湊、絶対絶命!よりによってなんで葵とー夏休みのイベントきも試しー
1.
「……よりによって、なんで今日なんだよ」
田舎町の短い夏休みは、ひぐらしの鳴き声とともに夕闇に沈もうとしていた。
小学三年生の碇湊は、自室のベッドに大の字になって天井を睨みつけていた。
湊は、この小さな町ではちょっとした有名人だ。少年野球のチームでは小3なのにエースで四番。足もクラスで一番速い。テストをもらえばいつも満点に近い点数で、先生からの信頼も厚い。日に焼けた笑顔と、少し大人びたハキハキとした話し方もあって、クラスの女の子たちからはいつも黄色い声をかけられていた。「完璧超人」なんてからかわれることもある。
だが、そんな湊には、誰にも言えない致命的な弱点があった。
(お化けなんて、この世にいるわけない。……ない、はずだけど)
頭の片隅で、数年前に偶然テレビで見てしまった心霊番組の映像が蘇る。暗い廃墟の奥から這い出てくる、髪の長い女の霊。あの不気味な効果音と、画面越しに伝わってきた冷たい恐怖が、今でもトラウマとして心に深く刻み込まれていた。
それ以来、湊は夜のトイレに行くのすら、実は内心バクバクしているのだ。スポーツ万能だろうが勉強ができようが、見えない恐怖の前では何の役にも立たない。
そんな湊に、今日、人生最大の試練が訪れようとしていた。
クラスのやんちゃグループのリーダーである健太が言い出した、「夏休み特別企画・全員強制参加の墓地きも試し大会」である。
断れば「湊のくせにビビってる」と言われるのは目に見えている。プライドが邪魔をして「行かない」とは言えなかった。しかも、最悪なことに、朝のラジオ体の終わりに学校の校庭で行われた事前クジ引きによって、男女のペアが決められてしまったのだ。
湊の相手は――川村葵だった。
葵は、少し癖のある黒髪をふたつに結った、大人しくて目立たない女の子だ。いつも教室の隅で本を読んでいるようなタイプで、湊とはほとんど話したことがない。だが、湊は密かに、彼女のことを「いいな」と思っていた。騒がしい女子たちの中で、葵の持つ独特の落ち着いた空気や、時折見せる柔らかい笑顔が、なぜか強く印象に残っていたからだ。
「好きな女の子と夜に二人きり……普通なら大チャンス、のはずなのに!」
湊は枕に顔を埋めて悶絶した。
もしも、きも試しの最中に自分が腰を抜かしたり、情けない悲鳴を上げたりしたらどうなるか。葵に幻滅されるだけでなく、明日にはクラス中に「碇湊はヘタレ」という噂が広まるだろう。完璧な自分というメッキが剥がれ落ちる恐怖。そして何より、純粋に「お化けが怖い」という恐怖。二つの恐怖が、湊の小さな胸を容赦なく締め付けていた。
時計の針は、集合時間の午後七時半を指そうとしていた。
2.
町の外れにある「古森墓地」は、昼間でも鬱蒼とした木々に囲まれていて薄暗い。夜になれば、文字通り一寸先も見えない暗黒の世界へと変貌する。
集合場所である墓地の入り口には、すでにクラスメイトたちが集まっていた。懐中電灯の光が交錯し、興奮と緊張が入り混じった声が響いている。
「よお、湊! 遅かったじゃん。ビビって逃げ出すかと思ったぜ!」
健太がニヤニヤしながら声をかけてきた。
湊は精一杯のポーカーフェイスを作り、いつもの自信ありげな声を出した。
「まさか。ちょっと準備に手間取っただけだよ。健太こそ、おしっこ漏らすなよ?」
「へっ、言うねえ! 俺はもう心の準備万端だし!」
軽い口叩きで周囲の笑いを誘いつつも、湊の心臓はすでに早鐘を打っていた。冷や汗が背中を伝う。
周囲を見渡すと、街灯の光が届かない暗がりに、小さな人影がぽつんと立っているのが見えた。葵だ。彼女は白いワンピースを着て、小さな懐中電灯を両手で大事そうに握りしめていた。
湊は深呼吸をして、自分の足に「震えるな」と念じながら、葵の方へと歩み寄った。
「あ、葵ちゃん。こんばんは」
「……あ、碇くん。こんばんは」
葵は少し驚いたように顔を上げ、それから小さく微笑んだ。その笑顔の可憐さに、湊の心臓が一瞬ドキンと跳ねたが、すぐに墓地の奥から吹いてきた冷たい風が、彼の現実を引き戻した。
「今日、よろしくね。俺がしっかりリードするから、安心して」
