ヴィオラ
ラベンダーの葬儀は彼女の愛した甘い香りの漂うスミス家当主館で、ひっそりと執り行われた。
「終わったな」
「眠ってるみたいに綺麗な顔だった」
先日訪れた時に通された小部屋の窓から、ラベンダー畑を眺めるレイはモリオンを抱いて腰かけていた。彼女がいつも座っていた椅子なんだ。見えない手にそっと重ねるように肘かけを優しくつかむ。遺骨はしばらく実家に帰らせてから、離宮に埋葬することになった。墓標にはヴィオラと刻む。
レイは独り言のようにぽつぽつと話し出した。
「彼女と知り合ったのは僕が10歳になって、毒薬に体を慣れさせるためにスミス家に連れてこられた時。まだ当主でなくヴィオラと呼ばれていたよ」
レイが女装した時の名は彼女からか。偽名を決めるときに迷わず名乗っていた。
長兄は病弱で毒薬慣らしはできない。次兄は副反応が強くすぐに中止され、2人には毒見係を複数つけられた。レイは第3王子だが暗殺者が後を絶たず、主に隣国ベネノンからだったが、毒薬慣らしは必須だった。
「僕と容姿が似ているのは、スミス家から王子妃を迎え、王家からは降嫁して縁戚関係にあるからかな。貴族なんて辿れば誰かしらとつながってるから不思議じゃない。初めて会った時は双子かと僕も思ったよ。でもね、彼女6歳上だった」
当時を思い出したのかレイがクスっと笑う。女性の年齢は本当にわからないものだ。
「本当はヴィオラを迎えるはずだった。残念なことに16歳になっても初潮が来なくてね。調べてみたら妊娠は望めないと診断された。当時はなぜ白紙になったかわからなくて、何度もスミス家に行きたいって母たちを困らせていたな」
貴族に嫁ぎ、跡継ぎが生まれなければ離縁だってよくある話。レイは王族だ。先に調べるのはごく当たり前のことなのだろうが、若い娘に酷な事だ。
「問題なければ結婚していた。どれほど僕がオリビアを望んでいてもだ。でもヴィオラを迎えるのを僕は嫌じゃなかった。最初は姉のように慕っていたのだと思うけど、いつの間にか惹かれていたのだろうね」
弱めた毒薬でも幼い子には十分辛かった。話し相手になり世話をしてくれたのがヴィオラ。薬草学の本をみながら沢山のことを教わり、調合のコツも惜しみなく教えてくれた。痛みで眠れない時は水に浸したタオルを一晩中かえてくれた。そして耐え抜けば頑張りましたねと笑顔で褒めてくれた。
レイがモリオンを抱きしめ直した。最愛の人は1人だけと告げるように。
「僕との婚約が白紙になり、一族のなかでも際だって多くの毒薬を生みだしていた彼女はますますのめり込んでいった。長いこと自身を実験台にしていたせいで内臓は毒に侵され、神経にも影響が出始めた。歩くのも、カトラリーを持つのも、食べ物を咀嚼するのにも今の彼女には苦痛が伴う。僕が痛み止めや内服薬を渡していたんだけど、もう手の施しようがなくて」
時折様子を知らせる手紙が執事から届いた。レイ様の薬しか飲まない。他はすべて捨ててしまう。それも最近は効かなくなったと。
毒薬作りと解毒薬作りの追いかけっこ。彼女のために作った新薬を送ると、熱烈な恋文のようにさらに強力な毒薬を送りつけてくる。他人が聞いたらおかしな話だよね。でも僕らなりの愛の告白なんだ。
「ヴィオラが当主になると聞いて、もう2度と会えなくなると思った僕はさらいに行ったんだけど、見つかってすぐ連れ戻された。王族で会えるのは僕だけって言いながら、彼女の居場所を教えてくれないんだ。酷いと思わない?」
会う時は指定されたスミス家の分家。今ならどこへでも隠せるだろうが、当時まだ少年だったレイが連れ出したところですぐに見つかった。
「とりあえずオルレアンに連れて行こうと思って、オリビアに全部話した。スミス当主になれば、名を変えて、館からは好きに出られず、秘匿した知識が漏れないように親兄弟からも離され、1人で孤独に過ごすと話したら、オリビアが友達になりたいって言い出してさ。2人は手紙のやり取りを始めたんだ」
直接は送れないので、執事の実家あてに手紙を出し、中を検めてラベンダーに渡された。返事を出すときも執事経由。執事もスミス家の者で当主の見張り役でもある。だがラベンダーを気遣い、とても可愛がっていた。
