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 兄の部屋で休んだレイは、王都の外れの宿屋に向かった。気が進まないがこれで会うのは最後。男女が2人きりになるわけにいかない。フローレンスにも同席して貰い、今後の身の振り方を伝えた。


「スミスの者を連れてくるから、ここで毒薬を飲まされるのかと思ったわ」

「ここで死なれても迷惑。いいか、教会にはのんびりお祈りに行くわけじゃない。働いて、わずかでも借金返済をしろ」


 雀の涙ほどの給金から支払いすると約束させ、レイが一旦肩代わりした。


「一生かけても返せやしない。それにどうせまた追い出されるに決まっている。いつだってそう。家庭教師になれば、娘よりも目立つな。商家に行けば元貴族と遠巻きにされて邪魔者扱い。私に行き場はないの。野垂れ死ぬより毒をあおった方がましかもね」


 もうどうでもいい。どこへでも連れて行けばいいとそっぽを向いている。


「我慢もしなかったのだろう? 信頼を得るための努力はしたのか? 一朝一夕で得られると思ったら大間違いだ。いつになったら気づく?」

「ふん。母にも見捨てられたのよ。人間不信にもなるわ。あの人、残されたお金を使い切った後、私だけに働かせて、賃金は取り上げられたわ。それでも足りず最後に借金までこしらえて消えたのよ」


 どこの国にも居づらくなり、母娘は母国と国交のないクリフにたどり着く。伝もなく、途方に暮れたが安宿で知り合った娼婦達の服を繕い直し、刺繍をしてどうにか生計を立てていた。真面目に働いていたのに借金とりに客を取れと言われる。やけになって身を落とそうとしたがさすがに無理だった。


「あなたに手間かけさせるのはこれが最後。これあげる。アナベルにでも着させて。あの子、古着がお似合いだったわよね」


 最後までレイを逆撫でることばかりする。宿に残してもおけず、フローレンスに雑巾だと中身を確かめず渡した。


 教会にはハリーも同行。犯罪者を矯正させてしまう教会と聞いて興味を持ったらしい。司祭は祈祷中で代わりに施設長が対応に出てきた。


「この娘を頼む。逃げ出すようなそぶりがあれば、これを飲ませて。本人の意向だから遠慮はいらないよ」


 真っ白な髪の施設長が毒は不要とレイに返した。そこまでの重罪人はここには寄越されないはず。不思議に思いじっと娘を見た後、渋い顔をして承知したと頷いた。明かさなくても身元がわかったのだろう。


 マリアンヌには穏やかな口調で心配するなと言う。


「ここでは荒療治はしません。ゆっくりでいい。心を癒やし、悔い改めなさい。いつだって神様が見守っていてくださいます」

「神様がいるといいわね」


 マリアンヌはぼそっと一言だけ。年配のシスターに肩を抱かれて連れて行かれた。


「施設長。クローク国のハリー王子がここを見学されたいそうだ。案内を頼めるかな」

「もちろんですとも。ここには訳ありの者しかいない。罪人でも過ごし方はある程度自由。模範的であれば村への外出も許可しています。まずは外から見学ください」


 案内されたのはヤギや鶏の小屋。野菜畑も広がる。基本自給自足。たまに近所の農家から買い付ける程度で済ませている。野良着を着た男女がそれぞれ汗を流しながら働いていた。


「彼らに足りないのは食事。質素な食事でも温かな食事で腹いっぱいになれば、喧嘩も起きない。のんびり農作業して貰っています」


 些細な喧嘩くらいなら仲間が止めに入る。


 次は屋内を。掃除する者、料理する者。繕い物をする者。それぞれが教え合っている。


「ここでは身分は関係なく、古参が新参者の面倒をみる。そうすることで責任感が生れる。人間関係がこじれてここに来る者は多い。まずは会話。食事中も会話は止めません」

「それでも秩序が守れているのか。信じられない」


 ハリーが驚くのも無理はない。牢につなぐか、それなりの労働。それが罪人への対処法だ。


「ここは試験的に作ってみた。もともと施設長は罪人だったのだけれど、故郷には帰らずにここで軽犯罪の者を預かって貰っている。自身は重い罪で重労働をしていたが、みなの相談役までしてくれてね。恩赦と言っても出て行こうとしない困った奴なんだ」

「帰ったところで仕事はないし、息子共がうまくやっている。隠居するならここで働かせて貰いますよ」

「本当に人が変わってしまったね。ヴィン、どう思う?」

「極悪人ではなかったんだろうよ」


 施設長。ヴィンの実父で元バーデット辺境伯アーサー。黒い髪は真っ白になり、鍛え上げられた体は痩せ細ったものの、面影は残っている。


「アーサー、ハリーに地下も見せてあげて。あれは僕でも考えつかなかった」

「姐さんが? それは楽しみ」

「ハリーは絶対興味持つと思うよ」

「あれがもし実家にあったなら、今ここに俺はいない。ひねくれて根暗になるか、言われたことをするだけの良い子ちゃんになっていた」


 どちらでもなく、すくすくと育って良かったね。レイが父上に感謝しなよとからかう。


 地下へ続く階段を降りると、ヒヤッとした空気に体が震える。手前には一応牢はあった。長らく使われた形跡はない。そしてさらに階段を降りるとその部屋はあった。


「自分と向き合う部屋ですな。話してもわからない者もここに入れば大抵静かに聞いてくれるようになります」


 通風口はあるものの、窓のない石壁の部屋。音もなく、聞こえるのは自分の息づかいだけ。真っ暗闇な部屋は恐ろしい。本能的な恐怖は体罰の比じゃない。半日も持たず、みな出してくれと涙する。


