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使者

 ウオーランド国からようやく一団が到着した。囚人達を連れ帰る騎士の他に、調理人や仕立屋まで連れてきた。どおりで移動に時間がかかったわけだ。


「君は気軽に動ける立場だっけ?」

「レイモンド様から呼ばれたのなら、私が出向くのは当然です」


 ダニエル王子は応接室に飾られたウィステリア刺繍のタペストリーを物珍しそうに眺めている。


「こちらをお納めください」


 側近ヒューゴがレイに差し出したのはアンテイ―クのアクセサリー。宝物庫でヴィオラ様に似合いそうなものをいくつか見つけたので。わざわざ箱に青紫のリボンまでかけてある。ヴィオラ用かとレイは最初微妙な顔をしていたが、いずれアナに使わせてもいいだろう。リメイクしたら面白そうだ。


「貴重なものをありがとう。大事に使わせてもらうよ」


 レイの笑顔にダニエルもヒューゴも胸をなで下ろす。また教団関係者が迷惑をかけたのだ。どれほどのお怒りが待っているかと内心ヒヤヒヤだった。


「国内はまだ安定していないのだろう? 君が離れて大丈夫なの?」

「レイモンド様にいただいた薬湯と解毒オイルを欠かさず使っているおかげで、父が話せるまでに回復したのです。短期間ならば私が国外にでても問題ないのですよ」

「すごい生命力だ。まさか回復とまでは思ってもいなかったよ」


 国王は毒を取り込み過ぎて全身の肌が茶色く、異臭までしていたのに。手遅れとさじを投げずに良かった。


「ダニエル王子に直接確認をして欲しい者がいる。地下牢へ案内しよう」


 レイが姿を見せると、地下牢がしんと静まり、囚人達が鉄格子の前に整然と並ぶ。


「この国では正座を強要しているのですか?」

「まさか。勝手にやっている。ウオーランド流なのかと思っていたくらいだ」

「うちにこんな行儀のいい囚人はいないですよ」

「クロークのハリー王子が躾けしてくれたのかな。あとでご褒美あげなきゃ」


 最奥の房には女性が1人、質素な寝台に腰掛け足を組んでいた。レイを見ると青ざめたが、ダニエルに気づき、急に媚びを売るような猫なで声で話しかけてきた。


「どなたか知らないけどそこの貴族の方。私をここから出してくれないかしら。領主が罪もない私を罪人扱いにするの。酷いでしょ」


 厚顔無恥とはこのことか。反省の色は全くない。


「おい。こっちに来て、顔を見せろ」


 耳栓をした看守がエレナを呼ぶが動こうとしない。


「何回言ったらわかるの? 私はウオーランドのお姫様なの。命令ではなく、跪いてお願いをしなさい」

「レイモンド様。今そこの女は何と? エナにとても似ている気がするが、私の目がおかしくなったのか」

「君の目は正常。あれは今、囚われのお姫様役になりきっているところかな。ちょっと自白剤が効きすぎたみたい。おかしな事を言うけど気にしないで」


 冗談はここまで。信憑性は薄いがと前置きして劇団長から聞きだしたエレナの出自をダニエルに話した。そして公爵家の長女に対し行った蛮行も。


「姫君になんて酷い事を。早急に謝罪を申し上げなくては」


 ダニエルはヒューゴにすぐにお見舞いの品を用意するよう言い付ける。


「このような者は知らないし、あちらも私が誰かわからないようですね。虚言癖でもあるのかな」


 異母妹と明かす前から兄を助けようとしたエナ。ダニエルは歌劇が見たいとこっそり何度か会いに行っている。父王の手前王宮には呼べない。今後も公にはできないが兄として手助けしたい。もしこの女の存在がエナの立場を脅かすのであれば。ダニエルに迷いはない。


