アナの初恋
アイリスとローズ、モリーナの3人でウィステリア流のウェディングプランを練り上げた。今日は領主に意見を聞きたいと山ほどの資料を執務室の机に並べる。
「貴族は自領か王都で行うでしょう。なので、一般の民が行えるようなものを考えてみました」
「アランは子爵だけど?」
アンとの婚約を機にアランは家督を継いで今は子爵。
「もちろん存じていますわ。アンちゃんのためにそこはきちんと貴族らしさも盛り込んでいます」
資産のある商人などは時間もお金もかけて結婚式を執り行うが、一般の民はそうはいかない。求婚して、相手と親の承諾さえもらえば、教会で誓いの言葉を述べ、書類にサインするだけ。
「まずは式の相談ができる場所を領主館に作ってくださいませ」
「ここでいいの?」
「はい。ここなら勢いだけで結婚しようなどという者は来ませんから」
民が領主館に気軽に訪れることなどない。舞い上がっている2人も門の前で一旦は冷静になれるだろう。勢いで結婚したモリーナが言う。
「婚礼衣装ですが、すべて安価でレンタルできるようにします。グレース様のドレスショップに、襟やリボンを取り外し、交換ができるものを数着考えていただきました。もちろん全てにウィステリアの誇る刺繍を刺します」
「それは花嫁が喜ぶね」
「アンちゃんの衣装はオーダーメイドです。レンタル品でも組み合わせ次第で、似せることはできます」
憧れの花嫁衣装だが、時間もお金もかかる。古かろうがサイズが合わなかろうが、誰かから借りるか、あきらめて手持ちの中で一番良い服ですませる者も多い。
皆で着回すが、その分費用は抑えられるし、もう出来上がっている。襟など部分的にでも自分や相手の好みに合わせて選べるのは楽しいだろう。頭を下げずに用意できるならその方が断然いい。それもグレースのドレスだ! 庶民が一生働いても袖を通すことはない。憧れのドレスに式だけあげたい者が出るかもしれない。
「装飾品も貸し出します。民はそこまでお金はかけられませんから」
「それなら僕もいくつか提供できるよ」
「そのお言葉待っていました。せっかくいただいても、使わずにしまい込んだものがありますよね。もちろん私たちも出しますわ」
あなた様用に特別に作らせたなどと言われ、処分に困っていたネックレスやイヤリングなど山ほどある。困っている民のためだと言えば贈った相手も何も言わないだろう。
これで大幅に予算が抑えられるとローズは満足そうだ。
「教会だけでなく、領内に数カ所、式を挙げられる場所を作りたいのです」
「最近は広場の藤棚の下で求婚が流行っているらしいね。そういった場所でってこと?」
「そうなんですの! そういった場所は特に思い入れがあるでしょう。領主館のお庭も開放していただけますか」
「もちろん。いいよ」
「ガゼボを白く塗り直して、装飾を足します。周りには花を沢山植えて。鐘を取りつけていいですか」
「いいよ。高台から鳴らせば、皆が祝福できる」
さすが領主様。民思いだ。お優しいとアイリスが手を叩く。
「そこで一番に式を挙げるのはアンちゃんです」
「屋外ならショートベールがいいわね。風が吹いたらきっと素敵よ」
「可愛いアンちゃんにぴったり!」
領主館の庭なら式のあと移動しなくても祝宴が行える。厨房も使えるが、街の人気レストランから食事も頼める。
新郎アランの名は一度も出てこないが、忘れられていないだろうか。新郎の衣装はあるのだろうか。
あとは…。婚姻証明書は領主の直筆サイン入りで出して欲しい。紙切れ1枚とはいえ記念になります。もし他領に越しても自慢できそうだ。
ドレスが決まり、衣装あわせの時には似顔絵師を呼びたい。民が肖像画を書かせる習慣はない。画家を呼ぶのはお金も時間もかかる。スケッチだけでも十分だが色彩も加えれば一生の思い出になる。
「そうだね。僕も花嫁衣装を着たオリビアの肖像画は特別だよ」
「ですよね! オリビア様はさぞお綺麗だったでしょうね。機会があればぜひ見せていただきたいですわ」
姉妹とモリーナが、ぜひと手を合わせるが、それはレイが首を縦に振らない。モリオンをなぜながら、見せられないけど本当にあの日のオリビアは綺麗だったと極上の笑みで自慢話を始めた。
「残念ですわ。仕方ないです。諦めます。でも民にしたら、記念に絵を残すって、よくわからないと思うのです」
「風景画はあっても、肖像画は貴族や一部の者の家にしかないからね」
「どうでしょう。民にもわかりやすく見本に飾りたいのですが」
「ここに?」
「はい」
ここまでヴィンは一言もしゃべらなかった。だが、3人の話は聞いていた。何やら企んでいる。レイは今ご機嫌で気づかない。
「一生に1度のことですもの。イメージは大切ですわ」
「そうだね。衣装だって全部試着はできないしね」
