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大きな愛に包まれて

 

 

 廊下を歩いていると、通路の奥に見覚えのある姿を発見した。

(……あれは、山崎博士……)

 どうやら休憩室へ行く途中の様だ。

 やはり何かしらの用事があるのか、検査だけなら休憩室には向かわないはず。

 私は一瞬、悪い予感に身構えそうになったが、覚悟を決めて山崎博士の元へ駆け寄った。

「――山崎博士、お久しぶりです」

 周りに誰がいるかわからない。私は声のトーンを落としクローニング・ヒューマニティ特有の柔和かつ落ち着いた口調で声を掛けた。

「ん? レイ、今仕事終わったのか。ちょうど用事が終わってお前のところへ行こうと思っていたんだ」

 振り返ると山崎博士は私の顔を見るなり話し始める。

「どうだ、施設には慣れたか? それにサラとの共同生活は順調……レイ? お前、何かあったな」

 話し続ける山崎博士の顔が険しくなる。

 普通を装っていたのに何かを感じ取ったのか、私の顔をジッと見るとポケットから携帯電話を取り出した。

「レイ、ちょっと待っててくれ」

 そう言って誰かに電話を掛ける。その表情は深刻なものだった。

(……私はまだ何も言っていないのに……)

 山崎博士の態度から、私に何かあったんだと察した事がわかる。

 いったい、私のどこを見て判断したのだろう?

 不思議な気持ちでいっぱいだ。

「――レイ、待たせたな。今日はもう上がりでいいんだろう? お前の話を聞こう。とりあえず、ここを出た方がいいな。レイ、ついて来い」

 どこかに電話した山崎博士は、携帯電話をポケットにしまうと私の手を取って早足で歩き始めた。

「は、はい」

 あまりの急展開に私は気の抜けた返事をしてしまう。

 繋がれた手から伝わる緊張に私は戸惑いを感じながら歩き出した。

 駐車場に着くとポケットから車の鍵を取り出す。そして、素早く乗り込むと助手席のロックを外しドアを開ける。

 私は山崎博士から伝わる緊張に急かされる様に助手席に座ると、ドアを閉めると同時にエンジンを掛け、シートベルトをする間もなく車を走らせた。

「……レイ、急かして済まなかったな。でも、施設では言えない話になるだろうから、盗聴の恐れの無いお前の部屋で話をしよう」

 盗聴?

 山崎博士の言葉に疑問を抱いた。その意味を理解できず、アパートに着くまでの間、私は気持ちを落ち着けようと目を閉じて情報の整理をした。

 

 

 部屋に着くと山崎博士はドアの鍵を閉めチェーンロックまで掛ける。そして、私をソファーに座らせると向かいに座り私の顔を再びジッと見つめ出した。

「――レイ、お前、泣いていたな? いったい、何がお前をそうさせた? 話せる範囲で構わないから、理由を聞かせてくれないか?」

 先ほどまでの緊張感はどこへやら、山崎博士は真剣ではあるが優しい表情で話し掛ける。

 その表情に私は安心感を抱いた。心が急に軽くなり、自然と素直な気持ちになる。

(……何も口にしてないのに私の変化を見抜くなんて……これが『娘を想う父親』というものなの?)

 敢えて表現するとしたら“絶対的な安心感”という言葉が最適だと思う。

 理屈ではない、私の中にある本能的な部分がそう告げている。

 言葉の裏側に秘められた深い愛情。私はこの人が味方であると確信できた。

 気が付けば、私は施設に来てからの出来事を包み隠さずに話し始めていた。慎君との出来事や私の揺れ動く心さえも包み隠さずに伝えていたのだ。

 ――沈黙が部屋を包む。

 私の話を聞き終えた山崎博士は、険しい顔で腕組みをして固く目を閉じる。

 考え込む姿。その姿さえ頼もしく思えて、私は心を強く持とうと気合いを入れ直した。

「……話はわかった。辛かっただろう……お前の気持ちを思うと胸が痛むよ。今のお前に私の――いや、この俺の言葉を信じられるかわからんが、少し話をさせてくれないか?」

 目を開くと、山崎博士は私の目を真っ直ぐ見つめ言葉を選び話し始める。

(……あれ? いつもの感じじゃない。普段は“俺”なんて言葉、使わないのに。それに堅苦しい話し方じゃなくなってる……)

