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鳩の報告

 リリアの元にヴィオラから大至急アイクの執務室に来るよう伝言が来た。昨夜は戻らなかったと聞いている。またトラブルかしら。あの男はなぜか厄介事を引き寄せる質らしい。


 リリアは侍女ではなく、フローレンスを伴ってやってきた。多分外に漏れてはいけない話だろう。初めて訪れるアイクの執務室。ボビーの隣じゃない。いつの間に出来たのかしら。お父様はアイクに甘すぎるのよ。同じ階でもせめて端と端にして欲しいわ。


「アイクと気が合う人がいたなんて。朝帰りどころじゃなく、もう夕方よ」


 ヴィオラとアイクが親しげに話しているのにも驚きだが、ヴィオラの髪色が白銀に戻っているし、アイクは背を伸ばして座っている。嫌な予感しかしない。


「ただいま。もう色々ありすぎて、どこから話していいのやら」

「レイはお疲れのようね。また変な噂が立たないといいけれど」

「噂なんてすぐ消える。社交界はいつだって新しい話題に飢えているからね」


 それもそうね。心配したところで、どうにか出来るわけでもない。


「ヴィオラと一緒に歩くだけで、じろじろ見られた。あれは羨望の眼差しだな。初めて体験したが良いものだ。これで私が女性にもてないなんて噂は消えた」

「アイクでもそんなことを気にしていたの? それこそすぐに忘れられるわよ」

「相変わらず君は私に対して辛辣だね。せっかくの綺麗なゴキ…痛い!」


 リリア自慢の艶のある黒髪を指して何が言いたかったのか。多分あの黒い虫に例えたのだろうな。それは扇子で叩かれても仕方がない。リリアは顔も見たくないと言っていたが、遠慮の要らない相手らしい。


 挨拶はここまで。


「リリア。長くなるから座って。アイクももう余計な事を言うな。説明は…やっぱり僕からしよう」


 また訳のわからない事を言われては混乱する。遅れてハリーもやってきた。今回も鳩からの情報が重要になってくる。


「最初の報告は侍女の件だ。あれは君に姫が恵まれますようにと、アイクが気を遣ったらしい。なぜか間違って伝わって、君に辛い思いをさせるところだった。今後は尽くしてくれるだろうけど、どうしたい? 2人についてはもうリリアの好きにして良いそうだ」

「配置換えします。あの2人がいるだけで息がつまるの。部屋から出してももらえず、やることなすこと全てダメダメ。怖い家庭教師がいるみたいよ。今いる3人もやりづらいみたいだし。気持ちだけで十分。今後は何もしないで」


 確かに愛想はないし、融通が利かなそうだ。リリアには姉妹にように接してくれる古参の侍女だけで十分なのだろう。生れれば乳母や看護人がつく。心配なさそうだ。


「図書室の出産関係の本はアイクが全て持っていた。もう貸し出しされているだろう。侍女達に伝えておいて」

「フローレンスに色々と教えてもらったけど、本もあればあの子達も安心ね」

「慣れない事はするものじゃないな。もし男児が生れたら、すぐに次を作れ」

「はっ? あなたに指図されたくありません! 欲しいならあなたが産みなさいよ」

「私はレイのような雌雄同体でも、コオイムシでもない」


 ガッ! レイが髪から抜き取ったかんざしをテーブルに突き立てた。


「僕が何だって?」

「ミミズやナメ…ひっー」

「虫オタクはもう口を開くな。次おかしな事を口走ったらヘラクレスを取り上げる。いいな」


 アイクが首を縦にふる。


「レイ! あなたかんざしの使い方間違っているわ。凶器じゃないのよ。私まで脅かさないで」

「ごめん」


 実は凶器でした。先端を尖らせたかんざしは武器として使える特注品。装飾品なら王宮の奥だろうが、警備に引っかかることはない。バックにも刺繍入りの可愛い袋に数本予備を入れてある。


 妊婦にはもっと安らかな気持ちでいて欲しいのに。アイクといると調子が狂う。気分転換にお茶が欲しい。勝手に戸棚をあさると、カモミールティーを見つけた。うっすらかぶった埃を払う。日付は古くないし、封も開いてないから大丈夫だろう。ヴィンにお湯を頼む。


「ふー。落ち着いた。これどこの店のものかしら」

「見つけたら僕にも送って」


 一息ついて、続きを話し始めた。誰も部屋の主にカップが配られていないことに気づかない。


「もうひとつ付け加えると、アイクは王位など興味ないそうだ。前に君はフェリシティーで暗殺されそうになったね。アイクの指示じゃない。他に心当たりは?」

「副宰相あたりかしらね。じっくり調べてみるわ」


 リリアの目が光る。あの時レイ達に捕らえた暗殺者は護送中に脱走した。見張りは眠らされ、鍵を壊された形跡もない。外から助けた者がいたとわかっても、リリアが他国訪問中に城を抜け出し、迷惑をかけたと咎められ、これ以上騒ぎを起こすなと副宰相によって捜索が打ち切られてしまった。


