第一話
苦しいという気持ちは、何のためにあるのだろうか。
心が苦しいと感じることに、なんの意味があるのだろう。
昔は自分の成功を信じてやまなかった。今上手くいかなくても、いつか上手くいく。
いつか成功する。いや、勝手に成功している。そんな気がして。
サトウはそんなことを考えながら、いつものPCの前に座った。
「お、サトウ君今日も早いね。ここの仕事もなれてきた?」
「はは!おかげさまで随分と!!」
座り際に、ジュースを飲みながら先輩が話しかけてくる。
や、あなたの方が早いし。
覇気のないツッコミを心の中でしつつ、セットアップを始める。
自分はこの会社に転職してまだ三か月である。前職で入った会社は、人間関係が問題で離職した。
新卒で入ったけど、あまりに気が合わずに辞めてしまった。
今でも間違いではないと思っている。
「あ、今日はこことここをやるから。あと目標面談もあるからね。目標考えといてね。」
「はい!」
目標を立てることが自分の最も苦手な事だった。
目標のない人生を歩んできてしまった弊害である。
その場しのぎの人生を、社会人では楽しませてくれない。
「・・・よし。」
そういって横についている電源ボタンを押した。その瞬間・・・
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気が付くと、絢爛なベッドの上で寝ていた。
10m以上はある天井、丸鏡と絵画で敷き詰められた壁。ベッドの傍らに水が入った瓶がある。
とてもじゃないが動画でしか見たことがないような豪華さであった。
・・・なんだ???
やばい、何かやらかしたか?
そう思い、記憶を辿るが、真夏の平日に出社してPCをセットしたのが最後の記憶だ。
こんな場所も知らない。スマホがない。終わった。
今日が何曜日か分からないが、会社に報告できない。
まだ転職したばかりだというのに、早速ポカをしてしまった。
ありえない。そう思い、視線が下から外れない。
・・・ま、今はおいとこう。仕事自体は急用はなかったはず。
そう言い聞かして、若干の開放感を感じつつ、あたりを見渡す。
どうやら女性が住んでいたっぽい雰囲気がある。点在する花瓶やクローゼット等、
男性のそれではなかった。そしてあることに気づく。
扉がない
どういうことか全く分からない。
ベッドを降りてシャンデリアの裏を確認しても、何も穴のようなものがない。
「ハロー」
!!急に背後から声が聞こえた。
振り向きざまに見たその姿を、自分は一生忘れることはないだろう。
二十代くらいに見えるその女性は真っ黒な髪の毛を腰まで伸ばし、黒井真珠のような瞳でこちらを覗いていた。
はつらつではないが、確かにその声は楽しそうに聞こえた。
「えっと」
「私はこの国の王女サリア。よろしくね」
「こちらこそです・・・・・え?」
あれ?あまり行ったことないけど、こういう風俗的な何かか?サービス?
やばいよそんな欲がまだ・・・って国?王女?
「ふふ、ちょっとお話しましょ?」
「・・・先に自分から質問しても良いですか」
「どうぞ」
「なんで自分はこんなところにいるんですか?国って何ですか?日本じゃないんですか?」
「二ホン?よくわからないけどここはべリア王国の東に位置するパラヤ砦の最上階よ。あなたがここにいる理由は知らないわ」
「え」
「さあ、そんなことより私の話を聞いて?」
「あ」
「ちょうどね?今隣の国と戦争しててね。でももう少しで陥落しそうなのよ。あいつら番族は知能がないから余裕でね。」
「・・・」
「やつらも。もう少し私たちに対してやりようがあったはずなのね。自爆特攻とか、毒とか、工作員とか。でも結局諦めて降伏しそうなの。結局私たちべリア大国の物量に、勝てるわけがないって悟っちゃったの。勿体ないわよね。」
「私なら、この臓物が掻っ捌かれるまで抵抗するのに・・・」
「・・・言うのは簡単じゃないですかね。」
「はは。そうだね~」
彼女はずっと僕の眼を見ながら薄ら笑いで語りかけてくる。
全く内容が入ってこない
「平和ボケしてたから。失うことへの恐怖で足がすくんで。何も出来ずにほろんで。うふふ哀れよねえ。」
「気分が良い話じゃないですね。。。」
「・・・あなた。やっぱりつまらないわね。」
「ええ。てか戦争で幸せになる人なんていませんよ。」
そう言うと、一瞬沈黙が訪れる。
彼女はベッドに腰かけたまま、特に動かなかった。
居心地が悪くなり、再度あたりを見渡す。やはり出られそうなところはない。
ていうか頭のおかしい電波女の話を聞いてて、自分もそれに乗ってしまって恥ずかしい。
なんだよ戦争って!
こんなキャラで固められたような女の話を聴いてて嫌になってきた。早くここからでないと。
もう一度振り向きなおす。
「自分ちょっと仕事があるので。あ、すみません自分の名前はサトウと申しま」
その言葉は最後まで言えなかった。
王女がナイフを振りかざしていた。
目に、一閃走る
刹那、熱いものが吹き出す感覚が溢れる。
「え・・ああ・・ああ!」
右目がおかしい。開かない!
