――何故、無意味なテストを行おうと思ったんだ?」

 矢神は話を切り出した。その言葉からは心情を読み取る事が出来ない。

「心に傷を負った者と心が未熟な者……両者の心理状態がテストに向いていない事くらい容易に想像できるのではないか?」

 率直な疑問をぶつける。毎日カウンセリングを行っている福室主任が、高度な心理状態を計る疑似恋愛テストの人選を見誤るとは思えない。

 慎君の症状は他の患者よりも深刻なのだ。

 いくら私に恋愛感情を抱いたからといって、実験を行って正確な心理データが取れる可能性は低いと思う。

(……恋愛に疎い私でさえテストを行えば慎君の心が壊れる、って予測できる。様々な経験を重ねてきた“人間”である福室主任がそれを予測できないわけないのよ……じゃあ、何故それを承知で慎君に恋愛の許可を与えたの?)

 法を破ってまでテストを行おうとした理由。

 失敗の確率の方がはるかに高いペアでのテストに踏み切ろうとした理由。

 それは、矢神だけでなく私も疑問に思った。

 福室主任は悔しそうに歯ぎしりして矢神を睨みつける。

 その目には妬みの感情が表れていた。さらに己の不遇を嘆く悲しみの色も見て取れる。

(……嫉妬? 何に対して? 立場の違い? それとも才能の違い?)

 人間は他人と比べたがる生き物と何かの本で見たが、福室主任を見ていると“何か”に強い嫉妬心を抱いている事がよくわかった。

 おそらくは矢神たちに対する妬みなのだろう。

 通常、矢神たちにのみ許されている疑似恋愛テストを行おうとしたのだから、福室主任は同等の研究が出来る事を証明したかったのかもしれない。

 いつも穏和な雰囲気の福室主任が敵意を剥き出しにしている。この状況から見て私の推測は間違っていないと思った。

「質問に答えてください」

 矢神を睨みつける福室主任の腕をアンナが締め上げる。

「――うがぁぁぁ!」

 不意の攻撃に福室主任は悲鳴をあげる。だが、アンナは力を緩めようとしない。

「腕を折りますよ?」

 抑揚の無い声でアンナは福室主任の耳元で囁く。

 痛みで顔を歪める福室主任は、アンナの言葉に身体を強ばらせ首を大きく振る。

「――言う! 言うから、言うから力を――ああっ!」

 さらに腕を締め上げるアンナ。片手で完全に極まった腕を背に当て、そのまま福室主任を前へ押し倒した。

 床に投げ出される福室主任。腕を押さえ痛みに顔から汗が吹き出ている。

「アンナ、それくらいにしておけ。喋れなくなるぞ」

 見かねた矢神がアンナを制止する。

 このまま放っておいたら腕を折りそうだったためだ。

「かしこまりました」

 アンナは矢神の言葉に従い、倒れる福室主任に目を向けたまま動きを止める。

 その立ち尽くす姿が人形の様に見えて私は寒気を覚えた。

「……言うよ、なんで、テストをしようと思ったのか……」

 背後に佇むアンナの気配に怯えながら、福室主任は観念したかの様に口を開いた。

「……僕は、小野寺慎のカウンセリングを行っているうちに、彼の“異質さ”を発見したんだ」

 そう言うと福室主任は身体を起こし矢神に視線を向ける。

「彼は、身内からの性的虐待を受け、複数の人格を作り上げた。そして、耐え難い苦痛から逃れるため、彼は別人格にその苦痛を背負わせたのだ」

 福室主任はそこまで言うと私の方を見た。

「彼自身は心の殻に閉じこもり、誰とも交流をしようとはしなかった。しかし、彼女と出会った日から彼は“表”に出る様になったんだ。最初はわずかな時間だったが、彼女の話をしていくうちに少しずつ僕にも心を開いてきたんだよ」

 私の顔を見る福室主任は、興奮した様に言葉を続ける。

「彼女は発想力が人間に近いものがあった。クローニング・ヒューマニティらしからぬ彼女に触れ、彼は徐々に本心を吐露する様になった。僕はね、彼女になら彼が救えると思ったんだ。彼女と一緒の時は彼自身が表に出られる。だから、僕は疑似恋愛をさせようと決意したんだ」

 何かに取り憑かれたかの様に福室主任はまくし立てた。

 それを無言で聞く矢神。何かに思いを巡らせているのか、顎に指を当てて虚空を見つめる。

「それに、これは彼自身が僕に要求してきた事なんだ。疑似恋愛テストをしてほしい、と。彼自身の人格は正常なのだよ! 彼は、すべての心の傷を別人格に押し付け、己の欲望を満たそうとテストをエサに僕を誘ったんだ! だから、この試みは決して無意味なんかじゃないんだよ!」