「次。ハリーから話を聞きたい」

「それなんだけど。クリフに飛んだ鳩が1人帰らない。戻った鳩も訳わからないこと言って、クリフに戻ってしまったんだよね」

「鳩は何と?」


「あの方は俺らが必ず連れ帰るんで、信じて待っていて欲しい」


 こんなことは初めて。ハリーもボビーの無事を確かめに自分が行こうか迷っている。


「なんだそれ? 待てばいいわけ? ボビーが危険にさらされている訳じゃないんだね」

「身の危険はないんじゃないかな」

「いつまで待てば良いのかしら。もうひと月よ。危険でなくても心配」

「リリア。落ち着いて。あと5日だけ待とう。それでも戻る様子がなければハリーと僕が行く。いいね」

「わかった。その時はお願いします」

「良い子だ。もう部屋にお帰り。フローレンスはしばらく側についていて。リリア、ストレスが一番よくない。もし体調を崩したら夜中でも呼びに来て」

「レイ、ありがとう。でもあなたも少し休んでちょうだい」

「そうする」


 リリアは黒水晶を握りしめ、部屋へ戻っていった。


「ハリー。他にも話してないこと。あるよね」

「姐さんに隠すつもりはない。ボビーは今、クリフの王都でなくアガサスとの国境にいる」


 サンドラが僕に託した鉄鉱山。やっぱり面倒事になった。地図が持ち出されたか、偶然見つけたのか。


「急いでクロークに居る元クリフの騎士を呼ぶよ」

「そのための5日か。鳩はすぐ飛ばす。それと鳩が姐さんの湿布と傷薬をくれって、俺の荷物から勝手に持ち出した。妙だよね」

「わからないけど、そのふたつを準備しておけば良いのかな。ヴィン、薬室に材料用意しておくよう伝えて」

「わかった。ただし、作るのは明日だ。今夜はもう休んでくれ」

「そうだね。僕も疲れたから部屋に戻りたい。ハリー、寝酒は飲まないように。フローレンスが心配していたよ」

「やっぱりフローレンスは優しいな。昨日もね…」


 明かりを消された部屋の扉が閉まる。


「えっと。私はどうしたら良いのかな。もう話してもいいのだろうか」


 レイにすごまれたアイクは、部屋の隅でダンゴ虫のように丸まっていた。もぞもぞ動き出し、屋敷に戻ろうとしたが、外から鍵がかけられていた。


「ヴィン。靴脱がせて。服のホックもお願い」

「足、むくんでるな。ホックに髪が引っかかっている。ちょい動くな。髪1本抜くぞ」


 下着姿のレイが寝台にうつ伏せに倒れ込んだ。


「もう無理。寝る。おやすみ」

「足。マッサージするか?」

「本当? 嬉しいな」


 急に元気になって、足をパタパタと交互に上下させる。頼まずに俺に言わせたのか。悔しいが仕方がない。


 レイの化粧品入れからオイルを拝借して、ふくらはぎからマッサージ。細いなー。特に足首。そしてすらりと長い。生まれたての子馬みたいだ。



「気持ちいい。…痛っ! 痛い! イタタ! そこはやめて!」

「効くだろう? 傭兵仲間に教えてもらった」


 足裏のツボも押してやったら、お返しをされ、眠たかったはずなのに、目が冴えてしまった。


 2人で窓辺に椅子を持ってきて、月を眺めながらカモミールティーを飲む。アイクは飲まないだろうと勝手に貰ってきた。そういえばあいつ、いつの間にか消えたな。挨拶くらいしてから帰れよ。


「ボビーは一体何をしているんだろう。僕は彼がぼんくらだなんて思ったことはないよ。誠実で、事を荒立てず、着実に目的を果たす。いい統治者になると信じている」

「お前にしたらずいぶんと高評価だな」

「初めて会った時は、ただの食いしん坊かと思ったけどね」


 ボビーとは時折手紙のやりとりをしている。領地を短期間で見事に復興させたレイの意見が聞きたいと、細かな字で質問攻めにしてくるのだ。レイの気づかない事もあって、レイからも質問を投げつける。そうしているうちに手紙は本のように分厚くなってしまう。


「リリアも心配している。待てと言われても迎えに行くよ」

「わかった。あと5日ある。体を休めておいてくれ」

「そうだね。ねえ。先に横になって欲しい」


 言われるまま、横になると毛布を巻かれた。そしてクローゼットから黒いマントを取り出し、掛けられ、ポンポンと叩かれる。


「うん。出来た。やっぱりこのちょっと堅めだけど柔らかい感触。絶妙だな。それに暖かい」

「身動きできない。とってくれ」

「ダメ。僕にひとり寝させたんだから、今夜は好きにさせてもらう」


 いつもは背を向けて寝るくせに、抱きしめられた。そうだ。俺の不在で寂しい思いをさせたんだった。寝返り出来ないくらいがなんだ。ちっとも苦しくない。


「もう無断で出かけたりしない。約束する」

「くまさん。黙ってくれる? 僕眠いんだけど」

「くまさん?」


 いつの間にかレイは寝ていた。くまって何だろう。気になって眠れない。誰でいい。教えてくれーー。

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