スミス家
王都の本邸に戻ったレイはフローレンスから直に手紙を受け取り、読み終わると眉間にしわを寄せ唸っていた。
「当主様からレイモンド様に同席して欲しいとのことです」
「ハリーは何か言っていた?」
「私の意思を尊重すると。手放したくなければ婚約破棄してもよいとまで」
「そうか。それでフローレンスは?」
「私はもう覚悟はできています。レイモンド様、一緒に来ていただけますか」
「わかった。僕も覚悟を決めてご当主に会うとしよう」
いつになく真面目に聞いているレイとただならぬ様子のフローレンスのやり取りにヴィンが首をかしげる。
「そのスミレ色の手紙はなんだ?」
「ぜんぜん違う。スミレ色じゃない。ラベンダー色だ」
確かにレイの瞳の色より薄い紫。ほんの少し赤が混ざっているように見える。
「で? そのラベンダー色の手紙は?」
「スミス家当主からの手紙。ほらラベンダーのいい香りもするよ」
渡された封筒からレイのよく使う精油の香りがする。内容までは教えてもらえないらしい。
「いつものはラベンダーだったのか。スミレの花だとばかり思っていた」
「ヴィン、花からは香料はとれないんだよ。ニオイスミレの葉からだけだね」
ヴィンにもミントだけはわかる。スースーするから。他は甘い花の香りだなとか、さわやかな柑橘とか、すがすがしいけど草っぽいとか。その程度。その日の気分や体調でレイが使う精油を変えてるなーくらいにしか思っていない。どれを使おうがヴィンにとっては甘くいい香り。
スミス一族の表向きの家業は薬草栽培と国中あちこちに所有している花畑の管理。精油の抽出も行っていて、製品は小瓶に入れられ雑貨屋にも届く。裏の家業は毒薬作り。スミスの者だけがその使い手となる。王族にだけ密かに仕える暗殺者の家系なのだ。
「スミス家の裏の顔のことはごく少数の者しか知らない。当主に直接会えるのも限られた王族。今は僕だけだ」
「国王陛下に会うよりも難しいってことか」
「そうだ。今回はヴィンを連れて行くが、ご当主の前で一言も話すなよ。何が起きても絶対に動くな。守れないならエリオットを連れて行く」
「主君に危害がおよぶようなことが起きても?」
「そうだ。僕と共に帰りたいのならそれしかない」
「わかった…」
「納得されていないようですが、スミス家とはそういった家なのです」
フローレンスはスミスでも分家の娘。毒薬作りの腕は一級。温和な性格が暗殺には不向きとされ、王族であるレイの配下となりアナベルの護衛に選ばれた。
スミス一族が婚姻して国外に出るだけでも異例のこと。それが他国の王族に嫁ぎ、未来の王妃となるとなれば当主に最終判断を任せるしかない。ハリーがフローレンスの実家に通いつめ、当主より許可を出す代わりに秘匿された知識を持ち出さないことを約束させられた。
「持ち出せないようにって、書かれた本を返すとかじゃないだろ」
「そうだね。その方法については言えない」
「わかった」
数日後、国王に謁見するような正装したレイがフローレンスとヴィンをともないスミス家からの迎えの馬車に乗った。モリオンは珍しく留守番。双子の世話をよろしくと言えば、ミャーと返事をする。
窓は塞がれ外は一切見れない。1度だけ休憩に目隠しをして外へ連れだされた。トイレと食事中だけ目隠しを外したが、その場所はわからない。また数時間ほど馬車に揺られ、止まった時にはスミスの館、玄関前についていた。
玄関前から見えるのは一面の花畑。ラベンダーだ。その美しさに息をのむ。その中に館は建っていた。
執事服を着た上品な男性が扉の前でレイ達を出迎えた。
「レイモンド様、お待ちしておりました。どうぞお入りください」
「ヴィン、ここからは一切口を開くな。今ならまだ馬車で待機できる。行くか?」
「…」
ヴィンは無言で頷いた。レイがにっこり微笑む。
「合格。さあ行こう」
通されたのは使いこまれた家具と調度品が置かれた居心地の良い部屋だった。同じ古風な家具でもウオ―ランドとは違う。日常的に使われているようなそんな温かみがあった。
「こちらをぞうぞ」
案内した執事がお茶を淹れてくれた。ベルガモットの良い香りがする。レイが好きなお茶だ。一言も話すなと言われ警戒していたが、歓迎されているように思う。おかしなところはない。
