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アンタじゃなきゃダメだ


「……えーっと」


フォニスは思案する。

ジェニオの提案に対してどう答えるか、ではなく、どう断るべきか、を。


「まず、ここは新聞社ですよね?」


自信に満ち溢れた面持ちで、ジェニオは頷く。

フォニスが自分の誘いを断るとは、微塵も思っていないようだった。


「ああ。――――そうか、そういえばなんの説明もしていなかったな?」


「はい。少しも」


「それは失礼した!」


ジェニオはまったく悪びれずに言った。


「ここはコロンボ。創業五年目の週間新聞社だ」


ジェニオは両手を大きく広げ、我が社へようそこ、と白い歯を見せて笑う。


「発行部数5万。労働者階級向けの大衆紙だ。新興紙の勢いでこれまでやってきたが――――正直現状はかなり厳しい」


大仰な口調の割に、ひどく客観的なものいいだった。


「なにしろ金がない。――――ウチの客はみんな安月給で、ケツを拭く紙代以上の金は新聞に払わねえ。だからウチは10万部売れてどうにか黒字になる程度の価格設定をしてるんだが、女王の崩御以来その目標部数を切っちまってる。なにせウチの売りは宮廷ゴシップ、政権批判、大衆好みのどぎついニュースと金持ちの悪口だ。お通夜ムードの民衆には刺さらねえし、当局には睨まれる。それどころか近頃じゃ、首都のほとんどの売店で締め出しまで食らうようになった」


参ったよ、と大して弱った風でもなくジェニオは両手をあげる。


「たった一月で部数は半減。おかげでオレとベアトはここ一週間は金策に駆けまわらなくちゃなんなくって、ろくに記事が書けてない。当然新聞の質は落ちる。読者はさらに減る。悪循環だ」


それどころか、とジェニオの嘆きは続く。


「オレもベアトも金勘定が嫌いでな、それなのに毎日金の話ばっかしてるから、ストレスがたまってならねえ。で、お互いにあたりあって、ケンカが絶えなくなっちまった」


「ふだんはもっと仲がいいんですか?」


「いや、いつもあんなかんじだな」


「なんなんですか……」


「同じケンカにしたって、記事に関することじゃなきゃなあ」


「はあ、まあ、よくわかりませんが……」


「絵描きだって絵のことでするケンカは苦じゃないだろ?」


むしろ楽しいだろ、と断定的に言うジェニオに、フォニスはやっぱりよくわかりません、と返す。


「感想を言いあうことはあっても、ケンカにまではなりませんよ」


「へえ?宮廷の連中なんて口うるさそうだけどな」


「あの人たちは一方的に批評するだけなので、そもそもケンカにはなり得ません」


「はは。まあそりゃそうだな。対等じゃなきゃケンカは起きない――――だけど下積み時代の友だちとかよ、そういうやつらともしなかったのか?」


「友だちとは――――」


故郷でフォニスほど熱心に絵を描く人間は、彼女の師である老人だけだった。

子弟と言うよりは絵描き友だちね、と、同じ学校に通っていた老人の孫娘に言われたことを思いだし、フォニスは頷いた。


「やはり、ケンカはしませんでした」


「大人しいんだな、アンタも、その友だちも」


「わたしはお喋りな方ではありませんから。それに半世紀以上歳の離れた人に噛みつくような不敬者でもありません」


「……半世紀以上?」


「はい。師匠は今年で80歳になります」


ジェニオは吹き出し、腹を抱えて蹲った。


「師匠を友だち扱いは十分不敬者だろ!」


ジェニオは笑い過ぎて息が切れるほどだったが、フォニスはなにがそんなにおかしいのかわからず、やっぱりよくわからない人だな、と思った。


「はー、アンタほんとおもしろいな」




ひとしきり笑ったあとで、ジェニオは立ち上がり、話を戻した。


「――――まあとにかくな、このままじゃウチの会社は潰れちまうと思って、ダメ元で銀行や貴族にかけあってみたが、まるで相手にされなかったんだ」


「自業自得では?さんざんこき下ろしてきたんですよね?」


「うちの新聞をおもしろがってくれる奇特なやつが、一人くらいいねえもんかと思ったんだよ」


「悪口を書かれて喜ぶ人はいないのでは……」


「悪口じぇねえ。まっとうな批判さ。誇張はするが、嘘は書かない。裏どりは怠らねえし、ウチにすっぱ抜かれた結果立場を失くしたやつは多いんだぜ」


「でしたらなおのこと、表立って後ろ盾になってくれる人はいないでしょう」


「度胸がねえよな。どいつもこいつも。逆にオレらを味方につければ、政敵を消せるかもしれねえっていうのに。――――もちろん、贔屓の貴族様だけ守るようなダセェことはしねえけどな」


それじゃ恥知らずの他社と同じになっちまう、と、ジェニオはこれまでになく刺のある声で言った。


「頭を下げたことは、あなたにとって恥ではないんですね」


挑発するようなフォニスの発言に、ジェニオは眉をぴくりと震わせる。

しかしフォニスの顔に、ただ純粋な疑問が浮かんでいるのを見て取ると、拍子抜けしたように笑って頷いた。


「ここには全部で百八十七人の従業員がいる。全員が最高の仕事をしてくれる職人だ。タダ働きなんて絶対にさせられねえし、急に倒産して路頭に迷わせることもしたくねえ。アイツらに然るべき対価を払うためなら、恥なんていくらでも捨てられるね――――だけどオレは恥は捨てられても信念は捨てられない」


