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わたしの絵には価値が無かった


「フォニス・ジル」


フルネームを呼ばれ、フォニスははっと顔をあげた。


「好きなだけ描いていいけどよ、お口とお耳はちょっと貸してもらうぜ」


ジェニオはそう言って、削り立ての鉛筆をフォニスに投げてよこした。

フォニスははあ、と生返事をしてから鉛筆を持ち変えた。

そして再びスケッチに戻ろうとしたので、ベアトがすかさず耳を引っ張った。


「耳を貸せっつってんだろ」


「聞いてますよ。……あっ」


フォニスはそこでようやく、ベアトが手にしている羊皮紙に気づいた。


「ちょっと、どうしてそれを……」


フォニスは自分の鞄を持っていたはずのジェニオに目を向ける。

案の定ジェニオは、フォニスの鞄を開け放ち、中身をすっかり表に出していた。

画材はおろか、身分証や、下着までも。


「あなた、女性の鞄を……」


「オレはちゃんと訊いたぜ。開けていいかって」


嘘である。

あまりに自然な返事だったので、スケッチに夢中になっていたフォニスは、たしかに許可してしまったかもしれないと、強気に出ることができない。


「デリカシーはないんですか?」


それでもなんとか咎めようと試みるが、ジェニオは肩をすくめるだけだった。


「アンタの芋臭い下着を見て変な気は起こすほど、オレは飢えてねえよ」


「最低です」


フォニスは虫けらを見る目つきをジェニオに向けた後、羊皮紙を眺めるベアトに向かう。


「返してください。それは大切なものなんです」


「だろな」


ベアトはそう言いつつも、羊皮紙から目を離そうとしなかった。


「『フォニス・ジル。貴殿は宮廷絵画コンクールに置いてその才を如何なく発揮し、頭書の成績を収められた。よってここに賞する』」


ベアトは書かれた文言を読みあげ、まさかお前がな、と驚きを露わにして言った。


「フォニス・ジル。史上最年少で宮廷入りした天才画家だったとはな」


天才。

ただ若いというだけで、そんなふうにいってくる人もいたなあと、フォニスは宮廷入り間もないころをしみじみと思い出した。


しかしなぜそれを、貴族でも画家でもないベアトが知っているのか。

フォニスはベアトをまたじっと見つめ、子細に観察した。

男性的で整った顔立ち。人並外れた上背と、それに見合った長い手足。

売れっ子舞台俳優にでもなれそうな容姿だが、厳めしい表情と、猫背、そして外股のいかにも粗暴な歩き方が、彼をただのチンピラへと貶める。

しかしその台無し加減こそ、彼の最大の魅力だと、フォニスは思った。

アンバランスだからこそいいのだと。

ちぐはぐだからこそ、おもしろいのだと。


「……すげえなお前」


「え?」


「天才って言われてただけある。オレは今まで取材でいろんなやつに会ってきたが、お前ほど遠慮なくじろじろ見てくるやつははじめてだ」


感心しているのか呆れているのかわからない口調で言って、ベアトは羊皮紙、コンクールの賞状を、フォニスに突き返した。


(一度でも会ったことがあれば絶対に忘れないですよね、こんな人)


フォニスは改めて確信し、訊ねた。


「わたしをご存じなんですか?」


「知らねえのかお前、巷じゃ時の人だったんだぞ」


フォニスは驚いた。

女王からの召喚を受け、あれよという間に宮廷入りしたフォニスは、当時新聞など目にする暇などはまるでなかった。

自分が話題になっていたなど、とても信じられなかった。


「まあすぐに鳴りを潜めたがな」


宮廷入りした画家たちの評判は、廷内にどれだけ絵を飾られるかによって決まる。

フォニスの描く絵は、女王の寝室を彩ってはいたが、廊下や広間に飾られることはついぞなかった。

そのため、フォニスはすぐに世間から忘れられることとなったのだ。


「ちなみにその時うちの新聞でアンタの特集記事を書いたのはこいつだったんだぜ」


探し出してきてやろうか?とジェニオは提案したが、二人は揃って睥睨を返した。


「やめろ」


「けっこうです」


ジェニオは肩を竦める。


「慎ましいやつらだな。特にフォニス。オレは自分の名前が載った記事なら、どんな罵詈雑言が書かれていようとも額縁に入れて飾るけどな」


絵描きならもっと自尊心が強くなくっちゃ、とジェニオは説教めいたことを口にしたあと、話を戻した。


「タダ者じゃねえとは思ったが、まさか宮廷画家様だったとはなあ」


そんなジェニオの発言に、フォニスよりも先にベアトが反応を示す。


「あ?なんだお前、こいつがフォニス・ジルだって知らずに連れてきたのか?」


「そりゃお前、こんな田舎臭い女が、一世を風靡した宮廷画家様だとは誰も思わねえだろ」


ジェニオはベアトに、フォニスをここに連れてくるまでの経緯を説明した。


「とんでもねえ原石を見つけたと思ったんだがな、まさかもうお手付きだったとは――――」


ジェニオはフォニスを一瞥した。

ひとまとめにされただけの、使用人のような髪型。化粧っ気のない顔。くたびれたブラウスと、流行遅れのスカート。


「いや、まだほとんど未加工みてえなもんか。誤算はないな」


「いますごく失礼なこと考えましたか?」


「被害妄想はよせ」


「芋臭い、田舎臭いと、すでに二度も臭いもの扱いされていますが」


「意外と根に持つタイプか?それに芋臭いって言いだしたのはアンタ自身だぜ」


それで、と怪訝な顔をしたベアトが割り込んでくる。


「なんでお前は鳩なんか描いてたんだ」


「なんで、とは?」


「宮廷画家がなんで駅前で絵を描いてたんだって聞いてんだよ」


まさか宮廷を追い出されたわけでもあるまい、と言ったベアトに、仰る通りですよ、とフォニスは真顔で返す。


「私は今朝、暇を出されたんです」


「は?」


「クビになったんですよ。宮廷を」


「は!?」


ベアトは驚愕を露わにしたが、ジェニオはなぜか訳知り顔で頷いた。


「なるほどな。アンタが―――――いや、とりあえず、詳しく話を聞かせてくれないか?」


「記事になるような話ではありませんが」


「記事にするか判断するのはオレだ」


フォニスは逡巡した。

守秘義務を設けられているわけではない。

しかしここで宮廷の内部事情を暴露し、話した内容が記事として出回れば、まずいことになるかもしれない。

それは世間知らずのフォニスでもわかることだった。

この国の芸術界は非常に保守的で、縦の繋がりが強かった。

十名に満たない選ばれし宮廷画家たちは当然のその頂点に君臨し、強い影響力を持っている。

つまり彼らに睨まれれば、この国の芸術界ではまず生きていけないということだ。


(いや、宮廷をクビになった時点で、私の絵描きとしての人生は終わったも同然ですが)


それでもやはり、なにもかもをあけすけに話すことには抵抗があった。

もし事実を歪曲した記事を書かれ、恩人である女王の顔に泥を塗ることになったらいたたまれない。


フォニスは悩んだが、やがて口を開いた。


「本当に、単純でつまらない理由なんですよ」


そう前置いてから、フォニスは語り始めた。


「わたしの絵には価値が無かった。ただそれだけのことなんです」


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