表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

一 人生とは分からないもの



(……こいつ、阿呆かよ)


 目の前にいるのは、血のつながりのない義兄(あに)である。


 立派な装丁の箱にぎっしりと詰められたのは、この国「(レン)」の貨幣。

 それらに眼を奪われている義兄に、大切なことをおしえるべきだろうか?


 いや、一つ訂正。義兄「だった」。過去形である。たった今、自分はこいつによって売られたのだから。


 憎まれているのは知っていたが、正直、また売られるのは予想外だった。 


 (人生って、わからないものだねぇ)


 


 

 鑭依(ランイー)が生まれたのは、十三年前のこと。


 元々鑭依が生まれ育ったのは、連ではなくその隣国「(ゾウ)」だった。


 父は分からない。物心ついたときには、既にいなかった。

 唯一の家族である母の存在も、鑭依が七つになる前になくした。

 

 その後は、人攫いにさらわれ、奴婢(ぬひ)の売買を専門的に行う商人に売られた。


 赤茶の髪に、藍緑(らんりょく)色の瞳。顔立ちも特徴もなく地味ではあるが、整っていると言えば聞こえは良い。


 母から受け継いだこの容姿は、黒や茶色の髪、瞳が主流の連ではとても珍しがられた。


 奴婢として五年間、各地を転々としてきた。売られたその回数、実に二十九。


 だが、運が良いことに、大抵合法的に商いをしている商人に売られてきた。


 売られたさきで、いくら奴婢(どれい)といえども、十も数えぬ幼子に対して、ひどい扱いをするものは多くなかった。


 

 男は度胸、女は愛嬌。


 

 常ににこにこして、苦しい時でも明るい顔をしていれば、人に与える印象は良くなる。

 ときたまに、気の良い裕福な小父ちゃん、小母ちゃんは甘味をくれるのだ。


 何にしろ、人として扱われない奴婢にしては、明らかに待遇が良かったのである。


 

 とはいえども、鑭依はこんなところで一生を終える気はなかった。


「安定かつ平和でやや長めの一生」。これは鑭依の人生の指針だ。


 奴婢のままでは、いつ何時売られ、たとえ殺されてもおかしくない。そんなのは真っ平御免である。


 

 まず第一歩として、公奴婢(くぬひ)になりたかった。


 公奴婢。官奴婢(かんぬひ)とも言う。その名の通り、国で管理される奴隷だ。


 区分でいうと、鑭依は私奴婢、すなわち個人の所有物だった。


 奴婢は、公私関係なく、一定年齢に達することで自動的に庶民になれる。


 そして公奴婢の場合、ときたまに年齢にかかわらず、働きに応じて奴隷の身分から解放され、庶民へ引き上げられる。その後も国の機関で働けるように、仕事先が斡旋される。

 

 だが私奴婢は、賤民階級から引き上げられる年齢が、公奴婢より十年以上も遅いのだ。

 また、扱いとしても公奴婢よりひどいことが多く、一定年齢に達すること以外の要因で解放されることなどほぼない。


 どちらにしろ、一定年齢に達し、解放されるころには既によぼよぼの老婆になっているだろうが。


 公奴婢になり、堅実に点数を稼ぎ、そして早々に庶民になって、安定した生活を送る。

 決して裕福とは言えないが、何といっても「庶民」であり、日飯に困ることはない。


 


 ―――なんと、すばらしいことだろうか!!!!


 

 まぁ、そこそこ良い容姿を活用して、どこぞの裕福な好色親爺(エロジジィ)の愛妾になることも考えたが、いつまでも人は若々しくいられない。

 

 その後の展望を考えても、「安定」とは言い難い。

 


 と、いうことで、売られるたびに、公奴婢になれないものかと思っていたのだが。



 鑭依には強力な運がついていた。


 

 


 十二になったころ、二十九回目で売られたさきは、裕福な商人の元だった。


 

 そして、鑭依は奴婢から、一夜にして豪商「蘇壇(スータン)」の養女になったのである。

 

 父の分からぬ鑭依にとって、生まれて初めて「父」という存在ができた瞬間だった。



 

 


 ―――養女となって、はや二年。



(人生って、わからないものだねぇ)


 たかが十三年しか生きていない小娘には言われたくない台詞(セリフ)だろうが。


 

 たくさんの使用人にかしずかれ、西胡(シーフー)渡りの絹や錦で誂えられた衣を身に纏う。

 大きな商家のお嬢様とは、なんと裕福なのかと、いまだ信じられない。


 

 鑭依を買った男、そして義父(ちち)となった男、蘇壇。


 彼には実の息子がいた。鑭依との年の差、実に十五……以上。


 もっとも、養父である蘇壇自体、父娘というより、祖父と孫娘という方がしっくりくる年の差があったのだが。


 鑭依が蘇家の娘になった直後、家人は、これこそ天変地異、目玉をひん剥いて鑭依を見つめていた。


 

 蘇壇の息子、義兄はいたっては、怒りのあまり、真っ赤な顔(そのとき風邪をひいていたらしい)を真っ白にして義父を怒鳴りつけた。


 その様子を眺めつつ、蛸が烏賊(イカ)になった、と心の中で呟いていたのは一生の秘密である。


 


 閑話休題(それはさておき)

 しばらく過ごして気付いたことだが、義兄は出来の悪い男だった。


 

 商いに必須である計算が間違いが多ければ、遅く、損得の計算もできない。自分の失敗を棚に上げて家人に怒りの矛先を向ける。

 

 家人の女を見境なく手籠めにし、人間としても全く尊敬のできない男だった。


 義兄の気持ちが分からなくもない。実の息子の自分がいるのに、なぜ赤の他人、しかも奴隷であった小娘を養女にするのか、と。


  むろん、鑭依のことを毛嫌いし、それこそ馬鹿にしてきたが、その手のことに慣れすぎていて、全く、これっぽっちも、微塵も、堪えなかった。


 むしろ、よく飽きないものだなと、その粘り強さ(というより諦めの悪さ)だけは尊敬していたのである。

 

 自分は元々奴婢であったから、虐げられる者たち――家人の気持ちがわかった。どうすればここでやっていけるのか、早々に理解した。


 その分、(スー)家の人とも案外うまくやっていけたと思う。


 


 「人望の差」と言ってしまえば、それまでだ。




 蘇壇はそこまで見込んで、自分を養女にしてくれたのかもしれない。


 

 何はともあれ、鑭依は義父に感謝していた。


 彼はあるとき言った。


「そちには価値がるからの。そのままにしておくのは勿体無かった」


 価値があるからこそ見出してくれた。裏を返せば、自分に価値がなければ、自分を養女にはせず、奴婢のままだっただろう。


 

 そういう賢さ、強かさがなければ、商人としてはやっていけないのだから。


 だが、救ってくれたという事実は変わらない。


 自分に義父という存在を、庇護を、そして生きていく上で必要な(すべ)を与えてくれた。




 この恩には応えよう――と、思っていたのだが……。




(死んじゃえば、元も子もないよね……)




 義父、蘇壇は死んだ。




 年老いた身体に死をもたらしたのは、病でも何でもない。



 殺されたのだ。実の息子に。





 鑭依を護っていたのは、蘇壇という大きな存在だった。



 その後ろ盾をなくした今、血のつながりのない鑭依は、ただの厄介者にひとしい。





 あの義兄に疎ましく思われているのは分かっていたが。




 それにしても、運が悪かった。今回は、売られた先というか、そのときの状況が最悪だった。





 それは、この連に、隣国「(ツェン)」が、大軍を率いて侵攻を開始した直後のことだった。

 





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