目覚めた者
……夢から覚めると、そこには大勢の人がいた。
身を起こし周りをよく見ると、私が横になっていたカプセルみたいなベッドが黒く焦げている。
私を囲む様に立っていた人達は、起き上がった私を見て驚きの表情を浮かべる。
この部屋は研究室だ。
直感でそう思う。私は何故かこの部屋を、いや、この施設をよく知っている。
(……“クローニング・ヒューマニティ研究所”……この施設はクローニング・ヒューマニティの研究施設だ……)
知らないはずの知識が頭の中に浮かぶ。
(……クローニング・ヒューマニティとは、簡単に言えば遺伝子操作したクローン人間。身体能力、学習能力を人為的に高めた人造人間。生態系には無い人間とは異なる者。私は、そのクローニング・ヒューマニティなんだ……)
それが、私の頭の中に記憶されている知識だった。
(……私はレイという名のクローニング・ヒューマニティ、ということは周りの人達は皆、研究員というわけだ。私が眠っていたカプセルは生体保護カプセル。周りに研究員が集まっていることから、何かトラブルがあった可能性がある。私を見て驚いたから、もしかして原因は私になるのかな?)
私は立ち上がり、皆に体に異常が無い事を見せる。
「異常はありません。体はちゃんと動くし、気分もいいです」
私はまだ驚いた表情を浮かべる研究員達に向かってガッツポーズする。
「ほら、こんなに元気だよ。みんな、どうしたの?」
私を見る研究員達の目は、明らかにおかしい。
いったい何がいけなかったのだろう?
「……私は正常ですよ?名前はレイ。マスターは……ええっと、あー、あれ?誰だっけ?忘れちゃった……」
その瞬間、部屋の気温が下がった。
「……レイが壊れた……」
研究員の誰かがそう言った途端、他の研究員達はそれぞれ口を開いた。
「言語設定がいかれたのか?」
「思考回路に異常がありそうだ」
「あの対応は子供だ。精神設定が狂ってるぞ」
「所長を呼べ!」
「レイに服を着せろ、風邪でもひかれたら大変だ」
「生体保護カプセルは使いものにならなくなってるぞ」
「落ち着くんだ!我々が混乱したらレイまで混乱する!」
研究員達は完全に混乱していた。私はどこにも異常なんてないのに。
私は研究員から服をもらい着替えると生体保護カプセルのふちに腰掛けた。そして、研究員の混沌とした会話を黙って聞く。
彼等の話を合わせると、この施設に雷が落ちたために私の眠る生体保護カプセルに電流が流れ、制御装置がショートしてしまって私が目覚めたようだ。
どうやら生体保護カプセルが完全に壊れたのに、私が無傷だったので研究員達は混乱してしまったのだろう。しばらくの間、研究室は騒然としていたが、私の状態が良好なのを確認すると次第に落ち着きを取り戻した。
「所長!奥にレイがいます」
混沌とした研究室に一人の男が入って来た。
男は研究員達を無視し、私の前まで来ると生体保護カプセルに触れた。
「……外壁の損傷は酷いな。だが内部は思ったより被害は少ないな。落雷によるレイへの直接的な被害は無いか……それよりも制御装置のショートによる各種設定のエラーの方が深刻だな……」
男は一通り生体保護カプセルを調べると私に向き直った。
「……」
何も言わずに私を見る。周りの研究員達も息を飲んで私を見た。気まずい雰囲気が研究室を支配する。
(……何か言った方がいいかな?)
