小さな王子のお気に入り
ノアール国女王夫妻の私室。愛娘が連れてきた薬草士を前にリリス女王は戸惑っている。
「リリアの話は大げさだと思っていたけれど。そこまで化けられるものなの? 若い頃のグレースによく似ているわね。本当は王宮の奥で隠くし育てられた姫ではないの?」
年齢よりも大人びて、凛と咲く黒百合のようなリリスと、清楚で可憐な野に咲くスミレのようなグレースは社交界の人気を二分にしていた。王女のリリスが大陸一の美姫を勝ち取ったが、グレース人気はフェリシティー国王太子に嫁いだ後も高かった。第1子は男児。お世継ぎ出産の大役を果たし、会うたびに姫が欲しいと言っていた。噂に聞く『銀のスミレ姫』は第3王子のことではなく、知られていない姫のことだったのかしら。頭が混乱する。
「私は母似で大変嬉しく思っていますし、感謝しています。念のためお伝えしますが、これ僕の趣味ではなく、潜入や身バレしたくない時用の変装です」
今回はリリア姫からのSOSに、寝室にも入れるよう変装した。夫以外の男性の入室はありえない。
目を閉じれば、確かにあの小生意気な第3王子の声。目を開けると…。女性にしては背が高く、声も低い。忘れようもない全てを見透かすような青紫の瞳。
でも目鼻立ちや肌の色艶、ほっそりとした体つきにやっぱり姫なのかもとまじまじと見てしまう。たしかリリアより3つ下だったわよね。少女のようにも見えるし、大人の匂い立つような色香も持ち合わせている。
「さすがに脱いで見せるわけにもいかないし。そうだな…」
ふと部屋の隅で動くものを見つけた。髪をまとめたかんざしを抜き取り、的あてでも楽しむかのようにシュッと投げる。
急にどうしたのよとリリアが床に刺さるかんざしを見ると、黒いあの虫に命中していた。まだちょっと動いている。
「ひっーー! 気持ち悪い! それにしてもよく見つけたわね」
「そいつ、神出鬼没だよね。僕も苦手。今剣は抜けないけど、少しは男らしいところをお見せできたかな」
「そうね。淑女には絶対に真似できません。お母様、ここにいるのは間違いなく白銀の一閃様です。レイ、それ早くどこかにやってよ」
「はいはい。これ割とお気に入りだったけど、もう使えないな」
かんざしを拾い上げ、扉の外にいる衛兵を数名呼び、なぜか恋人か意中の人がいるかを聞いている。
「これ、あなたが片付けてくださる? かんざしは好きに処分していいわ。実るといいわね」
「か…かしこまりました」
最近気になる人ができて猛アタック中という若い衛兵が虫ごと受け取る。髪をおろし微笑むヴィオラとお高そうなかんざしを交互に見て、この方の髪に挿していたものだよな。俺の給金では買えない。この際どうしてこいつが串刺しになっているかは考えないでおこう。洗って消毒すれば大丈夫。きちんと処分させていただきます。
衛兵は丁寧にお辞儀し、扉を閉めた。
「こんな突拍子もないことをするのは、たしかに『野生児王子レイちゃん』しかいないわね」
「嫌ですわ。野生児はとうに卒業していますのよ。でもよくお調べになっているのね。そう呼ばれたのは王宮でも奥だけ。なぜ他国の女王様がご存知なのかしら」
「前にグレースに聞いたのよ」
「そういう事にしておきますね」
にこりと笑う顔は可憐だか、やっぱりあの王子だ。どこの国でも他国の情報収集に影の者を出しているでしょうに。すぐに呼び戻さなければ! 危ないわ。
昔リリアの婚約者候補にと調べさせた事があった。
第2王子は物静かだが、かなりの優等生。国内外から知識人を呼んで教師につけている。常に書庫にいて読書。王配になれば安心して政務を任せられそう。先が楽しみだし、ありがたいわ。
そして第3王子の情報は苦労して集めたと前置きがあった。
容姿は兄弟の中でも特に母親のグレース似。結構重要。王配になれば人前に出るのが仕事。リリアの子なら当然可愛いに決まっているが、父方に似るかもしれない。
同年齢に比べればかなり学習は進んでいるという。こちらも期待できるわね。
好きな食べ物は果物と蜂蜜クッキー。まあ可愛らしい。次の項目はいただけなかった。苦手な食べ物がよりによってお肉と牛乳! 大丈夫。ノアールに来れば自然と好きになるわ。男の子ですもの。好きなだけ用意しましょう。
そして二度見した項目。趣味は草集め、虫集め、石集め。毎日森に入って走り回り、泥だらけになって、棒切れをふりまわす。王宮内の愛称は野生児王子レイちゃん。
