第三話
第三章
思わずベンチから立ち上がる。
あたりを見渡すとアイツがジャングルジムの上にいた。今度はセーラー服だった。
月明りに照らされた彼女は、夢で会った時より人ならざるモノの気配がした。
「また会ったわね。」
「今日。色々あったと思うわ。どうだった?」
「・・・不快だよ。」
もう色々驚き疲れた。もしかしたら現実じゃないのかもしれないって思ってた。
そうあってほしかった。
「教えてくれ!俺に何をした!!」
サリア、と自分を名乗っていたその女は、小さく口角を上げて
「あの夜。あなたが触ったあの魔導書は、禁書の一つ」
「自分の命と引き換えに、願いを叶える事ができるの。そしてあなたは死の間際無意識にあることを願った」
願いが・・・叶う?
「まあ、思ったより退屈な願いで、幻滅したけどね」
「待ってくれ!分かった!もうそんなことはどうでもよい!とにかく帰らせてくれ!!」
必死に願った。というか、これが最も強く思う願いなんじゃないのか?
「この願いをかなえてくれよ!それなら!!」
「聞いてなかった?願いは叶えられたのよ。命と引き換えに。」
「・・・!俺は、俺は何を願った?」
「『自分がいない世界に行きたい』だったわ。正直良くわからなかったから、こんな風に作ってみたけど。」
女は毛先が気になるのか、弄りながらこちらに語ってくる。
そして俺を見据えた。
「あなたがいない世界。つまり、あなただけ存在がすっぽり抜けた世界。どう?」
「ま、満足だと・・・」
「だってあなたが望んだのよ?心の底から。」
嘘だ。そんなこと・・・いや・・・
「まあ正確に言うと、自分が別人になった世界?並行世界?色々呼び方あるけど」
「うん。『現実逃避』。これが一番しっくりくる言葉ね!あなたは死ぬ直前まで、現実逃避していたのよ。」
「・・・」
否定は出来なかった。心のどこかで逃げ出したい衝動に、ずっと駆られていた。
朝起きた時、電車にゆられ職場へ向かっている時、PCに向かっているとき、帰り道にご飯を食べている時。
あまりにも渇き切った人生だった。
波風がなく、音もない人生だった。
それだけが、サトウヨシキだった。
「昔。」
彼は自嘲気味に笑った。
「凄い暑い日に、親父を殴ったことがあって。」
ポツポツとあふれ出る。
「その日が、人生最高の日だったかな。」
語りだしたサトウを、女は真顔で覗いていた。
「離婚して・・・でも親父は資産家で・・・俺の周りには母親以外誰もいなくなった。」
「・・・」
「その日から、ずっと生きるのが苦しい。」
「それはどうしてかな?」
「アイツに!!圧力をかけられて!!恋愛も!就活も仕事も何もかもがダメに!!なったんだよ!!」
上手く言えなかった。けれど吐き出した。
「・・・なら変ね」
「・・・何が」
「それだけの憎しみがあって、何故こんな願いの形になったのか。」
女は空を見上げる。
「それだけの憎しみがあれば、あなたが衝動的な殺人をしてしまうような世界を作ってあげたのに。でも望まなかったから。」
「・・・」
「でも、どうでもよいわ。もう満足?」
渾身の吐露もどこ吹く風で、女はこちらを見下ろしていた。
サトウは、自棄になった。
「・・・ああ。」
そうか。ここで終わるのかな。俺の人生は。よくわからないけど。もういいや。
既に生きる意欲を失っていて。サトウの脳裏には、これまでの生きてきた変遷を、思い出を辿っていた。
「本当に?」
「・・・そんなわけあるかよ。もっと生きたかったさ。不本意に刺し殺されかけて、お前を発動してしまった。」
「生きて、何をしたいの?」
眉間がビクっ動いた。
いちいち癇に障る奴だ。俺を殺しかけている張本人が。まだ俺を悩ませたいのか。
「良い?魔導書は命を代償に願いを叶えるものよ。」
「あなたの本当の願いは「あの!」」
急に自分の声が聞こえた気がした。おかしい。
「こんなところで、一人で突っ立ってて・・・怖いですよ・・・何かあったんですか?」
それは、自らをクボと呼んでいた、自分と瓜二つの青年だった。
「あ・・ああ」
「・・・子供の送り迎えをしていたら、偶然あなたを見かけて。でも公園の真ん中で突っ立っているだけだから・・・ちょっと危なっかしそうだったので話しかけちゃいましたハハハ・・・あの、大丈夫ですか?」
「・・・」
やはりこいつは瓜二つの人間が目の前にいても、全く意にも介さない。
「いえ、大丈夫です。」
「そうですか・・・まあちょっとそこのベンチで休みませんか。」
そう唆されつつ、ちらっと女がいたジャングルジムの方向を見ると、あの魔導書が落ちていた。
あの女は、あの魔導書だったのか。
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それから他愛もない話をした。
クボは現在、二歳の可愛い息子がいて、色々慣れてきてやっと子供のいる生活に慣れてきたらしい。
奥さんも、働いていてたまに喧嘩もするが、基本は子供の前では見せないようにする・・・と。