沈黙に耐えられなくなった私は、目の前の男に話しかけることにした。
「……おじさん、私に何か用? もしかして、私を造った人? 何かおかしいところでもあった?」
男は私の言葉に驚きの表情を浮かべる。
「……お前、私がわからないのか? 自分の名前は言えるか? 他に何か覚えてる事はあるか? あるなら教えてくれ」
男はそう言うと私の体に触れていく。
異常が無いか調べてるのか、その手つきにいやらしさはなかった。
「……私はレイ。クローニング・ヒューマニティで……ええっと、ここはクローニング・ヒューマニティの研究施設で、この部屋が私の部屋? このカプセルが生体保護カプセル。あとは……わかんない」
私が知っているのはこれだけだった。
男は私の話を聞くと研究員達を集め何かを命じた。
研究員達は慌てるように部屋から出ていく。部屋には私と男だけになった。
「レイ、言葉は日本語しか話せないのか? それと今の気分はどうだ?」
男は手にしていたファイルを見ながら、何やら記入しはじめた。
「……日本語だけしか話せないよ。でも、他の言葉も聞いて理解することはできるよ。気分は……ちょっと不安かな? だって研究員の人達は私が壊れたって言うし、今の状況も、これから何されるのかもわからないのよ。まさか、壊されるってことはないよね?」
私は不安になった。
どう見ても、私は正常に起動したとは言えない。
雷のせいで何かがおかしくなっているみたい。
私の話を聞いて皆驚いたってことは何かがおかしいのだろう。
日本語しか話せないのもおかしいみたいだし、一体どうなるのか見当もつかない。
「壊すことはしない。ただレイの状態が知りたいだけだ」
男は私とファイルを見て考え込む。
「……言語機能は日本語のみ、他はヒアリングだけか。クローニング・ヒューマニティの基礎は覚えているようだが……マスターの認識が出来ないってことは、プロテクト機能の一部が吹っ飛んでるな……もしや、すべてか?」
そう言うと男は突然私に抱きつき胸を触ってきた。
「何をするの!」
私は男の腕を掴むとしゃがみ込み、背負うようにして投げ飛ばした。
男は受け身を取り立ち上がる。
「変態! 近付いたら張り倒すわよ!」
私は身構える。しかし、男は何もしてこなかった。
「……プロテクト機能が完全に吹っ飛んでる……あの反応は人間と同じだ……」
男はファイルを机の上に置くと私に近付いた。
「近寄らないで! 本当に張り倒すわよ!」
「……安心しろ。私ではお前に勝てんし、どうこうする気もない。プロテクト機能を試しただけだ、悪く思わんでくれ。落ち着いて話を聞いてくれ」
男は私に向かって頭を下げる。
私はまだ男を信用出来ないが、とりあえず話を聞くことにした。
「……レイ、お前の異常箇所がわかった。それはクローニング・ヒューマニティにとって最も重要な機能であるプロテクト機能だ。この機能が完全に壊れている。あと、言語機能の一部がおかしくなっている」
男はそう言うと近くの椅子に座った。
「……プロテクト機能って何?」
男の言ってる事がよくわからない。
「……プロテクト機能とは、クローニング・ヒューマニティの制御機能みたいなものだ。レイ、クローニング・ヒューマニティが遺伝子操作をしているのは知っているな?」
「うん」
「……クローニング・ヒューマニティは遺伝子操作をしている。そのため、クローニング・ヒューマニティには様々な制約が課せられている。その制約を司るのがプロテクト機能だ。制約とはいろいろあるが、次の三つは絶対に守らなければならないので、無意識に制約を守る様にプロテクト機能というものを設定している。その三つとは『クローニング・ヒューマニティは、自身またはマスターの生命の危機がない限り、人間またはクローンに対して危害を加えてはならない』、『クローニング・ヒューマニティはマスターの意思に反しない限り、人間またはクローンの言う事を聞かなくてはならない』、『クローニング・ヒューマニティは、常に人間またはクローンに対して従順な態度で接しなければならない』である。ところが、レイは私に対して危害を加えた……」
男はそう言って私の顔を見る。
「でも、それはいきなり胸に触ってきたから……」
「……胸を触るのは生命の危機ではない。制約通り機能するなら、生命の危機ではないから私が何をしても危害を加えてはならない。さらにお前はマスターを忘れているから、私が何をしても抵抗することは許されないし、またそれを受け入れなければならない。しかし、お前は自分の意志で判断し、私の行為に対して抵抗し危害を加えた。まるで、人間の様にな……」
男は嬉しそうに話を続けた。
「私は別にお前を責めてるわけではない。プロテクト機能が壊れるのはそんなに珍しい事ではないからな。それよりも、私はお前の反応がクローニング・ヒューマニティらしくない事の方が気になるな……」
男はそう言うと机に向かいパソコンを操作する。
