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おれのことも描いてくれ


昼過ぎの新聞社は、昨晩の喧騒が嘘のように静かだった。


「この時間はほとんどのやつが取材に出ているからな」


編集部だけでなく、一階の印刷場も静まり返っていた。

ジェニオは印刷機の上にまだ数部だけ残っていた朝刊のひとつを手にとり、フォニスに投げ渡した。

一面に大きく印刷された自分の絵をみて、フォニスは不思議な気持ちになった。


「どうだ?」


「驚きました」


フォニスは素直に言った。


「自分の絵って、印刷されると、こんなふうになるんですね」


「奥のページも見るといい」


促されて、フォニスは新聞をめくる。

二面、三面にはさらにでかでかと、フォニスの絵が載っていた。


ジェニオの書いた金融機関批判記事の隣には、ジェニオの似顔絵が。

ベアトの書いた挑発的な時評の隣には、ベアトの似顔絵が。

筆者近影として各文章と同等の大きさで掲載されていた。


「やりすぎでは……」


フォニスは呻いた。

いくらなんでも、自分の絵にスペースを割きすぎている。

これでは記事がおまけで絵がメインではないか。

おまけにその記事の内容があまりにも過激だった。

ジェニオの書いた記事は、昨日の金策失敗の腹いせとしか思えないような痛烈な批判文だったのだ。


――――困窮する中小企業に対して政府はなんの援助も行わない。これを続ければ我が国は、一部の特権階級が産業を牛耳り、多くの庶民が奴隷となる、独裁国家へと変貌するだろう――――とまで書かれている。

ベアトの書く時評は輪をかけてひどい。

――――購読者の多くを占める労働者階級に対して、女王の死を言い訳に現状に甘んじる腑抜けたち――――と、いくらか遠まわしではあるものの、要約すればそのような旨のことが書いてあった。

二人の記事とフォニスの絵の相性は最悪といってよかった。

なにしろこれ以上ないまでによく合っているのだ。

フォニスの描いた二人は、決して善人とは言い難い。むしろ記事の内容を照らし合わせると、相乗効果で極悪人のように見えた。

比類なき皮肉屋。天下のひねくれ者。


「部数を増やしたいんじゃなかったんですか?これでは敵を増やしているようにしか見えません」


「無難な記事を書いたところで現状を維持するだけだからな」


「だからといってこれでは発禁処分を受けますよ。投獄されたっておかしくありません」


「そのくらいの覚悟でなきゃ、ウチは起死回生出来ないからな」


前向きというよりはもはやお気楽なジェニオの調子に、フォニスははやくも明日の我が身がわからなくなった。


(新しい職が見つかったかと思えば、こんな危ない橋だったとは)


しかしフォニスには背に変える腹が無い。

他に職を見つけられるとは思えなかったし、故郷に帰れば結婚させられ、家庭に入らざるを得なくなる。

それでも投獄されて絵が描けなくなるよりはマシだろうか、と、思案していると、ジェニオが新聞をとりあげて言った。


「心配する気持ちはわかるが、安心しろ、それは必ず杞憂に終わる」







ジェニオはフォニスを外へと連れ出した。

社屋のある工場街は、活気で満ちている。

昨晩は寝静まっていたどの工場も、騒音と排気を競うように垂れ流しながら勢いよく稼働していた。


「あ、てめーこの野郎!」


忙しなく行きかう工人の一人がジェニオに気づき、駆け寄ってくる。


「読んだぞ。今朝の新聞!」


中年の工人、ダフィーは、ジェニオの首に腕を回し、締め上げながら言った。


「まったくどういう了見してやがる」


「最高だっただろ?」


「宮廷の連中のみならず、オレたちまでこき下ろしやがって!」


「本当のことだからな。それにアレを書いたのはベアトだぜ」


「オメェも乗っかったんだろ。わかってんだよ。同罪だ」


だが、と、ダフィーはジェニオから腕を離し、言い添える。


「あの絵はよかったな」


ジェニオはにやりと笑う。


「だろう?」


「ああ、お前の性根の悪さを見事に描き表してる」


「誉め言葉だね」


ダフィーは忌々しそうに舌を打つ。


「だけどよ、ありゃ、いくらいい絵でも、載せるべきじゃなかったと思うぜ」


それを聞いたフォニスは、ぴくりと眉を痙攣させる。


『お前の絵も、お前自身も、不愉快だ!人の神経を逆なですることしかできない、最低の絵描きだ!』


耳に、宮廷画家たちの言葉が蘇る。


(ああ、やはり、わたしの絵は――――)


