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第3話 横川 vs 軽井沢

 軽井沢は、ずるい町だと思った。


 駅に降り立った瞬間から、そう思った。


 高原の空気は横川より冷たくて澄んでいるのに、どこか甘い。洒落た喫茶店の匂い、焼きたてのパンの匂い、観光客の纏う香水の匂い。ホームの先には磨き上げられたような白い駅舎と、整えられた街並みが広がっている。

 同じ信越本線の途中駅なのに、横川とはまるで別の国みたいだった。


「……なんか、腹立つ」


 思わず漏れた呟きに、隣の優香が吹き出した。


「初めて来た人の感想としては、だいぶ珍しいね」


「だって見てくださいよこれ。絵はがきじゃないですか」


「まあ、軽井沢だし」


「横川なんて油と煤と釜めしですよ」


「それはそれで最高だけどね」


 優香はけろっと言って、肩にかけたバッグを持ち直した。今日はおぎのやの臨時売店の手伝いで、私と一緒に軽井沢駅前広場の観光キャンペーンへ駆り出されている。


 駆り出されている、という言い方しかできないのは、ここに来ることを私が最後まで歓迎できなかったからだ。


 横川-軽井沢間のPRイベント。

 観光シーズン前の集客施策。

 横川側からは「機関士見習い」として私が出る。


 言葉だけ聞けば聞こえはいい。

 でも実際は、制服を着た若い女が一人いた方が人目を引く、というだけの話だ。


「そんな顔しないの」


 優香が小声で言う。


「顔?」


「してる。『ここにいる全員にケンカ売りたい』って顔」


「そんな顔してません」


「してるしてる」


 優香は笑っていたけれど、私は笑えなかった。


 駅前にはもう人が集まり始めていた。観光ポスター、信越線の写真パネル、名物の試食コーナー。どれも綺麗に並べられていて、駅員も売店の人も観光協会の人も、きびきび動いている。