口から出たのは、自分の本心とは真逆の、絵に描いたような優等生のセリフだった。情けない姿は見せられないという防衛本能が、勝手に言葉を紡いでいた。
葵は少し困ったように眉を下げて、湊の顔をじっと見つめた。
「ありがとう、碇くん。でも……無理はしなくていいよ?」
「え? 無理なんてしてないよ? 全然平気!」
湊は声を上ずらせないように必死だった。葵のその優しい眼差しが、まるで自分の心の動揺を見透かしているかのように思えて、余計に焦りが募る。
「じゃあ、次のペア! 碇・川村ペア、スタートしてくださーい!」
健太の大きな声が響いた。ルールは単純。墓地の奥にある大きなしだれ桜の木の下に置いてある、出席カードに自分の名前のスタンプを押して戻ってくること。
「よし、行こうか」
湊は先頭に立って歩き出した。手にした懐中電灯の光が、行く手を照らす。しかし、その光の先にあるのは、立ち並ぶ無数の墓石と、不気味に蠢く木々の影だけだった。
3.
一歩、墓地の敷地内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
外の喧騒が嘘のように消え去り、耳に届くのは自分たちの足音と、遠くで鳴く虫の声だけ。そして、じっとりと肌にまとわりつくような湿気。
(怖い。めちゃくちゃ怖い。帰りたい……!)
湊の脳内はすでにパニック寸前だった。懐中電灯を持つ手が、わずかに震えている。それを葵に悟られないよう、わざと大きな歩幅で歩こうとした。
「碇くん、速いよ……」
後ろから葵の少し息の切れた声が聞こえた。
「あ、ごめん! ちょっと急いだ方が早く終わるかと思って」
湊は足を緩め、葵と並ぶ位置に下がった。
チラリと葵の横顔を見る。彼女は俯きがちで、静かに歩いていた。怯えて泣き出しそうという風でもないが、その小さな肩は心なしか強張っているように見える。
「葵ちゃんは……お化けとか、怖くないの?」
沈黙に耐えかねて、湊は話題を振った。自分の恐怖を紛らわせるための質問でもあった。
「んー……怖い、かな」
葵はぽつりと言った。
「やっぱり怖いよね。女の子だもんな」
「でもね、お化けよりも……暗いのがちょっと苦手なの。何があるか見えないから。お化けさんは、きっと元々は人間だから、ちゃんとお話しすれば分かってくれるかもしれないでしょ?」
葵の独特な感性に、湊は思わず目を見張った。お化けと話し合う? そんな発想、今までしたこともなかった。
「あはは、葵ちゃんは優しいんだね。お化けと友達になれそう」
「そんなことないよ。ただ……碇くんがいてくれてよかった」
葵は少し顔を赤くして、懐中電灯の光を地面に向けた。
「え?」
「だって、碇くんはスポーツもできるし、すごく頼りになるから。私、足が遅いから、何かあったら置いていかれちゃうかもって心配だったの。でも、碇くんは優しいから、ちゃんと待っててくれる」
その言葉は、湊の胸に深く刺さった。
(頼りにされてる……。葵ちゃんは、俺を『完璧な碇くん』だと思ってるんだ)
嬉しさと同時に、凄まじいプレッシャーが湊を襲う。裏切れない。絶対に、かっこ悪いところは見せられない。
その時だった。
『サササッ……!』
「ひっ……!?」
近くの草むらから突然、何かが動く音がした。
湊の心臓が跳ね上がり、喉から短い悲鳴が漏れそうになった。危うく懐中電灯を落としそうになる。
「キャッ!」
葵が小さく叫び、とっさに湊の服の袖をつかんだ。
「い、碇くん……! 今の、何?」
湊は必死で全身の筋肉を硬直させ、恐怖を抑え込んだ。心臓がうるさいくらいに脈打っている。だが、袖を掴む葵の手の震えが伝わってきて、彼はハッと我に返った。
「だ、大丈夫だよ! 今のは……ただの猫だよ、うん。ノラ猫がびっくりして逃げただけ!」
湊は懐中電灯の光を草むらに向けた。そこには何もいなかったが、そう言い張るしかなかった。
「そっか……猫さんか。よかった……」
葵はホッとしたように息を吐き出したが、つかんだ袖は離さなかった。
湊は、自分の袖を握る葵の小さな手を見つめた。
(しっかりしろ、俺。男だろ。好きな女の子が怖がってるんだぞ)
恐怖で凍りつきそうだった足に、少しだけ熱が戻るのを感じた。
4.