 私の勝手な思い込みかもしれないが、博士の顔から素の顔に変わった様な印象を受けた。

 私は頷くと静かに耳を済ませる。一字一句、頭に焼きつけようと山崎博士の言葉に集中する事にした。

「……ありがとう。では、話すぞ。まず、お前の誤解を解きたい。この施設では疑似恋愛なんてさせない。いや、させられない」

 私の一番の関心事項である疑似恋愛を真っ先に否定する。

「いいか、この施設に入所している患者は皆、心に深い傷を持っている。それに、お前たちクローニング・ヒューマニティの『心』も未熟だ。そんな状態の者たちにテストなんて行えない。俺の言っている言葉の意味は理解できるな?」

 私は黙って頷く。

 人間の感情を理解していないクローニング・ヒューマニティに『恋愛』という負荷の大きい強い感情に耐えられる精神力はない。

 それに入所している患者もそのストレスに耐えられるとは思えない。

 冷静に考えれば、この施設にいる者たちはテストを行うのに適切な人材とは言えなかった。

 そんな非合理的な実験を時代の最先端を行く科学者がするわけがない。

 言われてみれば確かに納得できる。

「もし疑似恋愛させるなら、一般の若者と感情をある程度理解したクローニング・ヒューマニティを選ぶ。その方が合理的だろ? それに、疑似恋愛という高度な心理テストを行うには厳しい審査がある。下手をすれば人間、クローニング・ヒューマニティ双方の人格、精神に大きな影響を与えるから『人選の許可』を得るのにさえ相当の時間が掛かる。だから、今のお前がテストの対象になる事は絶対に有り得ないんだ」

 山崎博士はそこまで話すと立ち上がり、テーブル脇の雑誌やチラシの入ったケースを開き、チラシの束の裏をチェックすると何枚か持って私の隣りに座った。

 そして、胸ポケットのボールペンを手に取り何やら書き始める。

「今はまだ気持ちが落ち着いてないだろうから、説明した事を書き記す。後で読み直して情報を整理してくれ。では、話を続けるぞ」

 私の精神状態を思いペンを走らせながら話を続ける。

「今までの話からわかると思うが、この施設ではテストは行わない。あくまでも患者の心のケアと『人間学習』がメインなんだ。クローニング・ヒューマニティのコストは知っているだろ? そのクローニング・ヒューマニティに無理はさせられないよ。お前が思っている以上にクローニング・ヒューマニティは『保護』されているんだ。クローニング・ヒューマニティの信頼を失ったら、研究にも大きな支障をきたすし経済的な損失も馬鹿にならない。また科学者としての信用も失ってしまうんだ。だから、テストを行うにしても慎重に慎重を重ね、さらにお前たちの意志も尊重するんだ。これは、国際クローン法にも明記されている。お前たちが法を犯さぬ限り、我々は決してお前たちに『強制』はしない」

 チラシの裏に話の要点を書きながら丁寧に説明する。

 その言葉に嘘は無い。

 私は山崎博士の顔を見て話の続きを待った。

「それと、我々研究者の基本的なルールを教えよう。もしテストを行う場合、それを行うのは創造主――つまり、お前の場合は全て俺が行う事になっている。代理にさせる場合も俺の許可がなければならない。結論から言えば、福室主任はルールを破っている事になる」

 完全に理解した。

 これは、福室主任の独断によるものだと。

 施設の閉ざされた環境を利用し、自らの研究を推し進めようと企んだのだ。

「福室主任は、もう一つ違反している。患者である小野寺慎の精神状態の変化を矢神に報告していない事だ。この施設は矢神の研究地域にあるから、患者の病状や何かしらの変化があった場合は責任者である矢神に報告する義務があるんだ。これは、下手すれば人権問題に発展する由々しき問題、非常に危険な行動だ……」