「ヴィン。口をつけるな」
淹れてくれた執事がいるのにレイもフローレンスも手をつけない。執事は気にしていないどころか微笑でいる。
「お館様が参ります」
執事によって扉が開けれ、幼い少女のような、妙齢のような、年齢が一見ではわからない女性が入って来た。白銀の髪に青紫の瞳。レイととてもよく似た容姿にヴィンは目が離せない。
「レイ。一年ぶりかしら。あなたちっとも顔を見せにこないから、私から会いに行くところだったわ」
「ラベンダー、冗談でもそんなこと言わないで。あなたが抜け出したと知れたら私はあなたを斬らなければならない」
「ふふ。あなたになら斬られてもいいわ。さぁいつもの挨拶をちょうだい」
レイが席を立ち、ラベンダーと呼ばれた女性の横に座る。レイはきっちりと結んだ髪をほどき、ラベンダーの体を引き寄せ顔を近づける。口元はレイの長い髪で見えないが、おそらく口づけているのだろう。数分? やっとレイが体を離した時、その手は震えていた。そして指が1本たてられた。
ヴィンは慌ててトランクからレイが作る中で1番強い<1>と記された解毒剤を出し、フローレンスがレイに飲ませる。
「フーー。今日のはまた痺れたね。危うく君の喉を締めるところだった」
「また解毒されてしまったわ。腕をあげたわね」
レイがヴィンの隣に座り直した。
「いつものご挨拶だ。気にするな」
「……」
レイの声が掠れている。いつもの挨拶だって? 咄嗟に剣の束に触れそうになる。
「ヴィン。殺気をしまって。本当に大丈夫だから」
「あなたの新しい側近は随分と怖いわね。エリオットはもうここには来ないの?」
「彼は結婚して侯爵家を継いだ。ここにはもう来させない」
「彼ならいいの? ここへ連れてくるなんて随分と信用しているのね」
「僕の側近であり、友人で、家族だ」
「ねぇあなた。知ってる? 本当は私がレイの妻になるはずだった。でも私もオリビアが大好きだからそれはいいの。あんないい子他にはいないわ。でもあなたがレイの恋人なら許せないわね」
「ラベンダー。彼は僕の家族だ。手を出したら容赦しないよ」
2人の間に沈黙が続く。部屋の中はラベンダー畑からの甘い香りで充満している。好きな香りのはずだが息がつまりそうだった。
「準備が整いました。皆様こちらへ」
執事が呼びに来た。ヴィンはここで待つように言われ、3人だけが別室に移動する。
先ほどのやり取りは何だったのか。不安と焦燥。大事な主君と離されてしまった。残されたヴィンは落ち着こうと冷めきったお茶のカップに手を伸ばした。
「フローレンス。あなたにはとても期待していたのに残念。でも恋路は邪魔しないわ。私の分まで幸せになって欲しい。でもスミスの秘密はここに置いていってちょうだい」
フローレンスは寝台に寝かされた。両手は胸の前で組まれ、その指にはハリーから贈られた婚約指輪が光る。不安な様子は一切ない。この先には幸せな未来が待っていると、口元が笑っている。レイは少し離れたところに立ち、静かに2人を見守っていた。
「ではこれを見て。ゆっくりと呼吸をして。――そう。体の力を抜いてーー」
ラベンダーがフローレンスの目の前で、鎖につながった銀の古い硬貨を揺らして見せた。小声で何か語りかける。最後に液体を飲ませると、そのままフローレンスは目を閉じた。
「これで、フローレンスはスミス家の秘匿する毒薬の製法を全て忘れてしまった。1時間ほどで目覚めるわ。大丈夫、婚約者のこともレイのことも忘れていない。医術だってこなせるわ」
「ラベンダー、ありがとう。忘却の催眠術は君にしかできない。感謝する」
レイはラベンダーの華奢な体を引き寄せ、口づけた。
「そんなにあの黒い恋人が大切?」
「恋人じゃないよ」
「彼もそう思っているかしら。聞いてみる?」
「ヴィンに何かした?」
「レイから依頼のあった強力自白剤を飲むなって止めていたそうじゃない。今もきちんと待てができているかしら」
「何てことを! ラベンダー、僕はいつだって君を愛してるのにさ」
「オリビアと双子の次だけどね」
レイがヴィンの待つ部屋へ駆け出した。




