初めての野営
やっと3日だけレイの予定が空き、ルーカスとの約束通りバーデットへやって来た。
「お父様、パッチ君に乗ってももう怖くないよ。それにオプ君がすごく嬉しそう」
「今日はアリアンとオニキスも一緒だからかな」
ルーの愛馬はアリアンとオニキスの子のオプシディアンとブチ柄のパッチ。5歳にして2頭も持っている。馬馬鹿な父とその護衛の影響か、ルーも世話するのは当たり前とできることは厩舎の掃除だろうが嫌がらない。大切な友達なのだと言う。
パッチは馬具にも慣れてきて、ルーも乗れるように練習中だ。一度落馬を経験して怖がっていた大きな馬に乗れるようになって父も一安心。まだ親離れして間もないオプシディアンは、久々に母馬と一緒になってそばを離れようとしない。手綱をひくミアが良かったわねと好きにさせている。
「先にバーデット家に挨拶へ行こう」
バーデット家ではレイとルーが泊まらないと聞いてがっくり。ヴィンの兄ヘンリーはレイと話せるのを心待ちにしていたし、母のアガサもルーにお菓子を沢山用意していたのにと残念そう。帰る前に必ず寄るからとなだめた。
「本当に2人きりで大丈夫か?」
「大丈夫。ヴィンもたまには母上様に孝行でもしなよ。アリアン達の世話も頼む」
「私も残らないとだめですか?」
「ミアも館で留守番。アグネスが絶対に森へ来ないよう見張っていて」
共に大事な主2人だけの野営は心配だが、館からそう離れた場所にはしないと約束したので、何かあればすぐに帰ってくるだろう。
背嚢を背負ったレイとルーは森へ出かけた。
バーデット家の敷地から歩いて1時間ほど。森の奥までは行かない。あまり遠くへは行かないと護衛2人と約束させられたし、初めての野営なら十分だ。
「先に野営地を決めよう」
乾いた地面。周りの木々もよく見て、裂けた箇所や落ちてきそうな枝がないか確認。
「お父様、この辺りはどうかな」
「いいね。木の間隔もちょうどいい。ロープをこうして結んでーーほら屋根ができたよ」
日よけと雨よけの布を張る。今夜は晴れそうだが念のため。次は火熾し。その前に燃えるものを取り除くよ。レイは腕を大きく広げ、このくらいの地面を綺麗にしようとルーに小枝や落ち葉を集めさせた。
「火を熾すの? 近くで見ていていいの?」
「ルーがやってごらん」
「やった!」
貴族のお坊ちゃんが普段できないことばかり。暖炉にも近付きすぎるなと言われる。今日は誰にも邪魔されない。父に教わるのも嬉しくて仕方がない。
「火打ち石は見たことあるね。火打金をこっちの火打石の縁をこするようにーー打ち付ける」
一度レイがやって見せると、ルーは火がつくまで何度も挑戦した。ほぐした麻紐に火が点いたときは歓声を上げる。慎重に薪へ火が移るまで乾いた小枝を足していく。
「あっ。しっーだった」
「そう。森には危険な動物もいる。大声は出さない。よく思い出したね」
「気をつけます」
レイが背嚢から鍋を出しお湯を沸かす。水は途中の小川で汲んできた。ちょっと一息しようとお茶を淹れる。「熱いから気を付けて」木の器に入れて渡すと、フーフーしながら飲んでいる。これも初めて。いつもは適温のものが渡される。レイはそれを辞めて欲しいといつも思っている。熱ければ冷めるまで待てばいいし、フーフーすればいい。侍女やメイド、護衛のミアまでがルーに過保護すぎる。
「美味しい。ご飯も一緒に作りたい」
「もちろん。今日はナイフも使おう」
「いいの? お野菜をチョキンしていいの?」
「何でもやってごらん」
木桶の水でジャガイモを洗わせ、小さなナイフで皮を剥かせた。
「ゆっくりでいいよ。芽があったら全部とってね」
じれったいが手を出さずに見守る。子どもの頃の父よりもきれいに剥けていた。父は誰にも見つからないようにこっそりやっていたので、急ぐ必要があったのだが。
まな板代わりの切株の上に置いて、一口大に切らせた。洗った皮付きの人参もチョキン。石づきをとらせたキノコもチョキン。干し肉とハーブと一緒にどんどん鍋に放り込んで蓋をした。
「よし。後は待つだけ。ルー、木登りしてみないか?」
「やりたい!」
「そうこなくちゃ。ルーにちょうどいい太さの木は……あれにしよう」
「うーん」
「体は木にぴったりくっつけて。そう。いいぞ。落ちても絶対受け止めるから」
「うーん」
額から汗を流しながら、ルーは上を目指す。手足がプルプルしても辞めたくないと言って頑張っている。
普段ミアと剣を振ったり、走ったりと活発に動いているせいか、体の使い方が上手くなってきた。このままいけば野生児ルーちゃんと呼ばれる日が来るかもしれない。野生児レイちゃんの2世誕生大歓迎だ。
「手が……」
「すごいよ! ルー頑張ったね。傷口を洗ったら薬を塗ってあげる」
擦りむけた手足、頬も傷だらけ。父の背より高く上れた。上から父を見下ろしすごく満足そうだった。
「ルー、食後のデザートもあったよ」
