機獣訓練士与幻(よげん) 僕はPhantom child を育てる
やや重いです。読んだ話に気分が引きずられる方はそっとじお願いします。ちょっとメンタル弱めの方には不向きです。
昨日、僕の工房 与幻に新し素体が届いた。
アジア系・人型・5歳・女児。名前はイツキ。長々しい記号や番号を含んだ正式な名称は、顧客の前では使わないようにしている。「この子」は彼らにとってイツキなのだ。顧客の要望はイヤイヤ期が終わって小学校入学前の、好奇心が強めな元気な子。そこまで育った子供を受け取りたいとのご要望だ。
今現在のこの子は、ボディが出来上がり、呼吸や視聴覚、痛覚などの感覚器官の調整、発声機能、基礎的な知識などが付与された段階だ。まだ性格や特殊技能などは何もインストールされていない。
ここに喋り方や動作のクセ、声の高低、感情表現の傾向などを細かく設定した、いわば個人を象るデータ、「性格設定」を載せていく。さらに設定に合わせた細かい技能を付け足して、全体が齟齬なく動作するようにしていく。
この工房では、生きた動物を飼えない人たちのために作られる、見た目が動物に似ている機械を主に扱っている。昔はAIロボットやアンドロイドと呼ばれていた、知性や性格を模した頭脳を積載した機械は、今では動物型と人型に分けて、それぞれ機獣、人型機獣と呼ばれている。
動物型はペットや介護補助として、人型は秘書や受付などのサービスに多く使われていて、優しい表情や言葉選び、人を害さない動きなどを学んでから顧客に渡されていく。
この工房では、ペットや一般的な仕事をさせる人型そのままではなく、特別な要望に応えて外観や性格を整えてほしいという注文が多い。
どちらにしても通常よりも細かな調整が必要で、そのため僕は職業としては「機獣訓練士」を名乗っている。なぜだか機獣という言葉を嫌う人たちによって、獣型機獣の代わりに「カスタム幻獣」という呼び名が定着しつつある昨今、僕もそのうち名乗りを変えなければならなくなるかもしれないけれど。
この工房で扱っているのは、依頼主の要望に沿って徹底的にカスタマイズされた、たいていは死んでしまった誰かにそっくりな、子供だったり、妻だったりの複製、もしくは依頼主が手に入れられなかった誰かが、そう年齢を重ねただろう姿を持った、機械だ。
もっとも、そっくりなようでいて、その実、依頼主にとっては都合の悪い部分が変更されていたり、削除されていたりするのは、幻を売るこちらとしては、心の隅にでも認識してはいけない事実でもある。
ビジネスに必要な好印象を付け加えられる、秘書や会社員としてのAIやアンドロイドと違って、顧客の情緒にダイレクトにリンクしている人型機獣はあまりにも法律すれすれのアウト寄りなので、なんとか生きている人間の複製だけは受注しないように、毎回客先の周囲を調べ回って自己保身に努めている。
すれすれアウトとセーフの間に立って言い訳をこねくり回しているこの業界でも、子供の人型は完全にアウトだ。つまりイツキはアウトだ。
子供型機獣は幻の子-Phantom child-と呼ばれ、それを請け負う工房ははっきりとそれを掲げることはない。人型機獣訓練士の中でも子供の訓練を請け負うのはごく一部で、業界内では隠語としてPhantom child Nanny と呼ばれている。訓練士ではなく保育士だ。僕が自分の工房名に「与幻」と幻の文字を入れているのは、それが心に引っかかっているからもある。
我ながら、なぜこの仕事を続けてしまうのか、自分の心情が理解できない。
誰かが、失ってしまった子供を取り戻したいと泣くたびに、子供を亡くして心を病んでしまった妻の泣き崩れる姿が思い浮かぶのに。ここから離れたいと思うのと同じくらい、この仕事から離れてはいけないと思ってしまい、心が沈むのに。
誰かのために、誰かの代わりになる誰かを訓練する体で実は、修道士が厳しい日常を送るように、身を削って祈っているような気持になるのだ。
昨日届いたばかりの新しい素体・イツキ・の形状はややふっくらしていて、抱えるとずっしりと重く感じるよう、下半身に重心が来る体型に作ってある。
体がきゃしゃで頭が重いタイプは転びやすく、それはそれで可愛らしいのだが、今回の顧客の注文では、2つ3つのアジア系が混じった、頭とおしりが大きめの、黒目黒髪を基本モデルに選んでいる。
髪は太めで量は多め、濃いめの黒に近い茶色で、手触りは硬い。注文主の子供たちがそんな感じの髪質で、それに似せて作った。それをざっくりしたおかっぱにしてある。
イツキは梱包を開けるまでは真っ直ぐに箱に寝ていたが、一度試しに起動させてみるとその後は少し体を傾けて、手を軽く握り、口を開き気味にして寝息を立てている。頬の皮膚はぱんぱんにつっぱっていて、健康な子供が寝ているようにしか見えない。眉が太い。
依頼主はこの素体がここに送られてくる前に工場まで出向いて、外観を見てOKを出しているのでこれで良いのだろう。その時に肌や髪を仕上げる工房の者も一緒に見ているはずなので大まかには問題ないはずだ。