二人はさらに奥へと進んだ。墓地の中央付近を過ぎると、道はさらに狭くなり、生い茂る草木が衣服をかすめる。
「もう少しで、しだれ桜のはずだよ」
湊は自分を奮い立たせるように言った。
「うん……」
葵の声は元気がなくなっていた。やはり、この暗闇と張り詰めた空気に疲れてきているのだろう。
その時、湊の視界の端に、白い塊のようなものが映った。
古い墓石の影から、ぼんやりと浮かび上がる白い影。それは、昼間に見た心霊番組の女の霊の姿と完全に重なった。
(出た……!! 本当に出た……!!)
湊の脳内が真っ白になった。足の感覚がなくなり、呼吸の仕方を忘れる。恐怖のあまり、その場に縫い付けられたように動けなくなった。
「碇くん? どうしたの?」
葵が不思議そうに湊の顔を覗き込もうとした、その瞬間。
『ボトッ!』
上空から、何かが湊の肩に落ちてきた。
冷たくて、ヌルッとした感触。
「うわあああああああいやああああああ!!」
ついに、湊の我慢は限界を迎えた。プライドも、かっこつけも、すべてが吹き飛んだ。
湊は見たこともないような大声を上げ、めちゃくちゃに腕を振り回した。その拍子に、手に持っていた懐中電灯が手から滑り落ち、地面を転がって茂みの奥へと消えてしまった。
「碇くん!?」
葵の驚いた声。
湊は狂ったように肩を払い、その場にへたり込んだ。頭を抱え、ガタガタと震えが止まらない。
「お化け……お化けが……! 肩に、今、冷たい手が……!!」
涙がボロボロと溢れてくる。もう最悪だ。全部終わった。葵ちゃんに醜態をさらしてしまった。俺は完璧なんかじゃない。ただの弱虫だ。
そんな湊の前に、一つの光が差し込んだ。
葵の持つ懐中電灯の光だ。彼女はしゃがみ込み、湊の肩のあたりを照らした。
「あ……碇くん、これ」
葵の声は、なぜかとても落ち着いていた。
湊が恐る恐る目を開けると、葵の手には、一枚の大きな「濡れた葉っぱ」が握られていた。
「これね、さっきの雨で濡れたクヌギの葉っぱだよ。木から落ちてきたみたい」
「え……? 葉っぱ……?」
「うん。あと、さっき碇くんが見てた白いのも……ほら、あれ」
葵が光を向けた先には、古びたお墓に供えられていた、色あせた白い造花が風に揺れていた。
「お化けじゃ……ない?」
「うん。お化けさんじゃないよ」
湊は呆然とした。自分がただの葉っぱと造花に怯え、あんな大声を上げて泣いていたのだ。あまりの情けなさに、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。今すぐ地面に穴を掘って埋まりたかった。
「……ごめん」
湊は膝に顔を伏せた。
「俺、スポーツ万能とか、勉強できるとか言われてるけど……本当は全然ダメなんだ。お化けがすっごく怖くて、暗いのも嫌いで……。かっこいいところ見せようとして、嘘ばっかりついて……。最低だよね」
声が震える。葵に嫌われた。もう話しかけてもくれないかもしれない。そんな絶望感が湊を支配した。
5.
