ヴィンは悩む
王都本邸の執務室でエリオットがレイの顔をうかがっている。姉とも師匠とも慕っていたラベンダーの死に落ち込んでいるのではないかと心配でたまらない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。様子だけは知らせが来ていたから覚悟はできていた」
レイがペンを止めてお茶にしようかと、モリオンを抱きかかえて長椅子に腰かけた。
「それよりもヴィンが心配。僕が悪いんだけど、ちょっと誤解を招くようなこと言ってから様子がおかしい」
「何を言ったんだ?」
「それが…」
レイは顔を赤くしてエリオットに小声で教えた。
「…それはひどいな。早めに誤解解いてやれ」
「だよね」
ヴィンは最近口数が少ない。今日はエリオットがいるから心配ないと騎士団に行ってしまった。仕方がない。騎士団まで迎えに行くか。
「モリオン。今夜は留守番頼める?」
「ミャー」
いってらっしゃいと返事してくれた。
「ヴィン。もう帰ろう。また酒場に連れて行ってよ」
騎士団の鍛錬場で1人汗を流すヴィンは、ちらっと変装済みのレイを見てため息をつき、帰り支度してくると更衣室へ向かった。
以前に連れて行った酒場に入るとヴィンが適当に注文した。「お疲れ」と乾杯して今日の仕事の片付き具合や騎士団の様子を話す。
「へぇ。騎士団長交代か。ローガンが団長になるのかな?」
「それが辞退して、もう1人の副団長ジェイクがなるそうだ」
「ローガンはどうしたの?」
「ウィステリア騎士団に入りたいそうだ」
「うちは大歓迎だけど、いいのかな」
ローガンは訛りを気にして口数は少ないが、腕は確か。地方出身者の面倒見がよく団員に慕われている。ジェイクはローガンよりは若いが団長になっても遜色はない。ならうちでローガンをもらっていいか。
「リアンが団長のままなら、ローガンはどうする?」
「僕の一存では決められないな。リアンと相談だね」
ウィステリア領がまたにぎやかになりそうだ。
「ところでさ」
ヴィンの眉がぴくっと動く。
「誤解を解きたいんだ」
「何について?」
周りはざわついている。ここでサラッと言ってしまおう。レイはスミス家で使われた麻痺毒の話から始めた。
「あれはすごくよくできていてね。口に含んだ瞬間ものすごくしびれる。解毒薬を飲むとしびれが収まる。そして解毒できたと油断した頃にまたしびれ始めるっていう特殊効果があった。そのあともなかなか抜けきらないって厄介な薬」
それで帰る頃にもまだ残っていたのか。随分と陰湿な薬だ。スミス家への訪問はもう断りたい。
「そんな状態の僕が姉とも慕う彼女に何かしたと本当に思っている? それも妻の友人だよ?」
「…彼女に愛してるって、お前は何度言ってた?」
「本当のことだもの。恋愛ではない愛もあるよ」
家族へ向けるようなものと言いたいらしい。
「確かにキスはした。体中にね。それについての理由は言わない。そのあとは君がいつも僕にしてくれるように朝まで抱きしめていた。それもね、2人でずっと好きな薬草の話をしていた」
声をひそめ、「それでも疑うなら、部屋を掃除したメイドにでも確かめてよ。シーツにしわ以外何もついていなかったと証言してもらえる」
そこまで言うなら本当なのだろう。しかし他家のメイドを捕まえて聞けるわけがない。
屋敷から出ず、他人と交流もない深窓のご令嬢にとって、一晩2人きりで過ごせば夫婦と同義だ。レイもそれはわかっていたんだろうに。それでも共に過ごしたのか。
「なぜ彼女を屋敷の外に出さないんだ?」
「うーん。それはね…」
新薬を作れば試したくなる。そこで刑の決まった者に試そうとして抜け出したのがばれた。勝手に試すのももちろんあってはならないが、攫われでもしたら大事。毒薬つくり以外はか弱い女性なのだ。拷問にかけるまでもなく話してしまうかもしれない。もし秘匿した知識が漏れればスミス家の者かレイによって処分される。ラベンダーはレイの制裁を望んだ。
「それに僕へ向けてくれる気持ちはハロルド以上。もし彼女が舞踏会に現れたら、僕と踊った子はみんなひどい目に合う。エリオットでさえいつも一緒にいると嫉妬されていた。執事のモーリスは僕と彼女を会わせては危険だと居場所を隠したのだろうね」
「そうか…」
毒に侵されても、 恋人を待つ時間は正気。レイに執着することで平常心を保っていた。
「自白剤を飲もうか? 同じ質問していいよ」
「いや。もういい」
嘘をつかれたわけではない。だがなぜ紛らわしい言い方をして俺を試すようなことをした? 俺にはさっぱりわからない。平穏が一番だろう。
レイがほろ酔いのうちに帰ろう。夜も更けてきた。酔い覚ましに歩くというのを止めて、馬車に乗せる。今夜は雑貨屋の仮眠室でなく本邸の私室へ押し込んだ。どうにも気が収まらない。
