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おまじない

 黄昏時。異なる世界が混じり合う時間。


「僕を迎えに来たの?」

「あなたは行きたいの?」

「まだ行かない。君はアンバー?」

「少し前まではね」


 目の前に座るのはモリオン。


 アンバーは離宮の近くで見つけた。何か苦しそうに吐き出そうとしていたが、毛玉ではなさそうだった。獣医の指導を受けながら腹を切って異物を取り出した。そうだ、あの時黒い石を飲み込んでいたんだ。それから元気になった黒猫をオリビアにあげた。僕のいない時は代わりに彼女を守って欲しいとお願いして。


 アンバーも不思議な猫だった。ネズミは捕らないし、オリビアとレイ以外には触れさせない。いつも窓辺に優雅に座り、オリビアを見守っていた。


「なぜ急にいなくなったの?」

「あの黒い石のせいで寿命が早まってしまった。あの子に最期を見せられない」

「そうだったのか。気づかなくてごめんね。1人で逝かせてしまった」

「1度は助けてもらったのですから。命の恩人ですよ」

「それで。今はモリオンなのはなぜ?」

「あなたは気に入られた。そうでなければ私はここにいない」

「魔女の使いではないんだね」

「ふふ」


 畏れ多いことだ。


「オリビアでもないんだね」

「あの子の思念も私を動かしていた。深く愛されているのね」

「そうか。オリビアが…」


 離ればなれになった後は僕ばかりが愛していると思っていたけど違った。これから短い結婚生活が始まる。早く双子に会わせてあげたい。君の生きた証だ。


「もうひとつ聞きたい。蛇の抜け殻をなぜ嫌うの?」

「私は本来、家守りの猫。特に黒いのは私を追い出そうとしたからね。あれもあなた達と家を気に入ったようだから。あの石もそう。なぜか魔物扱いされてあなたに近づけさせない」


 ありがたいけど、蛇よりも猫のほういいに決まっている。倉庫でなく別に礼拝所でも建てた方がいいのかな。とにかく目に見えない力が働いていたって訳だ。


「もう迎えが来る頃ね。それまでもう少しだけ見せてあげる」


 気づくとオリビアがお茶の支度をしているのが見えた。たぶんアンバーの目を通して見ているのだろう。時折、オリビアが笑顔を向けてくる。


 温めたポットに茶葉を入れ、お湯を注ぎ蒸らす。砂時計でしっかり計るが、砂が落ちきってからほんのわずか間をおいてカップに注がれた。母もそうだ。いつも不思議に思っていたけど、その間は何?


 よく見ると唇がわずかに動いている。何を言っている? 


「…ご武運を」


 えっ?


「怪我していませんように」

「大好きよ」


 またアンバーに笑顔を向ける。


「我が家に伝わるおまじないよ。願いをかけて一緒に飲むの。早くレイに会いたいな」


 僕はまた恋に落ちた。


 モリオンの中にオリビアがいるならもう離れることなんて考えられない。双子を連れてどこかに隠れ住もうか。本当は彼にも側にいて欲しいけど。


「時間ね」


 モリオンの声が遠くなる。


「この白猫…レイなのか? おい! 返事しろ」

「ミャー」

「モリオン。いやオリビア様! レイを連れて行かないでくれ。ルーもアナもレイが必要だ。俺だって…。もし代償が必要なら俺が受けるから。お願いだ。レイを返してくれ」


 猫2匹の前に跪く背中に温かい重みが乗ってきた。甘えるように抱きつかれる。


「俺だって何?」

「えっ? お前がここにいる? じゃあこの白猫はただの猫?」

「そのようだね。『俺だって』の続きが聞きたいんだけど」

「何も言ってない! それよりもう蛇はバーデットに移したから何も心配ない」


 川辺で目覚めて、ガゼボに走った。まだモリオンはいるだろうか。着いてみると、ベンチの前にヴィンが跪いているのが見えた。


「引き離されるかと思った」

「正直言うと迷った。母が自慢にしている大粒のオニキスを借りて追い出そうかと思った。どちらにせよお前を失うなら、オリビア様に連れて行かれた方がましだと思ったが、やっぱり嫌だ」