「あ~すみませんね。こんな話ばかりして。僕も本当は誰かに打ち明けたくなるくらい鬱憤がたまってたのかな~って。」
「はは・・」
「サトウさんは普段何をされているんですか?」
「一応SEを・・・」
「へえすごい!自分はどうしても頭脳労働が苦手で、身体動かさないと稼げないようなやつなんで尊敬しますわ!」
「たはは」
なんだこいつ。なんでここまですり寄ってくるんだ。普段鏡で見る顔がこんなに迫っていると気持ちが悪いな。
というか、これが俺の作った世界なんて。ちょっと信じられないな。
「・・・なんかすみませんね。こんな世話話くらいしかレパートリーが無くて・・・サトウさん本当に自殺するんじゃないかって顔してたんで。」
「ハハハ。まさか。ちょっと酔ってただけですよ。」
自殺だけはしないと心に決めていた。
殺されるきっかけがあればいつでも死んでやった。
「それは良かった。まあ、お互い頑張りましょ。あ、そうだ腹減ってませんか?」
「え?」
「いや、ちょっとね。実は息子がお弁当残しちゃってて。で、これ。」
「・・・いやいや流石に悪いですよ。」
「大丈夫ですって。それに、なんだかほっておけないし。」
なんだこいつ。
普通なら怪しむところだったが、自分の顔面過ぎてあまり怪しめない。
いや、怪しいんだけど。 でも正直疑い疲れた。何も食べていないってのもある。
「いただきます。」
「あ、僕がいないところで食べてください。」
なんだよこいつ。そして目を離す。
「はあ。」
全く、これ食ったら死ぬんかな。そんな筋書なのか。魔導書さんよ。
ふと魔導書のあった方を見る。しかし、会ったはずの場所に、無かった。
「しかし、聴いている限り、あなたって本当に退屈な人ですね。」
「・・・は?」
「あまりにも退屈で、居間で死んでいた方がマシだったくらい。」
急に辛辣になったクボを見る。
しかし隣に座っていたのはあの王女だった。こちらを、あの真っ黒い目で覗いていた。
「ハロー。」
瞬間、脇腹に激痛が走る。
「グッ!!!」
熱い何かが流れた。思わずベンチから崩れ倒れる。
見上げると、あの王女が、黒いナイフを持って揺れていた。
「ッッ!!なんなんだよ!!お前は!!」
「嬉しいわ!あなたをまた殺せるなんて!!」
大きく振りかぶり、ナイフは勢い良くサトウのいたところめがけて
サトウは、瞬間何とか転げまわって回避した。
「・・・フフフ。亡霊でも見たかのような顔ですね。」
「お前はあの魔導書じゃないな。俺を殺したあの王女だ。」
「ご明察ですわ。」
「・・・何故俺を殺そうとする。」
「それは簡単。あなたに誰も彼もを奪われたから。私の全て。」
ゆらゆらと近づいてくる。腰を低くする。
「死んで!」
「!!」
突進してきた王女に対して、先ほど転んだ際につかんだ砂を投げつけた。
「・・・ウッ!!」
僅かに出来た隙を、サトウは見逃さなかった。
瞬間、爪が抉れるほどの握りこぶしを作り、それを王女の顔にめがけて振り下ろした。
バキッ!!
右手に、王女の鼻の骨の感触が伝わってきた。
王女は軽く吹っ飛び、地面に突っ伏した。
サトウはそのまま逃さず、王女に馬乗りになった。
そうして振りかぶり、叫んだ。
「おい!!もう!!もうやめろよ!!なんでこんなことするんだよ!!」
そのまま、動けなくなった。身体の震えがとまらない。
何故か涙も出てきていた。
「・・・ハハッ。情けないわね。生きたいんじゃないの?あなた。」
王女は嗤った。
「私は、たとえ私一人になったとしても、私の国を再興させてやるわ。そのためには生きねばならない。」
「どこの世界かも知らない、平和な国で、生きる目標も意気もない人間。生贄にはちょうど良いじゃない。」
瞬間、サトウは悟った。自分は本当にあの世界に召喚されていた。
そして、この女の野望の為に、自分の命が侵されかけていたこと。
その瞳は、どこまでも真っすぐ、サトウを貫いていていた。
どう召喚したのかは分からない。何故自分が選ばれたのかも知らない。
ただ、どうしようもない悲しさと、燃え上がる怒りだけが、今のサトウを支配していた。
「ふざけるな!!」
サトウは拳を振り下ろす。
しかし、最小限の首の動作でよけた女は、カウンターの右フックをサトウに放った。
世界がひっくり返った。
慌てて、起き上がり、態勢を立てなおす。
女も既に立ち上がっていた。
「あの夜。私も間者に刺されたのよ。あちらも一枚岩じゃないってこと。見落としていたわ。」
「本来なら、あなたの命と引き換えにあの国を火の海にする計画だったんだけど・・・」
「急遽変更で、自分の命を願った。そしたら、ちょうどあなたも願ってたみたいで、あの魔導書もおかしくなったのかしらね。私とあなたの願いが混ざりあっちゃったわね。」
ふと気が付くと、あの城の部屋にいた。
「二つの願い。叶えられるのは一つだけ。」
城に火の手が回る。
「ごめんね。」
女は、王女は悠然と佇んでいた。