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フォニス・ジル


フォニスは18歳のとき、宮廷主催の絵画コンクールで金賞を受賞した。

しかしそれは満場一致の評価ではなく、特別審査員を務めていた女王が、半ば独断で与えたものだった。

他の審査員、宮廷画家の面々は、フォニスの絵にむしろ酷評を与えた。

たしかにフォニスの絵は未熟だった。技術が乏しく、華やかさにも欠ける。

それを補って余りある魅力があると女王は評したが、画家たちにはその魅力がわからなかった。

フォニスの絵は彼らにとって、田舎の子どもの作品だった。

宮廷にはとてもふさわしくない絵だった。

しかし女王の推挙を無視することはできず、やむなくフォニスに金賞を与え、宮廷に招き入れた。


彼らの想像通り、フォニスは田舎の子どもだった。

上京してやってきたフォニスは、まるで世間を知らなかった。

なにせ18歳で生まれてはじめて故郷を出たのだ。その狭い田舎の村でも、絵ばかりを描いて過ごしてきたため、彼女は最低限のマナーこそ身につけてはいたものの、およそ社交というものを知らなかった。

フォニスは名のある工房に属していたわけでも、著名な画家に師事していたわけでもない。

なんの後ろ盾もないフォニスを宮廷画家たちははじめから軽んじていた。

史上最年少の宮廷画家、という肩書に惹かれフォニスを持て囃していた貴族たちも、作風と本人がひどく不愛想であったためすぐに白け、興味を失っていった。


それでも女王が生きている間は、宮廷内で表立ってフォニスを虐げる者はいなかった。

誰がなんといおうと、女王はフォニスの絵を買い続けた。

フォニスが宮廷に入ってからというもの、女王の寝室にはフォニスの絵しか飾られなかった。

自身の肖像画を描くことを、フォニスにしか許さないほど、その寵愛は徹底していた。


ただでさえ肖像画嫌いの女王だった。

女王は掘りの深い男らしい顔つきをした女性で、壮年に至るにつれその傾向は増していき、晩年には化粧をしなければ男性と見まごうまでになっていた。

しかし宮廷画家たちはみな女王を過度に美化して描いた。

肌の白い、顔にほとんど陰影のない、古風な麗人として描いた。

女王はそれを嫌い、肖像画を避けるようになっていったが、フォニスにだけは自分の絵を喜んで描かせた。


フォニスの描いた女王もまた、女王そのものというよりは、いくらか誇張されていた。

しかしそれは他の宮廷画家たちとは異なり、女王の男勝りなところを前面に出したものだった。

皺も、目に落ちる影も、濃く重たいもので、いかにも厳めしい顔つきをしていた。

それでいて口元に讃えられた笑みは豪快で、顔だけ見れば一国の女王というよりはむしろ山賊の長といった風体だった。

身にまとう衣装は豪華絢爛な女王のもののままであったため、必然フォニスの描く女王は、女装した男のようになってしまう。

しかし女王は自分がそんなふうに描かれることを喜んだ。


父や兄の相次ぐ急死により、女でありながら若くして即位した女王は、未婚のまま生涯を国に捧げた。先代と比べられないよう、他国に舐められないよう、常に気を張って、男より男らしく振る舞い続けてきた。