 横川の詰所の雑然とした机や、機関庫の油まみれの床に慣れた目には、それが妙に眩しかった。


 しかも。


「あら」


 その声だけで、空気が少し変わった気がした。


 振り向く。

 白い手袋。細い指。ネイビーの制服を完璧に着こなした長身の女。


 西園寺志織だった。


 軽井沢運輸区の看板。

 新幹線の車掌で、雑誌にも載る。駅で見かけるだけで写真を撮られる。顔が綺麗で、姿勢が良くて、声まで澄んでいる。腹が立つくらい、何もかもが整っている女。


「あなたが横川の新人さん?」


 微笑みながら、値踏みするように私を見る。

 その視線の軌道だけで、自分の作業靴が妙に汚れて見えた。


「神尾あずさです」


 私は背筋を伸ばして名乗った。


「高崎機関区横川派出所所属。機関士見習いです」


「まあ」


 志織は少しだけ目を丸くして、それから口元に上品な笑みを浮かべた。


「思っていたより、元気そうでよかったわ。もっとおとなしい子だと聞いていたから」


「どこ情報ですか、それ」


「さあ?」


 さらっとかわされた。

 この時点でもう腹が立つ。


「西園寺志織です。軽井沢運輸区所属、新幹線車掌をしています。今日はよろしく」


「……よろしくお願いします」


 礼は返す。社会人として最低限。

 でも、どこか試されている感じがした。


 志織の視線が私の手元に落ちる。作業用手袋を外したばかりの、少し荒れた指先。朝きれいに洗ったのに、爪の際にはうっすら油汚れが残っている。


「大変そうね」


 柔らかい声だった。


「機関士のお仕事って、やっぱり汚れるのね」


 その一言に棘があるのかないのか、一瞬判断に迷う。

 でも、迷った時点で負けだ。


「現場ですから」


 私は言った。


「汚れます。仕事なので」


「そう」


 志織は頷く。


「でも、お客様の前に出るなら、もう少し整えた方がいいかもしれないわね。見られることも仕事のうちだから」


 その場の空気が、ほんの少し止まった。


 優香が横で「あー……」という顔をしている。

 私は笑った。たぶん、あんまり可愛くない笑い方だった。


「新幹線はそうなんでしょうね」


「ええ、そうよ」


 志織は即答した。


「車内でお客様が最初に見るのは、制服や立ち居振る舞いですもの。安心して乗っていただくために、“綺麗であること”も仕事よ」


「綺麗であること、ですか」


「そう。機械の性能だけで人はお金を払わないわ。心地よさや、夢や、憧れにだって払うの」


 私は少しだけ目を細めた。


 嫌な言い方だ。

 でも、間違っているとも言い切れない。


「横川は違うって言いたい顔ね」


「言いたいです」


「どう違うの?」


 真正面から来た。


 私は言葉を選ぶ。


「横川は、見せる仕事じゃないです。押す仕事です。支える仕事です。前に出るんじゃなくて、後ろから支える」


「素敵ね」


 志織はにこやかに言った。


「でも、それを知らない人には伝わらないでしょう?」


 返せなかった。


 志織は淡々と続ける。


「私はあなたのお仕事を軽んじているわけじゃないの。むしろすごいと思うわ。峠を支えるなんて、簡単にできることじゃないもの。でもね」


 そこで、ほんの少しだけ声の温度が変わる。


「すごいだけでは、人は集まらないのよ。伝わる形にしなければ、存在しないのと同じ」


 その言葉は、嫌味としてではなく、本気で言っているように聞こえた。


 私は黙った。

 悔しいけど、反論しきれない。


 横川は本当にすごい。

 でも、そのすごさを言葉にしたり、綺麗に見せたりすることは苦手だ。ものすごく苦手だ。


 だからこそ、私みたいな若い女が一人、こうして広告塔みたいに引っ張り出されている。


 理屈は分かる。

 分かるから、なおさら腹が立つ。


「失礼します」


 私はそれだけ言って、その場を離れた。


 逃げた、と思われたかもしれない。

 でも、これ以上立っていたら、たぶん顔に全部出た。


     ◇


「気にしすぎだよ」


 イベント会場裏のベンチで、優香が缶のお茶を差し出してきた。


「はい」


「ありがとう」


 受け取りながら、私はふてくされていた。


「別に気にしてません」


「してるって」


「してないです」


「じゃあ何で缶つぶれそうなくらい握ってるの」


 見れば、本当にそうなっていた。慌てて力を抜く。


「……あの人、苦手です」


「うん。それは見てて分かる」


「なんなんですか、あの余裕。あの綺麗さ。あの“分かってます”みたいな顔。見てるだけでムカつきます」


「西園寺さん、綺麗だもんねえ」


「そこ認めるのは悔しいですけど、綺麗です」


 私はお茶をひと口飲んだ。

 冷たくて、少しだけ頭が冷える。


「でも、ただ綺麗なだけじゃないよ」


 優香が言う。


「軽井沢って、ああ見えて競争激しいし、見られる仕事の人は本当に大変だよ。立ち方ひとつ、笑い方ひとつで評価されるし。あの人はたぶん、それを勝ち続けてきた人」


 私は黙る。


「勝ってきた人、か……」


「うん。だから手強いよ」


 優香はあっさり言った。


「でも、あずさちゃんだって負けてないと思うけどな」


「どこがですか」


「顔」


「は?」


「顔、可愛いよ」


「今その慰めいります?」


「違う違う、そうじゃなくて。あずさちゃんって、顔より目が強いんだよ」


 目。