「そこでどなたかにモデルになっていただきたいのですが、見つからなくて」
「アンがいるじゃない。適役だけど、もしかして断られたの?」
「それが、アラン様がどうしても嫌だと」
「その気持ち。すごくわかるよ」
レイだって、オリビアの花嫁姿は誰にも見せたくなかった。独り占めしたい。早く新居である離宮にさらっていきたかった。
「ならいっそ、この領で一番可愛い双子ちゃんに、子供用サイズにした新郎新婦の衣装を着ていただこうと思ったのですが…」
「可愛いとは思うけど。それ、ルーが嫌がらないかな」
「それがですね。アナちゃんが嫌だと。もうご自分の衣装は持っているから、他のものは着ないそうです」
「僕、今泣きそう」
たぶん、あれだ。あれを着たアナを想像して父は涙目だ。
「困ったわね~」
3人がレイをとり囲んで話し出すと、ヴィンはいつでも逃げ出せるように扉の近くに移動した。
どこかにモデルになれるような美人さんいないかしら。ちらっ。
新婦役は独身がいいわよね。人妻が新婦役はできないもの。ちらっ。
そうね。新郎役ならあてはあるけど。ちらっ。
「ん…ん。レイ。時間だ。そろそろ騎士団に行かないと。レイラが着いた頃だろう」
「そうだね。あとは3人に任せるよ。よろしく頼む」
「好きにすすめても良いのですね!」
「僕にはよくわからないから。楽しみにしているよ」
お任せくださいと3人は笑顔でレイを見送った。
「おい。あれはお前に花嫁役を押しつける気だぞ」
「大丈夫。いくら僕でも花嫁役は無理だからね」
無理じゃなければやるのか。この男、本当にわかってない。今頃グレース様が衣装の仕上げに入ってるぞ。お前のな! 自分にとばっちりが来ないよう祈るばかりだ。
レイがアナを連れて騎士団に行くと、レイラは先に着いていたが、サンドラの侍女をしていたアスターと睨み合っている。
「これからは私がアナベル様をお守りする。少し剣術を習った程度で護衛は務まらないぞ」
「アナ様の護衛は私がします。あなたに私的なお時間を一緒に過ごすことはできないでしょう」
アナ様はお裁縫やおままごと、カフェ巡りが趣味なんですー。あなたにはできませんよねと言い切る。
小一時間も2人はどちらがアナベル様にふさわしいか言い合いしている。リアンも困り果てていた。アナ様の護衛は自分だ。ただ女性にしか入れない場所をカバーして欲しいだけ。それにアスターには他の仕事を頼むつもりでいた。ここはアナ様の意見を聞こう。
「お父様。レイラ様はお母様のご友人なのよね」
「そうだよ。女性ではあるが、腕はたつ。いざとなればアナをしっかり守ってくれるよ」
「騎士服がとてもお似合いですが、女性なのですね」
「アナ様。私の体は女性、心は男性なのです。ですが、女性しか入れない場所でも対応いたしますからご安心ください」
レイから、必要な時は僕のように女性に変装すればいいと言われた。無理矢理でなく、変装。それならできる。かかとの高い靴で背を高く見せる女性が近頃増えた。なら自分はかかとの低い靴にすればいい。走れるし、護衛なら多少背が高くてもいい。
「良かった。レイラ様は騎士服でもとてもお綺麗な方。もしリアンが好きになってしまったら困るところだった」
「アナ。父様にはよく聞き取れなかったのだけど、どうしてリアンが好きになったら困るのかな?」
一言も漏らさず聞いていただろう。ヴィンはレイがいつ剣を抜くか気が気ではない。リアンが逃げ切るまで全力で押さえよう。
「だって、私は大きくなったらリアンのお嫁さんになりたいの」
「アナ。ごめん。聞こえなかった」
おい! レイ! 殺気をしまってくれ。俺も逃げたくなってきた。
「一番大好きなお父様ともルーとも結婚できないのなら、他にはリアンしかしません」
父に似ていると言われるリアンがアナの身近にいる素敵な人。優しいし、強いし、何よりアナが一番優先。同世代の男の子は目に入らない。
フローレンスは、もうアナ様は目が肥えすぎてお嫁に行けないと笑う。
「そっか。父様が1番か」
「お母様がうらやましいわ」
レイに笑顔を戻る。冷えきったあたりの空気も和らいだ。
リアンにお互い命拾いしたなと声をかけようとしたが、本人それどころではない。うずくまって、息も絶え絶え。私は2番? 3番? と繰り返している。
「リアン。これからもアナを頼むよ。いいね。アナに近づく悪い虫はすべて斬り捨てろ」
「レイ様。わかりました。この命にかえてもお守りします」
フローレンスが、本当にアナ様が行き遅れますと脅すが、2人は知らんふり。
アナは婚礼衣装を着た母の肖像画が大好きだ。母の隣にたつ父も素敵。いつか父が大事にとってある母の婚礼衣装を着たい。また離宮に行ったら見せてもらおう。
リアン、もう少し大きくなるまで待っていてね。




