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休憩室

 

 

 愛……相手を思いやり慈しむもの。

 そこに対価は無く、ただその人の為にある純粋な想い。心の底から相手を想う事によって生じる無償の善意。

 言葉にするのは簡単なこと。しかし、それを理解するのは極めて困難だと思う。

 何故、慎君は突然そういう事を言い出したのか。

 何かしらの心の変化があったのだろうか。

 『人間』という生き物の持つ心が、いかに複雑なものであるかを私は改めて思い知らされる――。

 人間社会に身を置いてから、まだあまり日が経っていなかったが『人間』の心には驚愕すべき様々な特性を見る事ができた。

 他の生物とは比較にならないほど豊かな感受性を持ち、また互いに独自の理念を持つ故に生じる思想の相違や対立に対しても柔軟に対応できる和合性をも持っている。

 さらに個々に持つ様々な価値観またそれによる矛盾を内包する順応性があるため、人や環境によって常に変化していく不安定極まり無い心理状態を混乱する事無く見事に統制している。

 これらの特性を持つ故、それぞれの思いが複雑に交錯する人間社会や互いの感情が入り交じる対人関係などの変化の激しい精神・心理状態を安定させられるのだろう。

 だが、その特性を持ち合わせていても……何らかのかたちでそれらのバランスが崩れた時、絶えず変化していく状況変化や心理状態に対応できず、心に混乱を招き精神的にも多大な負荷を抱える事になる。

 その状態にあるのが、現在この施設に入所している慎君達なのだろう――。

 

 

 施設の昼食時間は長い。入所者達の午後の診察や検査などがあるためだ。

 この長い昼休みを利用してクローニング・ヒューマニティは、入所者達との交流で得た様々なデータを整理・補正し自分なりの人間像を形成していく。

 社会に出てからでは起伏の激しい感情の変化に正確な対応ができないため、一般の人間よりも感情の起伏が乏しい彼等と接する事により感情が希薄なクローニング・ヒューマニティの精神に負荷を掛けずに複雑な人間の心を前もって学習するのだ。

 それがこの施設で課せられたクローニング・ヒューマニティの使命。しかし、本当にそれで“人間”を理解する事ができるのだろうか?

 閉ざされた環境、限られた範囲内での決められた学習……そこに情の入る余地はない。最も学ばなければならないであろう“感情への対応”をこの施設で身につける事が本当にできるのか。

 今までの施設運営を見る限り、私達クローニング・ヒューマニティに一番必要なモノが欠けている様に思えてならない。

 慎君との交流によって、私の心に疑問が生じる。

 言葉では言い表せないこの違和感を他のクローニング・ヒューマニティ達は感じているだろうか?

 人為的に感情を抑制されたクローニング・ヒューマニティにとって、彼等の存在はあくまでも“生きた教材”という認識でしかなく“生きた人間”として捉えていない様な気がしてならないのだ。

 

 

 『人間とクローニング・ヒューマニティとの架け橋となってほしい』

 

 

 サラの言葉が私の胸に響く。

 事故により感情を身につけた私にしかその役目は果たせない。

 感情があるからこそ、冷静な判断を下せずに悩む。

 感情と引き換えにクローニング・ヒューマニティ特有の冷徹なまでの状況判断力を失った私だからこそ、両者の心を理解できるのかもしれない。

「――レイさん、どうなさいました?」

 我に返ると目の前にサラの顔が迫っていた。私はそれに気づきハッとする。

「あっ、ごめん。ちょっと考え事……」

 サラは心配そうな表情で私の顔を覗き込んでいる。

 いけない。考え込んでしまった。

 静寂に包まれた休憩室。誰もいない部屋は無機質な空間。この考え事に適した環境に意識が内面に向かってしまった。

 私は髪を掻きながらサラに軽く頭を下げ、心配いらないと微笑みを向ける。しかし、サラの表情は曇っていた。

「……レイさん、一人では解決出来ない問題でも、みんなの知恵を合わせれば解決の糸口は見えてくると思います。確かに私では人間の感情を理屈でしか判断できません。しかし、それでも何らかの助力は出来ると思っています。ですから、一人で抱え込まず話して下さいませんか?」

 悲しげな視線が私の目を捉える。

 その瞳に宿る優しさが心に染みてきて、胸が締め付けられる様な感覚を覚えた。

「……サラ、ありがとう。もう少し気持ちを整理したら、ちゃんと話すから。その時はよろしく頼むわね」

 自分の事の様に心配してくれるサラ。

 ルームメイトだからじゃない。

 彼女は純粋に私の悩みを共有しようとしてくれている。

 その純真な心に私は心の底から感謝の念を抱いた。

「サラ、ご飯食べよ。私、お腹空いたわ」

 お腹に手を当てて空腹を訴える。気分が少し落ち着いたからか、お腹が空いてきた。

「……ふふふ。はい、わかりました。では、お弁当出してきますね」

 いつもの調子に戻った私にサラは安堵の表情を見せる。そして、柔らかな笑みを浮かべるとロッカーへと向かって行く。

 私はサラの嬉しそうな後ろ姿に頬が弛むのを感じた。

(……サラにはだいぶ心配かけちゃったわね。後で博士にも会って少し相談でもしてみようかな……)

 一人で抱え込んでも解決できる問題じゃない。

 そのサラの言葉が私の心を軽くしてくれる。

 核心に迫らなければ、誰かに話すのも悪くない。

 ロッカーから二人分の弁当箱を持ってくるサラの笑顔を見ながら、私は何故か事態が良い方向へ向かって行く様な気がした――。

 

 

 




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