「ムカつくとすぐ分かるし、悔しいときほどまっすぐ前見るし。ああいうの、好きな人は好きだと思う」


「好きな人って誰ですか」


「たとえば、現場の人とか?」


 そう言われて、私は咄嗟に別の顔を思い浮かべてしまった。


 眠そうな目。

 無愛想な横顔。

 必要なことしか言わないくせに、見ているところは見ている人。


「……別に」


「今、誰か思い浮かべたよね?」


「浮かべてません」


「分かりやすいなあ」


「優香さん」


「ん?」


「今ちょっと黙ってもらっていいですか」


「はいはい」


 優香は笑ったまま、それ以上は追及しなかった。


 私は視線を広場へ戻した。

 そこでは志織が観光客の案内をしていた。子どもにも老人にも同じように優しく、でも無駄がない。姿勢が良くて、声が聞き取りやすくて、立っているだけで絵になる。


 悔しい。


 ただ嫌いだから悔しいんじゃない。

 ちゃんと仕事ができて、ちゃんと見せることまでできているから悔しい。


 私にはまだ、何もない。

 機関士見習いと名乗っても、雨の日に貨物を一回押しただけだ。


 横川が好きだとか、現場が大事だとか、そんな気持ちだけで、あの人には届かない。


「……負けたくない」


 ぽろっと出た言葉に、自分で驚いた。


「うん」


 優香は軽く頷いた。


「それでいいと思う」


     ◇


 午後のメインイベントは、軽井沢駅前でのトークセッションだった。


 観光協会の司会がマイクを持ち、「碓氷峠を支えた機関車の魅力」だの「横川と軽井沢の連携」だの、いかにもなテーマを並べていく。


 私は横川側の制服代表として壇上に立たされていた。隣には優香。反対側には志織。そして、軽井沢運輸区の担当者が数名。


 緊張する。

 いや、緊張なんてもんじゃない。場違い感で胃が痛い。


 観客席には観光客が集まっていて、カメラまで向けられている。

 なんでこんなことになってるんだ。私は機関士見習いであって、客寄せパンダじゃない。


「それでは、横川の若き機関士見習いさんにもお話を伺いましょう!」


 司会が笑顔で振ってきた。


「碓氷峠の魅力って、どんなところですか?」


 急に来た。

 私はマイクを握る。


「えっと……碓氷峠は、急勾配を越えるために補機が必要で、そのためのEF63という機関車が――」


 言いかけた瞬間、客席の一部がぽかんとした顔をした。

 しまった。入る場所を間違えた。


「つまり、えっと……すごく、力が要る場所で」


 だめだ。言葉が散る。

 横で志織が静かにこちらを見ているのが分かる。


「だから、その……」


「碓氷峠は、“日本一手のかかる坂”なんです」


 志織が、自然にマイクを引き継いだ。


「列車が自力では登れないほど急で、そこを越えるために、横川の機関士さんたちが後ろからそっと力を添えるんです。目立たないけれど、なくてはならない仕事。だから私は、軽井沢に来るお客様にこそ、その存在を知っていただきたいと思っています」


 柔らかい声。

 分かりやすい比喩。

 客席が「へえ」と頷く空気。


 私はその場で、頬が熱くなるのを感じていた。


 悔しい。

 全部、私が言いたかったことなのに。

 でも私の言葉では、ああいうふうには届かなかった。


 司会が感心したように笑う。


「なるほど、さすが西園寺さん。とても分かりやすいですね」


「そんな」


 志織は控えめに微笑む。


「横川の皆さんのお仕事が本当に素晴らしいからです」


 その言い方すら、完璧だった。


 私はマイクを持つ手に力を込めた。

 爪が食い込む。


 その後も何度か会話の流れで話を振られたけれど、私はうまく答えられなかった。頭の中には伝えたいことが山ほどあるのに、出てくる言葉は硬くて、説明っぽくて、客席の空気から少しずつ浮いていく。


 いっそ黙っていた方がマシじゃないか。

 そう思い始めた頃、司会がにこやかに言った。


「では最後に、横川で働く若い女性として、このお仕事の魅力を一言お願いします!」


 若い女性。

 その言い方が、妙に耳に引っかかった。


 機関士見習いじゃなくて。

 若い女性。


 私はマイクを見つめた。

 視界の端で、客席のカメラが光る。志織は静かに待っている。優香が少しだけ心配そうにこちらを見る。


 逃げるな。

 でも、言葉が出ない。


「……魅力、は」


 喉が詰まる。


 その時だった。


 広場の向こう、駅舎の入口のあたりに、見慣れた影が見えた。


 高崎機関区の制服。少し猫背気味の立ち姿。腕を組んで、こちらを無表情に見ている男。


 北斗先輩。


 なんでここに。

 いや、そんなことより。


 見られている。


 その瞬間、不思議と呼吸が戻った。


「……汚れるところです」


 気づけば、口が動いていた。


 客席がざわつく。

 司会が目を瞬かせる。


「よ、汚れる?」


「はい」


 私はマイクを握り直した。


「機関車は汚れます。手も、制服も、顔も。夏は汗だくで、冬は凍えます。目立たないし、綺麗な仕事でもないです」


 自分でも、ずいぶんぶっきらぼうな言い方だと思った。

 でも、もう止まらなかった。


「でも、だからこそ本物です」


 少しだけ、空気が変わる。


「前から見れば、お客さんを乗せた列車が走っていくだけに見えるかもしれません。でも、その後ろで押してる人間がいます。見えないところで、滑らないように、止まらないように、ちゃんと峠を越えられるように踏ん張ってる人間がいます」


