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ゲーム

 ヴィオラに駆け寄ってきた使用人は上級。執事長だった。


「お客様。こちらへどうぞ」


 大急ぎで走ってきたのにも関わらず、呼吸は乱れていない。丁寧だが、有無を言わせずに付いて来いと言わんばかり。怪しまれて当然だ。正面玄関ではなく、内玄関に案内された。


「正面は続々と馬車がきて大混雑。待つのが嫌だから馬で来てしまったの。ご迷惑だったかしら」

「主人はそのような事を気にかけませんし、当家はどのようなお客様にも対応いたします」

「良かった。叱られるのかと勘違いしてしまったわ」


 車寄せに馬車が入るとゆっくりと客が降りる。そして降りた馬車を移動させ、また次の馬車が止まる。ものすごく時間がかかる。


 アイクの屋敷は王宮の目と鼻の先。さすがに徒歩でとはいかないので、のんびり馬に乗ってやって来た。王宮で馬を借りるときも騒がれたが、リリアから許可をもらっていると言えば、すぐに用意してくれた。


「こちらでお待ちください」


 ホールではなく、絵画の1枚もない殺風景な応接間。かすかに音楽が漏れ聞こえる。ホールではもう舞踏会が始まっているのだろう。ヴィンと2人にされた。用を言い付けるメイドもいない。


「挨拶がすんだら、すぐに来てくれないかな」

「茶すら出てこないんだ。待たせる気はないと思いたいな」


 期待通りにはいかず、2時間待たされ、やっと執事長が顔を見せた。


「お待たせして申し訳ございません。お客様全員をお見送りしていたもので」


 舞踏会は急遽中止された。中には理由を話せと詰め寄った者もいただろう。言い訳と謝罪の繰り返しで声が掠れている。


「では、食堂へご案内いたします」


 食堂も応接室と似たり寄ったりで殺風景。テーブルの上の金の燭台だけはピカピカに磨かれ、唯一ここが貴族の館なのだと思い出させる。


 痩せ細った黒髪の男が入ってきた。年齢はたぶんリリアより上。顔色が悪く、神経質そうに見える。服装からしてアイクだろう。無言で席に着く。


「こんばんは。ヴィオラと申します。静かな夜になりましたね」

「…が」

「今なんと? お声が小さくて聞き漏らしてしまいました」

「我が家の庭に現れた白い蛾は君だったか」


 白銀の髪を指された。カチン。一言目がそれ? 人に向かって指さすな! リリアが腹立つ理由はこれだな。礼儀も不要になった。


「アイク様とお呼びしても?」


 黙って頷かれた。言いたい放題にはさせない。


「アイク様もダンゴ虫のようですよ」


 テーブルに肘をついて背を丸めている。濃いグレーの衣装がますますダンゴ虫に見えてくる。えっ? ちょっと嬉しそう? 笑ってはいないが、こっちをじっと見ている。執事長がコホンと咳払いする。


「申し訳ございません。アイク様は飾らない方で、思ったことをすぐに言葉にされてしまうのです。お気を悪くされませんように」


 本心で白い蛾と思われたって事じゃないか。アグネスと同じタイプだな。それなら多少免疫がある。


「姓は?」

「ただのヴィオラです」

「フェリシティー国でその容姿のヴィオラは2人しか知らない。1人はスミス家当主。あれはもういないか。もう1人はウィステリア公爵の仮の姿」


 ヴィオラが黙って微笑む。ずいぶんと調べている。スミス家の当主交代はごく一部の者にしか知らせていない。


「スミス家がどういった家なのか調べさせようとしたら、誰ひとり戻らない。どこへ消えたのだろう」


 知るか。勝手にお茶でも飲んだのだろう。アイクが本気で心配しているようにも見えない。興味本位で間諜に探らせようとしたとしか思えない。スミス家を甘く見すぎたな。


 フローレンスがいるうちに訪問したいが、どうも足が向かない。そろそろ行かないと。


「1度君とは話をしたかった。歓迎しよう」


 こちらにと言われ、食堂からまた移動させられた。


「すごい! これを1人で収集?」

「同士だとすぐにわかった。見たまえ。これが苦労して取り寄せた自慢のヘラクレスだ」


 野生児レイちゃんの目が輝く。憧れの角のある黒い虫の王様! 壁一面に飾られた昆虫の標本につい夢中になってしまった。ヴィンもひとつひとつ眺めてうおーと叫んでいる。ルーカスにも見せてやりたい。喜ぶだろうな。


「秘蔵のコレクシュンが見たいと言ったくせに、この部屋に入ると女性はみな怖いだの急に気分が悪くなったと言って、倒れるか帰ってしまう。なぜだろう。私には彼女達の放つ匂いの方が気持ち悪いし、迷惑なのに」


 嫁探しがうまくいかないのはこれも原因だろう。これを見て喜ぶご令嬢はいない。アグネスをのぞいては。


 本当にゲームをするとは思ってもみなかった。正体はばれているので、取り繕うこともしない。


「アイク。早く次の駒を動かせ」

「レイは意外と短気だな」


 盤上には白と黒の駒。相手の駒を挟んでひっくり返すだけ。もう何回戦目だろうか。今回もレイの白の駒で埋め尽くされそうだ。アイクは勝つまでやる気か? 勝つ気もないようだが。