足がよろける。
「ちょっと待ってください!ぐっ!」
すかさず王女が、自分に近づき、切っ先を喉に向けた。
そして迷いのない動きで、僕に突っ込んできた。
思わず刃先を右手でつかもうとする。つかんだ。手の内から赤黒い何かがでてくるのを感じながら
「なんで!」
「私が殺すべき他人が、あなただと分かったからよ。」
な・・・なんだよそれ・・・
「待ってくれ!せめて説明だけしてくれ!!」
「・・・」
ナイフにかける力を弱めず話してくる。
必死に両手で抑えているが、徐々に滑っている。
馬乗りになって、明確に喉を狙っている
「・・・ひい!!」
「生きるために殺すの。それに正しいも間違いもないわ。戦争というのは。」
「何か、気に障ったことをいってたら謝ります!」
「いえ、あなたの問題じゃないのよ。私の問題。」
こいつ何をいっているのか分からない!意味が分からない!
「くっ!!」
必死にもがき、足で王女をつき飛ばした。
2人の間に距離が開く。
「ああ・・・!!」
一呼吸したとたんに雪崩のように飛び込んでくる痛み。
右目が・・・両手が・・・!
「いたい?」
「いてえよ!!何だお前!」
「・・・フフフ。気持ちが良いわ。今のあなたを見ていると。」
こいついかれてやがる。やばい。
「なんで・・・」
「なんで殺すか?でしょ?もういい加減その質問は飽きたわ。でも残念ね。私にも分からないの。ただ、言われた通りにしているだけ。あなたこそ、私が殺すべき相手だと思ったから。」
「・・・理屈じゃない」
「まあね・・・ねえあなた。サトウっていったかしら。何か死にたくない理由はあるかしら?」
「そんなの!・・・」
一瞬、思考が走った。
別に守りたいものはない。家族もいない。目標もない。会社があるだけだ・・・あれ
ふと我に返ると、王女は目の前にいた。
真っすぐな眼で、僕を射貫いた。
僕より大きな眼で、光のある眼だ。
「・・グッ」
赤黒い刃先は、僕の喉を貫いた。
床に倒れこむ。上手く息ができない。
何かが胃に流れこんでくる。
「・・ガポッ・・・ハ」
シャンデリアの後光で王女の表情が上手く見えない。
「・・・さっき言った自己紹介は全部嘘。嘘をついたことは謝る。」
「ハ・・・」
「本当は隣国側が私なのよ。滅ぼされかけている方ね。」
馬乗りの状態から立ち上がり、僕を見下ろす。
四肢が動かない。
「私たちの国は平和だった。完ぺきとは言わないけど、戦争を悪と考え、貧しきものを助ける美学を持つ国だった。その結果、べリアの宣戦布告に準備しきれず、一気に陥落した。」
「結局、私以外皆殺しよ。私は容姿が良いからと、見せしめに生き残されてるわ。・・・ねえどう思う?」
「最初はね。安心したのよ!!だって私だけ生かされたんだもの!!でも、そのうち、生きるのが嫌になってきた。私一人ではどうすることもできない。囚われの身で、おそらくここから一生出ることはできない。」
「・・・あなたを見ていると、過去の自分を見ているようで寒気がした。あの魔導書は、そういった精神的存在の召喚をするものだったのでしょうね。」
ちらりと王女が視線をそらす。
脳が働かないが、眼だけ動かすと確かに本らしきものが落ちているのが視えた。
そして再度、僕を見下ろした。
「ありがとう。あなたの事は忘れない。」
そう言うと、彼女は深くナイフを握りしめた。
「我はヴァリス王国第二王女。サリア・ヴォン・ヴァリス。誇り高きヴァリスの血を受け継ぐ、最後の王族である」
何か、おかしい。視界がぼやけてきた。
既にぼやけてはいたが、明らかに空間が変わっている。
もう、目が見えない
何か、けたたましい足音が聞こえる。大勢の人が、こちらに向かってくる音だ。
なんだ・・・人か?
必死に身体をひねる。もはや痛みすら分からなくなってきた。
敵か味方か分からないが、誰か来てくれ。
必死に身体を動かす。助けてくれ。
何も見えず、暗闇の中をほふくで動く。
「・・・!!」
何か喧騒が聞こえる。大きな声が聞こえる気がする。
足音も先ほどより多きく、振動も凄い
「・・・カッ」
肩の力が抜けた。もう動けない。
震える手を伸ばした。
すると何かに触れた感触があった。
生暖かいナニカだった。
残った左目を、僅かに開く。
それは、あの王女の血だった。
王女は真っ赤な血の上で息絶えていた。
「・・・!」
声にならない声を上げた。
うつろな目でこちらをじっと覗いていた。
先ほどとは違う、光のない眼差しだった。
喧騒が遠のいていく。誰かがこの部屋に入ってこいつを殺したのか。
ふと、王女がだらりと垂らした腕の先に、本が落ちていた。あの魔導書とか言っていたやつだ。
「・・・うっ」
最後の力をふり絞り、僕はそれに触れた。触れたからって何の意味があるんだろうか。
ああ。嫌だな。死ぬのは。
左目から滴り落ちるものを感じた。
王女の涙も見えた。
そしてその口が、かすかに動いているのが見えた。
それは・・・
「「ヴァリス」」
瞬間、僕の意識は途絶えた。