「うん。ここはいい。他でも作ろうか検討中だ」

「フェリシティーの刑は甘いと思っていた俺が間違っていた。クロークでも採用しよう」



 レイはこれで一安心と屋敷に戻った。アゼレアが静かなうちに一休み。モリオンを抱きしめてお茶を飲んでいると、フローレンスがマリアンヌから渡された袋を持ってきた。


「レイ様。これを見てください」

「雑巾にもできないくらい酷いの?」

「そうではなくて」


 フローレンスが服を広げて見せた。アナベルにと言っていたのに、出てきたのは到底5歳児には入らないほど小さな服。もしかして。


「貸して。ちょっとあててみようか」


 廊下に出ると泣き叫ぶ声が聞こえてきた。言葉も出始め、「レー、レー」とレイを探し求めている。顔を見せたらゆっくりお茶どころではないが、小さな服を手に子ども部屋に入ると、アゼレアはピタリと泣き止んだ。そして転びそうになりながら走り寄って来て、早く抱き上げろと手を伸ばしてくる。抱き上げれば首にしがみついて離さない。


「生みの親に会わせもしない僕は、君に恨まれるのかな。知らずに育った方が良いと思うのは大人の都合だよね。でもね、ラベンダーだって君のお母様なんだよ。忘れないで」


 やはり小さな服はアゼレアにぴったりだった。母親としての情が残っていたのか。あの毒親がいては食べさせてはいけないとフェリシティーに残したのだろう。いつか会わせることはできるだろうか。



「マリー…」


 マリアンヌが台所の外で芋の皮むきをしていると、荷車を引いた農家の青年に声をかけられ、いきなり手を握られた。手のひらは厚く、固いタコだらけ。ぶんぶん振られた。


「離しなさい! 手が痛いじゃないの!」

「ごめんよ。嬉しくて。会いたくて探しに行こうか迷っていたんだ」

「あの時は世話になりっぱなしでごめんなさい。いつかお礼に行きたいとは思っていたのよ」


 赤ん坊を産んで、国外に出る間際で高熱で倒れたところを助けてくれた農家の長男だった。


「母ちゃんが女の子1人で行くなって止めるのも聞かずに出て行った後、騎士様が来て、身に余るほどの金銭を置いていってくれた。おかげで畑を広げて、今年は大収穫だよ」


 あいつの仕業ね。余計な事を。


「マリー、見てくれよ」


 そういえばマリーと名乗ったんだった。青年はほらと、麦の入った大袋を担ぎ上げ、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑う。


 ああ、やはりこの人は自分とは違う。まっとうな生き方をしてきた人なんだ。着ている服はつぎはぎだらけ。麦わら帽子にも穴が空いている。でもとても幸せそうに見える。ずっと愛されて育ってきたのが伝わる。


 あの時助けてくれた一家は母と息子3人。病弱な母を助け息子達は懸命に働いていた。畑から帰ってきた息子達を温かく迎える母親は、見ず知らずの自分にも優しかった。


「お乳が張って痛いだろう。息子達がいないすきに少し絞るといい」


 出産直後と気づいて手当をしてくれた。辛かったねと理由も聞かずに何度も背中をさすって頭をなぜられた。知らずに涙があふれて、温かい胸に顔を埋めて泣いてしまった。



 青年は毎日マリアンヌに会いにやってきた。


「どういうつもりか知らないけど、迷惑だわ。私はここから出ることのない罪人なのよ」

「知ってる。だから俺が毎日会いに来るよ。そろそろマリーも俺の名を呼んでくれないかな。ベンだよ。ほら言ってみて」

「嫌よ。早く帰りなさい。もうここに来ないで!」


 時間が決まっているわけじゃない。農作業の合間に来るのだろう。来るなと言ってはみたが、気になっていつも外作業の仕事に手を上げてしまう。こんなに誰かを待ちわびるのは生れて初めて。深呼吸して高鳴る鼓動を鎮める。この感情を誰にも知られてはいけない。自分は子を捨てた極悪人なのだから。


 でも一目でいいから子に会いたい。叶わない夢を毎日見る。その夢には子を抱く自分と隣にはあの青年がいる。夢を見るのが辛い。苦しい。これが自分へ与えられた罰だ。


 ああ神様! 初めて神に祈った。


 ある日ベンは、一番上等な服を着て教会の司祭を訪ねた。


「マリーと結婚するにはどうしたら良いですか? 頭の悪い俺にもわかるように教えてください」


 一緒にいたアーサーもこれには驚いた。いつの間に? 反抗的だったマリアンヌが最近は落ち着いて、自ら進んで仕事をやるようになった。その嬉しい変化に目の前の青年が関わっているのか。レイに手紙を出さなくては。


「マリーは何と言っている?」

「まだ付き合ってもないんだけど、俺と結婚しようって驚かせたい」

「少し待って欲しい。私たちでは何も答えられないからね」


 とりあえず青年は帰された。調べてみれば、村でも評判の働き者。最近農地を広げ、家族を養っていけるだけの収穫は見込める。


 だが、難しいだろう。王家がここから出さない。いや、出せないのだ。

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