 客席のざわめきが少し静かになる。


「私は、その仕事が格好いいと思ってます」


 言い終わった瞬間、心臓が跳ねた。

 やばい。勢いだけで言った。


 客席は一瞬静まり、それから、ぱらぱらと拍手が起きた。

 大きくはない。熱狂でもない。

 でも、ゼロではなかった。


 司会が「あ、ありがとうございます」と、少し戸惑い気味に笑う。


 志織がこちらを見た。

 その表情は読めない。嘲笑ではなかった。驚きと、少しだけ興味が混じっているように見えた。


 広場の向こうでは、北斗先輩が腕を組んだまま、ほんの少しだけ顎を引いた。

 頷いた、ように見えた。


 それだけで、私はなんとか立っていられた。


     ◇


 イベント終了後、片付けを手伝っていると、背後から落ち着いた声がした。


「さっきは、少し見直したわ」


 振り向く。

 志織だった。


「……どうも」


 素直に喜べない言い方だったけれど、無視するほど子どもでもない。


 志織は腕を組み、駅前広場を見渡す。


「あなた、話し方は下手ね」


「ぐっ」


「でも、嘘はつかないのね」


「……悪いですか」


「まさか」


 志織は少しだけ笑った。


「見せ方を知らないだけで、伝えるものが空っぽな人ではないって分かったわ」


 私はじっと志織を見る。


「あなたも」


「え?」


「ただ綺麗なだけじゃないんですね」


 言ってしまってから、ちょっと言い方が悪かったと思った。

 でも志織は怒らなかった。


「当然でしょう」


 むしろ少し呆れたように返してくる。


「綺麗でいるのも仕事よ。笑顔も、姿勢も、声も、全部訓練してきたわ。何もしなくてもこう見えると思われるのは、正直不本意ね」


 その言葉に、私は少しだけ目を見開く。


「……そういうの、言うんですね」


「言わないようにしてるけど、あなた相手ならいいかと思って」


「なんでですか」


「食ってかかってくるから」


「悪かったですね」


「ええ。とても」


 でも、その口元は笑っていた。


 しばらく沈黙が流れる。

 さっきまでの嫌な空気とは少し違う、妙な緊張だけが残った。


 やがて志織が、ふと別の方向へ視線を向けた。


「杉浦さん、来ているのね」


 心臓が一瞬だけ跳ねる。


「……はい」


 気づけば、私も同じ方向を見ていた。駅舎の柱にもたれるように、北斗先輩が立っている。こっちを見ているのかどうかは分からない。分からないけれど、いる。


 志織の声が少しだけ柔らかくなる。


「相変わらず、愛想のない人」


 その言い方に、私は目を細めた。


「親しいんですか」


「昔、少し」


 曖昧な言い方。

 その曖昧さが、余計に気になる。


「横川のことも、彼のことも、私はよく知ってるつもりよ」


 志織が私を見る。


「だから言っておくわ。あなたが本気で横川を守りたいなら、“気持ち”だけじゃ勝てない」


「……」


「現場の誇りも、泥臭さも、尊いわ。でもそれだけでは人はついてこない。伝える技術も、見せる覚悟も要る。あなたがそこから逃げるなら、いずれ横川ごと置いていかれる」


 厳しい言葉だった。

 でも、ただ傷つけるための言葉ではなかった。


 私は唇を噛む。


「……分かってます」


「いいえ。まだ半分も分かってない顔」


「じゃあ教えてくださいよ」


 思わずそう返していた。


 志織が少しだけ意外そうに目を瞬かせる。


「何を?」


「見せ方です。伝え方です。お客さんに届く言葉の選び方。私、今日何もできなかった」


 悔しい。

 言っていて、情けないくらい悔しい。


「でも、負けたままは嫌です」


 その言葉に、志織はしばらく黙っていた。


 やがて、ふっと笑う。


「面白い子ね、あなた」


「よく言われます」


「褒めてないわ」


「でしょうね」


 志織は手袋を外しながら言った。


「じゃあ一つだけ。お客様に伝えるときは、自分が知っていることを全部言おうとしないこと」


「……はい」


「一番好きなものを、一番分かる言葉に変えるの。専門用語じゃなくて、感覚にする。今日のあなたの『汚れるところです』は、悪くなかった」


 私は目を見開いた。


「え」


「本当は、その後にもっと整理が必要だけど」


「そこまで褒めるなら褒めきってくださいよ」


「調子に乗るから嫌よ」


 その物言いは相変わらずだった。

 でも、最初に会った時ほど刺さらない。


