うちで働かないか?
「まあ、大体そんなところです」
フォニスは誤解が生まれないよう、よくよく言葉を選んで語った。
おかげでひどく時間がかかったが、しかしジェニオとベアトは相づちひとつ挟まず、辛抱強く耳を傾けた。
そしてフォニスの話が終わってからしばらくの間も、二人は何事か考え込むように、口を開かなかった。
久しぶりに長舌をふるったフォニスもまた、喋りつかれて閉口したため、社長室の中はしんと静まり返った。
コツコツと、時計が針を打つ音だけが響く。
時刻は21時を過ぎたところだった。
(流されて話してしまいましたが、本当に記事にされてしまったら、どうしましょうか)
フォニスはいまさら不安に駆られたが、廷内でさんざん受けた嫌がらせを思い出し、まあいいか、とすぐに思い直した。
(どうせわたしはもう画家としてはやっていけませんし、あの人たちがどう書かれようと、知ったことじゃありませんね)
どこか胸のすいた思いを感じて、フォニスは小さく笑った。
「よくわかった」
同時に、それまで俯いて考えこんでいたジェニオが顔をあげた。
そして満面の笑みをフォニスに向けた。
「おわかりいただけましたか」
「ああ。――――今日のオレが、最高にツいてるってことがな!」
「……はい?」
ぽかんと目を瞬かせるフォニスを置き去りに、ジェニオはベアトに同意を求める。
「なあ、そう思うだろ?」
「――――まあ、そうだな」
ベアトは苛立ちと喜びが入り混じったなんともいえない表情で、頷いた。
「お前は本当に運がいい。こんな逸材を、破格の条件で迎えられるんだからな」
ベアトはおもむろに、フォニスが先ほどまでスケッチしていた書類を手に取った。
そこに描かれていたのはベアトだった。
大股を開き、猫背で煙草を吹かしながら、まっすぐにこちらを睨んでいる。遠目に見ればコンパスのような全身画だった。
「あっ、まだ途中なのに……」
フォニスが思わず声をあげると、ベアトはじろりと横目を向けてくる。
「これ以上なにを描く?」
問われたフォニスは唸ってまた首を捻る。
「うーん、なんでしょうね?」
「あ?」
「なにかを跨いでもらいたかったんですけど、それがなにか浮かばなくて」
そのために大股を開かせたのか、と、ベアトとジェニオが得心したのは同時だった。
「ネコだ!」
「世界だ」
得心した二人は異なるものを、同時に挙げた。
「世界とは大きく出たな」
「こんな小国股にかけたってしょうがねえだろ。それよりもネコってなんだよ。舐めてんのか?」
「いつも言ってるだろ。お前の猫背がいつまでもなおらないのは、お前がネコだからだって」
ベアトは無言でジェニオに中指を立てた。
二人のやりとりを聞いていたフォニスは、はっと閃いた顔つきになって、ジェニオの手から書類を奪い取った。
「いいですねそれ」
そう言ってフォニスは書類に地球とネコを描き足した。
ベアトは地球を跨ぎ、ネコを背負う男となった。
「ははは!」
ジェニオとベアトは完成した肖像画を見て破顔した。
「最高だな!」
二人は声を揃えて言った。
それからベアトはフォニスの背をばしばしと無遠慮に叩き、ジェニオはフォニスの肩を力強くつかんだ。
「これは早速使わせてもらうぜ」
「なににですか?」
「これからもこの調子で頼むぞ」
「これからも?」
フォニスの質問には答えず、ジェニオとベアトはまた二人だけの会話に戻ってしまう。
「しかし木炭じゃあ印刷に乗らねえな」
「そもそもこんな裏紙じゃダメだ。用紙とペンを持ってこい」
「お前が描かせた絵は?」
「これだよ」
ジェニオは自身の鞄から、フォニスに描かせた似顔絵を取りだした。
ベアトはそれをひったくると、にやりと笑った。
「やっぱり最高だな」
「だろ?」
「だがオレを描いたもんのほうがいいな」
「それは聞き捨てならねえな。よく見ろ。コロンボの社長としてここまでふさわしい肖像があるか?」
「たしかにお前を知る誰が見てもお前だとわかるな。だがこっちのほうがカッコイイだろ。どうみても」
「おもしろいの間違いだろ」
「カッコよくておもしろい」
ベアトらしからぬ絶賛に、ジェニオは張り合いながらも得意げな笑みをますます強める。
「読者からの評判で決めよう」
「負けた方は今月無給な」
「ただでさえ雀の涙なんだ。それじゃ勝った方に得がねえよ」
「二人分なら煙草代くらいにはなる」
「オレは吸わねえよ」
「酒代にしろ」
「一晩分にもならねえ」
「俺だって一日分にもなりゃしねえよ」
ベアトはフォニスの背をもう一度強く叩き、それじゃあな、と言った。
「俺は仕事に戻る。死んでも明日の紙面に間に合わせろよ」
ベアトはフォニスの手に二人分の肖像を押し付け、社長室を出て行った。
「……まったく話が見えないのですが?」
途中で自分は意識を飛ばしたんじゃないだろうか、と疑ってしまうほど、フォニスは二人の会話についていけていなかった。
「そういえば、まだ肝心なことを伝えてなかったな」
ジェニオはそんなフォニスに、胡散臭いほど満面の笑みを向けて言った。
「フォニス、うちで働かないか?」