絵さえ描ければそれでよかった。

しかしその絵が、批評されるどころか人を不快にさせてしまっているとなれば、さしものフォニスでも胸が痛んだ。

加えてフォニス自身はあの絵の出来栄えに満足していた。愉快に描けたと思っていたので、なおのこと男の言葉は胸に刺さった。


「なんて顔してんだ」


そんなフォニスの肩を、ジェニオはそっと抱いた。


「そそっかしいやつだな、話は最後まで聞けよ」


「え……?」


ジェニオはフォニスに片目をつぶってみせると、ダフィーに問いかけた。


「なあ、おやっさん。なんであの絵を載せちゃいけなかったんだ?」


ダフィーはそりゃ決まってるだろ、と答えた。


「出来が良すぎるからだよ」


「……え?」


身構えていたフォニスは、思ってもみなかった返答にぽかんと口を開けた。

ジェニオはほらな、と言って男に詳しい説明を求めた。


「出来が良すぎて、ウチの新聞にはふさわしくねえか?」


「いいや。ユーモアがあって、むしろぴったりだ。――――ぴったりすぎて、オレが読む間もなく家内とチビたちに持って行かれちまった」


「奥さんとお子さんに?」


「そうだよ。ふだん新聞なんて読まねえくせに、絵がおもしろいっつってもっていっちまいやがった。仕方ねえから、工場のオヤジがとってる分を見せてもらおうと思ったら、こっちもふだん読まねえ若い連中が回し読みしてて、オレはついさっき、昼の終わりになってようやく読めたんだぜ」


「そりゃあなによりだ」


「浮かれてる場合かよ。よりによってオメェ、人目につくときに限ってあんな過激な記事載せやがって。若い連中なんて最初は絵に引かれて読んでたが、記事の中身があんまりなんで、朝っぱらかららしくもねえ議論で大わらわよ」


おかげでオレが読むころには新聞は隅までしわくちゃになっていた、とダフィーはぼやいた。


「狙い通りだ。明日からもこの調子で行くから、アンタは家で新聞を二部とることだな」


「余裕こいてるけどな、オメェ、上にも下にも敵作ってどうすんだよ。ただでさえ若い連中はこの不況でかっかしてるんだ。しょっぴかれるならまだしも、刺されたくはねえだろ」


「しょっぴかれるのも御免だよ」


「じゃあすこしは大人しくすることだな」


「それじゃあ会社が潰れちまう」


「命あっての物種だろ」


「国際情勢がどれだけ悪いのか、ウチの愛読者なら知ってるだろ?女王を悼むのは結構だが、ぐずぐずしてたらあっというまに侵略されちまうぞ。お上が腐ればいずれにしろ命は危うくなる。だから発破をかけてやるのさ」