 モリオンを追い払えばレイの側にはいられない。


「オリビアはそんなこと望んでいないよ」

「でもこの白猫を見たら、一緒に旅立つのかと思ったぞ」

「モリオンを連れ帰ってもいい?」

「一緒に帰ろう」


 背中が軽くなり、ベンチに座ったレイがじっと見る。言うまで動かない気だ。くそ。


「俺だってお前が必要で…その…大事だよ」

「ふふ。正妻の前で堂々と言ってくれたね」

「やっぱりモリオンはオリビア様なのか」

「内緒。モリオン。言いたいことがあるならどうぞ」

「痛っ!!」


 額に猫パンチされた。加減はしてくれたのだろうが痛い。


「もう少し僕に優しくしろって事かな」

「それは俺が言いたい」


 オルレアンの屋敷へ行くと、オリビア様の母サラ様が待っていた。


「レイちゃん、お帰りなさい。あらヴィンセントも一緒だったのね。先にお風呂かしら。猫ちゃん達もね」


 言われてみれば土埃と泥で酷い有様だった。レイはモリオンを連れてさっさと自室に行ってしまった。白猫担当は俺か。そういえば名を知らない。


「とりあえずシロでいいか。行くぞ」

「ミャー」


 シロは屋敷内を熟知しているかのように先に歩く。最近ここで飼われていたのか。前に来た時はいなかったはず。


 ヴィンがバサッと服を脱ぎ捨てると、シロがちょっと後ろに下がる。いくら猫でもじろじろ見るな。ひとりだ。どこも隠すことはない。


「来い。洗ってやる」


 大人しく、されるがまま。泡だらけにして、手で体中ゴシゴシ洗うと、気持ちいいのかゴロゴロ喉を鳴らす。風呂好きの猫か。


 湯船に入れると、泳ぎ出すわ、バシャバシャお湯を跳ね飛ばすわの悪童だった。遊んで欲しいのか。手を組んで、すき間からお湯をピューとかけてやる。負けじとお湯を跳ね飛ばしてくる。猫のくせにやるな。


 長湯しすぎた。シロもぐったりしている。猫ものぼせるんだ。でも俺の腹の上で休むなよ。


 夕食はソフィア様がいなくても行儀良く、背筋を伸ばす。マナーさえ守れば、ここの食事は味も量も申し分ない。レイがいつもより食べている。さすが第2の実家。サラ様もよくわかっている。辛いのは苦手のはずだが、蜂蜜とマスタードのソースなら食べるのか。レシピを聞いておこう。


 食後のお茶になった。レイはサラ様の手元をじっと見ていて、カップにお茶が注がれると口元をほころばせた。確かにいい香りだ。そんなにお茶が飲みたかったのか。


 音もなくレイがカップを置くと、前侯爵フレッド様に笑顔を向ける。この笑顔の時は何かある。


「義父上。つかぬ事をお聞きしますが、オリビアにバーデットの兄弟との縁談話があった?」


ブッーー!


 お茶を噴き出してしまった。ソフィア様がいなくて良かった。


「出し抜けに何だ? もう2人の結婚を渋ったことは許せ」

「いえ。相手は3兄弟のうち誰だったのかなと気になって」

「年からいえばヴィンセント。だが申し込んできたのは嫡男だ」

「そう」


 兄貴! 逃げてくれ。こいつ、蜂をけしかけるくらいじゃ済まないぞ。


 後はそれなりに穏やかな夕食が終わり、レイの私室へ。猫たちも満腹になってゴロゴロしていた。レイは書庫から古い伝承の本を持ち出し読んでいる。その間、暇な俺は猫たちと遊ぶ。白猫、かわいいな。


「やっぱり。『月の祭り』はフーレ村が発祥の地だった。なるほどね」

「それがどうした?」

「何でもないよ。それよりさ。シロはない。他になかったの?」

「…なぜそれを知っている?」

「どうしてでしょうね」


 まさかな。俺が黒猫になったことは、夢か幻だと思っている。そうたびたび不思議な事は起きない。起こさないでくれ!


 サラ様が雪みたいに真っ白で綺麗な子と言うので、白猫はスノーと名付けられた。


 モリオンはレイが。スノーの面倒は俺が。小さな家が賑やかになるな。

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