静寂が二人を包む。虫の声だけが、優しく響いていた。
やがて、カサリと音がして、葵が湊のすぐ隣に腰掛けた。
「碇くん」
名前を呼ばれても、湊は顔を上げられなかった。
「私ね……今の碇くんの方が好きだな」
「え……?」
湊は驚いて顔を上げた。涙で滲んだ視界の中で、葵はとても穏やかな、見たこともないような優しい笑顔を浮かべていた。
「学校での碇くんは、何でもできて、いつも遠いところにいるみたいで……ちょっと緊張しちゃうの。でも、今こうして怖がったり、泣いたりしてるのを見て、あ、同じ男の子なんだなって、なんだか安心しちゃった」
「安心……って、俺、こんなにダサいのに?」
「ダサくないよ」
葵は首を振った。
「だって、あんなに怖かったのに、私の前ではずっと平気なフリをして、守ろうとしてくれてたんでしょう? 急いで歩いたのも、私が早く帰れるようにって思ってくれたからでしょ?」
湊は言葉を失った。葵は、港の見栄や嘘を「優しさ」として受け止めてくれていたのだ。
「私ね、碇くんが私のペアになってくれて、本当に嬉しかったんだよ。だから、そんなに自分を責めないで」
葵はそう言うと、そっと自分の小さな手を差し出した。
「ほら、私の懐中電灯、まだ点いてるよ。一緒に行こう?」
湊はその手を見つめた。自分の手より一回り小さくて、少し冷たいけれど、とても温かく感じられる手。
湊はゴシゴシと袖で涙をぬぐうと、意を決してその手を握りしめた。
「……うん。行こう」
立ち上がった湊の足は、不思議ともう震えていなかった。相変わらず周囲は暗く、不気味だったけれど、隣にある葵の手の温もりが、すべての恐怖を打ち消してくれていた。
6.
二人は手を繋いだまま、ゆっくりと歩みを進めた。
もう港は平気なフリをしなかった。
「あ、今の音、ちょっとびっくりした」
「ふふ、あれは風で竹が擦れる音だよ」
「そっか。葵ちゃん、詳しいんだね」
「おばあちゃんのお家が山の近くにあるからね」
等身大の会話が、暗闇の墓地を温かい空間に変えていく。完璧なヒーローではなくても、お互いを支え合えるパートナーになれた気がした。
やがて、目的地のしだれ桜が見えてきた。
街灯の光を浴びて、大きな桜の木が優雅に枝を広げている。その下には、健太たちが用意した机と、出席カード、そしてスタンプが置かれていた。
「着いたね!」
「うん、着いた!」
二人は顔を見合わせて笑った。
机に近づき、それぞれのカードにスタンプを押す。カシャン、という小気味いい音が、試練の達成を告げていた。
「よし、じゃあ戻ろうか」
湊が言うと、葵は少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ねえ、碇くん。戻る時は、走って帰らない?」
「え? なんで?」
「だって、みんなが待ってるところに、二人が手を繋いで遅れて戻ったら……なんか、からかわれちゃいそうでしょ?」
湊は一瞬きょとんとした後、葵の意図を理解して吹き出した。
確かに、クラスの連中に手を繋いでいるところを見られたら、明日からの冷やかしが目に見えている。それはそれで恥ずかしい。
「そうだね。じゃあ、入り口が見える手前で手を離して、そこからはダッシュだ」
「うん!」
二人はしだれ桜の下を離れ、来た道を戻り始めた。
繋いだ手には、さっきよりも少しだけ力がこもっていた。
墓地の入り口の光が見えてくる。健太たちの賑やかな声が近づいてくる。
「じゃあ……ここまでだね」
湊が少し名残惜しそうに言うと、葵はコックリとうなずいた。
「うん。ありがとう、碇くん。……最高のきも試しだったよ」
そっと手が離れる。その瞬間の少し寂しい冷たさを、湊は忘れないだろうと思った。
「おい! 碇! 川村! 遅いぞー! 何やってたんだよ!」
健太が懐中電灯を振りながら叫んでいる。
湊はニッと笑い、いつもの「スポーツ万能の碇湊」の顔に戻った。いや、少し違う。心の中にある弱さを認められた、新しい自分だ。
「わりぃ! ちょっと道に迷っただけさ! 今行くよ!」
湊は葵の顔を見て、目配せをした。
「行くよ、葵ちゃん。遅れないでついてきてね」
「うん!」
二人は夏の夜風を切り裂きながら、光の溢れる入り口へと力強く走り出した。湊の胸の中には、もうお化けへの恐怖は微塵も残っていなかった。
ただ、隣を走る女の子の笑顔と、まだ手のひらに残る温もりだけが、夏の思い出として深く刻まれていた。
夏休みなので短編も書きました。
完璧に見えた湊、どうでしたか?小3ならまだお化けを怖がるかな?と思いました。