「オリビアの葬儀の時、彼女は一生に一度の願いと外出許可をもらって来てくれた。オリビアの手紙にあった離宮をすごく綺麗な場所ねって。もし僕が辛いなら忘却の催眠術をかけると追い回されたよ。こっちは慣れない双子の世話で泣く暇もないって言うのに」
一部の記憶だけを消すラベンダーにしかできない催眠術。勝手に王族に使ったとなれば処分対象になる。それでもレイのためなら命など惜しまなかった。
「唯一といっていい友達の別れに泣きたいくせに、笑いながら毒薬入りの口づけして恋人になってあげるって言うんだ。僕もいいよって返したんだけどね」
ずっとレイを想い続けていたのだろう。レイもそれをわかっていて拒まなかったんだな。
恋人となってからは、レイの敵対する者に容赦なくなり、嫉妬もすごかった。オリビア以外は認めない。何度かイザベルに脅迫状を送り付けようとして、執事に止められた。口を開くなと言われたのは、もし親し気にレイなどと声を掛けたら…。考えないことにした。
「落ち着いたら会いに行くと伝えたら、ずっと待ってるって。でも居場所は教えてくれない。向こうから呼ばれないと会えなかった」
レイなら調べればすぐわかるだろうに。会わない優しさなんてものがあるのだろうか。俺にはわからない。フローレンスの件がなければ最後を看取ることができなかったのか? 哀しいことだ。
「ラベンダーの精油を選ぶのは使いやすくて一番好きな香りだから。君も好きだよね」
「ミャー」
それも彼女への愛情表現のひとつなんだろう。精油をいくつか組み合わせて使っているようだが、スミレの葉もいれてるんだろうな。
最後の夜に何があったかは言わなかった。ヴィンも聞かなかった。
あの夜。ラベンダーはレイの前で服を全て脱ぎ捨てた。見て。もう残された時間はないの。
肌にはあざのように変色した跡があった。黒、青、茶。盛り上がったものもある。レイは目をそらさず、芸術品を見るように感嘆の息を漏らす。なら僕も。手袋を外すと指先は青黒い。
「手袋をつけなさいって教えたでしょう?」
「君は死に至らしめる毒薬と一緒にひとまとめにするけど、害虫を排除する農薬はこの国を豊かにして、民を飢えから救ってきた。僕の指先をみて友人が綺麗だと言うんだ。その時は笑ってしまったけど、今の君は誰よりも美しい」
黒く染まった首筋ををレイが強く吸った。ラベンダーの目から涙がこぼれる。
「レイ、ありがとう。もう十分よ。彼のところに行って」
ただ立っているだけでも辛そうなラベンダーを抱え上げ寝台に横たわらせた。
「まだ信じないの? 朝まで一緒と約束したよ」
恋人ごっこはもうおしまいにしよう。一夜だけの夫婦となった。
フーレ村の小さな家に帰り、ヴィンはトランクを開けた。空き瓶はすぐに洗っておくようにレイに言われている。今回は随分と解毒薬を使ったんだな。手袋をはめて1本ずつ丁寧に洗う。番号のない赤い小瓶がある。何だろう?
どこかで…。そうだ、前に喉が痛い時にレイに飲まされた蜂蜜酒の横に同じ小瓶があった。
「おい、この小瓶はなんだ?」
「それ? 嗅いだらダメだよ。媚薬だから。スミス家で食前酒に盛られた残りを捨てて瓶だけ貰ってきた。匂いだけでも大変なことになるよ」
「レイも作れるのか?」
「スミス家のものよりはすっごく弱いけど、似たような効果は再現できる」
「使ったことは?」
「…ないよ」
「出せ」
「知らない!」
レイが外に逃げた。空き瓶のしまってある棚を探すと奥から赤い小瓶が1本見つかった。どうやら使われたらしい…。
夜、レイがいつもより数倍甘えてくる。満足したのか、くるりと背を向けて寝る体勢になったが、またくるっとヴィンに顔を向け、じっと瞳を見つめてくる。
「あの夜。ヴィオラを抱いた。幻滅する?」
「娼館にでも行ったのならする。俺も同じ立場なら同様のことをした…と思う」
「やきもちは?」
「して欲しいのか? 心配はした。いい気はしなかった」
「そうか」
またくるっと背を向ける。肩が上下している。
「おい、笑ってるのか?」
「ふふ。もう寝るよ。おやすみ」
おかしな奴だ。散々心配させといて嬉しいのか。くるっと背を向けてやった。