「そう。なら王族を騙る詐欺罪、名誉毀損も罪状に加えようか」

「何を言っているの? 本当に私は!」

「うるさい。まだ罪を重ねるつもり? そうだな…騒音は傷害罪に入れておくか」


 エレナが口をパクパクさせたが、やっと閉じた。


「美しいウィステリアを汚したくない。囚人は全て我が国で引き取ります」

「そうして。友好国の国民を。それもこんなに大人数をここで裁いて、悪い噂が立ったら嫌だから」


 刑の実行など誰もしたくない。他国民は他所で処分すればいい。


「ミャー」

「モリオン、どうしたの? こんな場所に来てはダメだよ」


 レイの匂いを追って来たのだろう。抱き上げようとすると、するっと鉄格子を抜けて、エレナの前でピタリと止まる。


「あら。可愛いわね。いらっしゃい」


 エレナが手を出すと、モリオンがシャーと爪を立てた。


「痛い! やだ! 顔に傷つけるなんて!」


 モリオンを捕まえようとエレナが手を伸ばすが、指先にナイフが投げ込まれた。


「卑しい手で触るな」


 エレナがレイを睨むが、レイは背中を向けている。エレナへの関心はもうない。


「モリオン、おいで。汚れた手足を洗わなくちゃ」

「レイモンド様によく懐いておられる。モリオン様にも何か…そうだ、爪とぎ用に猫足の家具をお届けしましょう」

「アンテイーク家具は妻の実家にも置いてあってね。ちょうど同じようなものを探していたんだ。モリオン良かったね」


 応接室に戻るとアイリスとローズ姉妹が呼ばれた。


「こちらはウオーランド国の王太子ダニエル殿下」

「初めまして。ロイス国第6王女アイリスと申します」

「私は第7王女ローズ。殿下にお目にかかれて光栄です」


 紹介が終わると、2人に領内の案内を頼んだ。レイは自分も行きたいが仕事が山積みと残念そうだ。


「ウィステリアの観光案内なら私たちにお任せくださいませ」

「他国の王女がなぜ詳しいのですか?」

「お2人はとても優秀で、僕の補佐をお願いしているのです」

「そうですか。ぜひ我が国にも来てお手伝いいただきたいものです」

「2人も1度ウオーランドに遊びに行かれるといい。古き良き伝統のある国です。きっと気に入ると思いますよ」


 ダニエルと姉妹。年も近いし、初印象も悪くなさそうだ。姉妹のどちらか1人片付くかもしれない。滞在中の接待は任せた。


「さあ、モリオン。僕たちも行こう」


 レイは執務室ではなく、私室へ戻っていった。


「モリオン。淑女が牢などに来てはいけないよ。まだ生かしているのが不満? 腕の傷だけじゃない。アナの心まで傷つけたのだから許さないよ。きちんと責をとらせるから心配しないで」