私は、男の態度に何かが切れるのを感じた。
「……私の反応が人間らしい? でも襲われたら普通、反撃するじゃない……クローニング・ヒューマニティは、反撃しちゃいけないの? 人の言いなりじゃ、ただの人形じゃない! 私は人形じゃない! 自分の意志で行動できるし、自分の意志で判断できる! 私は人間の玩具じゃない!」
私は許せなかった。
これじゃ、クローニング・ヒューマニティは人間の言いなりの人形に過ぎない。
「確かに私は人間に造られた。でも、私にはちゃんと意志があるよ! 制約だかなんだか知らないけど、クローニング・ヒューマニティにも人権はあるはずよ!」
私は思わず叫んでいた。
冷静に自己分析する心が、感情的になっている事を告げる。
感情的になってるのは自分でもよくわかる。しかし、感情は抑え切れるものじゃない。
男は、私の反応に動きを止めた。
私の方へ振り返ると言葉も出ないのか、黙ったまま私を見つめた。
「……私が怒ってるのが、そんなにおかしいの? ……なんとなくわかってきた。クローニング・ヒューマニティって人間のための道具なんだ……だから、人間に逆らえない様に制約を設け、常に従順な態度でいなければならない様に強制してるんだ! いくら人間が偉くても、私はそんなの認めないわ!」
「……素晴らしい……矢神のハートシステムに優るぞ、これは……レイは、まさしく人間そのものだ……わ、私は人間を創造してしまった……」
男は私の言葉に衝撃を受けている様だった。
放心した表情で呟くその姿は、恐れている様にも感動している様にも見て取れる。
「……レイ、許してくれ。お前は、クローニング・ヒューマニティだが中身は人間のようだ……落雷が原因なのだろう、クローニング・ヒューマニティとしての機能をすべて失ったお前は、遺伝子操作を行った人間と同じだ……だから安心してくれ。私にはもう、お前をどうこうする事は出来ない。ただ、ひとつだけ話さなければならない事がある……」
男は元の表情に戻った。私を見る目が厳しくなる。
「……クローニング・ヒューマニティは、国際クローン法によって必要以上に感情を持たせてはならない、と明記されている。何故なら、クローニング・ヒューマニティに施された遺伝子操作には、学習能力の強化と身体能力の強化のふたつがあるからだ。特にクローニング・ヒューマニティの身体能力は、人間の能力の三割近く強化されている。そのため、遺伝子操作されたクローニング・ヒューマニティが感情のままに行動したら、人間にはどうする事も出来ない。クローニング・ヒューマニティが本気になれば、人間など簡単に殺す事が出来るのだからな。だからプロテクト機能を設け、さらに感情を制御しなければならないのだよ……」
男はわかりやすく説明してくれる。
「……しかし、お前は人間と同じ感情を持ってしまった。国際クローン法は他の国際法よりもかなり厳しく、感情を持ったお前の存在はまさに異端なのだ。よって、お前が感情を持った事は国際機関に知られてはならない。もし知られたら、お前は抹殺されてしまうだろう。だから、この事は決して忘れないでくれ」
男の話だと感情を持ったクローニング・ヒューマニティは危険な存在というわけだ。
国際法で厳しく取り締まられているクローニング・ヒューマニティは、その研究者にとっても危険な存在なのだろう。
(……この人はきっと、私の産みの親なんだろう。研究者から見れば、私は娘みたいなものなんだろうなぁ。だから、いろいろ反応を確かめて異常が無いか調べているのかな?)
私は、何故か男に対しての怒りが無くなっていくのを感じた。
(……冷静になろう。感情的になっては状況を把握する事も出来なくなってしまう。落ち着いて彼の話を聞こう……)
私は男に対する警戒を解いた。
彼の話では私に手出しする事は出来ないのだし、私以上に私の事を知ってる彼の話は聞くべきだと思ったから。
「……私は、これからどうすればいいのかなぁ?」
私は出来るだけ冷静に話した。
とにかく落ち着かなければ正しい判断はできない。
「……このままでいられるの? それとも、また制約しちゃうの? まさか、廃棄されちゃうことはないよね?」
冷静に考えると事態の深刻さが今更ながらに身に染みてくる。
人間よりも優れた能力を持つクローニング・ヒューマニティ。
常に沈着冷静、従順な対応で人間のサポートをする存在。
私はそういった使命を持って生まれてきた?
本来なら感情を抑えることにより冷静さを保ち、人間をより良い方向へ導かなければならないのだろう。
人間並の感情を持った私は、クローニング・ヒューマニティとしての存在価値がないはず。
「……私は、クローニング・ヒューマニティとしての存在価値がない? 人間の役に立つために生まれてきたのに、感情を持ってしまったから……私は不良品ってこと?」
男は黙って私の話を聞いていた。
少し考える仕草をして再びパソコンを操作する。
私はそれを見る。
何か調べているのか?
