尋問・前編
話も一段落し、私は部屋の時計に目を向ける。話題が話題だっただけに一時間くらい経ったかと思ったが、意外にもそれほど経っていなかった。
(……三十分くらいかな? 時間の流れが遅くなってるみたい)
重い話題なだけに感覚がいつもと違うのかもしれない。
そんな事を考えていると不意に着信音が鳴り響く。矢神の携帯電話か?
ポケットに手を入れ矢神は電話を取り出す。
その表情はいつものクールなものに変わっていた。
私は聞き耳を立てる。
矢神の対応はどこか機械的。淡々と指示を出すと話を切り上げ電話を切った。
「――レイ、証拠を押さえる事に成功した。それからここに福室主任が来る。尋問するからお前も見ておけ、奴からも小野寺慎の情報が引き出せるかもしれん」
そう言うと矢神はイライラした様子で机を指で叩きはじめた。
トントン、トントン。
いったい何に苛ついているのか?
しきりに机を叩く矢神の顔が先ほどまでのものと少し違う。
不思議そうに見る私の視線を感じたのか、矢神は机から手を離し苦笑いする。
「……ちょっと紛らわしかったか、すまんな。馬鹿を見ると無性に煙草が吸いたくなるんだ。ここに灰皿が無いのでイライラしていた……悪い癖だが、これだけはなかなか直せん」
「はぁ」
思わせぶりな態度に勘違いしそうになった。
そういえば初めてアパートに行った時も喫煙していたっけ。
馬鹿を見ると吸いたくなる……もしかして、あの時私も馬鹿だと思われていた?
「矢神さん、煙草は身体に良くないよ? 害しか与えないから止めた方がいいよ?」
ありきたりな意見だが、煙草を吸うメリットは何も無いので思わず口に出す。
健康に良くない。それに中毒性も高い。確かに吸った後に気分が良くなるのかもしれない。しかし、それは中毒症状が緩和されただけに過ぎない。
矢神ほどの頭脳があれば、それくらいわかるだろうに。
「ふふ、やっぱりお前もそうきたか……確かにそうだが、私も立派なニコチン中毒者だ。健康に悪いから止めろと言われて『はい、わかりました』とはならん。私は天の邪鬼なんでね」
悪びれもなく言う矢神だったが、機嫌を良くしたのだろう、口元が少し緩む。
「ははは、言って聞く人じゃなさそうだもんね」
私は皮肉を込めて言った。
今までの態度を見れば、矢神が人の意見を素直に聞くタイプじゃないとよく理解できる。
頭が良すぎるせいか、周りの人間をどこか下に見ているのだ。
(我が道を行く、って感じね。対人関係に気を配ったりした事ないんだろうなぁ)
周りの人間が矢神に振り回されているのが容易に想像できて、研究所の人間の気苦労を思うと私はちょっと気の毒に思った。
「その通りだ」
矢神は私の言葉に頷くと顔を綻ばせる。
「おかげで余計な対人関係に頭を悩まされる事が無くていい。私は馬鹿が嫌いでね、研究を邪魔されるとたまらなく苛つくんだ。だから、私を禁煙させたくば馬鹿を排除すればいい。はははっ」
そう言って矢神は声を上げて笑い出す。
「……はは、はぁ……」
まるで他人事の様な無責任な言い草。私は呆れるしかなかった。
「――矢神様、福室主任をお連れしました」
あまり意味の無い会話をしていると、ノックと共に女性の声がした。
「入れ」
笑顔から真顔に戻る矢神。
今まで談笑していた素の顔から科学者の顔へ急激な変化を見せる。
その変わり身の早さに私は度肝を抜かれた。
(素の時は面白いのにね……サラといる時は素なのかな?)
そんな事をふと思う。サラがあれほど慕う理由が他に見当たらない。
矢神は、自分の認めた相手には気さくなのかもしれない。
クールに見えて人間らしい一面がある。それが良いか悪いかは置いて、感情を見事に使い分けている人間は凄い生き物だと思った。
「失礼します」
「――いててっ、腕が、腕が折れる! アンナ、力を緩めろ!」
ドアを開け一組の男女が部屋の中に入って来る。
腕を掴まれ引っ張られてきた福室主任と、その腕を掴み連行するアンナと呼ばれる女性。
(……ん?)
アンナと呼ばれる女性と目が合った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
言いようのない違和感に私は身を固くした。
「矢神様、福室主任です」
アンナは抑揚のない声でそう言うと、福室主任の掴んだ腕を後ろに回し、空いた手を首もとに突きつけ抵抗できない様に矢神の前に立たせた。
「福室主任、抵抗したら首を捻ります。マスターから“許可”は頂いておりますので、どうか無駄な抵抗はなさらぬ様ご注意願います」
アンナは福室主任を背後から押さえ込み忠告する。その言葉に福室主任の顔色が真っ青に変わる。
「――ほ、本気か!?」
震える声で福室主任はアンナの顔を見た。
「……うっ」
感情のない無機質な目で見るアンナと目が合った福室主任は短い声を漏らす。
どうやら本気の様だ。もし福室主任が暴れようものなら、アンナは容赦なく福室主任の首をへし折るだろう。
その無言の圧力は見ている私にも伝わっていた。
(……確か、外で矢神が“山崎のアンナ”と言っていた。つまり、彼女は私の姉妹……お姉さんってわけね。それにしても物騒すぎだわ、でも逆に言えば山崎博士が許可を出さざるを得ない深刻な問題って事なのかもしれないわね……)
それだけ重大な問題なのだろう。わざわざクローニング・ヒューマニティを連れて来るぐらいだ。
私はこれからの福室主任の身を思うと、なんだか可哀想な気がして顔を見る事ができなかった。
「アンナ、ご苦労だった。これから福室主任と話をするので、それが終わるまでは抵抗しても始末しない様に。腕を折れば大人しくなる。それで構わないかな?」
こんな状況にも関わらず矢神は何食わぬ顔でアンナに話しかける。
クローニング・ヒューマニティに対して命令口調でない事に少し疑問に思ったが、目の前で残酷な場面を目撃せずに済みそうで私は安堵した。
「……かしこまりました」
矢神の要望を受け入れ、アンナは首もとに当てた手を下げる。その表情はあくまでも無機質なもので、何を考えているのか全く読み取る事が出来なかった。
これがクローニング・ヒューマニティの本来の姿なのか?
淡々と命令をこなす彼女を見て、私は自分が“異質な存在”である事実を改めて知る。
(よくよく考えてみれば、私の方が異常なんだよね……でも、あんな冷たい感じで人間のサポートが上手く出来るのかなぁ?)
端から見て恐怖すら感じる威圧的な雰囲気。そんな態度の人物が果たして人間との交流をスムーズに出来るのか?
なんか想像しようにも無理がある様な気がしてならない。
サラやベアトリーチェなら上手く交流できそうなのに。
もしかしたら彼女は人間との交流が苦手なのか?
(……人間に個性がある様にクローニング・ヒューマニティにも個性があるのかな?)
非日常的な光景に私は飲まれているのかもしれない。
今はクローニング・ヒューマニティの性格云々考えている場合じゃない。
私は視線を矢神に向ける。
福室主任を見る目には何の感情もなかった。ただ見ているだけの矢神の顔がなんだか不気味に映る。だが、福室主任はその視線に気おされる事なく睨み返す。
無言の二人。部屋が緊張に包まれる。
「――さて、福室主任」
黒い思念のこもった視線を受け流しながら矢神は口を開く。その声に皆の意識が自然と向いた。
いよいよ尋問が始まる。
部屋の温度が下がった様な気がして私は自分の身体を抱き締めた。