翌日フーレ村の雑貨屋3号店に行くとレイが1本の薬瓶を手にしていた。ここでは調剤室を好きに使える。危険な薬も気にせず出せる。
「どうした?」
「これ。ヴィオラから最後に飲んで欲しいって渡された薬」
「毒か?」
「違う。オリビアの時に泣けなかった僕のために泣ける薬だってさ」
「ミャー」
モリオンが悲しげな声で鳴く。いつもは箱の中で大人しくしているが、レイの膝に飛び乗り慰めるようにペロっと瓶を持つ手をなめた。
泣いたからって気持ちの整理がつくとも限らないが、泣かないよりはいい。あの日はすすり泣きが聞こえた。今は飲んでもないのに声が震えている。つい甘やかして顔を隠すように頭を抱いてしまう。いけない。また付け込まれる。
「ありがとう。どんな時でも、どんな僕でも嫌わずにいてくれることが、どれだけ嬉しいことか君に伝える方法はあるかな。そうだ。代わりにお願いきくのはどう?」
「ならここにいる間だけでいい。ひとつ聞いてくれるか?」
「できることならいいよ」
まだ少し目がうるんでいたが、笑顔で即答された。ちょっと言いづらい。
「俺のためだけの…変装をしてみてくれ」
「ドレスを着ろってこと?」
「ミャーミャー」
あれ、モリオンが唸らない。ここで女装してもいいらしい。
「もともと変装したヴィオラは俺の恋人だったはずだ。そしてもう金輪際ヴィオラは禁止。いいな」
もうスミス家のヴィオラのことは忘れたい。心配して嫉妬した自分がバカみたいだ。
レイはうーんとうなりながら、小さな家で部屋にこもること一時間。出てきた時には可愛い女子になっていた。舞踏会に行くような華美なものでなく、木綿の服。エプロンまでして村娘に変装だ。いつから用意していたんだか。モリオンはそろいのリボンをつけてもらい嬉しそうだ。
「ヴィン様。これでいいかしら?」
「ヴィ…ヴィオラは相変わらず、か…可愛いな」
「ありがとうございます。お茶淹れますね」
どうみても新婚さん。新妻役が気に入ったらしい。丁寧にお茶を淹れたその後は、洗濯物をたたみ(ヴィンがたたみ直した)、箒を手に掃除する(外へのゴミ出しはヴィン。村人にヴィオラは見せられない)。夕飯は簡単なスープと卵のサンドウィッチを出してくれた(卵の殻くらい気にならない。旨かった)。そして甘えて後ろから抱き着いてくる。最高に幸せ気分に浸る。ハリーに自慢できないのが残念だ。
「そうだ。ここへ薬を取りに来る者がいるんだったわ。これお願いしますね」
ニコっとされるとお願いなんて何でも聞きたくなる。嫁さん大事にしてる野郎どもの気持ちがわかった。
薬を取りに来たのは若い村娘。帰りの遅い父に代わり、咳の止まらない祖母のために急ぎと走ってきたが足元が暗く、途中転んで膝にケガをしていた。
「少し待て。すぐに傷薬も用意しよう」
「いえ、すぐに戻らなければなりません」
「もう遅いし、その足では歩くのは難儀だろう。馬で送り届けるから待て」
奥の部屋に隠れていたレイに傷薬を出してもらい、ちょっと送ってくると家を出た。
娘の家に着くと、母親からお礼を言われ茶菓子まで用意されてしまった。娘が顔を赤くして茶を淹れてくれる。せっかくヴィオラ姿のレイが待っているのだから早く帰りたい。病人である祖母の長話にまで付き合わされた。
やっと帰宅して扉を開けると、ヴィオラが腕の中に飛び込んでくる。嫁が可愛いと自慢する野郎どもに言えないのが口惜しい。うちのがダントツ一番可愛い。
「お帰りなさい」
「遅くなってすまない。夜1人にして悪かった」
「いえ。お仕事なら仕方ないです。モリオンに相手してもらっていたから大丈夫。お疲れでしょう。お風呂どうぞ」
怒ってないな。良かった。嫁に気を遣う野郎どもの気持ちもよく分かった。
風呂から上がると、髪をおろしたヴィオラが待っていた。さすがに女物の夜着はなく、いつもの温泉村ゆったり服。見慣れているはずがヴィオラに見えるから不思議だ。
「ね…寝ようか」
いつも通り2人で横たわる。なのにドキドキする。
「遅くなった理由を聞かないのか?」
「怪我した女の子を馬で送っただけでしょう? あの子の家は村外れだもの。時間かかりますよね」
いつもなら父親が来るのに変ねと言いながら、俺を心配する様子はない。信頼されている? もやもやする。もしや…これは…。
「何もなかったからな。母親に茶菓子を出されて食べ終わるまで帰れなかった」
「いいのよ。彼女可愛いもの。長居したくなるわ」
気にしてくれ! 関心がないのかと心配になる。嫉妬されて嬉しい気持ちもよく分かった。
「また必要ならヴィオラになってもいい」
「名を変えましょうか?」
ヴィオラが笑いながら、俺の顔を両手で挟み軽くキスをくれる。
「ヴィオラでいい」
お返しにその手をとってちょっと青黒く染まった指先にキスした。
名を変えてハリーに問いただされると面倒だからな。あれ。なんで俺はわざわざレイを変装させたんだっけ。
まぁいい。今夜は腕枕でもしようか。