さすがに疲れた果てたルーを背負ったレイがかがむと、ベリーをひとつとってルーに渡す。甘酸っぱさがたまらない。
「僕もとる!」
背からおろしてもらい、熟したものをよーく見て籠に入れた。
鍋のジャガイモに細い枝を刺す。ほろっと崩れた。ちょっと煮すぎたけど気にしない。男の野外料理なんてそんなものだ。仕上げに塩を振らせて出来上がり。
「ルー、パンとお皿出して」
ルーの背嚢にはパンと木皿が入っていた。レイはパンを受け取ると切れ目を入れる。
「今度はこれ。チーズをあぶって」
木の枝に刺したチーズをルーに渡す。火に近づけ周りがとろりとしたらパンにはさんでやった。
「いい匂い。僕のお腹がなっちゃったよ」
「父様もだよ。さあ食べよう」
向かい合ってせーのでパンにかぶりつく。
「お父様、すごく美味しい! もうひとつパン食べたい」
「ルーが作ったスープもすごく美味しいよ。お代わりしようかな」
子どもからみても小食な父がお椀いっぱいにすくって食べてくれる。ヴィンセントが見たら驚くかも。またチーズをあぶってパンにはさんでもらった。
鍋も空になり、一緒に片付けた。動物を引き寄せないために夜間に食べ物は放置できない。残ったら地面を掘って埋めようとしたが、用意したスコップの出番はなかった。
「また僕が作ってあげるね」
「休みがなくたって、領主館の裏庭でも、本邸の庭でもこれならできる。そうだ王城の森も行こう。ルーと沢山遊びたい」
「裏庭ならアナも誘えるね。森や山は虫が嫌なんだって」
「女の子はみんなそうだよ。お母様は怖がらずに来てくれたけど」
「お母様の子どもの頃のお話も聞きたい!」
摘んできたベリーをつまみながら、オルレアンの庭で秘密の基地を作って遊んだこと。桑の葉を食べる蚕が可愛いと何度も一緒に見に行ったこと。小さなバッタやカエルなら手に乗せられたし、角のある黒い虫探しも一緒に来てくれた。病弱と言われていた割に随分とお転婆さんだったな。
「お父様が一緒だから来てくれたんじゃないの? エリオット叔父様が誘っても行かないかったんじゃないかな」
「ルーに言われるまで考えた事なかったよ。そうだ、エリオットが一緒の時は誘っても確かに来なかった」
「アナも僕よりも大好きな人が出来たら行くのかな…」
「そうかもしれないね…」
ふーー。2人でため息をついた。まだまだ先の様で遠い未来のことではない気もする。今は考えないようにしよう。
寝袋はルーと野営すると言ったら『寒がりな姐さんにはこれしかない』とハリーが持ってきてくれた寒冷地クローク国製。保温性が良い。軽いし、中はふわふわで地面に横になっても痛くない。たたんでもかさばらない優れもの。
ホーホーとフクロウの鳴き声がする。虫よけのハーブの香りが風にのって漂ってくる。まだ話足りないのか目をこすりながらルーがお父様にお願いがあるという。
「お父様がお母様をすごく大好きなのは知ってるよ。でもまだ会いに行かないで。すごく嫌だけど僕は男だから我慢する。でもアナが泣くのは見たくないの」
「ルー……」
誰から聞いたのでもない、ただそう思ったのという。
「お母様が亡くなってずっとずっと哀しくて、早く会いに行きたいと思っていたけど、今は思ってないよ。神様から呼ばれるまでルーとアナとずっと一緒にいたい。それに早く行くとお母様に叱られそうだしね」
約束ね。安心したのかルーは眠ってしまった。
可愛い寝顔を見ながらレイの涙は止まらない。まだ幼い愛しい子を遺して逝こうとしたなんて。あまりにも自分勝手で愚かだった。それを感じ取られていたとは。父親失格だ。
オリビア。君に出会えた僕は本当に幸せ。奇跡だと思ってる。会いたいけれどそれはまだ先でいい。君の分まで僕は2人の宝物を守り抜くと誓うよ。
早朝に目を覚ましたレイは鍋に大量のスープを作っていた。
「隠れてないで出てきなよ。本当に君たちは心配性だね」
ヴィンとミアが木立から姿を現した。
「月見酒もいいかと散歩していた」
「わ…私も散歩に。夜露はお肌にいいかと思って」
「いいわけないでしょ。昨夜は曇っていて月は隠れていたよ。ミアも寝不足で酷い顔だね。ほらお湯も沸かしておいたから顔拭きなさい」
「すいません……」
起きてきたルーがジャムをぬっただけのパンとスープをよそってミアに渡すと、一日でこんなに成長なさってと涙を浮かべている。
「ルーをこんなに傷だらけにして。やっぱり2人にさせておくんじゃなかった」
「元気な証拠! 木登り頑張ったって褒めてやってよ」
「えっ! ナイフ使って皮むきした? 早すぎます!」
「ルーは器用なんだ。モノつくりしているの見ればわかるでしょ」
大人たちのやり取りを見ていたルーがパチンと手を打ち鳴らす。
「ご飯食べたらもう館に戻って欲しい。僕はお父様と2人で釣りがしたいの」
えっ。成長しすぎでは。態度も口調までも父親そっくりになって来た。末恐ろしい。
使わない荷物を渡し、身軽になった父と子は釣りに行ってしまった。