野生児? 活発ってことよね? 収集癖でもあるの? お花じゃなく草? 虫って何? 泥だらけって、よくグレースが許すわね。
それでもどちらか欲しくて申し込んだがグレースにあっさり断られた。草集めは薬草だったと今なら理解できるが、野生児がどうして綺麗な蝶になったのかが不思議。
「疑いも晴れたところで。奥のお部屋にお邪魔しても?」
「ええ。お願い」
リリスが寝室へと続く扉を開け、どうぞと招き入れる。
「く…」
「?」
ヴィオラが腕を前に伸ばし、そろそろと歩き出す。
「どうしたの?」
「くまさん…」
「熊? レイ、ちょっとどうしたのよ!」
ヴィオラになっていることも忘れ、レイが椅子に座る大きな熊さんに抱きついた。このモフモフには覚えがある。
幼い頃、どこからか贈られてきた肌触りの良い、大きな黒い熊のぬいぐるみが大好きだった。
おもちゃの剣でよくつつき、跨がって遊んだ。お腹を枕に昼寝もした。ほつれてボロボロになるとアメリアが縫い合わせてくれたが、そのうちにあちこち縫い目だらけになり、お化けみたいになってしまった。それでも捨てさせずにいたが、ある夜、黒い目が光った気がして、急いで隣の兄アルバートの部屋に逃げ込んだ。いつの間にかいなくなり、探し回ったがどこにもいない。あの時はずいぶん激しく泣いた記憶がある。忙しい母が子ども部屋にやってきて泣き止むまで慰めてくれた。そしてくまさんは森に帰ったのと言われた。処分されたのだろう。見るも無惨な姿になるまで遊んだ。懐かしい思い出。
「あの時はごめんね。また会えるとは思ってもみなかった」
「レイ、あなた何を言っているの? 離しなさいよ。お父様が苦しそうよ」
レイが抱きしめているのは、ふわふわモフモフの寝間着を着た王配殿下フレデリック。ナイトキャップまでモフモフ。それも全身黒。ふくよかなお体はレイちゃんお気に入りの熊のぬいぐるみそっくりだった。
「リリア。このお嬢さんはどなたかな?」
フローレンスに肩を思い切り叩かれ、やっと離れた。
「レイモンド・ウィステリアです。このような格好で失礼いたします。今はヴィオラとお呼びください。王配殿下があまりにも昔可愛がっていた熊のぬいぐるみにそっくりなもので。つい」
「熊か。森の王者だね。褒め言葉と受け取ろう。君もしなやかな猫のようだよ」
気さくな方なのだろう。気軽に名を呼ぶことを許された上、握手しようと手を差し出してくれた。そっと握った手のひらは温かく、ぷにぷにと弾力があって肉球のよう。レイが両手でつかんで離さない。またフローレンスによって引き離された。
「君の噂は聞いているけど、ずいぶんと印象が違うな。娘がもう1人できたみたいだよ」
「噂なんて真実も嘘も混ざっていますから。フレデリック様。あの。もう1度抱きしめてもいいですか?」
「いいとも。おいで」
もう1度ギューッとさせてもらい、満足したのかレイは子どものような笑顔だ。
「リリア。さきほどの勇ましい白銀の一閃はどこへ行ったのかしら」
「さあ。誰にでも裏の顔があるって事かしらね」
「大丈夫かしら。とにかく話をするにしてもお茶が欲しいわ」
リリスがチリンとベルを鳴らすとメイドがカートにお茶を運んできた。
「これは? 何人前のお茶菓子?」
レイが驚くのも無理はない。5人がゆったり座れるほど大きなテーブルに3段トレーがそれぞれの前にも置かれたが、他にもすき間なく並べられたお菓子たち…。お茶が注がれ配られる。フレデリックの前には大きな砂糖壺。さじに山盛りにされた白い砂糖がカップに投入される。
ひとさじ、ふたさじ…。
フローレンスがもう見ていられない、それ以上は毒とつぶやく。レイがフレデリックの手からさじを奪い取った。
「問診するまでもない。これは明らかに糖分取り過ぎ。食べる量が尋常じゃない。倒れるわけだ」
「そんなことはないよ。私を美食家と呼ぶ者がいてね。私が美味しいと思うものは大抵店に置けば大人気商品となる。皆がこぞって味見して欲しいと新作を持ってくるんだ。食べるのも仕事。今まで大きな病気などしなかったし、倒れたのは疲れからだよ」
「美食家? どこのどいつだ。そんなこと言う奴は。王配殿下を早死にさせたいのか」
リリスが目を背けたのを見逃さなかった。後で説教だ。周囲の理解と協力がないと、これは改善できない。
「レイ。お口が悪いわよ」
「君の父上の命がかかっている。食事の記録はとってあるよね? 料理長とも話をしなくては」
レイはもう1度モフモフを堪能してから、ヴィオラになりきり、厨房に案内を頼んだ。




