第1話:歯車が奏でる港の朝
朝の風が、港町イルムヘイムの波面をそっと撫でる。
小さな波が灯台の下で踊り、遠く停泊する交易船が汽笛を響かせる。しかし、その音にはどこか淋しさが混じっていた。港は疲れ切っている。
「はぁ……これが、私の故郷か」
アリア・ルーチェは、肩に掛けた工具箱を軽く揺らしながら、古びた工房の扉を押した。木の軋む音に、かつて見習いとして過ごした王都の工房を思い出す。あの頃は、歯車の組み合わせ一つで心を踊らせる日々だった。
しかし今、目の前に広がるのは、錆びついた水門、壊れた風車、そして埃まみれの灯台。町の人々の表情も曇っていた。
「まずは、水門か……」
アリアは工具箱からレンチとハンマー、歯車の小さな部品を取り出す。蒸気ポンプの配管を確認しながら、設計図を頭の中で組み立てる。
「よし、ここはこうして……あ、でもここを外すと水圧が下がるな」
頭の中の歯車が、実際の歯車と重なって動く。見習いの頃に学んだ理屈と、港で使う実地感覚が、今、初めて一つになった瞬間だった。
数時間後。錆びた水門がゆっくりと動き始め、水が港に満ちる。小さな歓声があがる。
「うわっ、水門が……動いた!」
「これで船も安全に停められるね」
町の子どもたちが目を輝かせ、元船乗りの老職人は目を細める。
アリアは微笑み、次の風車に向かった。
――だが、港の復興は表向きのことに過ぎない。背後では、商会が利権を狙い、効率重視の改革派が住民を切り捨てる計画を密かに進めていた。
「どちらにも属さない――これが、私の道」
アリアは心の中で誓う。
手を動かし、頭を使い、人々と共に町を直していく――。港町の小さな工房から、少女の歯車が静かに世界を回し始めるのだった。