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第三話、或いは契約






 ダレンは口に含んだ少しの酒を床に吐き捨てた。


「出てくるのが遅いんだよ。馬鹿野郎!」


 その言葉に、客たちがはっとした顔つきになる。なるほど、ここまでが芸の一幕だったのか! 途端、弾ける喝采が、【金牛亭(ゴールド・ブル)】を膨らませる。ただ一人、リュートだけが置いてけぼりを食っていた。


「……あの、なんのつもりです?」

「まあ、待ってください。こうでも言わないと場が白けますから」


 ダレンは人好きのする笑みを向けてリュートの耳のそばでそう告げると、観衆に向けて深くお辞儀をした。


「今日のところはここまで。楽しんでいただけたようで何よりでさあ」


 残念がる者、良いものを見たと笑う者、バルゴスでさえも給仕の娘に心配されて、満更でもなさそうな様子である。夕陽の最後の一筋のように場の高揚が和らいでいく。あの独特な、背景としての喧騒が戻ってきた。リュートはダレンに連れられて、酒場の暗がりの一隅に卓を取った。そこには、さっき外に出ていたはずの大男――ウィリングがすでに麦酒を揃えて待っていた。短く刈られた金髪は、その風貌と相まって獅子を思わせる。


「麦酒でよかったか?」


 リュートが肩を竦めると、ウィリングはにやりと笑って並々と注がれた麦酒を一息に飲み込んでしまう。そうして、バルゴスの世話を焼いていた給仕を呼びつけた。「水を」とリュートが言伝る。先程の酒が脳の髄を振り回していた。


「それで、少し話をしたいと思ったものですから。このようなところに連れ込んで、迷惑ではなかったでしょうか?」


 突然、先程までの口調が嘘であるかのように声音を変えたダレンに、リュートが驚きを隠せずにいると、初老の男は苦笑する。よく見れば細面に浮かぶ表情は柔らかなもので、琥珀の瞳に流れるのは理知の(ともしび)。声音の威勢に騙されていたのか。北方は雪に閉ざされたアルジェイドの山村、南はカサンドラの港湾都市と、各地を経巡って風俗の残り香を一身に帯び、その身なりも心根も砂漠の風のごとしと(はや)される旅芸人にしては、なるほど、確かに些か身綺麗に過ぎる。――何者だ? この場に居ていいだろうか。リュートの思沈は刹那。


「私は、礼節を重んじる類の人間なんですよ。先程のは、芝居を打たせてもらいました」

「どうして?」

「あなたのような方を探していたんです」


 ダレンの返答に、またしてもリュートは面食らう。


「……少し語弊のある言い方をしました。我々は『案内人(シーカー)』を探していたのです」

「なんです? その『案内人』ってのは」


 話の行く先が見通せず、リュートは困惑していた。運ばれてきた水で唇を湿らせる。


「我々は、魔力が読める人物を探していた、ということです。ウィル君が風の噂でここにそのような人物がいる、ということを掴みましてね。一か八か、このような手段に出てみた、という次第なのです」


 ――なるほど。ここに来て、リュートにもようやく話の輪郭が掴めてきた。『大酒飲み』の芸は、失敗しかけたのではない。初めから仕組まれていたのだ。彼らは、何故リュートが毒入りのコップを見抜いたのかを知っている。否、彼らの言葉を信じるなら、コップを見抜くことのできる人物を(おび)き出した、と言う方が正確だろう。


「ガイの若木の樹液は強力な毒です。今でこそ流通経路が特定されやすいですし、高額なので用いられる事例は聞きませんが、かつては暗殺者の御用達として恐れられていました。しかし、この毒では決して殺せない者たちがいたんですよ」


 ダレンの琥珀色の瞳に悪戯っぽい光が揺れている。


「高位の神官たちだけは殺せなかった。魔力の気が濃すぎて、近くにあればすぐに『それ』と知られてしまった、と言います。神官たちは魔力の扱いに優れる」

「お前、魔力が読めるな?」


 ウィリングの挑戦的な眼差しを受け止めて、リュートは両手を軽く挙げた。


「……まあ、そうですね」


 リュートの返事を受けて、ダレンとウィリングの間にどこかほっとしたような雰囲気の弛緩があった。両者は軽く視線を交錯させる。ダレンがローブの懐を探って取り出したのは、金色に輝く硬貨が一つ。


「これは前金。あなたの魔力探知の能力を恃んで道案内をお願いしたいのです。それが終われば、もう一枚支払います」


 金貨が二枚。一顧だにせず飛び込んでいくには、報酬として破格が過ぎるし、論の展開も性急に過ぎる。「どこに行こうと言うんです?」とリュートが訝ったのも故ないことではなかった。


「かつてのドワーフの古城。八番目の巡礼地。【霧閉ざす地(エズディア)】です」


 【霧閉ざす森(エズディア)】。遥かな星霜の果て、霧の呪縛に呑まれて滅んだ「ドワーフたちの最高傑作」。この場所が霧の呪いから解き放たれたという話は、吟遊詩人の粗末な口上にすら転がらない。もしもその名を聞くことがあるとするならば、物流を遅延させることへの怒り、そして畏れの呪詛として、酔った商人の唇の端から唾液と共に滴るのを拾うぐらいのものだった。

 ――そんな場所に一体何の目的で? リュートの疑問が恐らくは貌に描いてあったのだろう。ダレンが微笑む。


「目的地ではありません。ただ、そこを通り抜けることができれば、アルジェイド領に近道ですからね」

「……命を賭けて、近道をしたい、と?」


 ダレンは首肯する。この地、トラン領からアルジェイド領へ行くなら【霧閉ざす地(エズディア)】を経由するのが最も早い。しかしながら深い霧に阻まれて、それができないのが現実。迂回するなら山脈に沿って西に進み、ニサまで出張らなくてはならない。距離にしてほとんど四倍の行程だ。


「残念ながら我々は正気ですよ。あの霧の中を進むためには、魔力に秀でた人材が必要なのです。我々には時間が余り残されていません。どうか頼めませんか」


 リュートの思索は、やはりほんの一瞬のことだった。机上の硬貨で交換されるものは、一体なんだろうか。リュートは金貨を人差し指と親指でつまむ。鈍く光る純金の硬貨には、ドワーフの工房、それを象徴する炎の鶴嘴(つるはし)が刻印されている。腰の雑嚢に放った。


「わかりました。できるかどうかは兎も角として、できることはしてみます」


 前かがみだったダレンが、椅子の背凭れに深く座り直した。「ありがとうございます」と、彼は呟いた。


「このような方法を使ったことは申し訳なく思います。ただ、我々が『案内人(シーカー)』を探しているということが衆目に晒されることは、できれば避けたかった。改めまして、ダレンと申します」

「ウィリング・ブルーヘルだ。よろしく頼むぞ」


 ウィルがそう言って、差し出したのは手の平。名乗ることを要求されているのだ、とリュートは感じる。

――けれど、名前なら、あなた方が教えてくれたじゃないか。リュートはふと笑って、差し出された手を握り返した。求められているのは、疑いなく、「リュート」ではない。


「『案内人(シーカー)』。僕の名前はシーカーです。こちらこそよろしくお願いします」






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