第二節 理由
裁判が始まるまでの間、ミーシャは留置場で数日を過ごした。その間、エドが何度も面会に来てミーシャを励ますのであった。「分かっているから、大丈夫だから」と言う言葉が口癖のようになっていた。何が分かっているのか、何が大丈夫なのか、そんな疑問を投げかけたい気持ちが沸き上がってくることもあったが、まだ自分にそのような言葉をくれる者がいるのだと思うと、少し安心するのであった。
ミーシャの牢屋にはもう一人女性がいる。ミーシャは彼女と行動を共に生活を送る。朝起きて、看守が点呼を取る、朝食を食べ、歯を磨く、支度ができたら取り調べ、昼飯を食べ、軽い運動、夕食、風呂はない日もある、日記を書く、就寝。日記を書くのは二人がたまたま同じ趣味を持っているわけではなく、それぞれの弁護士からそうするように言われているからだ。弁護士が取り調べの内容を知る手段はそれしかないからである。音を記録できる時代だというのに、全くもって古典的な方法であるとミーシャは考えるのであった。
女は日記を書いている間、手が痛いだの、目が疲れただの文句をぶつぶつと言っていた。気が散ったのか、ミーシャを時々睨みつけては威嚇した。ミーシャはその度おびえて視線を逸らすのであった。こんなところで知り合いを増やしても良いことなど一つもないと感じていたミーシャは必要な時以外は、ほとんど喋らなかった。その女が一体どのような理由で今ここにいるのかなどという事は、興味がなかったし、どうでもよいことであった。
女が言った。
「なぁ、なんかしゃべったらどうなんだ。いくら何でも愛想が悪すぎるだろ。別に、あんたのことなんてどうでもいいと思っているけれど、そこまで徹底されると、嫌でも気になるんだって」
「そんなことを言われても、話すことがありません」ミーシャはその女を見て言った。
「何だっていいだろ、退屈な時間が少しでも紛れるなら」
そう言うと、女は自分が今まで何をしていて、なぜ捕まったのかを語り始めた。
女は消防士として街で働いていた。口調が男勝りになっているのは、職場に男が多いからということ以外に子供の頃、両親が離婚して、男手一つで育ったからであった。父親が消防士で、その影響を受けたことが志したきっかけである。女は学校を卒業し、直ぐに消防士になった。現実は厳しかったが、訓練は毎日欠かさず行い、警報が鳴ればすぐに現場へ向かう、そんな毎日を当たり前のように過ごし、何とか乗り越えた。その甲斐あって、同僚からも一人前と認められたある日、大きな火事が起きた。火事ははある屋敷で起き、瞬く間に火が燃え広がった。女は、家の中に入り、その家の母親と子供を探した。しかし、屋敷が広く、見つけることができなかった。女はあきらめきれず、自分の命が危ないかもしれない状況になるまで探し続けた。時間が刻々と進み、女は最後の最後で子供と母親を見つけ、助けようとした。水を汲んではかけ、汲んではかけ、水をこれでもかというほどかけた。しかし、火の手は弱まらなかった。女はいつしか手を止め、最後までそれをただ眺めているしかなかった。その時に、家の主人は遠くから女の様子を見ていた。後日、主人の怒りは女に向けられ、女に訴えを起こした。
「でもなぁ、(自分が)死ぬと分かっていても、助けるべきなのかね。それを諦めたら、怠慢なのかね。人を助ける仕事っていうのは、何でもそうだが、そういう期待を背負うってことなんだから、まぁ、何というか、承知はしていたつもりなんだよ、でもな、実際に直面してみると厄介なもんだ、あの主人の怒りがこっちに向くことが理不尽に見えるかもしれないけれども、私は納得できてしまうんだよ、間違っちゃいないと思うんだよ、どうしてだろうな」
ミーシャは女の話を黙って聞いていた。この女が意外にもまともな人間であることが分かり、軽蔑していた自分を恥るのであった。そして、自分がしてきたことを思い出して、自分がこの世に落とされた原因について考え始めるのであった。もし、自分が人を生き返らせることをやめなかった場合、どのような未来が待っているのか、自分がその力を使うには、代償を支払わなければならない。しかし、助けられた者はただその力に助けられ、普段と変わらぬ日々を送る。いつの日か力が尽きてしまったら、その者たちは自分に怒りをぶつけ、それをしごく当然のように主張するのだろうか。そしてこの女のようなことを考えるのか……、全くもって勝手なものだ、理不尽でありながら正論のように聞こえるそれは、何もない更地に香草をひとふさ植えたかのように広がり、その地を埋め尽くす。埋め尽くし、その土地の栄養を奪いつくす。
ミーシャは言った。
「あなたが言っていることは、理解ができます。人は誰かのために生きるものなのですから、そのようにお考えになるのは当然かと思います。でも、それではあなたが救われない。なぜならば、そこには愛がない。あなたのことを道具としてしか見ていない者が言っていることに過ぎないのです。以前は私もあなたのようでした。でも、ある少年が気付かせてくれたのです。その少年は、他の者と違い、私に助けなくて良いと言いました。その時、私は救われました。そこにはたしかに愛があったのです」
次の日、女は取り調べの時間の後、戻ってくることはなかった。別れる前に女は「ありがとう」と言葉をのこした。




