絵は見たいように見るものです
(おかしなことになりました)
そう思いながらも、フォニスは依頼を引き受け、すぐに男の絵を描き始めた。
男が出した条件は二つ。
男の迎えが来る三十分後までに描きあげること。
描いた絵の所有権は男が持つこと。
あとはどのように描いてもかまわない、と言って、男はフォニスに銅貨を握らせた。
(少なくともこれで無一文ではなくなりましたが……)
広場に面したレストランのテラス席で、フォニスは目の前に座る男を小指ほどの小さな木炭で描いていく。
手持ちのパンは先ほど食べきってしまったので、新たにレストランで注文したパンを消しゴムに用いた。
店主は自慢のパンを紙にこすりつけるフォニスを見て苦言を呈したが、あとで食べるのでお気になさらず、と返されてからは、もう近寄ってもこなくなった。
「……知らねえなら教えてやるが、一度そういう使い方したパンは、食うもんじゃねえぞ」
「それくらいわかっていますよ。お金が無いので、仕方なく食べてるだけです」
それとも報酬を増やしていただけるんですか?と、フォニスが問えば、男はまた含みのある笑みを浮かべて肩をすくめた。
「さあな。それは絵の出来栄えしだいだ」
男はそう言って、自分の分だけ注文したソーセージをパンで挟み、かぶりついた。
フォニスは忌々しそうに男を睨み、黒ずんだパンを一口齧った。
「思わせぶりなことは言わないでください」
「なんだ、自分の絵に自信がないのか?」
「あります」
フォニスは即答した。
「少なくとも銅貨一枚分くらいの価値はあると自負しています。そうでなければ引き受けたりしません」
男は甲高く口笛を吹いた。
「いいね、アンタみたいなやつ、オレは好きだぜ」
「そうですか。わたしはあなたのような方は、あまり好きではありませんが」
「かわいげのねえやつだな。まあいいや。とにかく自信があんだろ?ならいい絵を描いて、オレにもっと払わせてみろよ」
「ですから、思わせぶりな発言はやめてください。わたしは本当にひっ迫しているんですから」
「オレは慈善家じゃないが気前はいい方だ。価値のあるものには惜しみなく金を出すぜ」
「あなたはわたしの絵にそれほどの価値はつけないでしょう」
「なぜ決めつける?」
「笑ったじゃないですか――――おもしろかったのでしょう?わたしの絵が」
「ああ、なるほどね」
男は合点がいったと手を叩いた。
「ああ、おもしろかったとも。アンタの描いた鳩は、最高だった」
「ほらやっぱり」
フォニスは手を休めずぼやいた。
「なんだよ、おもしろがっちゃいけなかったのか?」
男はどこか興ざめしたように言ったが、フォニスはいいえと首を振った。
「絵は見たいように見るものですから、おかしければ笑い、不快であれば腹を立てるべきです」
フォニスの返答に、男はすぐに興を戻す。
「そりゃあよかった。アンタの絵は、堪えようもなくおかしかったからな」
「それはけっこうです。ですが、残念ですね」
「なにがだよ」
「思わず笑ってしまうような絵をもらって、お金を払う人はいないじゃないですか」
「……どうしてそう思う?」
「おもしろおかしい絵がお金になっているところを、わたしは見たことがありません」
「じゃあ金になるのはどういう絵だ」
「……肖像画に限って言えば、やはりその人の最も美しい瞬間を切り取ったものじゃないでしょうか」
男は少し考えてから言った。
「アンタ、これまで、金持ちのご婦人相手に絵を描いてただろ」
「はい」
「どおりでな。――――まあいいや。おしゃべりはここまでだ。描くのに集中しな」
言われなくとも、と、フォニスは再び手元に集中した。
肖像画を要求してくる人間が、どんな絵を求めているか、フォニスは熟知していた。
けれどいざ筆をとると、手はどこまでも身勝手に、思うがままに動いてしまった。
フォニスはいつだって、描きたいようにしか描くことができなかった。
そのためこの時も、厳めしく男を描けばチップをはずんでもらえることはわかっていながら、いつも通り、自分の見たまま、思うままに、描いてしまうのだった。