 アナはあれから外出を控えている。代わりに友達を屋敷に呼んでいた。


「ミャー」

「わかってくれたの? いい子だ」


 レイがばさっと服を脱ぎ捨てると、モリオンは服の下に潜り込んだ。


「ねえ。隠れてないで一緒に入ろうよ。ダメ?」

「ミャ!」

「逃げないで。ほら洗ってあげる」

「ミャー!!」


 レイとモリオンがのんびりと湯につかる。モリオンはそっぽ向いているが、それも可愛いとレイが指で頬をつついた。


「ミャー」

「気持ちいい? 僕はとてもいい気分。明日ひと仕事終えたら、離宮に行こうか。遊びの日にルーが船に乗りたいんだって。君も船遊びは好きだよね」

「ミャー」

「僕の留守中、子ども達を頼むね」


 ヴィンが私室へ入ると、レイが長椅子に横になりぐったりしている。その周りをモリオンが心配そうにうろうろしていた。


「おい! どうした! 具合悪いのか!」

「ん…。ちょっと長湯しすぎた。冷たい水をお願い」

「ほら、こぼすなよ。髪もまだ濡れたままか」


 口では世話が焼けるとぶつくさ言うが、髪を拭く手つきは優しかった。


「喜んでいた?」

「ああ。特別な休暇を思い切り楽しむとな。少し遠出するらしいぞ」

「リアンにはずっと我慢させていたから。機嫌直してくれてよかった。明日は忙しくなるね」


 翌日。囚人を乗せた護送車がウオーランドに向けて出発した。今どきの服装や食文化を学ぶため、ダニエルはもうしばらくウィステリアに滞在する。


「騎士団全員で模擬戦を行うんだ。もちろん僕も出るよ。ダニエル王子も参加しないか?」

「レイモンド様、私のことはダニーと呼んで欲しいです」

「僕もレイでいいよ」

「剣術大会ではレイ様が優勝されたと聞きました。私は鍛錬不足。今日は見学させてください」

「それは残念。いずれまた機会を作ろう」


 ではあちらに。練習場全体が見渡せるよう少し位置の高い席に案内された。騎士の顔まではわからないが、両者がどれほど動いても見逃すことはない。


 次々に試合が行われ、騎士団長とヴィンの試合が始まる。多くの騎士達が、見晴らしの良い場所に移動してきた。


 深く帽子をかぶった騎士団長とヴィン。表情はわからないが、珍しくヴィンは緊張しているのか動きがいつもより堅い。レイほどではないがリアンも細く軽い剣を好んで使う。鋭い突きで騎士団長が勝った。2人は握手を交わすと観客に向かい軽く会釈をして退場した。


「さすが騎士団長。お見事! 次はレイ様の登場か」


 レイが颯爽と入場してくる。戦の美神の登場に観客席が沸く。対戦相手は副団長ローガン。


「お手柔らかに」

「ローガン相手に手を抜けないでしょ」

「本当に剣を持たせればタフな方だ」

「さあ。僕らも楽しもう」


 ローガンはレイの剣を幾度も弾き返し、攻め込むが徐々に後ろへ下がっていった。そして膝を折る。負けても悔しくはない。模擬戦とは言え真剣にやり合ったのだ。


「さすがだ。あなた様が剣を変えたとしても勝てそうにない」

「ローガンの粘りに負けそうだったよ。君たち2人続けてはやっぱり息が…切れるな」


 自分の出番は終わり。レイはダニエルと一緒に双子が待つ屋敷に戻って行った。


***


 護送車は大人数が詰め込まれ、身動きひとつとれない。早朝から乗りっぱなしで体中が痛い。もう国境は越えたようだ。あの怖い領主から逃れられたと安堵する。


「もう1台用意しなさい。貴人用の馬車よ」

「うるさい。罪人にはこれで十分だ」


 エレナが文句を言おうが誰も聞いてくれない。ウオーランドに着いたら、顔も知らないが異母兄の王子に助けを求めよう。歓迎されるに違いない。もうドサ回りもしないで済む。今までの分も贅沢をしてやるわ。


「全員外へ出ろ。食事を受け取れ」

「トイレはどこ?」

「その辺で用を足せ」

「劇団の移動中だって村に寄ったのに! こんな森の中でどうすればいいのよ!」

「木の陰ですればいいだろう。さっさと済ませて戻ってこい」


 1人で行ってもいいのね。エレナは腹を押さえて、時間がかかるかもと言って森の奥に入った。


 振り向いても誰も来ない。見張りはいないようだ。もう戻りたくない。このまま逃げて、ウオーランドには1人で行こう。


 しばらく進むと馬を引く淡い金髪の若い男性に声をかけられた。近隣の貴族が狩りにでも来ていたのかしら。運がいい。


「おや。迷子ですか?」

「旅の者ですが、連れとはぐれてしまって」

「それはお困りですね。私が案内しよう」

「ありがとうございます。助かるわ」


 口元は隠されているが、とても見目がいい男だった。どこまで行くのかしら。どうせならお屋敷に連れて行ってくれないかしら。


「ずいぶんと深い森なのね。足が痛いわ。見てよ。靴づれしてる」


 同情をひくように、痛い痛いと涙まで見せる。


「そんな痛み。私の大事なお姫様の痛みに比べれば虫に刺されたようなもの」

「えっ?」

「謝罪もせず、逃げ出すか。あの方の予想どおりだけどね」

「領主の手先? 生意気な子どもに、ちょっと痛みを教えてあげたのよ。感謝して欲しいくらいだわ」

「なら私もお前に感謝されるのだろうか。いらないけどね」


 白銀の一閃に次ぐ早さで腹を一突き。エレナは腹を押さえ声も出ない。焼け付くように熱く、激痛が走る。


 犬の鳴き声が近付いて来た。ずいぶんと仕事が早い。あいつも腹に据えかねていたからな。


「山犬にでも喰われろ」

「待って…謝る…から…許して。置いていかないで…」


 罪人は逃亡途中に山犬に襲われ、無残な最期を迎えた。


 主がくれた特別休暇。こんなお使いまで任せてくれるとは。


 騎士団長は領から出ていない。ウィステリアは何も関与していない。

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