彼は私の産みの親だ。私を造った彼なら、きっと納得のいく答えを出してくれるに違いない。時間はまだある。ゆっくり待つことにしよう……。
どれだけ待っただろう。
男がパソコンに向かってから、私はする事もなく椅子に座り呆けていた。
私は考える。
落雷によりクローニング・ヒューマニティとしての機能を失った私。
遺伝子操作で学習能力、身体能力が高くなっている私は、人間にとって危険な存在になってしまった。
私が社会で生きるには、感情をコントロールする必要がある。
そう、自制心を養わなければならない。
さらにクローニング・ヒューマニティとしての対応を学び、人間達に私の状態を悟られない様にする必要がある。
(……対処の仕方はわかった。感情を抑え、クローニング・ヒューマニティの対応をすればいいのだ。そうすれば国際機関に悟られることはない……)
対処方法がわかったからか、少しだけ気分が楽になった。
男の方を見ると、パソコンの画面を凝視し文章を読んでいる。
誰かとメールのやりとりでもしていたのだろうか?
(……そう言えば彼の話に“ヤガミ”という名が出てたっけ。その人と連絡を取っていたのかな? そうだ、確か私が怒った時にヤガミのハートシステムがどうとか言っていた。感情とヤガミには、何かしらの関係があるのかな?)
「……なるほど、そういう手があったか……奴のサラなら上手くやってくれるだろう。これでレイの秘密は悟られずにすむ」
男は表情を綻ばせた。何か良い案でも見つけたのだろうか?
「……レイ、頭の良いお前ならわかると思うが、感情を持った事は研究員達にも知られてはならない。彼等は、単にお前が落雷によりシステム全般に異常を起こしたとしか思っていないはず。彼等の中にも、クローニング・ヒューマニティに対して感情を持たない方がいいと思っている者がいるのでくれぐれも注意してほしい」
男の言葉に頷く私。
クローニング・ヒューマニティに感情はいらないと思っている人はたくさんいる。いや、すべての人がそう思っているはず。
「うん、注意する。クローニング・ヒューマニティらしく振る舞えばいいのね?」
「そうだ。そのためにお前をあるテストに使おうと思う。研究所を離れ、社会生活を学ぶ“集団生活テスト”というテストだ。そこでは、私の友人である矢神という人物がお前をサポートしてくれるだろう。矢神も私と同じクローニング・ヒューマニティの研究をしていて、クローニング・ヒューマニティに感情を持たせるために尽力している。これからお前には彼のテスト地域で暮らしてもらう。奴のクローニング・ヒューマニティもいるから研究所を離れた方が安全だろう」
(……クローニング・ヒューマニティに感情を持たせようとしている? ヤ・ガ・ミ……矢神。彼のところで生活すればいいのね?)
私は頷く。矢神という人なら、きっと私の味方になってくれるはず。そう思うとなんだか希望が出てきた。嬉しさがこみ上げてくる。
「わかったわ。テストに行く。でもテストっていうくらいだし、私の行動はチェックされちゃうのかな? そうだよね、監視は受けちゃうよね? 他の人に悟られない様にしないといけないよね?」
この研究所を出ても、私がクローニング・ヒューマニティである限り関係機関からの監視は受け続けるはず。
外にいても自分の行動には気をつけなければならない。
「ところで、その矢神って人はどういう人なの?」
私はクローニング・ヒューマニティが感情を持ったという事をすぐに伝えるほど、男が信頼している矢神という人物に興味を覚えた。
「矢神か、あいつは国際クローン法のギリギリの研究をしている危険な思想の持ち主だ。研究者の間では“マッド”と呼ばれている。クローニング・ヒューマニティに存在意義を与えようと、クローニング・ヒューマニティに感情を学習する機能“ハートシステム”を搭載し、クローニング・ヒューマニティの個性を育てようと様々なテストを行っている人物だ」
(……クローニング・ヒューマニティに、感情を与える? そんな研究してる人がいるんだ……)
研究者の間で危険視されている“感情の付与”を行う人物。少なくとも私の存在を否定する人ではないらしい。
私は会ってみたいと思った。
「話は以上だ。聞きたい事は無いな? では、検査室へ来てもらおう。一応、お前の状態を調べなければならないからな」
私は男の後について部屋を出た……。
これから私は検査され、問題がなければテストに出される。
この先、感情を抑制し周りに悟られない様に行動する事ができるだろうか?
人間をサポートするために遺伝子操作を受けたクローニング・ヒューマニティの私。
感情を持ったために、その本来の使命を果たせない不完全な存在である私に、果たして存在意義などあるのだろうか?