作戦開始
翌朝、ヴィンが目覚めると、レイがいつものように背を向けて寝ていた。
「レイ。起きろ」
「ん…。あと少しだけ…」
「リリア様が散歩に行こうと待ってるぞ」
くるりと寝返りをうち、腕を伸ばし何かを探している。
「昨夜からどうした? 熊ってなんだよ。マントなら寝ている間にずれ落ちたからな」
伸ばした腕でヴィンを抱きしめ、毛布に顔をすり寄せる。目をつむっていれば黒いマントはなくてもいい。思い出話を聞かせてやった。
「熊ならうちにもあったな。茶だった」
「黒はツキノワグマで、茶ならヒグマかな。こうなったら白クマもそろえたい」
「歳考えろ。おまえ、恥ずかしくないのか?」
「君が全身真っ黒でも、安心感を覚えるのは、くまさんに似ていたからだね」
ようやく目を開けたレイがニコッと笑う。安心するのか。しかしぬいぐるみの代わりになるつもりはない。いくら熊でも守ってやれない。
「フワモコじゃなくて悪かったな」
「柔らかすぎてもダメ。今はこれくらいがちょうど良い。でも、くまさんみたいにお腹が出てきたら、もう一緒に寝てあげないから」
添い寝してやってるのは俺だろう。言えない。追い出されたくない。
顔洗ってくる。チュッと目尻にキスして、起き上がると裸足のまま、レイは浴室へ行ってしまった。
「なんだ。あれ」
バチンと両手で頬を叩く。にやけた顔を戻さないとハリーにまた絡まれる。
「あなた。今朝もご機嫌ね。悪くされても困るけど」
「ほら。よそ見して傷をつけるなよ」
裏庭の畑でジャガイモを掘る2人。お腹が大きくなったらかがむのも大変。今ならまだ収穫が出来る。
「大収穫。土も肥料もいいのかな。畑を広げた時に、違う肥料や農薬が必要になったら連絡して。良いのがあるんだ」
「薬草士ってそんなものも作っているの?」
「野菜だって病気になるからね。我が国は飢饉に備えて農業には特に力を入れているんだ」
「それは大事な事ね。厨房に籠を置いたら、少し話しながら散歩しましょう。バラが見頃なのよ」
日傘を差した2人はゆっくりと庭を巡った。
「うちももう少し備えが必要ね。近年は飢饉に合わなかったけど、早急に手立てを考えるわ」
「そうだよ。牧草が冷害や日照りで不足になったら大変だ。国外から調達できたとしても金がかかる。アイクはただ娯楽のために闘牛を復活させたいわけじゃないと思う。儲けた金はいざって時の財源にするつもりかも知れない。税を下げるというのも、手元の金で消費が活発になれば国全体が潤うって事だろう」
「あなたは随分とアイクを買っているのね。彼が聞いたら喜ぶわ」
急にレイが花壇側を歩いていたリリアと立ち位置を変え、日傘で視界を遮る。
「どうしたの? バラが見えないわ」
「見なくていい。もう行こう」
リリアの腕を引き、転ばないように急がせる。
「おーい。気づいたくせに無視するな。見事な擬態だろう」
「えっ。今のアイクの声じゃない?」
「違う。あれは突然変異したナナフシだ」
「レイはやっぱり同士だ。擬態虫について語ろうじゃないか」
「朝からそこで何をやっている。不審者にしか見えないぞ」
レイがため息をこぼす。腕を曲げ変なポーズで花壇の中に紛れているアイクを見つけ、出来るなら素通りしたかった。
「ちょっと手を貸してくれたまえ。足首が腫れて痛いんだ」
執務室の扉が開かず、窓から外に出ようとしたが、2階だった。柱を伝ってどうにか降りようとしたが、足を滑らせ落下。生け垣のおかげで骨折はしなかったが足をくじいた。誰かが通りかかるのを花壇に座って待っていたら、ナナフシを見つけ真似てみた。
「訳のわからないことして! だから変人扱いされるのよ」
リリアが侍女を呼び、救護室に連絡させた。
気づかずに扉を閉めてしまったらしい。執務室でも何かに擬態していたのか? 仕方がない。詫びに後で湿布を大量に作るから分けてやろう。
フレデリックとの朝食を終え、レイは薬草室に顔を出した。
「ヴィオラ様。お使いになる薬草は全てそろえました」
「ありがとう。では皆で一緒に調剤しましょうか」
実際に調剤するところが見られる! 副室長を始め薬草士達に囲まれてしまった。なら彼らを使わない手はない。1度見本を作って見せた後、湿布班と傷薬班に分けた。
「消毒薬もお願いね」
「はい!」
どれも特別なものは入れていないはずなのに、メモをとっている者もいる。熱心だし、仕事が丁寧。今日は出来上がったものを確認するだけと思ったら、ハリーが駆け込んできた。
「姐さん。追加で大至急! かぶれに効くのと下痢止めも欲しいって言って来たんだけど。頼めるかな」
「えっ。彼は本当に無事なの? すぐに用意する。ハリー、馬と馬車を手配して。もう待てない。現地に行くよ」
ボビー1人分ではなく、大量に欲しいと言う。それに何にかぶれたかまでは伝言がなかった。いくつか用意しよう。下痢の方は心配だ。止めない方がいい時もある。医者を連れて行かなくては!
