レイの特権
朝からレイは机に向かっていた。書類はインクで真っ黒。
「それ読めるのか?」
字は綺麗に整っているがヴィンには読む気も起きないほどびっしりと書かれている。
「いいんだ。大事なところは口で説明するから」
薬草店の調剤室が仮執務室。薬草の匂いに包まれると仕事がはかどるからと言われ、店主ゴードンは承諾。領主の頼みを断れるわけもない。
「レイモンド様。あの~。そろそろ患者がきますが」
「オズワルドがいるから大丈夫。それよりここにサインして」
隣を向けば薬草を手にしたオズワルドがお任せくださいとにっこり笑う。
「私でいいんでしょうか」
「いいから早く。村長もお願い」
「お安いご用ですよ」
村長の手には書類が数枚。『めでたい』とか『これでますます繁盛』とか嬉しそうにサインしていく。
ヴィンは書類が次々に流れていくのを黙って見ていた。隣でトーマスがもう止めてくれと呻いている。
「トーマス。諦めろ。俺たちの主はああいうお方だ」
「だから相談したくなかったんだよ」
セオが領主館に飛ばした新人鳩クロウが帰ってきた。箱を受けとりレイに見せる。
「主~。これでいいか?」
「これこれ。まさかここで使うとは思ってもいなかったからな。今後はいつでも使えるように持ち歩くとしよう」
銀の鎖のペンダント。トップには天秤と剣の意匠が彫ってある。
「さてと。念のため本人の意思も聞いてこなきゃ。出かけてくる。男は付いてくるなよ」
ヴィオラ姿になって村外れの貸家に向かった。
扉を開けると、女性達の何やら楽しげな笑い声がする。レイラが2人に本を読んで聞かせていた。
人気シリーズ<騎士様わたしをさらって>第1巻。悪徳商人の口車に乗り、全財産を失った父を助けるため、評判最悪の金貸しに嫁がされそうになった娘を幼なじみの騎士が助け出すという話。悪徳商人と金貸しは捕まり、その後2人は結婚して幸せに暮らす。第2王子レオンがうまい話には気をつけろとロマンスも交え書いたが、特に若い娘達に好まれた。
「お邪魔するわ。あら、熱は下がったみたいね」
「ヴィオラ様のお薬のおかげです。ありがとうございました。あのお代は? 手持ちがなくて少し待っていただくしかないのですが、必ずお支払いします」
「困ったときはお互い様よ。お代の代わりにこの書類にサインか指印を押してくれるかしら」
ここに滞在するために必要なものなのと言われ、書かれている内容はわからないが、トーマスのサインもしてあるから大丈夫だろうとルシアはサインした。
「どう? この村は気に入った?」
「ええ。人もお店も多くて驚くことばかりです。みんなが幸せそうに笑っている」
故郷の村では隣人とおしゃべりする時間も惜しんで、毎日野良仕事と籠を編んでいた。ルシアは荒れた手が恥ずかしいと後ろに隠してしまう。
「働き者の手よ。誇りなさい。ほら見て。私の手も薬草で青紫。たまに真っ赤にもなるわ。驚かれるけど別に恥ずかしい事じゃない」
まぁと驚く。ベリーを摘んだ時の私達と同じ。少し親近感がわく。これならちょっと聞いてみてもいいかしらとフランカがヴィオラに詰め寄る。
「あの! ヴィオラ様はトーマスさんとどのような関係なのですか?」
「フランカ! 何を言い出すのよ。失礼よ」
紹介されたときから気になって仕方がなかったと言う。
「夫の同僚よ。ほら昨日全身真っ黒な服着た人相の悪い人がいたでしょう。あれが私の夫。2人はウィステリア公爵の護衛騎士をしているの」
「公爵様の! トーマスさんは何も言わないから、どこかの田舎貴族様の用心棒でもしているのかと思っていました」
「田舎には違いないわ。この温泉村もウィステリア領よ」