「レイは酒が嫌いなのか? わざわざ妊娠を装って酒が飲めませんって伝言を寄越すとはね」

「嫌いじゃないが量は飲めない。やはりあの2人は君の差し金か。なぜリリアを流産させようとした?」

「していない。私はリリアに後継となる女児を産んで欲しい。『男児は要らない』が『子が要らない』と勘違いされたかな」

「ちょっと待て。妊娠がわかってから何をしたって性別は変わらない。すでにどちらかが育っている」

「そうなのか? 私はまだ清いままでね。知識が抜け落ちていたか。借りた本も読むのが面倒になってどこかに積んでまま。レイは物知りだ」

「貸りたものは期限内に返せ」


 図書室の出産関係の本が消えたのはこいつが原因。


 レイの代わりに酒の相手をしているヴィンが俺より無知かと驚く。貴族なら年頃になると否応なしに閨教育を受けさせられるものだ。それにしても無口と聞いていたが、酒が入るとよくしゃべる。


「君は次の王位を狙っているのかと思っていた」

「王位? 面倒くさい。周囲が勝手に何かしているらしいが、興味はない」


 上がり。また白の勝ち。アイクは飽きたのかやっと盤を片付けさせた。


「なら、なぜ急に表舞台に出てきた?」

「それが知りたかったのか。リリアも直接私に聞けばいいものを。わざわざ君を呼び出してお遣いさせるとは贅沢だな。あれの性格を矯正出来る薬はないのかい?」

「君たちが気軽に話せるほど仲が良いとは思えないけど。そんなことはいい。理由を聞いたら失礼するよ」

「叔父に頼まれて仕方がなくだ。スペアとしてたたき込まれた帝王学を役立てろとね。リリアとあの牛みたいな奴の手助けをしてくれって。その代わりに闘牛復活を後押しする約束を取り付けた。君も闘牛は好き?」

「僕はのんびり草を食む牛を見る方が好きだな」

「辺境バーデットに競馬を再開させたのは君だろう? 真似てみたのに残念だ。でも明日闘技場を案内しよう。面白いものを見れるよ」


 競馬と闘牛じゃ全然違う。それにバーデットでは賭けはなしだ。まぁ、せっかくここまで来たのだ。1度くらいなら見てやってもいい。


 それにしてもボビーの評価が低いな。まだまだって事か。


「夜は長い。次にこれだ」


 アイクが手にしたのはパズル。何ピースある? 席を立とうとしたが諦めた。朝までコース決定だ。


 ヴィンがついうたた寝して目を覚ますと、空が白んでいた。アイクはとうに自室に戻っていたが、レイはまだパズルと格闘していた。負けず嫌いだもんな。あと数ピース。熱い茶でももらってこようか。


「お疲れ。少し仮眠しろ」

「見て。1000ピース全部埋まったよ。この達成感は何にも代え難いな」


 途中までは3人で楽しんでいたが、残りを1人で黙々とはめていた。完成した絵はノアール城。黒い城壁に手こずった。


 やりきったレイの青紫の目は充血して、白ウサギみたいになっていた。髪は乱れ、手袋も靴も脱ぎ捨ててある。頑張ったなと頭をなぜただけですぐに倒れ込んで寝息を立て始めた。さすがに集中力が切れたようだ。抱き上げて長椅子に寝かせる。客室と着替え、起きたらすぐに湯浴みできるよう準備を頼む。


 昼前にやっと起きて身支度を調えたレイが食堂に入るとアイクが待っていた。レイに合わせて遅い朝昼兼用の食事をとるつもりらしい。案外良い奴だなと思ったが。


「…。なぜ僕の皿には麦だけなのかな」


 それも生だ。どう食せと? 粉にしてパンでも作らせる気か。


「情報によると、小鳥の餌を好んで食べていると聞いた。間違っていたなら違う物を用意させよう。クローバーの葉が好みだったか」

「僕は鶏でもない」

「口が退化して何も食べない? はやり蛾だったか」


 もういい。虫オタクと話するのが億劫になってきた。テーブルの上に麦を全部こぼし、空にした皿にヴィンの前に置かれた山盛りの肉を分けてもらった。朝からステーキは辛いが、水で流し込む。


 人の話を信じないのではない。曲解しすぎ。言った本人からしたら、何も伝わっていないのと同じだ。


「亡くなった母の服だが似合っている。母だけはこの私を理解してくれた。君のようにとても美しく、賢くてね。自慢の母だった」


 レイが借りたドレスはアイクの母のもの。一人息子を溺愛していた。その息子も母の思い出を語る時は柔らかな表情を見せた。


 食事が終わると、馬車に乗せられ、王都からほど近い、改修工事中の闘技場へ向かった。途中、長屋のような簡素な建物がいくつも見える。女性たちが共同のかまどで炊事したり、洗濯物を干す傍らで、子ども達が走り回っていた。


「気になるか? 君なら興味を持つと思った。あれは、クリフ国から来た者の仮住まい」

「かなりの人数が住んでいそうだな。工事人はクリフからの出稼ぎ?」

「違う。いつの間にか闘技場に集落を作っていたのを追い出した。廃れてもう誰も来ないとでも思ったのだろう。外国人が出入りしていると通報があってね。罰として改修工事をやらせている」


 報酬は微々たるもの。代わりに食料だけは提供しているそうだ。


「クリフは今、軍部が政権を握っている。国民に重税を課し、払えなければ、どこか知らない場所での重労働。拒絶すれば家や土地を取り上げる。結果、集団で近隣国に逃れてきた。これはどういうことだろうね」


 小国クリフ。レイはまだ訪れたことはない。知っている人物もひとり。王弟のアドルフ。リリアに無理矢理、難癖をつけて見合いを申し込んだが、レイによって撃退された。


「ボビーは無事かな。何を取引に行った?」

「あのぼんくらのことは知らないが、取引は鉄だ。我が国の産出量は少ない。不足分をクリフから調達している」


 変人かと思ったら、とんでもなく頭が切れる。紙一重というやつか。


 クリフ国と隠されたアガサス国の鉄鋼山。もしつながっているとすれば、大変な事が起きているかもしれない。

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