 興奮に顔を紅潮させ、福室主任は腕を押さえながら言葉を区切った。

(……私といる時の慎君が正常? 慎君が自らテストを申し出た? そんな、バカな……)

 福室主任の言葉に私は愕然とする。

 驚くべき事実が有りすぎて私の理解の範疇を大きく逸脱していたのだ。

 福室主任の話がすべて事実だとすると、慎君は自己防衛のため別人格を作り、それに心の傷を押し付け自分を保っていた事になる。

 それだけなら理解できる。しかし、自ら疑似恋愛テストを要求するのは本来なら有り得ない事だ。

 何故なら、疑似恋愛テストは倫理的観点からトップシークレットに位置付けられているからだ。

 人外の者との人為的な恋愛。それは被験者の精神に大きな影響を与えるものだ。

 自然発生的な恋愛ならまだ言い訳も立つ。しかし、それを故意に行うのは人権侵害に繋がりかねない非常にリスクのある行為だ。だから、疑似恋愛テストは重要な研究テーマと成りうるのだ。

(……何故、慎君は疑似恋愛テストの存在に気づいたの? 一般人が専門の資料を見る事なんて出来ないし、まさか……ハッキングした? いいえ、それは考えられない。だって、何重ものブロックが施されているのよ? クローニング・ヒューマニティにだってハッキング出来ない代物を、ただの人間が出来るわけないわ……)

 理解不能な現実に私の頭は混乱する。

 慎君はいったい何者なの?

 読書好きの繊細な感受性を持つ少年じゃないの?

 記憶の中の慎君から想像する事の出来ない現実。

 私は、慎君の中にある何か“異質”なものに恐怖を覚える。いや、理解できない事が怖かった。

 

 

 福室主任の話を聞いた矢神は、ひとしきり考えを巡らせると溜め息をひとつ吐く。そして、ソファーに深く腰を沈め足を組むと、福室主任と私を交互に見て口を開いた。

「――わかった。確かに、福室主任の話が事実なら無意味とは言えないな。報告の義務を怠ったのは……本当はあまりよろしくないないが、その件について私に責める資格はないか」

 そう言って矢神は自嘲気味な笑みを浮かべる。

「ただ、レイに関しての報告は山崎にしないといけない。増してや疑似恋愛テスト……これはアンナの餌食になっても文句は言えまい。それに、人権問題に繋がりかねないから被験者自らが望もうとやはり報告した方が良かったな」

 淡々と話す矢神。どこか腑に落ちない。

 責任を問うのではないのか。

 話しぶりからは責める素振りがあまり見られなかった。

「……施設にあるデータはすべて消去した。外部に情報が漏れる事はない。よって、福室主任には疑似恋愛テストの放棄さえ約束してくれれば、この件はすべて不問にしたいと思う」

「――えっ?」

 意外すぎる言葉に私は思わず声が出てしまう。

 矢神は私の方を一瞥すると言葉を続けた。

「クローニング・ヒューマニティ学の世界は人材が少ない。製造はもとより関連する研究の人材も不足している。私はこれでも福室主任の才能を評価しているのだ、そんな貴重な人材を失いたくない。どうだろう、これまでの事はすべて“無かった”事に出来ないだろうか?」

 諭す様に語りかける矢神に福室主任は驚きの表情を浮かべる。

「ほ、本気か?」

「もちろんだ」

 福室主任の言葉に間髪入れず答える。

 どうやら本気の様だ。

「……アンナ、こういう結果になった事を山崎に伝えてくれないか?」

 矢神は福室主任の後ろに控えるアンナに向かって声を掛ける。

「かしこまりました」

 相変わらず抑揚の無い声で返事をすると、アンナは矢神に一礼して部屋を後にした。

 アンナがいなくなり福室主任は安堵の溜め息を吐く。よほど怖かったのだろう、汗を拭うと全身の力が抜けたのか床に倒れ込んだ。

「レイ、まだ疑問が残っているだろうが、ここはひとまず終わりとしよう。後で説明するから、お前も自分の仕事に戻れ」

 矢神は有無を言わさぬ勢いで話を終えると私に退室する様、目で訴えかける。

「……わかりました」

 しぶしぶ答えると私は部屋を出る事にした。

「では、失礼しました」

 ドアを閉め廊下に出て歩き出す。

 慎君が中庭で待っている。

 私は心の整理もつかないまま会う事に一抹の不安を覚えるも、それでも無性に会って話したい気持ちが勝り足早に中庭へと向かった。

 

 

 




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