参りましたね
フォニスは今日、宮廷画家をクビになった。
華やかな王宮生活から一転、宿無し文無し寄る辺なしの、浮浪生活の幕開けである。
「参りましたね」
と、呟くフォニスであったが、言葉とは裏腹に、その顔は余裕のすまし顔である。
生まれ持っての仏頂面。不愛想。
それでいて中身は能天気な楽天家。
たいていのことはどうにかなると考えているものだから、現在のような窮地に陥っても、慌てふためくことはない。
宮廷画家をまとめる師長にクビを宣告された時も、理由を訊ねこそしたものの、とくに反論することもなく、あっさりと引き下がった。
その潔さは、却って生意気な印象を周囲に与えた。
その可愛げのなさは、宮廷をクビになった原因のひとつでもあった。
ろくな身支度をする間もなく、手提げ鞄一つで宮廷を追い出されたフォニスは、行く当てもなく一人、途方に暮れていた。
「このままだと、今晩は野宿になりますね」
フォニスは抑揚を欠いた声で、足元に群がる鳩に話しかけた。
「わたしにも君たちのような羽毛が生えていればよかったんですけどね」
鳩たちはフォニスの言葉にはまるで反応を示さない。
フォニスが足元にこぼす、黒ずんだパン屑だけを必死につつきまわっている。
またフォニスもフォニスで、鳩たちが自分の話を聞いているかどうかなど、気にしていない様子だった。
フォニスはひたすら、スケッチブックに木炭を走らせていた。
宮廷から持ち出せた僅かな画材を惜しみなく使い、足元の鳩を描いていく。
それはかなり変わった画風だった。
写実主義一辺倒なこの時代においては、子どもの落書きとしてしか扱われないであろう、前衛的な絵であった。
夕刻を過ぎた現在、駅前広場は仕事帰りの務め人が多く行きかっている。
一心不乱に鳩をスケッチする年若い女性に、少なくない人が興味を引かれ、その手元を覗き込んだ。
彼らは失笑した。
あるいは、呆れてため息をついた。
しかしフォニスはどんな視線を浴びようと、声をかけられようと、まるでどこ吹く風だった。
というより、目にも耳にも入っていなかった。
鳩を留めておくために、消しゴム用のパン屑を投げてやるとき以外は、彼女は一度も手を止めず、鳩を描き続けた。
分厚いスケッチブックは、次つぎと鳩で埋まっていく。
柔らかくデフォルメされた鳩は、画面の中で、どこまでも自由に羽ばたいていた。
なにはともあれ、絵が描ければそれでいい。
それがフォニスという女だった。