厨房は大騒ぎ
厨房の隅で、フレデリックの食事記録を広げたヴィオラが頭を抱えていた。その横で料理長と副料理長が立たされている。今夜の仕込みが間に合わないと言ってもヴィオラが逃さない。
「1人でこの量を…1日で…。バターなんてうちの領にある教会のひと月分かも」
子どもらに出されるおやつはふかした芋やもぎたてのトウモロコシなど。お腹一杯になって、甘くてみんな大好き。お誕生日のケーキだけは特別。それでも領内の菓子店で出るスポンジの切れ端に、型抜きした果物を飾り、ほんの少しクリームを添えるだけ。
バターなどいくらでも買えるレイが好んで食べるクッキーですら雑穀とドライフルーツに卵、粉、蜂蜜、牛乳、オリーブオイルを混ぜて焼いただけのもの。オムレツだってバターはあまり使わない。オルレアンで食べるパンケーキにはバターと蜂蜜をたっぷりのせるが、たまにだから美味しい。
「よく今まで倒れずにいたものだと感心するわ」
「殿下はいつも美味しそうに召し上がるので、ついあれもこれもとお出ししているうちに…」
「ついじゃないわよ。メニュー見ただけで血圧が上がりそう。お肉と揚げ物ばかり。偏りすぎ!」
「でも野菜はほとんど手つかずで、お残しになるのです」
「それを工夫して美味しく召し上がっていただくのが仕事でしょう」
以前訪問した時、フレデリックは視察に出かけていて姿を見ていない。まさかあんな可愛いくまさんだとは思ってもいなかった。リリアの結婚式に呼ばれた時に挨拶は交わしたが、ずいぶんと大きな人だなと思ったくらい。長いローブで体つきはわからなかったし、やっと姫が片づいたと大泣きしていて、顔もよく見られなかった。
メニューはいつも同じようなもの。食に興味がない? 美食家と言っていたくらいだ。それはないだろう。いきなり野菜生活は無理だ。何か目新しいものでもあれば食べてくれるだろうか。
「いいわ。今夜は私が作ります。材料持ってきて」
「今から作るのですか?」
「野営料理なんて1時間もあれば作れます。あと客室にいるヴィンセント様とハリー王子連れてきて。急ぎなさい!」
リリア様のご友人で貴族の奥方らしいが、見た目と違ってずいぶんとずけずけとものを言う。野営料理? 良い炭を用意しろ? 大丈夫なのか? 満足する食事が用意できなかったら首が飛ぶ。
ちょうどヴィオラの横を1台のカートが通る。リリアの食事が載せられていた。
「待ちなさい」
何も言わずに蓋をあけ、指ですくい取り味見する。
「なんて事を! これではお出しできない!」
「大丈夫よ。果物以外は全て作り直し。塩分はこの半分に。いいわね」
厨房内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
妊婦にあんな塩辛いものを出すなんて。むくんだらどうする! 怪しい薬草士の薬以前の問題だ。
「ヴィンセント様、ハリー様。厨房へようこそ」
ヴィオラからエプロンと帽子を渡された。王配殿下の食事作り?
「ヴィンセント様はいつも私に作ってくださるスープをお願い。ハリー様は外でお肉をじっくりあぶってきてくださいね」
これくらいかな。ヴィオラが牛刀で肉の塊を三等分に切りわけた。一閃とはいかないが切り口が綺麗。さすがだ。
「ヴィオラちゃんの手料理が食えるのかと思って来たのに」
「私も作ります。あとでお2人にもお出しするわ」
「よし。肉は任せて。ヴィオラちゃん好みに焼いてくる」
ハリーが料理人を引き連れていった。メインは大丈夫。他は何をだすか。レイもさすがに料理は得意と言えないが、台に置かれた食材を前に微笑む。
「お待たせいたしました。本日は素人料理ではありますが、心を込めてお作りいたしました」
「もしかして、あなたが作ったの?」
「ええ。ハリー様とヴィンセント様にも手伝っていただきましたわ」
「ヴィンセント様はどれをお作りに?」
「リリア様はもう召し上がったでしょう? 食欲が出てきたのかしら」
「不思議と急に胃のムカムカは収まったわ」
レイが来て安心したこと。父の命が危ないなどと言われ悪阻どころじゃなくなった。
「それは良かった。次は食べ過ぎに注意ね」
リリス女王は執務で席に着いていなかった。普段から時間が合わず別々。フレデリックはいつも王家専用の食堂でぽつんと1人食べているという。
「リリア、先ほどより顔色がいいね。無理はしていないか? 」
「お父様心配しないで。安静にしていたおかげで楽になってきましたわ。もう薬など不要のようです」
フローレンスの服を片付けてきた侍女2人に聞こえるようにわざと大きな声で話す。
果実の入った食前酒を楽しみ、一皿目が運ばれた。
「我が国のチーズだね。それに生ハム。これがないと始まらない」
いきなり食べ慣れないものは出せない。料理長が用意してあったもの。塩分には目をつぶった。
「次は私共がいつも食べているスープ。戦場へ向かう時、旅の途中。屋外でいただく温かいスープはご馳走なのですよ」
移動の際、持てる食材は少ない。日持ちのする根菜と途中農民に分けてもらった野菜を洗って切って、鍋に放りこんでおしまい。
「昔私も1度食べたことがある。小雨の降る日でね。温かいスープは本当に旨かった」
ヴィオラが微笑む。野菜の皮とへたでだしを取ったスープは黄金色。大きなスプーンで口に運んでくれた。
「いつもの白いパンはないのかい?」
「この茶色いパンは魔法のパンなのです。食べ続ければ、必ずやお体の調子を良くしてくれます」
