おもしろおかしく描いてくれ
フォニスは少し後悔していた。
先払いされた手前、あとには引くことができない。
しかし目の前の男は、非常に描くことが難しかった。
まだ極端に美化された絵しか受け付けない、気難しい貴人たちを描いている方がマシだった。
男はただフォニスの前に座って、食事をとった。
食事が済むと珈琲を注文し、広げた新聞に目を落とした。
まるでフォニスなど気にしていないかのように振る舞っていたが、それでいて視界からフォニスを外すことは決してなかった。
見られている、と、フォニスは思った。
男の絵を描いているのは自分のはずなのに、自分のほうがよほど観察されている。
フォニスはどこか落ち着かない気持ちになって、自分でも気づかぬうちに、しかめ面を浮かべていた。
「なんだよ、そんなにオレは描きづらいか?」
見透かしたように茶化す男に、フォニスはしかめ面のまま頷く。
「ええ。あなたほど描きづらい方は初めてです」
「色男は苦手か」
「造形的な意味で言えば、むしろ描きやすいです。あなたの顔は左右対称で、よく整っていますから。美しい顔は描いていて楽しいものです」
冗談を真顔で返された男は、飲んでいた珈琲を吹き出しかけた。
フォニスは珈琲の飛沫で汚れた紙面をみて、あ、いいな、と思った。
「まさかアンタみたいな田舎娘に口説かれるとはな」
「口説いていません」
「オレは色男なんだろう?」
「美しいことと、色気があることは別です」
「へえ。いっぱしの口をきくじゃねえか」
男は汚れた新聞をぞんざいに丸めると、フォニスに向き直った。
「じゃあアンタから見て、色気があるわけでもねえオレが描きづらい理由はなんだ?」
「よく見えないからです」
「見えない?」
「どうも影が……暗くて……」
男は呆れた顔で、仕方ないだろ、と言った。
「安い飯屋とはいえ、あんまりおおっぴらに絵を描いてたら追い出されかねないだろ。だからテラス席に座るしかなかったんだよ」
男はフォニスがテラス席の暗さに難をつけているのだと思い、弁明した。
しかしフォニスは、そうではないと首をふった。
「わたしはこれまで、たくさんの人を描いてきました。ほとんどは初めてお会いする方で、お名前や功績しか存じ上げませんでしたが、大抵は向かい合っていれば、その人の描き方がわかりました」
「……絵描きならではの洞察力ってやつか。それがオレにはきかないと?」
「はい。というかあなたはわたしに、わざとそれとつかませないようにしていませんか?」
「オレはプロだからな」
男はにやりと笑い、それでも描け、と言った。
「どう描けばいいのかわからなくても、金を受け取った以上、アンタもプロだ。なんとしても絵を描きあげなくちゃならない」
「はあ。ですが、表面的な絵になってしまいますよ」
「別にいいさ。おもしろければ」
「表面しか描けなければ、おもしろいどころかもの足りなく感じるのでは?」
「足りない分は、アンタが想像で補えばいい」
「……いいんですかそれで」
「ああ。せいぜいおもしろおかしく描いてくれ」
フォニスはそれを聞いて、もうあれこれ考えるのをやめた。
口を閉ざし、集中して、自由に木炭を走らせた。
そして時間ぴったりに、男の絵を描き上げた。