 志織は最後にまっすぐこちらを見た。


「神尾さん」


「はい」


「私は、綺麗であることを捨てる気はないわ。結果を出すことも、見られることも、全部仕事だから」


「……はい」


「だからあなたも、泥だらけであることに甘えないで。現場の人間だから不器用でいい、なんて逃げ道にしないこと」


 それだけ言って、志織は背を向けた。


「また会いましょう。今度は、もう少しまともに話せるといいわね」


 ヒールの音を響かせて離れていく後ろ姿は、最後まで絵になっていた。


 悔しい。

 やっぱり悔しい。


 でも、もうただ嫌いなだけではなかった。


     ◇


 帰りの横川行き。

 夕暮れのホームで貨車の連結を見ていると、背後から缶コーヒーが差し出された。


「飲め」


 北斗先輩だった。


「……ありがとうございます」


 受け取る。まだ温かい。


「来てたんですね」


「仕事だ」


「見てましたよね」


「少し」


「少し、じゃないでしょ」


 北斗先輩は答えなかった。

 でも否定もしなかった。


 私は缶のプルタブを開ける。甘くて苦い匂いが立つ。


「……だめでした」


 ぽつりと呟く。


「何も言えなかった。言いたいことはいっぱいあったのに、全然まとまらなくて。志織さんの方が、ずっと横川のことを上手く伝えてた」


 北斗先輩は線路の先を見たまま言った。


「そうだな」


「否定してくださいよ、そこは」


「嘘ついてどうする」


「ほんとに容赦ない……」


 私は缶を握りしめた。


「でも」


 北斗先輩が続ける。


「お前の言葉じゃないと出ないものもあった」


 私は顔を上げる。


「……“汚れるところです”」


 その一言に、心臓がまた変な跳ね方をした。


「普通はもっと綺麗に言い換える」


「自分でもそう思いました」


「でも、お前はそれを選ばなかった」


 北斗先輩がこちらを見る。


「それは武器だ」


 短い言葉だった。

 でも、たぶん今日いちばん欲しかった言葉だった。


「武器……」


「ただし、振り回すだけじゃ駄目だ」


「はい」


「磨け」


 私は少しだけ笑った。


「先輩、それ褒めてます?」


「必要なことを言ってるだけだ」


「じゃあ褒めてるんですね」


「面倒くさいな」


 その言い方が少しだけ柔らかくて、私は笑ってしまった。


 でもすぐに、真顔に戻る。


「先輩」


「何だ」


「私、負けたくないです」


 北斗先輩は黙っている。


「志織さんに。ああいう、ちゃんと見せられる人に。綺麗で、強くて、結果も出してる人に」


 言葉にして初めて、自分の胸の奥にあるものの輪郭がはっきりした。


 ただ羨ましいんじゃない。

 ただ劣等感があるんでもない。

 私はもう、あの人に勝ちたいと思っている。


「横川が好きなだけじゃ、足りないんですよね」


 北斗先輩は少しだけ目を細めた。


「ようやくそこまで来たか」


「……遅いですか」


「いや」


 北斗先輩は缶コーヒーをひと口飲み、静かに言った。


「それでいい」


 それだけだった。

 でも、十分だった。


 夕暮れの線路の向こうで、横川行きの列車が低く汽笛を鳴らす。

 軽井沢の洗練された空気は、どこか遠ざかっていくようだった。


 私は空になりかけた缶を見つめる。


 綺麗な人がいる。

 強い人がいる。

 私の知らない世界を、ちゃんと知っている人がいる。


 でも、だからこそ逃げたくない。


 横川のことを、現場のことを、鉄と油の匂いがするこの仕事の格好よさを。

 今度は、私の言葉でちゃんと伝えられるようになりたい。


 そしていつか、あの人に言わせたい。


 泥だらけのくせに、負けない。

 あんたはそういう女だって。


 列車が動き出す。

 私は車窓に映る自分の顔を見た。


 綺麗とは言い難い。

 悔しさで少し目つきも悪い。

 でも、その目だけは前より少し強くなっていた。


 私は胸の内で、はっきりと言い切った。


 ――負けたくない。


この小説は、私が20年前に執筆した「こちら高崎機関区横川派出所です!」をベースにして、生成AI(ChatGPT)を用いて全体プロットの練り直し、各話詳細プロットの壁打ち・作成、本文の作成を行なっています。

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