「そんなパンがあるのかね? どれ一切れ」
バターは使わせない。代わりにクリームチーズとサーモン。ノアールの乳製品はどれも質が高い。魚料理はいつも省いてメインの肉になるという。なら全粒粉パンと一緒に食べさせてしまえ。
「それ私にもいただけるかしら。今はお肉よりもさっぱりしたものが欲しいの」
スープに続き、リリアがたまらず給仕に持ってこさせた。
そろそろハリーの肉も焼けた頃だろう。先にサラダが運ばれた。
「私は葉っぱが好きじゃない」
「まあ。葉っぱだなんて。この子達はベビーリーフと言って、若い葉なのです。ベビーちゃんが泣きます。ひと口だけでも召し上がってくださいませ」
ベビーちゃんにはかわいいお洋服を着せましょうね。ヴィオラが裏ごした卵黄をサラダの上に散らす。
「赤ちゃんの葉っぱか。ずいぶんとおめかししたな」
フレデリックの口元がほころぶ。孫の顔でも思い描いているのか。あっという間に皿が空になる。王配殿下が生野菜を召し上がったと給仕達が驚く。
「メインはハリー王子の焼いたお肉」
炭火で焼いた牛のもも肉。薄くカットされ、ふんわりと盛られていた。見た目は多く見える。
「したたる脂はないのに、柔らかくジューシーだな。これで酒でもあれば…」
フレデリックがグラスにはいった水を見る。
「人の体に必要なのは水です。ノアールの水はとても美味しいですよ」
「そうなのか。リリアも今は酒が飲めないし。私も水をもらおう」
時間をかけて食事を楽しんもらう。黙って作業のように口に運んでいた時とは大違い。いつもの半分の量でも満足してもらえた。初日としてはうまくいっただろう。
「明日の朝食も私がご用意いたします」
「今夜は娘2人と食事ができてとても楽しかった。早起きして待っているよ」
「ええ。明日はお庭でいただきましょう。リリア様はお迎えに伺いますね」
「妹ができたみたい。ねえ。リリアお姉様って呼んでみて」
「リリアお姉様。調子に乗りすぎですわよ」
「なら私は父と呼んで欲しい」
「畏れ多いですが。お父様、明日もギューッとさせてくださいね」
ご機嫌のフレデリックを見送り、ヴィオラも客室へ戻ったが、ヴィンの姿が見えない。そういえば2人の食事を忘れていた。あれももう出来ているだろう。まだ厨房にいるだろうか。
厨房の扉の前にフローレンスが立っていた。ヴィオラの姿をみて音もなく駆け寄る。
「ヴィオラ様。そっと中をのぞいてください。もう呆れました。がっかりです」
「どうしたの? まさかあの2人…」
中では、フレデリックのために用意してあった食材を無駄にはできないと客人に振る舞われていた。2人の前に並べられた茶色い肉の山がみるみる減っていく。もうひとつの皿にのる山は揚げたジャガイモだろう。見ているだけで胸焼けする。
ハリーとヴィンがふと視線に気づく。扉から半分顔をのぞかせたヴィオラと目が合った。酷く悲しい目をしている。今にも涙が零れるのではないだろうか。立ち上がったヴィンの手からフォークがすべり落ちた。
「私の手料理を待っていてくださると思って、急いで来たのに…」
「ヴィオラちゃん! フローレンスも!」
「ヴィオラ、すまない。出されたらつい我慢できなくて」
フローレンスがヴィオラの肩を抱く。
「ヴィオラ様。泣かないで。私も辛いです」
「フローレンス様。私たちもやけ食いしましょうか。もう式で着る衣装の心配はしなくていいみたいですよ」
「そうですね。吹き出物でも何でも気にせず食べましょう。努力したって横に並ぶ方があれではね」
近くにいた料理人に2人に出す予定のものを処分するよう言いつけ、代わりに菓子を持ってこさせた。重そうな籠を受け取るとリリアの部屋へ行ってしまった。もう今夜は客室に戻らないという。
扉が閉まる直前、うつむく2人の肩が震えていた。料理人達に女性を泣かせたと責め立てられる。嘘泣きとわかっていても罪悪感で胸が痛む。
「ハリー! お前が肉を無駄にするなとか言って焼かせるから! ヴィオラを怒らせたらただでは済まない。謝罪しようにもリリア様の部屋には入れない!」
「ヴィンだって、腹空いたって言ってただろう! 見たか? フローレンスのあの目! 虫けらでも見るような目だったぞ!」
そこへ若い料理人が恐る恐るオーブンから出したものを持ってきた。
「これは先ほどの奥方様に言い付けられて焼いた魚と野菜です。忘れてました。すいません。これも処分していいですか?」
海沿いの町出身で実は魚料理が得意という見習いにヴィオラが頼んでいた一品。白身の魚がふっくらと焼けて香草のいい香りがする。添えられた色とりどり野菜がさらに食欲をそそる。
「いいわけないだろ! 忘れるな!」
「このソースで食べるのか。よこせ!」
他のものは処分されてしまったが、残った1品は死守した。パリパリの皮が旨い。鉄板の魚を取り合って食べた。
責任を押しつけあっても、事は収まらない。朝まで待つしかない。
「俺ら、何しにこの国に来たんだっけ?」
「肉を食べに来たんじゃないことだけは確かだ」
「ヴィオラちゃんの手料理ってなんだったんだろう」
「卵を茹でていたのは見た。薄く切ったトマトをパンにのっけてサーモンで隠してたな。あとはサラダの盛り付け」
「…。愛情がこもっていれば手料理だ。うん。明日こそ食べさせてもらおう」
「なら仕事するか」
「それしかないな」
部屋に戻らず、例の政務官と怪しい薬草士を探りにそれぞれ暗闇の中に消えた。