女王は自身の顔に刻まれたその苦労の後を、決して恥とは思っていなかった。

むしろ誇りにしていた。

だからこそ、女王はフォニスの絵を好んだ。

力強く堂々とした女性として自分を見てくれたフォニスを愛した。


当然、他の宮廷画家たちはそれをおもしろく思わない。

彼らはせめてもの抵抗として、女王の寝室以外には決してフォニスの絵を飾らせなかった。

もちろん絵を描くこと以外の仕事――――壁画や彫像、造園など、宮廷画家が担うそれらの華々しい業務――――に就くこともなかった。

フォニスが宮廷にいた二年の間にしたことといえば、女王の寝室を飾る絵を描いたことくらいだった。


フォニスは女王の寵愛を受けながら、あっという間に世間からその存在を忘れられてしまった。


しかし当の本人はそれをまるで気にかけなかった。

フォニスはとにかく絵が描ければそれでよかったのだ。

周囲の人間からどれだけ白い目を向けられようと、物を盗まれたりあらぬ噂を流されたりといった小さな嫌がらせをされようと、それは些細な問題に過ぎない。

宮廷では高級な画材を好きなだけ使うことができるどころか、絵を描くだけで給金を与えられた。

女王が絵に注文をつけてくるようなこともなく、描きたいものを描きたいだけ描くことができた。

他の宮廷画家たちから受ける誹謗中傷や陰湿な嫌がらせがまったく気にならなかったといえば噓になる。

フォニスは表情こそ乏しいが、感受性は人一倍高い。

他者から向けられる悪意には傷つくこともあれば、理不尽だと憤ることもあった。

それでもフォニスにとって宮廷での暮らしはやすやすと手離せるものではなかった。




もともとフォニスは故郷の村を出るつもりはなかった。

フォニスの故郷は汽車も通っていないような田舎だったが、自然豊かで気候穏やかな、暮らしやすい場所だった。

フォニスはそこで隠居した画家に師事し、絵を描いていたが、16歳になったとき両親に見合いをするよう求められた。

両親は絵ばかり描いている娘を心配していたのだ。

見合いが嫌であればなにか手に職をつけなさい。そう迫られたフォニスだったが、絵を描くこと以外なにも取柄がないことは両親も本人も承知のところだった。

結婚すれば絵を描く時間はどうしたって短くなる。だからといって職のあてはない。

どうしたものかと思案するフォニスに、コンクールへの出品を勧めたのは師の老人だった。


老人は元宮廷画家で、女王とも面識があった。

フォニスの絵であれば女王の目に留まるはずだと、老人は予感していたのだ。

そして予感は見事的中し、フォニスはコンクールで入賞、宮廷へ招かれることとなる。

両親は歯がゆい思いだったが、こんな名誉はないと、最後は大手を振ってフォニスを送り出した。


もし宮廷から追い出されれば、フォニスは田舎に帰るしかなくなる。

そして今度こそ結婚させられてしまうだろう。

フォニスは多少の不遇に耐えてでも、宮廷にしがみ付かなければならなかったのだ。

そのためどのような扱いを受けても、フォニスはめげなかった。

鋼の精神で絵を描き続けた。

しかし結局、女王の崩御によって彼女の忍耐は水泡に帰すこととなる。


女王が崩御してひと月、新国王の戴冠も済み、廷内がようやく落ち着きを見せ始めた頃合いで、フォニスはクビを宣告された。


前置きなく、フォニスはある日突然、宮廷画家のとりまとめ役である男に、宮廷を去るよう告げられたのだ。


フォニスは驚いたが、しかしすぐに受け入れた。

女王が死んだ時点で、フォニスはこうなることを予期していた。

女王がいなくなれば、自分を守ってくれるものはなにもない。彼らはすぐにでも自分を追い出すだろう、と。

覚悟はできていたが、しかしこれほど唐突だとは予想外だった。

フォニスは慌てて身支度を整え、半ば追われるようにして宮廷を出た。

これまで描いた絵も、描きかけだった絵も、持ち出すことは叶わなかった。

それどころか自室から金目のものがすっかりなくなっていた。

財布から、女王に下賜された貴金属まで、すっかり消え去っていたのだ。

フォニスはもちろん訴えたが、聞き入れられることはなかった。浅ましく宮廷にしがみ付こうとするなとむしろ叱咤されてしまった。


やられた、と思ったが、もう遅かった。


鞄一つで宮廷を追い出されたフォニスは、行く当てもなければ、田舎に帰るための足代もなかった。

しばらく呆然と歩き続けた。

半日かけて、首都郊外の工場街までたどりついたフォニスは、ようやく腰を下ろし、息をついた。

駅前を歩く人に聞けば、そこは首都中央、宮廷近くの駅から三つ離れた場所だった。

フォニスの田舎まではその十倍の駅を通らなければならない。おまけに駅からも馬車でまる一日かかる。

とても無一文では実家までたどりつけない。

フォニスはいよいよ途方に暮れた。

大抵のことはなんとかなると、これまで楽観的に生きてきた彼女であったが、今回ばかりは追い詰められていた。


そんなところに現れたのが、ジェニオだったのだ。


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