そうやって外観の確認に工場まで出向いてもらうようなことはあるが、普段の顧客とのやり取りの窓口は基本的に僕がする。受注や調整、全体の窓口を一本化して顧客の利便を図るためと、後ろ暗い関連会社をできるだけ見せないための担当というわけだ。何しろ子供型だしな。
外観や性格のデザインも、実際にこの工房で全部するわけではなく、他の工場や工房、デザイン事務所など多くの人や場所が関わり、手分けをして作り上げていくのだが、窓口を散らすと顧客が混乱したり、イメージがうまく伝わらなかったり、と色々弊害があるし、顧客の方でも詳しく説明され過ぎても分からないのだ。
この工房で実際にすることは、顧客の要望に合わせて、素体に性格や動作のくせなどを割り当てて行く、いわば全体的なデザインを最初にする工程を受け持つことなので、出来上がって渡す場面にも立ち会うことが多く、結果、全体の窓口としての仕事も請け負うことが多い。
今回のこの素体・イツキ・の外観は、顧客本人、その幼児期、夫、本人と夫それぞれの父母、三人の子どもたちのデータをもらって作られている。DNA、写真、3Dモデル、動画などを参考に作られたこの素体は、僕にはまるきり本当の人間の子供にしか見えない。
それなのに、工場の人間に言わせると、工場出荷時にはまだまだ仕上がりではないらしい。そのため工場からさらに別な工房を通ってからこちらへ送られてきている。
注文からここまで半年以上かかっているが、それでも、ここでの素体の教育が終われば素体を作った工房に戻して、そこで最終的に容貌を整えてもらうことになっている。容姿は依頼主のところの次女寄り、性格は長男寄りに仕上がる予定だ。
うちが終わって素体の外観調整が終われば、いよいよ納品だ。顧客は新しい家族を迎えることになる。成長を望むなら継続的に素体の変更とあるいはデータの入れ替えが必要になるが、この顧客はそれを望んでいない。すでに成人した子供たちのいなくなった家で、両親である顧客とイツキとの三人暮らしになり、今後のうちとの付き合いはメンテナンスだけになる予定だ。
依頼主は長い間節制してお金を貯めたらしく、人間に合わせた成長をさせてやることはできないそうだ。すでにいる三人の子どもたちは、自分たちの生活を圧迫して注文されたこの高価な「新しい妹」をどう思うのだろうか。子どもたちが巣立ったあとの家で、いつまでも成長しないこの子は、注文主の心を本当に慰めるのだろうか。
うちから出荷されるような機獣の中でも、人型はある程度モデルが用意されている。ビジネスに、介護にと用意されたそれらは、基本的に、あまり人に近づきすぎないようなデザインを義務付けられている。そこからカスタマイズするのだが、今回のようにほとんどオリジナルの場合もある。
顧客には言わないけれど、実は僕もそんな人型を「幻の」存在だと思っている。新素材で作られカスタマイズされた性格や知能を載せた誰か、その中でも、自分が失ってしまった子どもたちは、特に。どう育ったのかすら誰も知らない、幻の子どもだ。
幻の子どもたちを作るときには契約を厳しくして、一度注文を受けたら全額一括入金、メンテナンスを怠れば財産の差し押さえを盛り込んだ内容にしている。
親がどんな気持ちで注文したかには関係なく、幻の子どもたちは、一般家庭には高価過ぎる持ち物だ。幼児型なら労働させることもできないし、カスタマイズされた個体はメンテナンスも高額になる。廃棄するにもかなりの手間とお金がかかる。だから覚悟が必要だ。
この子は、いつまでこのままで注文主のところにいられるのだろうか。
午前中は、素体の基本的なソフトのアップデートと動作確認で終わってしまった。注文が決定してから出荷までの間に、技術が進んだり、法律が変わったりしていれば、それに対応しなければならないので、これは必要な作業だ。
日常生活の中でその知識は表に出なくても、法を犯さないように行動制限がかかる。この子は、誰かの子供として紹介されることも、学校に通うこともできない。
機獣の中でも、過去の実在を取り戻したくて作られたこれらは、社会に取って、誰にとっても余計な存在、幻だ。それは時に、存在しなかった過去、あるいは誰にも選ばれなかった未来でもある。苦しすぎて存在できなかった存在。弱すぎて消えてしまった存在。それなのに求めずにはいられない。
顧客は幻を求め、僕たちは日々、その幻を形にしていく。打ち合わせは、微に入り細に入り確認が続く。顧客が心の中に持っている幻を、言葉や画像を手がかりに彫り出し、形を与えて行く。画像や音声だけでは足りない、立体感や現実感、体温までを求めて、人々はやってくる。
午後からは新しい顧客との打ち合わせが予定されている。今度の顧客はどのへんが壊れた人間だろうか。
僕は来客への対応の用意を始めた。
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