凱旋だ
しばらく続いていた振動が止むと同時に、フォニスははっと目を覚ました。
「アンタよくこんなひどい運転でよく寝ていられるな」
フォニスは居住まいを正しながら否定した。
「寝ていません」
「そうか。とりあえず涎は拭けよ」
フォニスは口元を拭った。
涎など、どこにもついていなかった。
「まあどこでも寝られてるっていうのは長所だな」
ジェニオはフォニスを車から引っ張り出した。
そこは工場街の一角だった。
同一規格の古い煉瓦造りの建物が、ずらりと並び立っている。
日中は工人やトラックが忙しなく行き交うなんとも騒がしい場所だったが、夕食時をとうに過ぎた今の時間帯に人通りは少ない。
どこの工場もとうに火を落とし終えた後で、明かりもまばらだった。
しかしそんな中、フォニスの目の前にある建物だけは、まだ賑やかなままだった。
『La Colombo』という看板を掲げた四階建ての建物は、どの窓からも明かりを漏らしている。
他の階より二倍の高さがある一階部分では、なにかの機械がうなりをあげている。
上階からは電話の音や人の怒号、もう帰りたい、という断末魔のような悲鳴さえ聞こえてくる。
一日を終え、眠りにつく工場街の中で、この建物だけが戦場にあるようだった。
「当分はろくな寝床が無いからな。というか、ろくに寝れないと覚悟しておいた方がいい」
ぽかんと口をあけて目の前の建物に見入るフォニスに、ジェニオはなぜか嬉々として言った。
「はあ……?あの、流されてきてしまいましたが、いったい今って、どういう状況なんですか?」
「それは車に乗っている間に聞くべきだったな」
ジェニオはフォニスの手に、後部座席に積まれていた紙束を次々と押し付けていく。
「アンタはもっと危機感を持った方がいい。よく知りもしない相手の車になんて間違っても乗るなよ」
「無理矢理乗せた人がなにを……」
「オレたちは知らない仲じゃないだろ」
「会って二時間も経っていませんが」
「話をして、笑い合って、一緒に飯を食って、おまけにアンタはオレの絵まで描いた。それだけやりゃあ、旧知も同然だろ」
「あれで一緒に食事をしたつもりなんですか?それに笑ったのはあなただけで、全部一方的な――――」
「おい、しっかり支えろ。落としたら殺すぞ」
おしゃべりはそこまでだ、と言わんばかりに、ベアトがフォニスの言葉を遮った。
そしてすでに山ほど紙束を抱えていたフォニスの上に、さらに束になった新品の鉛筆を乗せる。
「さあて、凱旋だ」
ジェニオは揚々と建物に入って行く。
ベアトもゴツゴツと地面を蹴るように歩き、その後に続く。
フォニスは二人の背中を追いかけようとして、ふと、立ち止まる。
(逃げるべきでは?)
流されてここまでやってきてしまったが、これ以上は関わり合わない方がいいのかもしれない。
ジェニオは絵の代金を上乗せするといってここまでフォニスを連れてきたが、しかしそれだけでは終わらない予感が、フォニスにはあった。
(というか多分、なにか厄介事に巻き込まれる気がします)
フォニスが二の足を踏んでいると、ジェニオが建物から顔をのぞかせた。
「おーい、どうした。いつまでもそんなとこでつったってると、手が凍えて仕事にならねえだろ」
「……仕事?」
フォニスは首を傾げたが、ジェニオはにやりと笑うだけで顔をひっこめてしまった。
結局、フォニスは二人のあとを追うしかなかった。
なぜならフォニスの鞄を、全財産を、ジェニオが運び入れてしまったからだ。