ジェニオの声に、再び刺が混ざる。


「連中はオレに言ったよ。『金が欲しいなら誠意を見せろ』ってな」


フォニスににじり寄りながら、ジェニオは毒づく。


「つまりオレたちに、祖国最高!新国王万歳!貴族様万歳!銀行は良心的で、現政権は過去最高!こんな国で暮らせて、オレたちは幸運だ!――――って書けと言ってきやがった」


「でも書けばお金をもらえるんですよね?」


「言ったろ。――――うちの新聞は嘘は書かないんだ」


そう言うジェニオの顔には、人を食ったような笑みがはりついている。


「嘘をつかなくても、人を騙すことはできますよね」


フォニスは試すような視線を向けたが、ジェニオは今度は、ぴくりとも表情を変えなかった。


「ウチは読者を騙さない。他社みてえに、権力者の犬になって世相をでっちあげたりしない。むしろ権力者共が隠そうとしてるものを民衆に知らしめてやりたいと思ってる。それもできるだけおもしろおかしくな」


じりじりとフォニスににじり寄ってきていたジェニオだったが、気づけば二人の距離は拳一つ分までに近づいていた。

さすがに近いと感じたフォニスは後ずさろうとするが、それより先にジェニオがフォニスの肩をつかんだ。


「フォニス、アンタはわが社の救世主になる」


「……はい?」


「見ただろ?印刷機は過労でいかれるし、人手不足で優秀だった記者たちは最前線の兵士のような有様だ。経営陣――――オレとベアトはケンカばっかしちまうし、正直いまは最悪の状況なんだ。創業以来の危機だ。だがフォニス、アンタがうちで働いてくれればすべてが好転する。それどころかウチは爆発的に成長するだろう」


フォニスは当惑を隠さずに返した。


「……あの、ですから、ここ新聞社ですよね?」


「ああ」


「わたしは絵描きですよ」


「そうだな」


「ここで働いても、わたしなんの役にも立たないと思いますが。……新聞なんてほとんど読んだことありませんし、文章を書くのは得意ではありません。印刷機の調整なんてできやしませんし、配達だって、わたしは体力が無いので、時間内に終わらせられるかどうか……」


「アンタにそんなことやらすかよ」


フォニスは心底不思議そうに尋ねる。


「ではなにをすれば?」


「決まってるだろ。アンタは絵描きなんだから、ウチの新聞に載せる絵を描いてくれればいい」


ジェニオはフォニスの肩をつかむ手に、ぐっと力をこめる。


「アンタの絵は――――最高だよ。強烈でおもしろい。子どもの落書きみたいに見えるのに、一目見ると頭から離れない。なんだ?魔法でもかけてるのか?オレは絵を見て感動したことなんて人生で一度もないが、アンタの絵には、心臓をぶち抜かれた。惚れたよ。絶対ウチの新聞に載せたいと思った」


ジェニオは爛々と輝く目を、フォニスから少しも逸らさずに言った。

迫られるフォニスは、慄くことも赤面することもなく、ただきれいな目だ、と思った。


(底の見えない人なのに、目だけは透き通ってる)


それでいて眼力は獲物に狙いを定めた猛禽類のそれだった。

フォニスは疼いた。

いますぐスケッチがしたいと思った。

ジェニオだけではない。先ほど部屋を出て行ったベアトのことも、あんな裏紙一枚では到底足りない。

もっともっと描かなければ、気が済まなかった。


「アンタにとっても悪い話じゃないはずだ」


そんなフォニスの欲求を見透かしたように、ジェニオは畳み掛けてくる。


「むしろ渡りに舟だろ。――――いや実はな、さっき言った、似顔絵の上乗せ代金っていうのは、これのことなんだ。仕事と寝床。これをやるために、アンタをここまで連れてきたんだ。無一文で放り出されて、今日寝る宿にも困ってたアンタに一番必要なもの。ウチなら即日採用、寝床も飯も用意してやれる。給料も……軌道に乗るまでは大して出せねえが、アンタの絵がありゃ部数はあっという間に倍増するだろう。そしたらたんまりと出してやれる。――――宮廷画家なんて目じゃないくらいにな」


買いかぶり過ぎだ、とフォニスは思ったが、しかしジェニオの言う通り、いまの自分にとってこれ以上ない破格の条件であることは確かだった。


「本当に、わたしでいいんですか?」


「アンタじゃなきゃダメだ」


「わたしは好き勝手な絵を描くことしかできませんよ」


「それでいい。好きなだけ、思う存分描いてくれるだけでいい」


好きなだけ。

思う存分。


それを聞いたフォニスは、目の色を変えた。


「――――決まりだな」


ジェニオは傍にあった書類の束を手にとり、天井に向けて盛大に投げ出した。


「歓迎する!ようこそわが社へ!」


書類の花吹雪を受けながら、フォニスは一抹の不安を覚えた。


(どう考えても、この人はわたしを過大評価している)


救世主になんてなれるはずがない。

自分の絵ひとつで、購読者が増えるわけがない。

フォニスはしかしそれを口に出さなかった。


(ともあれ、これで今日の寝床は確保できました。加えて絵も描くことができるなら、あえて辞退する理由はないですよね)


後ろめたさを覚えつつも、フォニスは深々と頭を下げて言った。


「精一杯務めさせていただきます」


いつか見限られるその日まで、たくさん絵を描こう。

特に、このジェニオとベアトという二人の興味深い男のことを、ありったけ。

フォニスは自分が人生を変える大きな選択をしたとはまるで気づかず、ただぼんやりと、これから描く絵に思いを馳せた。


誤字修正しました。

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