***
ボビーが怪我人を数えると、思った以上に人数がいた。とても全員を外に運べない。
ダヴに何でも良いから、知っているかぶれる草を取ってくるように言い付けた。それを元気な体力のある者の腕に擦り付け、赤くただれさせた。非常にかゆい。薬が届くまで少しの間我慢して。鳩はすでに飛ばされていた。
見張り小屋に話しに行ってくるというボビーはいつもの穏やかな顔で調理場に向かった。
「えっと。これとこれ」
「ボビーさん。そのジャガイモは芽だらけ。それに肉も変色してる。腹壊すぞ」
「いいの。いいの。今日は見張り役にこれを食べてもらう。ダヴ、つまみ食いはしないでおくれ」
肉は焼いてしまえば匂いも変色もわからない。ジャガイモもきつね色に揚げた。
「ボビー、今日は遅かったな。もう腹が減ってかなわん。早く並べろ」
「見張り殿。実は小屋で変な病が流行りだした。食べた後でいいから、一緒に来て欲しい」
「病? 寝りゃ治るだろう」
「それが1人2人じゃない。このままでは全員に感染するかもしれない」
「それほどか。困ったな。お偉いさんに報告するにも1度は見ないとな。わかった。窓からのぞくだけなら俺らにはうつらないだろう」
「ありがとう。皆さんのお好きな肉と揚げ芋。沢山食べておくれ」
見張り役は今日も旨いなと残さず食べた。
「これは酷い。急に真っ赤に腫れ上がっただって? 何? 腹も痛い? いいか。全員小屋から出るな!」
腹痛はウソだが、腫れ上がった腕を見て、見張り役達は慌てだした。原因はなんだ? 俺達にうつったら大変だ。見張り小屋に戻ろうとすると、急に腹が痛みだした。トイレに駆け込む者。えずいて木桶を抱える者。
大丈夫ですかと手袋をはめたボビーがかぶれる草の露を手の甲に垂らしてやる。たちまち猛烈なかゆみに襲われる。
「近くに村はないのですか? 僕が医者か薬草士を探して連れてこよう」
「頼む! これを見せれば兵隊に止められることはない。早く連れてきてくれ!」
木札を渡されたボビーは小屋に寄って、大至急治療の必要な怪我人2人と、かぶれの酷い者を1人荷馬車に乗せた。残した者には水で洗い流すように言って、ダヴが摘んできたかゆみが和らぐ薬草を渡し、レイの薬が届くまでそれでしのいで貰う。
「ダヴ。頼むよ」
「ボビーさん。振り落とされないように掴まってろよ。飛ばすぞ」
夜道だが鳩には何の障害にもならない。兵隊達に3度止められたが、木札と荷台にのる病人を見せると、ここで立ち止まるな、早く行けと村までの道を教えてくれた。
「あんた最高だ。まるであの方のようだな」
「それはそうさ。彼の真似をしているのだから」
以前聞いたウオーランドへの潜入方法。あざむくなら嘘だけでなく真実も盛り込め。害なす悪い奴に情けは無用。だがすぐに殺すな。まさかここで役立つとは思いもしなかった。
村に着くとすぐに薬草店は見つかったが、医者はいなかった。
「これは酷い。なぜこんなになるまで放置していた? 消毒と痛み止めは処方出来るが、縫合まではわしにはできない」
「それでもここで出来る事をお願いします」
年老いた薬草士は調薬を始めてくれたが、腰が痛いと言ってはたびたび手が止まる。
「ボビーさん。これからどうする? この爺さんを連れて行くのか?」
「無理そうだね。うーん。彼が動いてくれている気がするんだよね」
「じゃここで待っていてくれ。俺もひとっ飛びしてくる」
「気をつけて。あとは彼と君たちに任せるよ」
面白くなってきた。ボビーの言う通り、あの方も主もそろそろじっと待ってはいられないだろう。先に兵達を少し減らしておくか。救出作戦開始だ。ダヴは先に知らせに行った鳩に向けて狼煙を上げた。