 そう言うと山崎博士はペンを止め私の顔を見る。

 私の表情から何かを感じ取ったのか、安堵の溜め息を吐く。

「これは、すぐに対処せねばまずい。矢神だけでなく日本の研究者全体が叩かれる恐れがある……くそ、なんて愚かな事を……」

 テーブルの上のチラシを見て、眉をひそめ険しい表情で福室主任の行動を非難する。

「……お前には悪い事をした……俺がお前をきちんと見てやれば、こんな辛い思いをさせなかったのに……レイ、本当に済まない。お前は、俺の大事な娘なのに、そんなお前を悲しませてしまって、本当に済まなかった……」

 心からの謝罪。その言葉に秘められた思いが私の心に響く。

 父親としての責任を果たせなかった悔しさが、私の顔を見れない事に表れていた。

「謝らないで。私、誤解してた。正直に言うと、すぐに離れたあなたの事を今まで研究者としてしか見れなかった……でも、今はっきりとわかった。あなたは、あなたは私の『父親』なんだ。生まれ方は人間と違うけど、私はあなたの『子供』として“生”を受けたんだって。ちょっと事故っちゃったけどね」

 私は自分で言ってて笑いそうになった。

 嬉しさで自然と笑みがこぼれる。

 私にも『家族』がいたんだ。私の存在を肯定してくれる人が、確かに存在している。

 慎君の抱く愛情とは違う山崎博士の愛。サラの言っていた『家族愛』というものに私は心が満たされる感覚になった。

「レイ……」

 私の言葉に振り向く山崎博士の表情が明るくなる。

 嬉しい。私は、この人に愛されているんだ。

 そう思うと私は目の前の人に抱きついていた……。

「おい、急にどうした!?」

 突然の行動に山崎博士は戸惑いの声を上げる。しかし、私はその言葉を無視して『父親』の温もりを感じていた。

「――甘えさせてよ。お・と・う・さん、傷ついた娘を抱き締めて。そして、私の温もりを感じてよ」

 これは、私なりの愛情表現。

 この気持ちをまだ上手く言葉に出来なかったから。私の鼓動や熱で愛を感じてほしい。

 彼なら私の愛を理解してくれる。だって、私の『父親』なんだから。

「仕方ない奴だ。お前もまだまだ子供だな」

 そう言いつつも優しく抱き締めてくれた。

 心地良い抱擁。その温もりは私に安らぎを与えてくれる。

「……お父さん、大好き」

 私は目まぐるしい状況の変化に心を乱し、不信感を募らせ人間に対する認識を誤解していた。

 人間は複雑な生き物。その心は常に揺れ動き、善と悪の間を行き来している。

 人間は理屈では計れない。豊かな感受性を持つ人間は、誰しもが天使になり悪魔となるのだ。

 それは、父親である山崎博士も慎君にも当てはまる。だから、私は人間を信じる事にした。

 人間は完璧な生き物じゃない。私たちクローニング・ヒューマニティを造り出したけど、決して完成された生き物じゃないのだ。

「……私、人間を信じる。今後どんな目に遭っても人間を信じる。人間はとても複雑な生き物、私たちには理解し難いけど……愛すべき存在なんだって思えるの。生まれて間もない子供だけど、人間の素晴らしさを知って生まれてきて良かったって思うの。だから、ありがとう……あと、もう少しだけ、温もりを感じさせて……」

 安らぎを感じながら、私は目を閉じる。

 父親の温もりを感じ、生まれてきた喜びをもっと実感したい気持ちが私をわがままにした。

「遠慮するな。お前は俺の娘だ、好きなだけ甘えろ。時間は気にするな、お前が満足するまで甘えろ」

 そう言って抱き締める腕に力を込める。

 その力強さに父親の逞しさを感じ、とても頼もしく思えた。

 その言葉に甘えよう。今まで散々揺れ動かされ疲れた心に、この温もりは何よりも癒やしになるのだから……。

 

 

 




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