それがオレたちの仕事だからな、とジェニオは腹に一物も二物もある笑顔で言った。


「本当にうさんくさい野郎だ」


頼むからオレを妙なことに巻き込むなよ、とダフィーは話を打ち切った。


「――――で、その見慣れねえお嬢さんは誰なんだ?」


ダフィーはフォニスをあごで指す。


「ようやく身を固める気になったのか?」


ダフィーの問いに、ジェニオとフォニスは同時に声をあげる。


「おっ」


「は?」


フォニスはジェニオが破顔するのを見て、これはまずい、と思い慌てて否定する。


「わたしはコロンボの社員です。誤解なきよう――――」


「照れるなって」


「照れてません」


またこのやりとりか、とフォニスは呆れたため息を吐く。


「その軽薄さ、いつか身を滅ぼしますよ」


「誰にでもやるわけじゃない」


「ではわたしにもやらないでください」


そのやりとりを見て、男は肩をすくめる。


「なんだ、違うのか」


「ああ。いまのところはな」


「いままでもこれからもありません」


フォニスはジェニオから離れようとするが、ジェニオは強引に肩を抱き、その場に押しとどめる。


「行くなよ。お前みたいな危なっかしい奴が一人で出歩いて居場所じゃないぞ」


例え昼間だとしても、と言った途端、ジェニオはダフィーに耳をつねりあげられる。


「めったなことを言うな。ここいらはおれたちが取り仕切ってるんだぞ。子どもがひとりで歩いてたってなにも起こらねえよ」


「最近はそうとも言えねえだろ」


「よそはそうかもしれねえが、工場街は平気だ。なにしろ毎日真夜中まで大騒ぎしてる新聞社があるっていうのに、そこの社屋は窓ガラスのひとつ割られてねえんだからな」


「ウチには誰もが一目置いてるからな」


「己惚れんな。耐えかねて石を投げようとする爺さん婆さんを誰が宥めてやってると思ってるんだ」


「それは――――わかったよ。わかったから、手を離してくれ。そろそろ耳が千切れちまう」


ダフィーは鼻を鳴らして、ジェニオの耳から手を離す。

ジェニオは耳をさすりながら、それで、と話を戻す。


「オレとフォニスはそんなにお似合いだったか?」


また蒸し返すのか、とフォニスは呆れたが、今度は言いだしたダフィーの方が、そうでもないと言って首を振った。


「どちらかといえば兄妹ってかんじだったな。――――だがもし、万が一本当に嫁さんなら、オレはこの娘にいってやらなきゃいけないと思ってなあ」


「なにをだよ?」


「騙されてるぞ。こいつだけはやめとけ。――――ってな」


ジェニオはひでえ、と言って口を尖らせたが、フォニスはまったくおっしゃる通りですと同意した。


「実際わたしとこの人は夫婦でも兄妹でもなんでもありませんが、騙されはしました」


「やっぱりか」


ダフィーは心からの同情を顔に浮かべ、フォニスからジェニオを引き剥がした。


「そんなこったろうと思ったよ。こいつは新聞のためならなんでもする悪魔みたいなやつだからな」


ジェニオは否定せず、むしろどこか誇らしげに口角をあげた。

そんなジェニオに舌を打って、ダフィーは続ける。


「それで、なにをさせられてるんだ?社員って言ってたよな?早朝の配達か?寝ずの電話番か?そんな小さい身体を、どんなふうにこき使われてるんだ?」


「あ、いえ、こき使われているわけではないんです」


「なんだって?――――じゃあ、お前さん、まさか―――――」


ダフィーは眉を吊り上げてジェニオを睨み付ける。


「テメェ!見損なったぞ!まさかこの娘を手籠めに――――」


「ちょ、ちょっと待ってください。そうではありません」


フォニスは即座にダフィーの勘違いを正した。


「わたしは絵描きです。新聞の挿画を描いているだけです」


「――――絵描き?お前さんが?」


ダフィーは目と口を大きく開いた。


もう少し遊びたかったな、と、フォニスからしてみれば聞き捨てならないことをこぼしたあとで、ジェニオは頷いた。


「そうそう。おやっさんが絶賛してた今日の挿画、それを描いたのはここにいるフォニス・ジルなんだよ」


嘘じゃないぜ、とジェニオに念を押されると、硬直していたダフィーは表情を綻ばせた。


「――――お前さんが!」


そしてダフィーはフォニスの背をばしばしと強く叩いた。


「そうか。そうか!いやおそれいった。まさかお前さんみたいな娘っ子があんなおもしろい絵を描くなんてな。有名な画家なのか?どっかの工房の出なのか?」


ダフィーの問いに、フォニスはどう答えるべきかわからず、閉口してしまう。

しかしダフィーはさして気にした素振りも見せずに、まあいい、と快活に笑った。


「そんなことはどうでもいいことだ」


「……どうでも、いいんですか?」


「うん?ああ、どうせ言われたってわかりゃしねえからな」


呆気にとられるフォニスの様子にはまるで気づかず、ダフィーは続ける。


「それよりも、なあ、おれの似顔絵も描いてくれよ」


「えっ」


「ジェニオとベアトの似顔絵、あれ描いたのお前さんなんだろ?」


「え、ええ。そうですけど……」


「だからおれのことも描いてくれよ。できれば家内と、チビたちも――――」


「ずりーよおやっさん!」


そう声をあげたのは、いつの間にか三人の周りに集まっていた工人たちだった。


「おれも描いてほしいんだけど」


「おれも!」


「おれが先だよ!」


呆気にとられるフォニスにかまわず、人びとは口やかましく騒ぎたてる。


「ほんとにあんたが描いたのか?」


「おれあんたの絵すげえ好きだぜ!」


「おれはわざわざ新聞買ったんだ!せめてサインくらいくれよ」


「ぼくんちも、おねーちゃんの絵、飾ってあるよ!」


「あたしんちも!おねーちゃん、見においでよ!」


フォニスを囲む人垣はあっという間に大きくなる。

フォニスは目を状況がまったく理解できず、ただ目を回すばかりだ。


「ばかいえ。フォニスはうちの専属画家だ。描いてほしけりゃ新聞の載るような事件起こしてから出直してきやがれ!」


そんなフォニスを庇うように、ジェニオが前に出た。


「フォニスの絵が気に入ったんなら、お前らちゃんと明日から新聞買えよ!」


タダ見は罪だぜ、とジェニオが言うと、人垣から一斉にブーイングがあがる。


「嬢ちゃんの絵はいいが、おめーらの記事は最低だよ」


「そうだそうだ。おれたちをコケにするような書き方しやがって!」


ジェニオは鼻をならしてせせら笑った。


「図星だからって怒るなよ」


なんだこの野郎、と、一人の工人がジェニオにつかみかかろうとする。

ジェニオはそれをひらりと躱すと、フォニスの手をとった。


「じゃ、そろそろ飯に行くか」


ジェニオはフォニスをひっぱり、人垣をかき分け、走り出した。


「逃がすか!」


工人たちは追いかけてくるが、ジェニオはフォニスともども路肩に止めてあった社用車に飛び乗り、すぐに彼らを撒いた。


「な、言ったとおりだろ?」


昨晩のベアトよりはマシだが、それでも十分荒っぽい運転をしながら、ジェニオは言った。


「まだまだ序の口だぜ。これからもっとすごいことが起こる」


しかしジェニオに返事をする余裕は、フォニスにはなかった。


「……死ぬかと思いました」


肩で息をするフォニスを見て、ジェニオは愕然とする。


「嘘だろ。――――50メートルも走ってねえぞ」


「……」


屍のように助手席に沈み込むフォニスを、さしものジェニオも笑うことはできなかった。


「アンタそりゃ、いくらなんでも体力なさすぎだろ……」



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