いきなりトーマスに馬車に放り込まれ、どこに連れてこられたのかまったく知らなかったと言う。
「ルシアさんはトーマスとはどのような?」
「えっ! 私ですか? その、幼なじみというか、妹みたいに可愛がってもらっていました」
顔を赤くしているから、好意はあるのだろう。これで決まり。
「もう騎士様に攫われたのだから、後はハッピーエンドを迎えるだけね」
ヴィオラが書類をひらひらと振って見せる。
「冗談は止めてください。物語のようにはいきませんよ。私は…私は帰ったら領主様のご子息様へ嫁ぐのです」
「お嬢様、私も付いていきますからね」
涙ぐむルシアをフランカが抱きしめる。
レイラに引き続き護衛するように伝え、ヴィオラは薬草店に戻った。
***
「主、客だ」
トーマスはかなり不機嫌。腕組みして客を睨み付けている。
オルガ子爵親子がルシアを渡せとやって来た。温泉村にいると情報を流したのはレイだが、まんまと釣られてくれた。
「なぜ渡す必要が?」
「領民が攫われたのでわざわざ迎えに来てやったのです。いくら公爵様でも他領の領民を隠し立てすることはなりませんぞ。ルシアはわが息子の婚約者。早く連れてきていただこう」
「その娘がオルガ領の領民だとわかるものはあるの?」
「そんなものなくても、生まれ育ったのがわが領なら領民だろう」
「君の所には記したものがないのか。それは困ったな。登録していなければ本人の希望する領に住むことができるんだよ」
「そんな馬鹿な!」
オルガにそんな台帳がないのは調べ済み。ずさんな管理によく領主を名乗れるものだとレイは呆れた。
定住しないであちこち移動しながら生活する者がわずかだがいる。子どもが生れたり、年をとって住処を定めたい者のために、審査の後に領民となれる制度がある。そこで初めて名を届け出て、正式な婚姻もまともな仕事にもありつける。
「ほら。もう僕のサインはしてある。それにルシアはこのトーマスと正式に婚姻した。フランカもここの薬草店店主の養女となったし。うちの領民を連れ出すことはできないよ」
領民審査の用紙、結婚証明書、養子縁組届けを机の上に並べた。オルガ子爵が見せろと手を出そうとすると、ヴィンがその手をはたき落とした。
「父上、僕はルシアと結婚できないの?」
「うるさい! お前は黙っていろ。公爵、こんなことは許されませんぞ!」
「これも見て」
領主館から持ってこさせた銀のペンダントとびっしりと書かれた書類。
「それはなんです?」
「これはね、国の財産である国民を蔑ろにするような貴族をお仕置きできる僕達3兄弟の特権の証。罪状はここにまとめておいたから読んだらサインして」
王都での販売価格と明らかにおかしい村民への支払い額。台帳はわざと作らずに領民の数の誤魔化し。長年に渡る王宮への虚偽の報告。他にも不正な労働まで強いていたこと事細かに書かれていた。
「ずいぶんと私腹を肥やしているね。財務担当のレオン兄様直轄の監査人をもう領に向かわせている。今頃、帳簿が見つかっている頃かな。未払いの国税と利息が払えなければ全財産没収だからね」
オルガ子爵は真っ青。すぐに領に帰ると言い出すが、トーマスによって阻まれる。
「父上が在任中に与えてくれたんだよ。もちろん取り調べは十分にするから安心して。領には帰せないから、国王陛下からのお達しはここで待つこと」
兄様達は仕事が早いんだと自慢して、3兄弟の中で荒事担当は自分だと言う。逃亡して余計な手間かけさせるなと念押しまでされた。
王族相手に何を安心すればいいのかわからないが、もう全てを失ったことだけはわかる。
「トーマス。お姫様が騎士様を待っている。早く行ってあげて」
レイから婚姻証明書を渡されたトーマスは、1度頭を下げて駆け出した。




