プロだからな
「本当にいいものを描いてくれた。それもきっちり三十分で。いやあ、実に見事だった。期待以上だ」
ジェニオは胡散臭いほど満面の笑みで、フォニスを絶賛した。
「アンタはさっき人を笑わせる絵は金にはならないといったが、オレはそうは思わない」
「はあ」
「人を感動させることと同じくらい人を笑わせるのは難しいし、ましてやそれがひどく落ち込んだ人間であったならなおのこと」
「落ち込んでいたようには見えませんでしたが」
「そりゃオレはプロだからな」
テラス席の目の前の道路に、一台の車がとまり、鈍いクラクションを鳴らした。
ジェニオは手を挙げてそれに返事をし、立ち上がる。
「笑顔を奪うのはたやすい。どんなに笑いこけている人間でも、親の訃報を聞けば一瞬で冷めちまう。だが泣いてるやつを笑わせるのは、そうも簡単にいかねえ。葬式にピエロが現れてみろ。怒るやつはいても笑うやつはまずいないさ」
ジェニオは会計を済ますと、フォニスに手を差し伸べた。
店外までのエスコートだろうと思い、フォニスは素直にその手をとった。
「だからオレは人を笑わせる奴の方がずっとすごいと思う」
「わたしは人を笑わせようと思って絵を描いているんじゃありませんけど」
「まあそうだな。アンタは好きで描いてるってかんじだ」
「どんなかんじですか、それ」
「描いてるときのアンタを見れば、誰だってわかる」
「残念ですが、自分が描いているところは見られませんから」
「自画像は描かないのか?鏡をみながらさ」
「鏡に映る自分は自分であって自分ではありません」
「芸術家みたいなことを言うじゃないか」
「わたしはしがない絵描きです」
「そうだな。アンタには芸術家より職人の方があってる」
二人は連れ立って店を出た。
フォニスはジェニオから離れようとしたが、ジェニオはフォニスを離すどころか、自分を待つ車の方へ引っ張って行った。
「あの、わたしの帰り道はこっちじゃないんですが」
「帰るとこなんてないんだろ、どうせ」
「あります」
なかった。
故郷まで帰る足代はない。
銅貨一枚で泊まれる安宿がなければ、今日の所は教会の世話にでもなろうかというところだった。
「アンタ嘘が下手だな」
ジェニオはあっさり見抜いて言った。
「警戒しなくてもいい。ちょうど今きた車にカメラが乗ってる。オレはアンタに見せてやりたいだけだ。アンタがどんなに楽しそうに絵を描いてるかってところをな」
「……わたしを写真にとるんですか?」
「写真、とったことないか?」
「一度だけあります。ですが、鏡と同じで、写真にとった自分もまた自分とはいえません」
「それは写真を見てから言えよ」
「見たことがあるから言ってるんです」
「どうせ流しの写真屋がとったもんだろ。それか田舎の写真館で撮った家族写真。そんな格式ばったもんじゃ見えるもんも見えないさ」
ジェニオは車のトランクを開けた。
中には、撮影機材が一式揃っていた。
「オレはいまいちなんだけどな、運転席のやつはいい腕をしてる。よかったな。アンタは今日初めて、自分の本当の顔を知るんだ」
「頼んでいませんが……」
「絵描きのくせに自分の顔も知らないままでいいのかよ」
挑発しつつも、ジェニオは流れるような動作でフォニスの手から鞄を奪い、自分の鞄もろともトランクに詰め込んだ。
「それにオレはまだアンタに正当な報酬を払ってねえからな」
「絵の代金なら、先払いで頂きましたよ」
「言ったろ。出来が良ければはずむって。オレはあれが大層気に入った。銅貨一枚じゃとても腹が収まらない。ただ悪い、手持ちがなくな。ちょうどいまから会社に戻るところなんだ。そこで改めて礼をさせてくれ」
「いえ、あの、先に頂いた分で十分ですから――――」
甲高いクラクションが、フォニスの言葉を遮る。
「怒らせちまったじぇねえか」
ジェニオはそう言って、荷物でほとんど埋まった後部座席にフォニスを押し込んだ。
そして自分は助手席に回ると、運転手に向かって軽く詫びた。
「またせたな」
「本当だよ」
運転席に座る、目つきと姿勢の悪い男、ベアトは、苛立った様子で煙草をもみ消し、車を発進させた。